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4.///////////////

ダユトが帰ってこない。

いつもなら暗くなる前に帰ってくるのに、外は獣の蔓延る森の中のように薄暗くなってきている。

不安が頭を支配する。彼に何かあったんだ。


ダユトのいる教会に私はこっそり向かった。

村の中央を通りたくはないので、木の鬱蒼と生えた裏道を駆使して歩く。

教会の裏口に人影が二つ見えた。


「人を殺して英雄だもんな。羨ましいよ」


嗄れた声がして私は咄嗟に体を木の陰に隠す。

この声は……。


「ほらよ。今月分」


真っ白な顔のダユトが棒立ちになり、目の前の軍人を見ていた。

軍人は歪んだ体を奇妙に動かしながら懐から札束を取り出しそれを地面に投げる。


軍人のハヨッドだ。軍の使いで月に一度お金を渡しにくる男。

ダユトは絶対にハヨッドを会わせようとはしないが、それでも私はあの男がどれだけ嫌な奴か知っていた。


「ありがとうございます」


淡々とした、冷たい声だ。いつもの穏やかな声じゃない彼は別人のように思える。

無表情で地面のお金を拾う。その顔にはなんの感情も浮かんでいなかった。


「あの気持ちの悪いガキは元気か」


「お陰様で私たち家族は元気に暮らしています」


「ハ。どうせお前もあのガキのこと八つ当たりの道具にしてんだろ?

お前の親父も、ボコボコお前らのこと殴ってたもんな……ハハ。弱い奴にはすぐ手を出す。カスみたいな奴」


ダユトは返事をしない。私は叫びたかった。ダユトがそんなひどいことするはずがないと。

でもハヨッドと私が会うことの方が多分ダユトは嫌がるはず。だから、ブラウスの裾を握って必死に耐えた。


「お前の親父は英雄じゃない。人を殺すのが好きだったんだよ……。

分かってんだろ? あの作戦。普通思いつかない……。

子供を殺してその死体で敵を足止め。それで襲いかかって洞窟に追いやってその洞窟の入り口を埋めた。

今でも聞こえるよ……アイツらの、出してくれって叫びがさ……」


ハヨッドの目は虚ろだった。


「お前の親父は楽しかったんだろうな……。叫び声聞きながら酒飲んでうっとりしてた。

あの作戦でユチアバ村は助かった。他の作戦では、ザンユーもヤロキも、いろんな場所が救われたってな。どう思う?」


「……父は悍ましい人です」


「だよなあ!

そうだよ。悍ましい奴だよ。俺だってこんな体になっちまって」


ハヨッドはグフグフと汚らしく笑う。

彼の右腕は内側に入り込んで捻れていて、腰も大きく曲がっていた。

ダユトのお父さんがそうしたと、彼はいつもダユトに言っているようだ。本当かどうか知らない。


「お袋さんは美人だったな……。だが馬鹿だった。

旦那が死んだんだ。新しい夫を迎え入れればいいのに寡婦で生涯貫いて」


「そうですね」


ダユトの表情は変わらない。けれどぎゅっと握られた拳は白くなっていた。

あの優しいお母さんまで侮辱するなんて。働き者で、朗らかに笑って、私たちをたくさん愛してくれた人。

布団の中でいつも夜寝る前お母さんが読んでくれたお伽話のことを思い出す。

これ以上見ていられない。

周りに視線を走らせる。

二人から少し離れたところに井戸があった。


私は地面の小石を掴んで井戸に向かって投げ入れた。

石は美しい放物線を描いて目的の場所へときちんと落ちていった。

中のタライがけたたましい音を立てて落ちていく。


ガッシャーン!という大きな音にダユトもハヨッドも驚いた様子で目を見開く。

そうしてハヨッドは我に帰ったのかブツブツと呟きながらその場を後にしていた。

良かった。追っ払えた。


「ダユト!」


小さく彼の名前を呼ぶとさっと顔を上げた。私を見ると安堵したような泣きそうな顔になる。


「アルラ……!」


「ごめん。帰り遅いから心配で来たら、あの人いて……」


言い終える前に彼は力強く私を抱きしめた。

私の首筋に頭を埋め「アルラ」と何度も囁く。熱い息が首にかかってくすぐったいが、離したくない。

しばらく抱き合っているとダユトは顔を上げた。


「ごめん……」


「ううん……帰ろっか」


手を握ると彼は縋るように握り返してきた。

だからハヨッドは嫌いだ。ダユトのことをすごくすごく傷付ける。


「僕はアルラに手を上げたりなんてしない」


「うん。分かってるよ。

ダユトは優しいもん」


「……優しくないよ」


そんなことないけど。

見上げると彼はやっぱり悲しそうな顔をしていた。

……お金があれば、ハヨッドや軍のお金に頼らなくて済むのに。

私が働ければ……。


*


家に戻ってご飯を食べたりのんびりしたりしているうちに、ダユトはいつもの穏やかな表情を取り戻した。

良かった。

編み物をする私の肩にダユトはもたれかかりながら他愛のない話をする。


その時、ふとオーヴェルの話を思い出した。


「……そうだ、イチヤカギリの関係って意味わかる?」


ダユトはこの言葉を聞き終わらない内に「何言ってるの!?」と驚いた様子で声を上げ身を起こした。

どうやら良くない意味だったようだ……。


「ご、ごめん。今日たまたま、そういう話をしてる人がいて……なんなのかなって」


「村の人? はあ、困ったな。

……あのね、なんというか。世の中には満たされない人がいて……。そういう人が、同じような人を見つけて一晩だけ恋人みたいになるんだ」


ヨニナとオーヴェルは満たされていないということなのか。あんなに生き生きとした2人なのに。


「そうなんだ。

それって悪いことなの?」


「……うーん……。お互いが独身で節度さえあれば構わないと思うけど、そうじゃないこともあるからね」


「それって浮気ってこと?」


「そう。

それにね……一夜限りのって言うくらいだから、その一晩が終わったらもう2人は関わらないんだ。

すごく短くて浅い関係」


「ダユトはなったことある?」


私のこの質問は更に良くなかったらしい。

顔を強張らせて何も言わずに私を見ている。


「……ごめん。無いよね」


「そういう不健全なことはしない」


少し低い声で答えている。


「なら普通の恋人は」


つるりと口から出た質問を慌てて止めるがもう遅い。

彼の耳にバッチリ届いただろう。

嫌だ。ダユトに恋人がいたかどうかなんて、聞きたいけど、違う。私が聞きたいのは恋人がいないという答えだ。


「なんでもない!

ごめん。余計なこと聞いた」


「別に良いよ。それは不健全なものじゃ」


「ううん。だ、ダユトのことは私には関係無いし。

お茶持ってくるよ」


逃げようと編み棒をローテーブルに置いて台所に向かう。だが腕を掴まれ引き寄せられた。

ジッとお面の奥の私の目を見つめている。


「アルラ。関係無いこと無いよね?

……僕とアルラは一夜限りの関係とは全く逆の、永遠に続く特別な関係。何回朝を迎えても僕たちの関係が終わるなんてことはあり得ない。

そうだよね?」


それはもちろんそうだ。私たちは血の繋がりは無くともずっと共に過ごしてきた家族だし、それに私にとって彼は大好きな、愛する人だ。

頷くとダユトは微かに笑う。だが安心できるような笑顔というよりは、どこか怖い感じがした。


「僕に恋人はいないよ。できたこともない。

僕も満たされない側の人間だけど……何をすれば満たされるかわかってるから。そんなの必要無いんだ」


ダユトが満たされていない。その言葉はショックだった。


「どうしたら満たされるの……?」


「アルラがいてくれれば良い」


ダユトはぎゅっと私を抱きしめた。暖かい彼の温度に息を吐く。


彼は父親を早くに亡くし、そして母親も亡くなった。

そして私のように親の顔すら知らないわけではない。だからこそ寂しいのだろう。

彼が満たされないのは多分そのせい。

私が、家族がいれば彼は孤独を感じない。


「君が世界で一番大好き」


「……私もダユトのこと大好きだよ」


ダユトの好きと私の好きが違うとしても、やっぱり好きは好きだ。

目を細めて彼は笑う。いつもの優しい笑み。


「こうしてると満たされる」


囁く彼の声に私は頷いた。

抱き合っていると胸の内から幸せな気持ち、みたいなのが湧き上がって、それが私たちの間を行き来している感覚がある。

ずっとこうしていられたらもっと幸せなのに。

だけど、いつかダユトに恋人ができてその人と結婚したら……。考えたくはないけれど、きっともうこうやって抱きしめてもらえることすら無くなるのだろう。

例え家族という関係に終わりはなくとも。


*


ハヨッドが来た日だけダユトはお酒を飲む。


「アルラ。おいで」


とろんとした目でダユトが私に手を伸ばす。

……彼はお酒を飲むといつも以上に私を甘やかすし、スキンシップも増えるし、それなのに次の日それを覚えていることはほとんど無い。

私はローテーブルにある空になった酒瓶を見て息を吐いた。


「ダユト……またこんなに……」


「アルラは飲まないの?」


私の体を抱きしめ離さない彼に首を振る。次の日頭痛や嘔吐感に悩まされる彼を見ているとあまり飲みたいと思えない。


「そう……。まあ、もう少し大人になったらかなあ……」


「私十分大人だよ」


というか彼は15歳から飲んでいた。


「んー。大人なの?」


「そうでしょ?」


「どうかなあ」


ダユトは私の体を持ち上げると向かい合わせに彼の膝に跨らせた。


「もう19歳だからね?」


「そっかあ……。ああ……大人にならないで良いのに……」


「なんでよ」


「だって大人の男女がこんな風にくっ付いてたらダメだし……」


「ダユトがくっ付いてくるんでしょ!」


彼の胸を軽く叩くとへらへらと笑う。


「だから、くっ付きたいから大人にならないでほしいんだよ」


顎に黒い髪が当たる。

ダユトは私の首筋に額を乗せていた。


「大人にならないで。酷い人たちに近付かないで。僕のこと嫌いにならないで。

このままずっと一緒にいて……」


お酒のせいでか、彼の声は掠れていた。


「ダユトのこと嫌いになるわけないよ!

……私も、ずっと一緒にいたいから」


「本当?

ねえ、こうやって触られるの嫌じゃない? 我慢してる?」


「嫌だったら嫌って言うし、こんな風にくっ付かない」


「……もっと触ってもいい?」


これ以上どう? と思ったが「いいよ」と言って抱きついた。

彼が満たされるように。


ダユトは小さく息を飲んだ。


「アルラ……。

……ねえ、痕付けるのは嫌?」


「痕!? 痛いのは絶対、嫌!」


「そんなことしないよ。

そうじゃなくて……」


彼は体を離して私の首筋に触れた。


「アルラのここに、僕の印を付けたいんだ」


印とはなんだろう? インクで何か書く?

簡単に落ちてしまいそうな……それともそういう、何か儀式めいたことだろうか?

ダユトがよく分からない儀式やルールを作るのは今に始まったことじゃない。


「良いけど……」


「本当? ありがとう。

……オーヴェルなんかが帰って来ちゃったし……ちょっと心配で」


「オーヴェル? なんで?」


「ちょっとボタン外してくれる?

……元々綺麗な子だったけど更に綺麗になったよね」


私はパジャマのボタンを外しながらヨニナの言葉を思い出す。

彼女も精霊かと思った、と言っていた。


「そうみたいだね」


ダユトはふ、と笑う。その笑顔に心臓がドキドキした。

私はダユトの方がずっと綺麗だと思う。目が離せなくなって息をするのも忘れてしまう。


「お面外すよ」


「え? あ……」


スルリとお面の紐を引いてしまう。

なんでそんなことする必要があるんだろう。

インクが付くから?


顔を見られたくなくて慌てて目を逸らすが、顎をクイッと持ち上げられてしまう。


「昔からオーヴェルは鼻に付く……。アルラの特別になりそうで嫌なんだ。

ねえ、僕が今からすることちゃんと見て感じてて」


ああ。まただ。あの優しい笑顔じゃない。

ちょっと怖いような。でもなぜか目が離せない……。


彼に見惚れているとダユトは私の首筋に唇を付けた。

え、と思っているとちゅうっと音がした。


「だっダユト!?」


「ん、ごめん。初めてするから……うまくできない……」


「な、なに、してるの?」


「僕の印付けてる……」


……しまった。これは相当酔ってるんだ。

そりゃそうだ。彼からはお酒の匂いがプンプンするし、顔も赤く息が荒い。


「くすぐったいよ!」


「すぐ終わるから」


じゅうっと吸われる音が耳元でして驚いた。

吸われたところがジンジンと痛む。


「はい、綺麗に付いた」


彼はすごく嬉しそうな顔をして首筋を撫でる。


「……見えないし」


「そっか。ならアルラにも見える位置にするね」


私の手を握り今度は手首に舌を這わせた。

熱い、ぬるぬるとした舌の感触に体が震える。


「ちょっと!?」


「大丈夫。コツは掴んだ……」


強く吸われ一瞬僅かな痛みを感じる。慌てて手を引くと彼が触れていた部分に赤い痣のようなものができていた。


「これが印……?」


「うん。

……良いね。アルラの綺麗な肌に、赤い痕が映えて……。

もっとして良い? 練習させて?」


何を言ってるんだ。まったく酔っ払いというのは……。

私は彼の口に手を当てる。


「くすぐったいし痛いから嫌」


「え? 痛い? ご、ごめんね。

そっか……これ痛いんだ……」


ダユトは軽くショックを受けたらしい。

人に痛がることをするのが彼にとっては凄く怖いことのようで、私が痛がるとなんでもすぐにやめる。

私がイタズラして悪さをした時ダユトに強く腕を引かれ思わず「痛い!」と叫ぶと、彼は白い顔をして何度も何度も謝っていた。

私が悪かったし本当は痛くなかったのに。あの時の罪悪感は今も残っている。

だから痛いとはあまり言いたくないのだが……酔っ払いを止めるにはこれしか無い。


「そうだよ。痛かった……。

ダユトもされればわかるよ」


オタオタするダユトの手を取り私も、彼と同じように手首に吸い付く。

なんだか自分がヒルになった気分だ。


「アルラ……っ!?」


「ほら! 痛いでしょ」


「そんなことしたら、ダメだよ……。嬉しくて頭おかしくなっちゃう……」


「え? 嬉しい? 痛くないの……?」


手を離しダユトを見る。彼は顔を真っ赤にして熱い息を吐いている。

……酔いが全身に回っているみたいだ。

酔っ払い相手に何してるんだろう。ダユトが酔って変なことするのは今に始まったことじゃない。

先月は貰ったお金を全部用水路に捨てようとして大変だった。


「……やり返してごめんなさい。

少し休んだ方が良いよ……」


「え……やめちゃうの?」


「うん。

毛布持ってくるからここで寝てて?」


「……わかった……」


不満そうなダユトを置いて部屋から毛布を持ってくる。

本当はソファじゃなくてちゃんとベッドで休んでほしいけれど、あれだけ飲んでいるんじゃまともに歩けなさそうだ。


「ヴィホネルさんの点滴は大丈夫?」


「うん……。点滴も補充したし、体も拭いたし……。

……アルラも手伝ってくれてありがとうね……」


手伝うもなにも、殆ど何もしていない。精々一時間おきに様子を伺う程度だ。


「もっと何か手伝えたら良いんだけど……」


「アルラは充分やってくれてるよ。

ありがとう。大好き」


ダユトの手が伸びて私の体を引っ張った。

熱いダユトの体の上に乗せられる。腕がぎゅっと腰に回された。


「……ダユト……?」


呼びかけに返ってきたのは規則正しい寝息だけだ。

……これは……寝ている?


「え、ダユト。離して」


腕を掴んで揺するが「うん」と微かな声がするだけだ。

力が緩まらない。

どうやら、このソファで一夜を明かすことになるようだ。


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