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3.///////////////

さすがに翌日は外に出るのが憚られた。オーヴェルには謝りたいとも思ったが、ダユトに見つかるとまた怒ってしまうだろう。

家の中の掃除を続ける。


3階の屋根裏部屋の扉を開け、ヴィホネルさんの様子を伺った。

ヴィホネルさんは免疫が下がっているからあまり出入りしちゃダメだよ、と言われている。掃除も全てダユトが行なっていた。

……正直私も入りたくない。

皮と骨だけの痩せた体に真っ白な髪。動くこともままならずにダユトに全て看病してもらっている姿を見ると、自分の将来を見ているような気になるのだ。

いや、私が老婆になったとき、こうして世話をしてくれる人はおらず道端でのたれ死ぬだけだろう……。


ヴィホネルさんには悪いが姿を見るとどうしても暗い気持ちになる。それは、私の能力の無さからくるものだ。

せめて文字が読めればいいのか。

部屋の隙間から彼女のベッドを見た。皺だらけの手がベッドからはみ出ている。

手首には点滴が繋がれていた。


……ヴィホネルさんは夢の中で大切な人に会いたくなったりするのかな。

そんなことを思いながら私はそっと扉を閉めた。


その時、玄関の呼び鈴が鳴った。

誰だろう。ウチにお客さんが来ることなんてほとんど無いのに。

階段を駆け下り玄関の扉越しに返事をする。


「はい」


「トーティ出版の者です。少しお話いいですか?」


ハリのある声だ。声からするに女性のようだが。


「何の用でしょう」


「人探しをしていまして……。

チェイラ・ヤクスという人をご存知ないですか?」


昨日オーヴェルが見せてくれた新聞を思い出す。


「詩人の……?

ごめんなさい、私何も知らないんです」


「写真見てくれませんか? もしかしたら顔は見たことあるかもしれません」


「いえ。新聞で見ましたけど全然……」


「ああ、あのキペリ新聞のですか? あれはダメです、写りが悪い。

もっと彼女ってわかる写真を見て欲しいんですよ」


そう言われても。

できれば姿を見せないでおきたいし、ダユトから知らない人が来ても玄関を開けるなと言われている。

だけど人探しに協力しないのも申し訳ない。

私は意を決して扉を開けた。


「……写真、見るだけなら……」


立っていたのは美しい人だった。

長い睫毛に縁取られた翠の瞳は宝石のように輝いている。

高い頬骨の特徴的な顔はつやつやとして、溌剌とした印象を受けた。

彼女は私を見ると一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに「ありがとうございます」と微笑んだ。


「どれですか?」


「これなんです」


見せられた写真はやはり見覚えのないものだ。

ただカラーな分、確かに新聞より雰囲気がわかる。

特徴的な鷲鼻にふっくらとした唇、黒い髪に冷たそうな瞳をした美しい女性だ。

詩人という職業を知ったからだろうか、知的な印象を受ける。


「……ごめんなさい。やっぱり知らないです」


「あ、でも、これ20年以上前の写真で……今は40歳なんですよ。どうです? 思い当たる人いませんか?」


「いえ……」


そもそも村の人との交流をほとんどしない私だ。何歳だろうとピンと来ない。


「そうですよね……。すみませんお時間頂いてしまって。

チェイラの最後の手紙が最近になって見つかって、それで消印がここだったものですからもしかしてって……。

彼女がいなくなったのはもう9年も前のことだから見つからないとは思ってたんです。でもやっぱり手がかりゼロ!」


やれやれと彼女は首を振った。早口で大げさな話し方が面白くてつい聞き入ってしまう。


「あ、私トーティ出版のヨニナです。

ヨニナ・ザンデセタ。

あなたは?」


「……アルラです」


「アルラさん。もしかしたらまたお話伺うかもしれません。

ご迷惑とは思いますけど、チェイラは素晴らしい詩人で……彼女がもしまだどこかにいるならまた詩を書いて欲しいんです」


「私で、役に立てれば……」


「ありがとう!

あ、じゃあ私はこれで……村中の人に聞いて回ってるものですから」


爽やかな笑みを浮かべ彼女は去って行く。私はその背中を見送った。

美しく、溌剌として、自立した女性。私とは大違いだ。


*


掃除を再開しようと雑巾を手に取ると上から物音がした。

ヴィホネルさんに何かあったのかと慌てて駆け上がり部屋を覗くが、彼女は祈るように手を揃えて眠っていた。

ゆっくり近付いてヴィホネルさんの青白い肌を見る。微かに胸が動き、喉仏が動いているので生きているのだと安心した。

彼女じゃないとすると……まさかネズミ?

もしかしたら殺鼠剤を撒く必要があるかもしれない。

ネズミ自体は可愛い生き物だと思う。つぶらな瞳とふわふわな毛が愛らしい。

だが畑を荒らすし家を齧るしバイ菌を振り撒くしで、見た目に反して非常に厄介な生き物なのだとダユトに教えてもらった。


家にある物置と化した部屋に入り殺鼠剤を探す。薬品がたくさんあるのでわかりにくいが、殺鼠剤や農薬などよく使うものにダユトはイラストを貼ってくれている。

震える線で描かれたネズミ。これが殺鼠剤のマークだ。箱を取り出し毒餌を玄関に撒いておく。

これでいいはず。

ふ、と顔を上げると布の掛けられた鏡が視線に入った。

この家に鏡は一箇所しか置いていない。

身支度の時のためのもの。あとは、多分ダユトが手鏡を持っているはずだ。でもそれ以外のものは全て撤去した。

私が私の顔を見ないで済むように。


布を外し、そしてお面も外す。

鏡に映る私はやはり醜かった。左右の目の大きさは違い、左側だけ下がっている。凸凹としてまるで岩のような亀裂の入った顔面は、先ほど出会った女性ヨニナの滑らかな肌とはあまりにも違いすぎた。

嫌になる。

布をかけ直して私はその場にしゃがみ込んだ。


—愚かで醜い……。

幼いオーヴェルの驚いた顔が忘れられない。

何かの弾みで外れてしまった私のお面を、オーヴェルは拾ってくれた。そしてお礼を言って彼を見ると、彼は息を飲んだ。

お面が地面に落ちる。周りの子供達が「何?」「気持ち悪い」とヒソヒソ話す声が否が応でも耳に入ってくる。

周りの子たちを驚かせた自分の顔が恥ずかしくてそのまま逃げるように立ち去った。


……もし私が美しければあの子達と仲良くなれたのだろうか。

もし私が美しければ。


*


「ただいま」


ダユトは私を見ると優しく微笑んだ。

「おかえりなさい」。だけど彼に笑顔を返せない。


「……どうかしたの?」


なんで私はこんな顔なの? なんでみんなと同じような顔じゃないの?

そう言いたくなった。だけど彼にそんなこと言ってもしょうがない。


「……あの。もしかしたらネズミがいるかもしれなくて」


だから私は適当なことを言った。本当はネズミなんてどうでもいい。いや、良くはないのだけど、殺鼠剤を撒いてしばらくすればいなくなるものだ。


「えっ本当?」


「うん。屋根裏で物音がして。

薬撒いたんだけど……」


「ああ。新しいの買っておかなきゃね。

畑は大丈夫?」


「大丈夫」


ダユトは頷くと手を広げた。


「おいで」


どうやら彼にはネズミが誤魔化しであることはバレていたらしい。

ダユトの腕の中に収まるとぎゅっと抱き締められる。


「どうしたの?」


「……どうして私こんな顔なの……」


「……アルラ。君は綺麗だよ」


優しい彼の言葉に喉が詰まった。


「……そんな嘘つかないで良いよ」


「嘘じゃない。本当のことだ」


「ならどうして私は捨てられたの」


「違う」


ダユトはもう一度「違う」と言って自分の額を押さえた。浅く息をし「捨てられてなんかない」と掠れた声で言う。


「……何度も話したよね。君の血の繋がったお母さんは君のことを本当は愛していたんだ。

だけど、どうしても、事情があって育てられなくて……。それで。それでなんだよ。君がここにいるのは」


「なんの事情?」


「悲しいことがあったんだ」


彼はまたぎゅっと腕に力を入れた。だけど先ほどよりもすごく強い。息が詰まりそうだ。


「大丈夫。きっとお母さんと一緒に暮らせるようになるからね」


……私の母は死んでいるわけじゃないらしい。でもそれがどういった理由によるものか、ダユトは教えてくれない。


「教えてくれなきゃ捨てられてないなんて分からないよ」


「そうだよね。

きっと、そのうち教えてあげられるから。ごめんね」


「ダユト……」


「僕が代わりに側にいるから」


返事をせず彼に縋り付いた。

……例え、私が醜い捨て子だろうとなんだろうと、こうして側にいて綺麗だと優しい嘘をついてくれる人がいるならそれ以上の幸せはないのかもしれない。


*


陽の光を浴びながら畑の様子を見る。作物にネズミに齧られた様子は無い。玄関の毒餌もかじられていた形跡は無かった。

良かったと息を吐いて立ち上がる。村の人が私の方を見ていたが慌てた様子で視線を逸らした。いつものことだ。

だが人影がひとつ家に向かって来るのが見えた。

あれは……ヨニナ?


「こんにちは……」


声をかけると彼女は驚いたように目を見開いたのに、すぐに笑顔を浮かべた。


「こんにちは!

暑いのに精が出ますね」


「いえいえ……。

何かご用ですか?」


そう言うと彼女は眉を下げて首を振った。


「用という用はないんですけど……正直手詰まりで。用もないのにこうしてプラプラしてるしかないんですよ」


やはり10年前に失踪した人を探すのは簡単なことではないのだ。


「良ければお茶でもどうですか?」


彼女の白い額に薄っすらと浮かぶ汗を見ながら提案する。

ヨニナは一瞬嬉しそうな顔をしたが「やめておきましょう」とまた眉を下げた。


「あなたのお兄さんに必要以上に関わるなど言われてしまいまして」


「……ダユトにですか?」


珍しい。オーヴェル以外に対してはそんな冷たいこと言わないのに。

ヨニナが何か反感買うようなことをしたのだろうか?


「英雄の息子って褒めたつもりだったんですけど、ダメでした?」


「ああ……それ言われるのは好きじゃないみたいです」


好きじゃないどころじゃない。あれは良い意味で言われていないことがある。


「悪気は無かったんですけど、ね。

ねえ良ければ少し村のこと教えてくれません?」


「私に分かる範囲で良ければ」


「そう、じゃあ……」


彼女の言葉を遮るように、通りの向こうから女の子たちの歓声が聞こえてきた。

視線を向けるとオーヴェルが囲まれている。


「何やってるんでしょう?」


呟きながら彼等を見る。オーヴェルがスケッチブックを掲げて1人の女の子を指差しているので、似顔絵を描く約束でもしているのだろう。


「……あ、彼は街まで勉強しに行ったくらい絵が上手いんですよ」


ヨニナに紹介しながら彼女の方を向く。だがヨニナの表情はするんと抜け落ちたかのように何も浮かんでいなかった。

先程までの明るく溌剌とした彼女との違いに私はどきりとする。


「人気者なんですね」


「帰ってきたばかりですから土産話を聞きたいんですよ」


「オーヴェルくん、かっこいいですもの。女の子たちは話をしたいでしょう」


「確かに。立派に育って多分村のみんな驚いたと思います」


とはいえ、人との交流のほとんど無い私だ。

みんなが驚いたかどうかは定かではない。少なくとも私はすらりと背が伸びた彼に驚いた。


「最初見たときはあんまり美しいから精霊か何かなのかと思いました」


そこまでだろうか? というか精霊? オーヴェルはそんな儚い雰囲気をしているだろうか?

良くてイタズラばかり仕掛けてくる妖精というところに思える。


「ヨニナさんは彼のことそんなに綺麗に見えるんですね」


「私は、というかほとんどの人はそうだと思いますよ。

だからああして人に囲まれるのでしょう」


不意に、オーヴェルと目が合った。

オーヴェルの顔がこちらを向いたことで女の子たちもこちらを見る。

そしてギョッとしたように顔を強張らせてしまった。

よくない。私は慌てて背を向ける。


「それで、村のことですけど……」


「ごめんなさい、一回会社に連絡しておかないといけないんでした!

また来ますね」


「ああ、そうなんですね。

いつでも来てください」


ニコリと笑みを浮かべてからヨニナは足早に出て行った。

歩き方も美しい人だ。

そんな人が精霊のようだと思うオーヴェル。彼はやはり凄いのだなと感心した。


「アルライン!」


精霊が走りながらこちらに向かってくる。

そういえば彼とはダユトに怒られた件で謝れていない。


「オーヴェル。この間はごめん……」


「ヨニナのこと知ってんの?」


「え? うん。詩人を探しに来たんだって」


「……逃げられたな……」


彼は鋭い目つきでヨニナを見ていた。


「……オーヴェルもヨニナの知り合い?」


「街でな。まあよくある一夜限りの関係ってやつ?

弄ばれちゃったんだよ」


「イチヤカギリの? いじめられた、の?」


「そう。酷いことする。

こっちが本気だって分かったらポイだよ」


「そうなんだ……? ヨニナ優しいのに意外……」


それにオーヴェルのことを美しいと褒めていたのにいじめていたのか。


「優しくない。あれは営業用。

……お前ってなんていうか、外面に惑わされるよなあ」


「どういう意味?」


「優しいこと言う奴に気をつけろよ。操られたり利用されたりする。

……って言っても……無駄だよな」


ヨニナに利用されていた? 彼女がそんなことするはずない、というよりそんなことされていない。

まだ会って挨拶してる程度なんだから。


「話ししてただけだよ」


「ヨニナは、な。

なあダユトに何かされてたりすんの?」


なぜいきなりダユトの話に?


「何かって」


「触られたりとか……」


「そりゃするよ。家族なら手繋いだりするでしょ?」


「しないけど……まあいっか。

お前なんかどうでもいいけど、胸糞悪いことされてんのはさすがに可哀想だと思っただけだし。

でもそれすら気付けなさそうだもんな。

哀れな奴」


急に罵られた。


「なんなの」


「心配してやったんだろうが。

それでヨニナは何しに来てるんだ?」


急にヨニナの話に戻る。会話の回転速度に私は振り落とされそうだ。

彼はなんというか、振り回す人だ。


「チェイラって詩人探してるんだって」


私の答えにオーヴェルは顔をしかめた。


「俺に会いに来てくれたってわけですらないのか。

しかもチェイラ絡み。ハア……」


「ヨニナにいじめられてたのに会いたかったの?」


「うん。すごく会いたかった。

まあでもそりゃそうだよな。ヨニナはチェイラのことを探してて……。

だからここ出身の俺に会った……俺は通過地点でしかない」


「……オーヴェル?」


しかめっ面のままだがなんだか落ち込んでいるようにも見える。一体彼はどうしたというのか。


「お前好きな奴いる?」


「急だなあ……。

いるよ。ダユト」


「はいはい。知ってるっての。そうじゃなくてだな……。

けどその名前で思い出した。またアイツに脅されたら敵わない、帰る」


本当に急で突然で突発的な人だ。私は分かったと頷いて彼に手を振る。

オーヴェルは鼻を鳴らすだけで振り返してはくれなかった。

……どうやら御機嫌斜めになっているらしい。


オーヴェルもヨニナもよく分からない人たちだ。


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