12. ××××××××
この話以降完結編です。イチャイチャし続けるダユトとアルラ。そしてオーヴェルとヨニナの話。
「アルラ、おはよう」
肩を揺さぶられ目を開ける。ダユトがいつもの笑みを浮かべながら私にキスをした。
家が燃えてから1ヶ月。
私たちは住んでいた村を出て、クシラの街に住むことになった。
「今日は先生のところに行かないと」
だから早く支度しよう、と彼は私の髪を撫でた。
今日の予定をすっかり忘れていた私は慌てて起き上がる。
「わあ! 寝坊するところだった……!
起こしてくれてありがとう……!」
慌ててパジャマを脱いで着替えをする。
先生のところまでは歩いてそうかからないが人気で予約していても待ち時間が長い。早めに行くのが吉なのだ。
「僕は今日判事さんに会うから付き添えないけど一人で行ける?」
「大丈夫だよ」
あの事件は立証されていない。
いや、どこからが事件なのだろうか? ダユトがチェイラを監禁していたこと? 父親の死体を隠していたこと? 家に火が付けられたこと?
ダユトの犯した罪はチェイラという被害者がいない上に家も燃え証拠は消えた。罪を犯していたことを証明できないのだ。
父親の死体は見つかったが腐敗が進み死因がわからないらしい。それは他殺なのか事故なのか自殺なのか第三者からはわからないということだ。
結局、ダユトの隠し通していたものは、死体遺棄という一言で片付けられた。
死体遺棄の罪でダユトは拘束される……のかと思ったが、遺棄したのは母親と協力者であったことやその当時の彼の年齢を鑑みて、隠し続けたことだけを罪として書類送検という形になったらしい。
法律というのはよく分からないけどダユトが拘束されないなら良かったと正直思ってしまう。
家が燃え、住むところもお金も失った私たちだが、何故かヨニナが手を差し伸べてくれる。
なんと住む場所を工面してくれるというのだ。
まさかの申し出に私は戸惑ったが何もかも燃えた私たちが縋らないわけにもいかず、彼女に頭を下げ新たな生活を手に入れる。
この街はラゼガ先生がいるということでダユトが選んだ。
そもそもダユトが教会で医者手伝いをしていたのは私の顔の傷をなんとかするためだった。
彼は傷跡を消すには手術が必要で、それには高い技術が必要であると知っていた。当初彼は自分で私の手術をするつもりだったらしいが経験値を積めないことから諦め、医者との間に人脈を得ることを目標としだす。
その最終到達点がラゼガ先生だ。
高い技術を持つ有名な先生だが、彼女の病院は元々住んでいた村から余りにも遠かったためダユトは悩んでいたらしい。
……ダユトは抱えているものが多過ぎるしやる事も多い。だから追い詰められてしまうのだ。
父親の死体を隠す必要も私に顔の文字を隠す必要も無くなった彼は今まで作っていた人脈を使ってラゼガ先生に接近。そうして私は先生になんとか傷跡を消してもらえることとなった。
支度を終えた私は帽子を被りベールを下げる。
もう前のようにお面を被るのはやめた。新しい街で奇異な目で見られるのは避けたいし、ダユトも私が顔の文字を読めてからはお面で覆う必要はないと考えているらしい。
ベール越しなら単なるひどい傷に見えるだろう。
「行ってきます」
「待って」
ダユトが指を絡めてきた。ベールを持ち上げ私に何度もキスをする。
「……行ってらっしゃい」
トドメとばかりに私の指にキスをして名残惜しそうに離れていく。
私は赤くなった耳を隠すようにしながらラゼガ先生の元へ向かった。
……あの事件以来……ダユトのスキンシップは嵐のように激しくなっている。
キスをしない日は無い。こうやって挨拶をするたび(おはよう、行ってきますはもちろん、お休みの時はたっぷりと)キスの雨が降ってくる。
これだけで私は茹ってしまうのだが、キスだけでなく私の手や頬や唇を撫で、抱きしめ、耳元で愛を囁かれる。
このままじゃ私脳みそが溶けてしまうかも。
病院に着くと運良く待たないで診療室に通された。
清潔感、というよりも若干殺風景な部屋でラゼガ先生は私に手術の注意事項を話してくれる。
来月には手術をすることになっているが、それで完璧に跡が消えるかはわからないという。何しろ範囲が大きいので傷跡を消すというよりは整形手術に近いという。
「ま、今よりひどくなることはないから大丈夫ですよ」
ラゼガ先生は60歳くらいの据わった目をした女性の先生なのだが、歯に絹着せぬ物言いをし、私に初めて会った時も「これはまた面倒な手術になりますね」と言っていた。
だが不安は無い。知識のない私にも丁寧に説明してくれ、更にダユトにも助言をしていた。
「今日は旦那さんいないんですね」
そういえば、というようにラゼガ先生がカルテから顔を上げる。
旦那さんとはダユトのことだろう。そう言われることに照れと違和感を感じる。まだ結婚はしていないのだが……。
「忙しくって」
「ああ、あの人医者見習いでしたっけ。扱かれますよねえ。
あなたは何してるんですっけ? 小説家でしたっけ?」
「いえ、婦人雑誌の記事の手伝いです」
ヨニナは私に家だけではなく仕事も回してくれた。
ライターとして記事を書くという仕事だ。
私は字が書けないから無理だと最初は断ったものの、彼女は「文章はこっちで構成しますから家事の裏技やレシピをまとめて欲しいんですよ」と言い、そのまま原稿料の話をされ流れるように引き受けることとなった。
トーティ出版で先月創刊されたばかりの雑誌はまだ手探りで進めているらしい。
今月の記事はヨニナ曰く良い出来とのことだがそれは彼女がかなり直してくれたからである。
私も雑誌を読んでみたが私の文はまるっと修正されておりヨニナの負担を増やしているだけの気もした。
「ああそうでしたね。ま、あなた賢そうだし」
「え!?」
私が賢そう? そんなはずはないだろう。
「医療の知識がない割には飲み込み早いですから説明も楽ですよ」
「ダユトが色々と教えてくれるので……」
「なるほど? ま、常識はあんまり無いみたいですよね。
こういう時旦那さんのこと名前じゃなくて夫とか旦那とか呼ぶんですよ」
「どうしてですか?」
「だってあなたの旦那さんの名前なんて把握してませんもん。患者さん何人いると思ってるんです。
続柄で言った方がスムーズです」
「そうなると、結婚してないので……恋人って呼べばいいんでしょうか?」
「結婚してない? 旦那さんの方はあなたのこと妻って呼んでましたけど」
「それは、将来的にはの話でして……」
私はダユトの家に養子として引き取られているのでこのままだと近親間での結婚になってしまう。
その為私の戸籍を一度チェイラの娘として登録しなくてはいけないがその為にはチェイラの同意、もしくは彼女に死んでてもらわないといけないらしい。
なんとかなるよ、とダユトは言っていたが……。
「婚約者ってことですか。
そうなるとお金の負担増えますよ」
「え!? そんな!」
「街の政策で夫婦となって一年未満の人の医療費が安くなるんで……。私ってばそちらの料金で案内してますよね?」
なんと……。政策について知らなかった私は口元を押さえる。
「2割程度ですけど、早く結婚しちゃえばいいでしょう?」
2割でも結構な額である。ダユトは費用は心配ないと言ってくれているけれどその根拠は謎だ……。
「そう、ですね……」
でもチェイラの生死は不明だ。失踪宣告も10年経たないと適応されない。
どうしよう……?
*
夕食後、いつものようにダユトは私を膝の上に乗せ頬をなぞりながら今日あったことを話して聞かせる。
私の指の股を擽りながら空いた手で腰を押さえている……これがいつものように、だなんて1ヶ月前じゃ考えられなかった。慣れとは恐ろしい。いや、慣れてはないのだが……。
「……そういえばさ、チェイラって……見つかってないんだよね?」
「そうだよ。どうして?」
彼の眉が心配そうに下がる。私がチェイラの話をするといつもこの顔になってしまう。
「今日ラゼガ先生に新婚さんなら手術代安くなるって言われて……」
「そうなんだ……。
……チェイラは見つかってないけど、あと少ししたらトーティ出版の人が失踪宣告出すらしいよ。そしたらアルラの戸籍も移せる」
「でも、チェイラは生きてた……」
「うん。でも公的には見つかってない。
だから僕もこうしてアルラと一緒にいられるんでしょ?」
ぎゅっとダユトが腕に力を込める。
ダユトがしたことは全て灰になったのでチェイラが見つかったということもまた、灰に消えてしまっている。
他の人たちはチェイラが見つかったなんて知りようもないんだった。
すっかり勘違いしていたことが恥ずかしくなって別の質問を振ることにする。
「お金は大丈夫なの?」
「気にしなくて平気だよ」
そう言って彼は私の頭をよしよしと撫でた。しばらくダユトを見つめるが理由は教えてくれないようだ。
「……本当に? 軍の補助金も無いし、私たちのお給料じゃそこまで余裕無いよね……」
「大丈夫だって」
「ダユト」
背筋を伸ばし彼を見つめる。
「ダユトはなんでもかんでも、自分でなんとかしようとする……それであんなことになっちゃったんじゃない。
なんで大丈夫なのか教えて」
彼はこの言葉に少し驚いたようだ。目を見開いたあとバツが悪そうに俯く。
「……そうだね」
「本当はお金無い……? 無理してる?」
「いや。本当の本当にお金は大丈夫だよ。
……あのね、昔僕がオーヴェルに渡したお金がそっくり返ってきたんだ」
オーヴェルに渡したお金とは、彼が街の画塾に通えるよう工面したお金のことだ。
それがなぜ?
「オーヴェルのお母さんは僕からお金受け取るの嫌だったみたい。当然だよね……。ちょっと悪いことしたな」
ダユトのお父さんはオーヴェルのお母さんにとんでもなく酷いことをしたらしい。
その事でオーヴェルのお母さんはダユトからの施しを受けたくなかったようだ。
「手術代はそこから出せるから大丈夫」
「そうだったんだ。
それなら、間に合えば結婚も済ませちゃおう。そしたら更に2割お得になるし!」
私の提案にダユトの表情が僅かに曇る。
「……難しいかな?」
「アルラは僕と本当に結婚したい?」
なんでそんなことを? 当たり前じゃないかと彼に頷く。
「僕といたら辛くない……?」
「どうして!?」
「僕といるとチェイラにされたこと思い出して辛いかなって……。
……今更、僕以外の人を選んでも離してあげられないけど」
ごめんね、とキスをしてくる。
私は彼の首に腕を回してキスを返した。
「ダユトがいない方がずっと辛いよ」
だから一緒にいて。
私がそうお願いすると彼は嬉しそうに頷いた。
*
寝室は以前より狭くなったのでダブルベッド一つ置いてそこに二人寝ている。
ベッドサイドのランプに手を伸ばし消そうとするとダユトに止められた。
「ねえ、アルラ。傷跡見せて」
暖色の光に照らされた彼の瞳は物憂げだ。
ラゼガ先生についでに診てもらっているし、心配するようなことは何も無いのに。
けれど私はパジャマのブラウスを上げて彼に傷跡を見せた。
「綺麗になってきてるでしょ?」
チェイラに刺された時はこのまま死ぬかと思ったが……いや、実際死にかけたが、あの時駆けつけた医者先生の腕が良かったのか傷跡はこの顔のように酷いことにはならなかった。
頭の怪我は跡にはならなかったし、お腹も今は赤黒い線が残っているだけだ。
「まだ痛む?」
「たまにね。でも平気だよ」
ダユトは憂いを帯びた顔のまま私の傷跡……の横、おへその近くを指で撫でた。
「……あの人は傷ばっかり残すね」
それはダユトのお父さんも……。
こんなこと口には出さない。でも私は見てしまった。
以前も傷跡を見せてと頼まれ「ならダユトのも見せて」と頼んだところ彼は渋りながらも背中を見せてくれた。
アルラに刺された箇所、そこ以外にも黄色くなった傷口がいくつもあったのだ。小さい頃は気付かなかった……いや、もしかしたら私に見せないようにしていたのかもしれない。
足や腕にある傷も畑仕事をしていた時に怪我をしたと言っていたが、あれもきっと。
「チェイラのこと恨んでる?」
「恨んでる……かな」
そう言ってから私は、けど、と思った。
なんでこんなひどいことをしたのだと恨んでいる。恨んでいるが、だがヨニナに教えてもらったチェイラ像といつも見ていたヴィホネルさん、そして私たちを襲った骨と皮だけの女が未だ結びつかないのだ。
私が恨んでいるのは私の顔を傷つけた女であり、詩人でも寝たきりの老婆でもない。
「あの人が私のお母さんなんだよね」
私はブラウスの裾を下げながら呟く。
彼女はチェイラであり、ヴィホネルさんであり、そして私の母であった。
「うん……」
「……私、今でもお母さんって聞くとチェイラじゃなくてダユトのお母さんを思い出すよ。
チェイラが私のお母さんで、チェイラが文字を書いたって分かってても知らない人にこんなことされたって思っちゃう」
「……そっか」
ダユトは息を吐いた。安心したような、気の抜けたような。
私とチェイラは血の繋がりがあり、ずっと共に暮らしていたというのに2人の間には何も無かった。
お互い無関心で最低限の触れ合いすらしていない。
「チェイラよりダユトとお母さんの方がずっと好きで、家族だと思ってる」
「……うん。家族だよ、僕たちは」
「オーヴェルもダユトのこと私のお兄ちゃん呼びしてたけど、本当にお兄ちゃんだと思ってる」
それを聞くとダユトは戸惑った顔になった。何か良くないことを言っただろうか。
「お兄ちゃん……」
「嫌だった?」
「僕としてはお兄ちゃんじゃなくて夫がいいかな」
「夫?」
「恋人でも良いけど」
「……お兄ちゃん嫌なの?」
「もうお兄ちゃんは卒業したからね」
ダユトは不満そうだ。
頭上にハテナを飛ばしていると彼が私にキスをしてきた。
「……アルラは、キス好き?」
「う、ん……。嫌いじゃないよ。
でもちょっと、恥ずかしい」
「触られるの気持ち悪い?」
「そんなことない!
ただ、ドキドキして緊張する……」
「なら良いけど」
好きの種類が一緒なら良いんだ、と呟いたのが聞こえた気がした。
その意味を聞き返そうとしたがダユトはまた私にチュッとキスをする。
「……ダユト、キスいっぱいするようになったよね。すぐギュってするし……」
「あ、ごめん。多すぎた?」
「い、嫌じゃないけど!」
「ごめんね、ずっと我慢してたからいくらしてもし足りなくて……」
唇が三度近づく。今度は触れない。ただ互いの息が絡まる。
「ずっとキスしたかったの……?」
浴室で腕にキスされたことを思い出し顔が赤くなる。
「うん。でもオーヴェルにアルラが20になるまでは手を出すなって約束させられて……。
20になってもアルラが独り身なら良いって思ったみたいだね。それで、長いこと……キスは良いかなって思ったけど、一回したら止まんなくなっちゃうから我慢して、やっと」
恍惚とした吐息が私の肌を撫でる。
「まあ我慢できないときもあったわけだけどね」
頬を熱い指が撫でる。
まだ唇は触れない。吐息がかかるだけでキスしてるような気分になってくる。
それでもダユトの感触がもっと欲しくて私は堪らず彼の手に縋り付いた。
「キスしたい……」
「……本当可愛いんだから……」
やっと唇が触れ合う。
ダユトの指が私の文字を優しく撫でていた。