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11.私はアルラ、愚かで醜い娘でした

体を抱えられている。足が引きずられる感覚で目を覚ました。

霞む視界でまず黒焦げの床が目に入った。

生きてる。

私は生きているのだ。むせ返るような焦げ臭い匂いやつま先の痛みからしてそれは確実だ。死後の世界じゃない。


ダユトと呼ぼうとして声が出ないことに気がつく。

煙を吸い込みすぎたのだろうか? 喉が痛くて何度も咳き込んだ。

私を抱きかかえているのはダユトではない。誰だろう? ダユトは? 彼は生きているの?


「クソ……なんで俺がこんな」


声が降ってくる。

聞き覚えのある声だった。

だがこんなに近くで聞いたことはない。


「クソッタレの親子だよ本当に! 親父が消えた時俺と結婚してりゃこんなことにならなかったってんだ! あんな男俺が忘れさせてやったよ!」


……ハヨッドだ。

彼は忌々しげに呟きながら私を引きずっている。

あの捩くれた体で私を運ぶのは相当大変だろう。それでも彼は私を運び助け出している……。


「いつまでも、アイツの影響が抜けない……!

俺を見る前に死にやがって、息子はこのざま! なんなんだよ!!」


つま先を削る地面が変わる。外に出たのだ。

ハヨッドは私を地面に下ろす。暖かい温もりがすぐに私を覆った。


「アルラ……アルラ……。

どうして、先にアルラを助けなかった……」


「それが助けてもらった奴の言うことか!?」


「なんでここに……」


ダユトが私の頬を撫でながら怪訝な声を出す。


「動くな、医者がすぐに来る。

……書類を渡し忘れてたんだよ……」


「書類……?」


「……今年で補助金は終わりだ。そもそもとっくに打ち切られるところだったのを母親が死んだから伸ばしてやったんだ。

もう軍から金は無えよ」


ハヨッドは懐からゴソゴソと紙を取り出しダユトに突きつける。


「全部……無くなっちゃったなあ……」


寂しげなダユトの手を私は握る。

25年間ダユトが暮らしていて、19年間私と共に暮らしていた家は黒焦げになっている。

お金も燃えただろう。


「何が全部だ」


ハヨッドが吐き捨てる。


「俺のように体を失ったわけでもないし、横には女がいる」


「……血だらけですけどね」


「それだけ話せれば充分元気だろ」


ヨタヨタとした動きでハヨッドがどこかに行く。それと共に複数人の足音と焦ったような声が聞こえてきた。

医者が来たのだ。


「……助かったんだ」


かすれ声で呟くとダユトは「助かっちゃったね」と笑っていた。


*


炎は瞬く間に木造の家を襲い燃やし尽くした。ヨニナは首を振ってタバコの煙を吐き出す。

ふと、燃える家から人がヨロヨロと出てくるのが見えた。

老婆のよう見えるあれが火を付けた犯人だろう。

女は燃える家を見て嬉しそうに手を叩くとまたヨロヨロ歩き出した。

ヨニナはタバコを地面に投げ捨て、踏んで火を消すとその後を追う。


女は森の方へ突き進んでいた。裸足の足は傷だらけだが迷いはない。

しかしすぐに疲れたようで倒木に腰掛ける。


「こんにちは」


ヨニナは声を掛けた。女の細い体が跳ねる。

彼女はこちらを見た……青い目に特徴的な鷲鼻。

ああ、ずっと追っていた人だ。


「……な、なんのよう……?」


酷い声だ。空っぽの肉の管から響くような汚くかすれた声。

ヨニナは微笑んで両手を広げた。


「チェイラ・ヤクスさんですよね? 私、トーティ出版のものです。

ずっと探してたんですよ……。どこに行ってたんですか」


「ああ……!」


チェイラの目が喜びに輝く。


「あ、あんた、いっかい家に、来ただろ? あんたの、こ、声がした。

助けに、き、来てくれた? よ、よかった。

あの家に、ず、ずっと監禁されてたんだ」


「監禁?」


「そ、そう。薬で、動けなくされて……」


燃え盛る家を振り返る。

あのキチガイ、随分なことをやっていたものだ。

英雄の息子という二つ名は似つかわしくない。最もその英雄も屑だったが。


「まさか薬で9年間も? 大変じゃありませんか。

ああ、ならあの家に火を付けたのはあなた……ですよね? いえ責めるわけじゃありませんよ。それくらいして当然です。

ずっと耐えてきたのですから」


ヨニナの言葉にチェイラは安心したように微笑んだ。痩せ細った体と髪色のせいで老婆に見えるが、笑うと年相応に見える。


「しかしよく燃えましたね……罪の炎だからでしょうか」


「う、動けないけど、意識はあった。ずっと計画してたんだ。

薬に、慣れてきたのか、す、少しずつ、動けるようになって、ちょっとずつ、薬品を集めて、それで」


なるほど。ただ火を放つだけではああはならない。

チェイラは頭のいい人だったから薬品の知識もあったのだろう。


「あなたに会えてよかった。ずっと会いたかったんですよ。

父もあなたに会いたがっています」


「父……?」


「ああ、申し遅れました。私の名前はヨニナ・ザンデセタです」


ザンデセタ、そう聞いた途端チェイラの顔に喜びが満ちていく。


「あの人の娘……?」


「そうです。

ずっと2人は愛し合っていたんですよね。私そんなことも知らなくて……」


「い、いい!そんなことより、テドスは!?

あの人は、いま」


「あなたに会うために必死になってますよ。

あなたが19年前に編集長に送った手紙を頼りにここまで来ました。

会えて本当に良かった」


チェイラに近づき、彼女の骨ばった肩に手を乗せた。涙を流しながらチェイラは頷いている。


「19年前、す、捨てられたと思った……。あの人との娘を見せても、彼は私の方を見向きも、しなくて。

そんな子供の顔も、見たくないって言われた。

……でも、愛しててくれたんだ……」


彼女の硬い手がヨニナの手に触れた。冷えた手だった。


「その子供はどうしたんですか?」


「テドスが私を見ないなら、あ、あんな子いらない。むしろ、邪魔で、憎たらしかった。テドスはもしかしたら、あの子が可愛くなかったから、私を捨てたんだと思って。だ、だから、詩を書いてやった。私の価値のある詩を書けば、テドスは見るかもしれないし、だから、あの子にぴったりの詩を。顔に」


「……そうでしたね」


泣き叫ぶ赤ん坊の顔に万年筆を突き立てる女の姿が今でも忘れられない。あの時ヨニナは13歳だった。


「その子は今どこに?」


「あの、家と一緒に、も、燃えたんじゃ、ないか? わかんない。ば、馬鹿な子供だった。姿を見るのが嫌でいつも寝たふりして、目を閉じてた」


……アルラ。まさか彼女がチェイラの娘だったのか……。

いつも被っているお面は病気か何かによるものだと思っていたがチェイラの詩を隠すためのものだったのだ。


「な、なあ。た、助けてくれるんだろう?」


「ええ、勿論。

でも最後に一つだけ確認しておきたいんですが」


縋るように手に力を込めてきたがヨニナはその手をスルリと外した。


「私の母の死ぬところをあなたは見ていたのですか?」


チェイラはぼんやりとした顔になった。

どこか虚空を見つめやがて頷く。


「ああ……。そうだった」


「あなたの詩に出てきた鳥は母のことなんですね」


「うん……。

そ、それが問題あるのか?」


「いえ。なんの問題もありません。

母は、父とあなたの間を裂いたひどい女ですもの。もちろん産んでくれたことに感謝はしていますけど、いつかああなると……運命だったのだろうと思っています」


チェイラは当然だというように息を吐く。


「も、もういいだろ。疲れたんだ……」


「ごめんなさい、私ってばあなたに会えて嬉しくて。

もう少しだけ歩けますか? この森を抜けた先に私の部下を待たせています。

火を付けたことがバレたら面倒になるでしょう? こちらで処理しますから、あなたは人に見られないように逃げてください」


「森を……? とても、歩けそうにない……」


「大丈夫。休み休みで構いません。

それにもしかしたら部下がこちらに向かっているかも。

途中で合流できますよ。

ここは害獣のいない安全な森ですし、獣道に入らなければ道はまっすぐです」


ヨニナが道を指差した。ゆらゆらと体を揺らしながらチェイラは森を見ていたが、息を吐くと立ち上がる。


「テドスは……」


「森の先の村で待っています」


「……仕方ないな……」


チェイラは覚束ない足取りで森の中に歩き出す。こちらを振り返ることはなかった。


……あんな女の詩が好きだったなんて恥ずかしい。

ヨニナはタバコを取り出して火を付けた。

20代の時まで何も知らず、ヨニナはチェイラの詩を読んでは世界に没頭していた。

だがトーティ出版に勤めると彼女が自分の父親と不倫していたということを知る。父にすぐに確かめた。

俳優の父はいつもの嘘くさい言葉で「恐ろしい過ちだよ」と謝罪していた。

ヨニナの体の中が空っぽになる。


母はヨニナが10の時に父の愛人の度重なる嫌がらせに耐えかねて自殺した。

あの嫌がらせの主はチェイラだったのだろう。母は自宅で首を吊って死んだ。

発見したのはヨニナだった。排泄物の臭いが鼻をついた。首が異様に伸びて赤黒い舌をダラリと出した母の姿は未だに夢に見る。

チェイラはその死体を見ていた。

彼女の詩に出てくる悪人はいつも鳥だ。そしてある時期を境に鳥の姿は長い首と赤黒い嘴を持つようになり、チェイラとその恋人の仲を引き裂くようになった。

母を詩でずっと辱めていたことに気づかず、彼女の詩を素晴らしいものだと思っていた自分が情けない。


本当に素晴らしいのはオーヴェルの絵だ。

彼の絵はヨニナの魂を揺さぶる。

顔の皮を剥がされた女の笑みが、彼女が13歳の時に目撃したものの救済に思えたのだ。

13の時父と叔母と3人で食事をしているといきなり女が家に入り込んできた。

女は赤ん坊を抱いていた。父に「私たちの子よ!」と叫ぶも、父は目を向けることすらせず別室にいたマネージャーに声を掛ける。

女はそれを見ると持っていた万年筆で子供の顔を傷つけ始めたのだ。

泣き叫ぶ赤ん坊の声と叔母の悲鳴。赤ん坊の白い肌は赤く染まっていった。


あの赤ん坊のことを……アルラのことをいつもふとした時に考えていた。顔を傷つけられた彼女はどう生きていくのだろうと。

その答えがオーヴェルのあの絵だったのだ。

全裸で顔の赤黒い血肉を見せた彼女は笑っていた。

運命を感じたが、それはそうだろう。オーヴェルもきっと同じものを見て感じたのだ。

彼はいずれ誰もが認める作家となる。若いからか、まだ自分の才能に気づいていないがヨニナはわかっていた。あともう少しだ。

美しく感受性豊かな彼にあと必要なのは孤独と苦痛だ。


苦痛が昇華してこそ本物の芸術になる。

それを教えてくれたのは他ならぬチェイラだった。彼女は苦痛がインスピレーションをもたらし孤独が芸術を作らせると幾度となく語っていた。

もしかしたら、テドスと出会わなければ彼女は今も孤独と苦痛を抱え素晴らしい作品を世に発信し続けていたのだろうか。

だがそんな考えは無意味なifでしかなくチェイラは作品を作ることもできず人を傷つけるだけの獣以下の人間に成り果てた。


犬の遠吠えが聞こえヨニナは顔を上げた。

この森は野犬が出るという。

餌の場所を仲間に伝えているに違いない。ヨニナが連れてきた餌だ。不味い肉だろうが腹の足しにはなるだろう。


あんなに痩せ細った体ではロクに逃げることも叶わないはずだ。

最後に孤独と苦痛をもたらしてあげよう。

荒廃した森の中で誰にも看取られず骨まで食われてしまえばいい。


一章完結です。次章は完結篇というか補完というか未来篇というか。

とりあえずここで一区切りです。

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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