第四話 ダンススタジオ
聡恵とユーコーは、JR山手線に乗って代々木駅まで向かった。
小池によると、野本が通っているダンススタジオが代々木にあるということまでは把握できたのだが、肝心のスタジオの名称がわからないという。
聡恵はユーコーが見ているスマホの画面を覗きこんで言った。「これって、たぶんスタジオの中だよね」
小池から送られてきたメッセージには、壁一面はありそうなミラーをバックに、女性三人が笑顔を向けている写真が添付されていた。『MITSUインストラクターと特訓中』というタイトルで、野本のパシェにアップされていたものらしい。小池によると、野本の隣にうつっているのが横江とのことだった。小顔で目鼻立ちがはっきりしており、エギゾチックな雰囲気を醸し出している。ハーフと言っても納得してしまいそうな風采だった。その後ろで、褐色の肌をした利発そうな女性が、二人の肩に手を置いている。この人がMITSUインストラクターなのだろう。
聡恵は言った。「これを手がかりにして、この辺りのスタジオに手当たり次第入ってみるしかないかな?」
「そだね。ダンススタジオって、この辺に何件ぐらいあるんだろ?」
ユーコーの疑問に答えるべく、聡恵はスマホで『代々木 ダンススタジオ』というワードで検索してみた。駅から徒歩十分圏内で、五件の情報がヒットする。その中に含まれていた舞踊やフラメンコ教室ではないと考えると、残りは三件だけだった。
「よし、それじゃ近いとこから攻めていこう!」
言って、ユーコーは元気よく歩きだした。
まず、二人は駅から一番近いダンススタジオ向かった。そこは『BOUND BEAT』という名前で、ほかにも都内に数箇所の拠点を構えている大手スタジオだった。ホームページの情報では、ビルの一階から三階までを借り上げて、ジャズやヒップホップ、バレエなど数種類のレッスンを開講しているらしい。
他の二件のスタジオは個人で経営しているような小規模のスタジオなので、客の数は間違いなくこちらが一番多いと思われた。もし聡恵がダンスを習うとしたらここを選ぶだろう。多くの人が利用しているという実績があって安心できると思うからだ。他のスタジオに凄い先生がいるとか、よほどの魅力が無いかぎりは、横江と野本もこのスタジオを選ぶのではないだろうか。
ものの数分で、聡恵とユーコーは『BOUND BEAT 代々木スタジオ』の入るビルの前に到着した。ガラス窓の向こうにレッスン中の様子が伺える。今は年少クラスの時間なのか、小学生くらいのこどもたちが元気よく身体を動かしていた。
ユーコーはガラス扉を押して中へ入った。「すみませーん」
すると右手にある受付カウンターにいた女性が、手を止めてこちらに顔を向けた。「こんにちは」
「あの、突然ですみませんが、ここに知り合いがレッスンに来てるか知りたいんです」風山はポケットからスマホを取り出して、警察手帳のように女性に見せた。「この写真の、手前の女の子ふたりなんですけど、知りませんか?」
女性はスマホの画面を、首を傾げながら眺めた。「こちらのお二人はわかりませんが……うしろに写っているのは三橋ですね。うちのインストラクターです」
ユーコーは鼻を鳴らした。「ということは、ここで間違いないな」
「すぐに見つかってよかったね」聡恵はユーコーの隣に並んで言った。
「順調な滑り出しだ。この調子でいきたいね」
したり顔で話すユーコーを、受付の女性が訝しげに見つめた。
「あ――すみません」ユーコーは頭を下げた。「俺たち、この二人を探してるんです。今日は来てますかね?」
「さあ……三橋ならわかるかもしれませんけど」
「そうですか。じゃあ、三橋さんとお話しできますか?」
「ええと……少々お待ちください」
困り気味に言って、女性はカウンター奥にある扉を開けて中へ入っていった。
やがて、女性は画像に写っていたインストラクター、三橋を連れて戻ってきた。
三橋はグラマラスかつ引き締まった身体をしていた。タンクトップにショートパンツ姿なので、それが際立って見える。
「いきなりお呼びしてすみません。風山と言います」挨拶もそこそこに、ユーコーはスマホの画面を三橋に向けた。「この二人に会いたいんですけど……」
三橋はすぐに返答してきた。「ああ、優佳と玲ね」
「今日は来てますかね?」
「今日は八時からレッスンの予定だけど、まだ来てないね」
聡恵は腕時計を確認した。ちょうど午後七時を回ったところだった。
「そうですか。ありがとうございます」
言って、ユーコーは頭を下げた。
「じゃあ、時間までどこかで待ってようか」
ユーコーが聡恵に向かって提案したところで、三橋が声をかけてきた。「それなら、優佳と玲が来るまで、体験レッスンを受けていかない? アタシ、ちょうど時間空いてるの」
「へえ、どんな体験ができるんです?」ユーコーが興味ありげに尋ねた。
「アタシはヒップホップを教えてるんだけど、体験レッスンは入門ってことで、基本的なステップを教えてるわ」
「いいですね。最近運動不足だし、やっていこうかな」ユーコーは乗り気らしく、両肩を回しはじめた。そして、こちらを見た。「サトちゃんはやらない?」
ダンスといえば、中学の頃に体育でやったことがある。それはまあ、緩い感じの授業だったし、何をやったかもあまり印象に残っていない。
だが、高校の体育祭でやったクラス対抗のマスゲームでは苦労した思い出がある。クラスのリーダー格の数人がその行事にご執心で、足を引っ張るなよ、という威圧感が練習のあいだ常に漂っていたので、そこには必死さはあっても楽しさはなかった。結果、体育祭で一位をとることはできたが、嬉しいというよりやっと解放されたというのが正直なところだった。
その思い出のせいか、聡恵はあまりダンスに好意を抱いてはいなかった。それに、自分がダンスをしている姿って、想像してみると滑稽だし、見られたくなかった。
聡恵は愛想笑いをつくって言った。「私はほら……この格好じゃ無理だし」
いつも運動に適した服装をしているユーコーはともかく、今日はスカートだし、ダンスができる服装ではない。これでは仕方がないだろう。
すると、受付の女性が聡恵に笑顔を向けて言った。「着替えなら、貸出できますよ」
「え……そうなんですか」
思わぬ提案に聡恵はまごついた。善意というのは時にありがたくないものだ。
「せっかくだし、やってみようよ」にっこりして言うユーコー。
三橋もうなずく。「きっと楽しいわよ」
ユーコーと三橋の熱い視線を浴びて、もう断れる雰囲気ではなかった。つくづく、自分って断れない人間だな――と聡恵は胸の内で慨嘆した。