表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ココロ・プロブレム  作者: 谷木 大來
第二章
8/27

第三話 親睦

 スマホから鳴り響く音で、聡恵は眠りから覚めた。アラーム音に設定しているメロディとは違っているし、壁にかかっている時計を見ると、目覚ましが鳴るよりも十分ほど早い時刻をさしていた。

 はっとしてスマホの画面を見ると、『風山友公』という文字が表示されていた。

「はい、もしもし?」

 慌てて聡恵は電話に出た。寝ぼけ声なのが丸わかりだろう。

「おはよう。ごめん、まだ寝てたよね」

 風山は朝っぱらだというのに、元気いっぱいの声だった。

「いえ、そろそろ起きる時間でしたから……どうしました?」

「うん、昨夜もらったメールのことなんだけど……うまくいかなかったみたいだね」

 何のことだろう。横江さんには特に問題がなかったということは、ちゃんと伝えたはずだ。メールの書き方が悪くて、うまく伝わらなかったのだろうか。

「あの……野本さんの話では、横江さんの様子は普段と変わりないし、一緒にやってるダンスの練習も休んでないとのことですから、大した問題はない、ということなんですけど……」

 聡恵が改めて説明すると、風山は、うーん、と明らかに不満げな声をあげた。

「新人クン、まだまだだね」

「え?」

「それって、野本さんの考えでしょ?」

「それはそうですけど……親友みたいですし、嘘じゃないと思います」

「まあ、普通ならそれで納得かもね。でも俺たちは、究極のおせっかい団体なんだ。本人の話も聞かずに、納得しちゃあいけない」

「はあ……」

 電話の向こうで説教臭く語る風山に、聡恵は生返事をした。

「野本さんと連絡をとってもらったのは、横江さん本人に会うためのつながりが欲しかったからってのが一番の理由なんだ。横江さんは野本さんとダンスをやってるんだよね? どこで練習してるとか聞かなかった?」

「ダンススタジオとは聞ききましたけど、それ以上は……」

 聡恵が答えると、風山は機嫌よさそうに鼻を鳴らした。

「花菊さん、今日の予定は?」

「お昼過ぎまで授業がありますけど、それからは特に何も――」

「じゃあ、昼過ぎに事務所に集合! それじゃ、後でね」

 そこで、唐突に通話が途切れた。

 なんとも強引なボスだ。少しばかり苛立ちを覚えつつ、聡恵は身支度を始めた。


 いまいち身が入らないまま、その日の講義が終わった。聡恵は足早に大学を出て、事務所のある雑居ビルへと足を運んだ。

 通りがけにふと、一階の『チンギス・ハーン』をガラス越しに覗いてみた。やはり客はいなかった。いつから店があるのか知らないが、つぶれるのも時間の問題かな、などと勝手な推測をしていると、あの無愛想な店主と目があってしまった。聡恵は逃げるようにして、そそくさとビルの階段を昇り、事務所へ向かった。

 事務所の中へ入るのは今回が初めてだ。いったい中はどうなっているのだろう。

 聡恵はなんとなく、ドラマに出てくるような探偵事務所を思い浮かべた。窓にはブラインドがかけられていて、代表のデスクには大量の書類にパソコン、電話機、灰皿――? 風山さんは煙草を吸わないようだから、これは無いか。それから、依頼人と打ち合わせをするためのソファや応接机――そんな感じのものが置いてあるのだろうか。

 聡恵が入り口の扉をノックすると、向こう側から「どうぞー」とのんびりした返事があった。

「失礼します」

 扉を開けてすぐに、聡恵は固まった。部屋の真ん中に、大きな茣蓙(ござ)がひろげられていて、その上に風山がごろんとうつぶせに寝転んでいた。聡恵が予想した類のものは一切無い。正面に見える肘掛け窓にはカーテンも何もついておらず、窓際には、二本足で立っている象の置物が並べられていた。部屋の左右の壁には仮面が一つずつかけられていて、右側のは奇妙なまでに満面の笑みを浮かべた顔、左側のは歯をむき出しにして怒り狂った顔をしている。どちらも見ると背筋がぞわっとした。

風山は身を起こしてあぐらをかいた。「どうぞ、座って座って」

少々顔をこわばらせつつ、聡恵も茣蓙の上に足を崩して座った。

「……ずいぶん個性的な事務所ですね」

 聡恵は怒り顔の仮面を見つめて言った。オブラートに包まずに表現すれば、カルト宗教の支部局といったところだ。

「ああ、あの仮面? 貰いものなんだけど、飾っておくとご利益があるらしいんだ」

「へえ、そうなんですか……」

 聡恵は内心信じられないと思いつつ言った。

「それで、今日はどうします?」聡恵は聞いた。

「次のアクションプランを練るんだよ。どうにかして、横江さん本人に会わなくちゃ。そのために、こいつを買ってみた」

 風山は印籠を見せつけるかのように、真新しいスマホを聡恵に向けてきた。それは春に出たばかりの最新式モデルだった。薄型で、電池のもちが抜群に良いというのが売りらしい。

「そういえば、まだガラケーでしたね。でも、スマホに変えて、どうするんですか?」

「さっそく、俺もパシェを始めたんだ。さっき花菊さんにも『友人』申請しといたよ」

 確認してみると、確かに風山から申請が来ていた。

 風山はスマホをいじりながら言った。「便利なツールだよね。名前で検索すれば知り合いを探せて、コンタクトがとれるんだから」

 今の時代、やろうと思えば誰でも、世界中に情報を配信することができる。自ら撮影・編集した動画――いわば自作テレビ番組みたいなものを動画サイトにアップロードして視聴してもらうことだってできる。その世界での有名人はけっこういて、高い広告収入を得ている人もいるそうだ。ただ便利な反面、意図せぬ個人情報の流出や、不謹慎な内容の配信などによる、『炎上』も毎日のように耳にする。

 聡恵は風山の申請の承認操作をしながら言った。「でも、横江さんはもうアカウントを削除してますよね。パシェじゃコンタクトは取れないんじゃないですか?」

「うん。だからいま、小池さんからの情報を待ってるとこ」

 質問の答えとしては、いまいち意味が分からない。聡恵が小首を傾げていると、風山は説明を始めた。「『友人』じゃないと見られない情報があるでしょ? 彼女は野本さんと『友人』だからね。過去の書き込みに、野本さんが通ってるダンススタジオの情報がないか、見てもらってるとこ」

 なるほど、ダンススタジオの場所がわかれば、そこへ行けば横江さんに会うことができるかもしれないというわけだ。

 でもこのやり方ってなんだか――姑息というか、本人の知らないところで情報ドロボーをしているようで、手放しに称賛できない気がした。

「まあ、あんまりフェアじゃないとは思うけどね。けど野本さん、正面から聞いても教えてくれなさそうな感じだし……」

 聡恵の心の機微を汲み取ったのか、風山は少々後ろめたそうに言った。

「いえ……それくらいしないと、先に進みませんよね」

 聡恵は笑顔をつくり、気まずい空気にならないよう努めた。

「――そうだ」風山がおもむろに言った。「今日はお互いの親睦を深めたいとも思ってるんだ。くつろぎながら話そうよ」

 そう言うと、風山は給湯室でインスタントコーヒーを入れてきてくれた。

 男女が二人、がらんとした一室で、茣蓙の上でコーヒーを飲む――何とも奇妙な状況だった。とにかく、何か話さなければ場が持たない。聡恵は先に話題を提供することにした。

「あの、風山さんは事務所をつくる前は、何をしてたんですか?」

 前の自己紹介のとき、確か二十四歳と言っていた。大学は出ているだろうから、何らかの理由で遅れていない限りは、大学卒業から二年間何かをしていたことになる。院卒の可能性もあるが、それはたぶん無いだろう。

 風山は答えた。「ずっと海外にいたんだ。それで、四月の頭に日本に帰ってきたんだよ」

「へえ、留学してたんですか」

「そんなたいそうなもんじゃないよ。ただ、ぶらぶらしてただけ。一応、世界を一周してきたことになるのかな」

「世界一周? すごいですね」聡恵は感心した。「どれくらいかかったんですか?」

 風山は天井を見上げながら言った。「高校を卒業してからだから……六年か」

「六年も?」

 聡恵は思わず驚きの声を上げた。せいぜい半年ぐらいだろうと見込んでいたが、そんなに長かったとは。大学も行かず、六年もかけて世界一周なんて、一体何をしていたのだろう。

「まあ、途中でいろいろ首を突っ込んだりしたからね……気づいたらそんだけ時間がたってたって感じかな」風山はしみじみと言って、カップに口をつけた。

 リュック一つで世界中を旅する人の話を、テレビのドキュメンタリーで見たことがある。憧れるというよりも、大変そうだなあ、という印象の方が強かった。日本のような先進国を、きちんとしたホテルに泊まって渡り歩くだけならいいが、なかにはインフラの整備されていない、衛生環境が芳しくない国や、治安の悪い地域に滞在することもあるだろう。それを考えると、世界一周の旅は、とても根気がいるし、勇気が試されることだと思う。

「どうして、世界一周の旅をしようと思ったんですか?」聡恵は質問した。

 すると、風山はどこか寂しげな表情をうかべて言った。「見知らぬ土地で、自分自身の足で道を切り開いてみたかったんだ。だから道中の旅費は行った先で稼いでいくことに決めて、ほとんど無一文で旅に出たんだよ。あの時は、途中で倒れても構わないってくらいの覚悟をもってたね」

 それは、危険を承知で険しい山に挑戦しようという登山家の感覚に近いのかもしれない。もちろん成功後の達成感は計り知れないだろうが、取り返しがつかなくなるようなリスクが高すぎる。自分なら絶対やろうと思わないことだった。

「じゃあ、今度は花菊さんが答える番ね」風山が聡恵に向き直って言った。「どうして、大学に行こうと思ったの?」

 聡恵は答えに困った。大学に行こうと思った理由か――。

「正直、あまり考えたことがありません。みんながそうするから、自分もそうしたって感じですね」言って、聡恵は苦笑した。

 風山はふーんと鼻を鳴らして、質問を続けてきた。「じゃあ、いまの大学を選んだ理由は?」

「私、英語が好きなんです。うちの大学は英語が強いって言われてるので、それで」

「へえ、英語が好きなんだ。じゃあ、将来はその関係の仕事に?」

「ええと……将来とかは、まだ全然考えてないですけど……」

 大学で英語を専攻しようと思ったのは、ただ単に興味があるからというのが大きな理由で、将来のためとかそういう気持ちはなかった。

 語学を専門にする仕事といえば、通訳と翻訳ぐらいだろうか。でも、通訳はその場でとっさの機転をきかせないといけないから、鈍くさい自分にはあまり向いていないように思う。どちらかというと、自分のペースでできそうな翻訳の仕事のほうが魅力に感じるが、今の段階では積極的にその仕事に就きたいとは思わなかった。あとは、海外を相手にする企業に就職するという選択肢もあるが、それもあまり興味が無い。

「そっか、花菊さんは、まだまっさらなんだね」言って、風山はあぐらをかいていた足を延ばした。「まだどの列車に乗るのかも決まっていない。これから行き先を決めて、切符を買うところなんだ」

 ただ周りに流されるようにして、ここまで生きてきた聡恵には、明確な目標とか夢とか、そういうものがまだない。風山はそういう状態を例えて言っているのだろう。

「そうですね――」聡恵はうなずいた。「もっとしっかり将来のことを考えた方がいいんでしょうけど」

「いや、ペースは人それぞれでいいんだ。でも、KPSの活動が花菊さんの未来にとっていい経験になれば幸いだよ」

「はい。頑張ります」聡恵は明るく言った。

 すると、いきなり風山が聡恵の顔をじっと見つめてきた。

 聡恵はたじろいだ。「な、なんですか?」

 風山は真顔で告げてきた。「――そろそろ、お互いにくだけていこうか」

「はい?」

「まず、俺に対して敬語は禁止」

 風山は右手の人差し指を立て、おおげさな口調で告げてきた。

 聡恵は戸惑った。年上、目上の人に対しては敬語を使うというのが、日本人に染みついた習慣なのか、聡恵が今まで受けてきた教育の成果なのかわからないが、とにかく聡恵にとってはそれが常識だった。例外は家族ぐらいだ。それに、口調を変えるというのは意図的に行うことではなく、自然の成り行きでいつの間にかそうなっている、というものではないだろうか。いきなりそうしろというのは、けっこう難しい気がする。

「オーケー?」風山が念を押してきた。

 色々思うところはあるが、雇い主が言う事には従わなくては。

「うん……わかった」聡恵はぎこちなく答えた。

「よし」風山は表情をほころばせた。「じゃあ、呼び名も変えようよ。いつまでも名字にさん付けじゃあ、しっくりこないしさ。なにか、あだ名はないの?」

「えっと……『ハナ』って呼んでる友達もいま……いるけど、その子だけだし……仲のいい友達からは、普通に名前で呼ばれてるよ」

「なるほど。じゃあ――」

 風山は眉間に指先をあてて俯いた。

 しばらくして、顔を上げると同時に、風山は得意げに言い放った。「『サトちゃん』、でどう?」

 その呼び名は、もう亡くなってしまった母方の祖父母から呼ばれていたものだった。当時はなんとも思わなかったが、いま言われるとものすごく照れくさかった。

 やはり、名字と名前とでは、呼ばれた時の心象が全然違う。相手を名前で呼ぶとき、それはその人と親密な関係であることを意味する。とりわけ相手が異性の場合は、特別な関係であるということもあるだろう。男友達と呼べる人もおらず、色恋沙汰の経験も無い聡恵にとっては、家族以外の男性から名前で、しかもちゃん付けで呼ばれるのは人生初のことだった。

 しかし、それはあくまで聡恵の中での常識であって、海外に長くいた風山にとっては一般的なのかもしれない。照れるけれど、不快というわけではないし、そのうち慣れるだろう。

「えっと、気に入らないかな?」押し黙っている聡恵に、風山が心配そうに問いかけてきた。

「ううん……」聡恵は目線を落とし、手をもじもじさせながら言った。「いいよ」

「よっしゃ、決まりね」風山は満足げに笑った。

「それじゃ、KPSの代表さんのことは何て呼べばいい?」

 聡恵が尋ねると、風山は「そうだなあ」とつぶやき、「サトちゃんが決めてみてよ」と、期待の眼差しを聡恵に向けてきた。

 決めてみてって、簡単に言われても――。

 聡恵は首をひねった。主体的に物事を考案するのは得意ではないのだが、精一杯考えてみよう。

 名字の『風』の字から、『ウインド』とか? いや、それはちょっとイタイ。『トモキミ』だから、『トモくん』? いやいや、それは自分が呼ぶときにこっぱずかしくなりそうだ。

 それなら――。

「……『ユーコー』はどうかな?」聡恵は提案した。「名前の漢字を音読みにしてみたんだけど」

 これなら、名前を直接呼ぶより、幾分か呼びやすい。

「ユーコー……」

 吟味するように、風山はぽつりと言った。

「いい……すごくいいよ! ありがとう!」

 風山は顔を輝かせ、喜びを露わにした。

「はあ……気に入ってもらえたなら、よかった」

 聡恵は風山――新愛称ユーコーの嬉々とした様子を呆気にとられて眺めた。呼び名一つでここまで感情を爆発させることができるなんて、本当に情感が豊かな人だ。

「じゃあ、あらためてよろしく! サトちゃん!」

 ユーコーは手を差し出してきた。

「うん、よろしくね、ユーコー」

 そうして、二人は固い握手を交わした。

 するとここで、ユーコーのスマホから短い音が鳴った。

 ユーコーはスマホを手に取った。「お、小池さんだ、ナイスタイミング」

 ユーコーはしばらく画面を眺めたのち、出し抜けに立ち上がった。「よし、代々木に行こう」

「代々木?」

 状況が掴めず聡恵が聞くと、ユーコーは得意げな笑みをつくった。

「野本さんが通ってるダンススタジオがあるらしいんだ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ