第一話 活動開始
ゴールデンウィークが終わり、停滞していた経済社会が動きだす。
街を行きかうビジネススタイルの人々の表情は、どことなく儚げに見える。だが、聡恵のような大学生にとってはどうということはない。その日を休みとするかどうかは学生の自主性に委ねられている。大学側も授業料さえ頂戴していれば、高等学校までのように口うるさく干渉することはない。結果、留年者が溢れかえったとしても、むしろ大学としては金づるが増えるわけで、そこまで重大な損失はないように思う。何をするも基本的には自由。そこが大学生と社会人との大きな相違点だと聡恵は思っている。
聡恵の通う大学は渋谷区の一等地にあった。短大等の附属校が一緒になっているのだが、大学自体の広さはあまりない。そのわりに学生の数がやたらと多く、講義の合間時間になると、無法に移動する学生で構内はごった返すのだった。
数年前までは、新入生は二年間、都心から離れた場所にあるキャンパスに通うことになっていた。だが近年、文系の学生に限って一貫してこのキャンパスで学ばせるという方針になり、それに合わせて新しい校舎が建てられた。それで人気があがりすぎたのか、学生の数が増えてますます混雑が進んでいるらしい。教室が足りないのか、必修の講義だというのに座席数が足りなくて座ることすらできないこともあったという話も聞いた。
聡恵は三限から履修している講義があったので、昼過ぎに大学へやってきた。その講義は『情報社会と労働体系』という題目で、一般教養科目として開講されており、楽勝に単位がとれると評判だった。内容的にはさっぱり興味がわかなかったのだが、アイミとナユに誘われて履修希望を申請したのだった。希望者が定員を超えたため抽選となったのだが、アイミとナユははずれ、聡恵のみが当たってしまうという結果になった。自分のかわりに二人のどちらかに講義を受けさせてあげたいという気持ちはやまやまだったが、履修の権利は譲渡できず、また取りやめることもできない規定になっていたため、本当にありがたくなかった。そういうわけで、聡恵は半ば仕方なく、この講義の受講生しか購入することがないような、値段の張る分厚い教科書を持参して、講義を受けにきているというわけだった。
聡恵は早めに教室に入ったので、まだ席はほとんど空いていた。聡恵は入って一番奥の列、窓際の席に座った。そこは教卓から近くもなく、遠くもなく、聡恵にとって最良と思う位置だった。
講義の開始時間が近づくにつれ、次々と学生がなだれ込んできて、教室内は騒然としてきた。聡恵の隣にも、一つ席をあけてニット帽を被った男子学生が座り、スマホをいじり始めた。
やがて、講義開始のチャイムが鳴り、眼鏡をかけた初老の講師がやってきた。持参してきたプリントの束を教壇にどさっと置くと、マイクをトントンと叩いてテストをしたのち、話を始める。依然として教室内は私語が飛び交っているが、それを注意することはなかった。聡恵はこの講義を受けるのはこれで四回目になるが、こんな状況にももう慣れてきた。あと二十分もすれば、自然と静かになる。その時、背後の様子をちらっと見てみると、顔を下に向けた学生の頭がきれいに並んでいるのだった。それは、あの講師の話術が、学生の間でとある有名なRPGの催眠呪文に例えられている由縁を如実に表している光景だった。
しばらくして、今回も例のごとくとなった。いつもと違うのは、今日はいつもより座っている学生の数が多いことだった。きっと、前回の講義の終わりに、次回は第一回目の小テストをやる、という告知があったからだろう。どこで聞きつけるのか、普段講義に出ていない学生はそういう情報に耳が早い。一種の才能だと聡恵は思っていた。
この講義では期末試験を実施しないかわりに、数回行われる穴埋め形式の小テストの結果によって単位取得の成否が決まることになっていた。その小テストが教科書を見て解いてもいいという条件なので、楽勝に単位がとれるという評判なのだった。
講義終了三十分ほど前になって、講師がテスト用紙を配り始めた。それに反応して、呪文にかかった学生たちが目を覚ましていく。そして、まだ後ろの方の学生に用紙が渡らないうちに、講師は始めの合図をした。これにはきっと、怠慢な学生に対するささやかな攻撃の意図があるのだろう。
いざ問題文を見てみると、うすぼんやりながらも講義を聞いている聡恵であっても、何のことやらさっぱりわからなかった。なので、テキストの巻末についている語句索引を駆使し、空欄を含む文章が登場するページを検索して何とか答えを埋めなくてはならなかった。答えに設定されているのは、決まって耳慣れない専門用語だった。何の補助もなしにこのテストに対応するのは、よほどのマニアでないと不可能だろう。
この試験に必要なのは講義内容の理解ではなく、事務処理能力だと聡恵は思った。つまり、内容をさっぱり理解していなくても、教科書さえ忘れずに持ってきて、百科事典を調べるようにして速やかに答えを発見することができれば良しということだ。寝起きの学生にとっては酷な作業だろう。
聡恵がなんとか空欄を埋めきったところで、「えー、あと一分ですので」と、講師がアナウンスをした。
だが、それから間違いなく一分たたないうちに終了の合図が告げられた。学生たちは口々に不満を述べながら答案を前へと送る。それが聞こえていているかはわからないが、講師は顔色一つ変えず、そそくさと答案を回収して教室を出て行った。
四限と五限には、英文学科の聡恵にとって必修科目である英文読解の講義が入っていた。
聡恵が教室に入ると、後ろの方の席で談笑していたアイミとナユと目があった。二人とも心配そうに「元気?」と聞いてきた。たぶん、合コンの時のことを気にかけているのだろう。聡恵は笑顔で大丈夫だよ、と返した。
「よかった。ここ座る?」と、ナユ。二人は三人掛け机の両端に座っているので、真ん中は空いていた。
聡恵は両手を合わせた。「ごめん、前の方にするね」
「お、やる気あるねえ」アイミは茶化すように言った。
「そんなんじゃないよ。最近ちょっと目が悪くなって、後ろのほうだと見づらくて――じゃ、またね」
そう言って、聡恵は二人と別れた。目が悪くなったのは事実だが、それはほぼ言い訳に近かった。
アイミもナユも悪い人じゃない。入学してすぐ、誰も知り合いがいないときに声をかけてくれた。でも先日の合コン以来、心から分かり合える間柄にはなれなさそうだと聡恵は感じていた。それはきっと向こうも同じだろう。二人とも東京都心の育ちだし、見た目も垢抜けた印象があって、髪も染めていない聡恵とはどこかカテゴリが違っている。別にそういうきらびやかな子達を毛嫌いするつもりはない。ただ、無理して合わせようとする必要はない、というだけだ。これからは同じ学部の学生同士、適当な距離を保って付き合っていけばいい。
五限までの連続講義を受け終わると、もう太陽は沈みかけていた。これで本日のスケジュールはすべて終了――といつもならなるのだが、今日はまだこれから約束があった。
聡恵は入学祝いに親に買ってもらったスマホを取り出して、メールをうった。
『こんばんは。いま、授業終わりました。どちらにいらっしゃいますか?』
相手は風山だ。昨日、連絡先を交換したのだった。
送信した後、正門から続くメインストリート脇にあるベンチに腰かけて二十分ほど待ったが、返信がなかったので電話をかけてみた。十コールほど鳴らしてみたが、応答はない。留守電の設定もしていないようだった。
約束をすっぽかすような人ではなさそうだし、何か取り込み中なのだろうか。折り返しを待つことにして、聡恵は購買部へ行くことにした
参考書や文具を見ながら時間を潰していると、カバンの中のスマホが震えだした。
聡恵は小走りで建物の外に出て、電話に出た。
「遅れてゴメン! 花菊さん」電話の向こうの風山は息せき切った様子だった。「テニスをしてたら、つい夢中になっちゃって」
「テニスですか? 今どこにいるんですか?」
「君の大学のテニスコートだよ」
今日は風山に学内の紹介をする約束だったのだが、すでに大学の施設でお楽しみだったらしい。
「どこで落ち合おうか? 花菊さんはどこにいるの?」
「迎えに行きたいんですが、どのテニスコートかわからないですね……」
狭い構内ながら、テニスコートは立派にたくさんあるのだった。
「――あ」風山がなにかに気づいたようにつぶやいた。「テニスの相手をしてくれた子達が、学食に行くんだって。一緒について行くから、そこで会えるかな?」
「学食ですね、わかりました」
学食は正門から入ってすぐ左手、二階建ての棟の地下にある。お昼時には身動きできないくらい人が集まるので、昼休みが始まる前から席を確保していないと座るのは難しかった。でも今はもう夕暮れ時だ。帰りがけに夕食を済ませてしまおうという、一人暮らしの学生がちらほらいるくらいだろう。今日は自分もその一員に加わることにしよう、と聡恵は考えた。
聡恵が学食へと続く階段の手前にさしかかったところで、前方に風山の姿を見つけた。両脇に女子二人を侍らせて歩いてくる。
「あ、花菊さーん!」
風山も聡恵に気づいたようで、大声で呼びかけると、手を頭上で左右に振った。
別にそこまでしなくても……恥ずかしくなった聡恵は、周囲の視線が集まっていないかとあたりを見回したが、幸いこちらを見ている人はいなかった。
「いやあ、申し訳ない。すっかり熱くなっちゃって」
歩み寄ってきた風山は頭の後ろに手をやって、小刻みに頭を下げた。まるで漫画の一コマを再現したような謝り方で、聡恵は思わず笑ってしまった。
「いえ、いいですよ。でも、まさかテニスをしているとは思いませんでした」
「ぶらぶら歩き回っていたら、この子たちがテニスをしているところが見えてね。楽しそうだから、混ぜてくれってお願いしたんだ」
「風山さん、すっごくうまいんだよお」
日によく焼けた肌をした、ショートボブの髪を茶色に染めた小柄な女性が、聡恵に話しかけてきた。表情も口調も柔らかく、第一印象で得をする人だと感じた。
「あれで経験者じゃないっていうんだから、驚きですね」
そう言ったもう一人の女性は、黒髪をポニーテールに束ねて、すらっとした長い脚を携えている。日焼け対策をしっかりしているらしく、白い肌を保っていた。これぞ清楚な美女、という風貌だった。
「卓球は一時期やりこんだことがあるんだ。案外テニスもいけるな」
今日もジャージにジーパンの風山は、得意そうに卓球のラケットを振る素振りをした。テニス女子二人はそれを眺めながら、へえ、すごい、と感心しきっている。
「じゃ、続きは下で話そう。腹も減ったしね」
言って、風山は先陣を切って軽快に階段を降りていった。それに続いて、聡恵は知り合ったばかりの二人と一緒に学食へと向かった。
学食に着くと、それぞれ好きなメニューの食券を券売機で購入した。聡恵は『日替わり定食』を選び、提供口で料理をトレーに乗せてもらった。今日の献立はアジのフライに、申し訳程度のサラダ、冷奴だった。白いごはんともやしの入った味噌汁はいつもと変わらない。オシャレな都会の洗練された女子大生にはあまり人気のないメニューだが、聡恵は学食を利用する時には、値段的に一番お得感のあるこのメニューを選ぶことが多かった。
四人は学食の中央付近のテーブルに料理を運び、腰をおろした。聡恵の隣に風山、向かいにテニス女子の二人という席次だ。
食べ始める前に、互いに自己紹介をした。小柄の元気な女性は小池実夏という名前で、総合文化政策学部の二年。長身の美女は合田名穂子といい、仏文学科の二年。説明がなくとも察しはつくが、二人ともテニスサークルに入っているとのことだった。
「へえ、新入生なんだあ。外からいらっしゃった方かな?」小池が人懐っこく尋ねてきた。
「はい。高校までは地元でした」
聡恵が答えると、小池も合田も小学校からエスカレーター式に上がってきた、いわゆる内部進学者なのだと話してくれた。
「内部と外部って壁があるとか言われてるけど、仲良くしましょ」
合田はそう言うと、端正な顔に微笑を浮かべた。まるで絵になるような構図だった。
「はい、もちろんです」聡恵は恐縮気味に頭を下げた。
「しかし、やりますなあ」小池は声色を変え、にやけた顔で聡恵と風山を交互に見た。「入学早々、もうパートナーがいらっしゃるとは」
「いや、風山さんとは、ちょっと前に知り合ったばかりで、そういう仲じゃないですよ」
聡恵は恥ずかしさを覚えつつ否定した。
「へえ、じゃあフリーなんだ?」
小池の問いに、聡恵は頷く。
「じゃ、あたしと一緒だね」
小池は嬉しそうに言ったかと思うと、がくりと頭を垂れた。
「ああ、素敵な人いないかなあ……」
呟いて、小池はミニトマトにフォークをそっと刺した。
「嘆いてたって、何も始まんないよ」
澄ました顔の合田が、ナポリタンをフォークに絡めて口に運んだ。
「そりゃナホは余裕だよねえ、人気あるし」小池は細めた目で合田をにらんでから、聡恵の方に顔の向けた。「でも、彼氏ほしくないんだって。どう思う?」
合田は口を拭いてから言った。「欲しくないなんて言ってない。別に無理して誰かと付き合う必要ないでしょってだけ。素敵な人がいれば話は別」
「――ほら、余裕でしょ?」
小池は、聡恵の方に身を近づけて小声で言った。当然、合田には聞こえているのだが、彼女はスープの入ったカップを口につけ、平然としていた。
「小池さんが言った意味とは違うけど、俺と花菊さんがパートナーなのは間違いないよ」
それまでひたすらにラーメンをすすり、チャーハンをかきこんでいた風山が発言した。いつの間にか、食器はほとんど空っぽになっていた。
「それって、どういう意味ですか?」合田が興味ありげに問いかけた。
「一緒に目標に向かって頑張る仲間、ってところかな」
そう言って、風山は一人頷き続けるだけだった。
聡恵は補足した。「えっと……風山さんの事務所がバイト先なんです」
「事務所?」小池は目を丸くした。「まさか芸能関係?」
「いえ、そういうのではないですけど、なんていうか……」
聡恵は言葉に困り、風山の顔を見た。
「オーケー、あれの出番だね」
ここぞとばかりに、風山はポケットから件の活動理念の書かれた紙を取り出すと、小池と合田の側から文字が読めるようにしてテーブル中央に広げた。顔を見合わせて少々戸惑った様子の二人だったが、百点のテストを自慢する小学生のような顔で風山が反応を待っているので、読まずにはいられないと思ったらしく、文面に目を通し始めた。
しばらくして、小池は椅子の背もたれに背中を預け、ふーん、と鼻を鳴らした。
「つまりボランティアとか、慈善団体みたいな、そんな感じ?」
「まあ、ニュアンスはそんな感じかな」
風山も椅子にもたれ、満たされた腹をさすった。
「どういうことをするのかいまいちわからないけど……これってバイト代は出るんですか? ボランティアなら無償ですよね?」合田が尋ねた。
それは聡恵も引っかかっていた。昨日風山と話した時には、一つの事案を解決するごとに報酬を払うと言っていた。でも、誰かの悩みを解決したとしても、その人からお金を取るつもりはないとのことだし、人件費をはじめ色々な費用を工面できるのだろうか。まあたとえボランティアになったとしても、風山の活動を支援したいという気持ちは変わらないのだが。
「大丈夫。儲けは無いけど、バイト代はきちんとお支払いするよ」
説明になっていない説明をして、風山は親指を立てた。
合田は手で口をおさえ、聡恵に向かって苦笑した。「変わったバイトね」
「どう? 君たちも、パートナーにならない?」
風山の勧誘もむなしく、二人とももうほかのバイトをしてるので、と断った。
「それは残念――じゃあお二人は何かお困りなこと、無い?」
小池と合田は顔を見合わせて、首をひねった。
「そりゃ、悩みはそれなりにあるけど――カレシが欲しい! とか……でも相談するほどの悩みじゃないかなあ」小池は言った。
「そうね」合田はうなずいた。「そこまで深刻な悩みはないですね」
「それは何より」風山は笑顔を浮かべた。「じゃあ、周りに誰か困ってる人がいるってことは、ないかな?」
二人はまた顔を見合わせた。だが今度は先ほどとは少し表情が違っている。お互いに何か探り合っている、という感じだった。
「ほら、あれ……横江さんのこと」
小池は合田にささやいた。
「ああ、やっぱり実夏も知ってるんだ」
どうやら何か意見の一致をみたようだ。
「横江さんって?」風山はすかさず食いついた。
「横江優佳。私たちと同じ内部進学の子なんですけど、その子の様子がおかしいって、内部組ではちょっと前に話題になったんです」
合田は真面目な顔で答えた。
「様子がおかしいってのは?」聞いて、風山は机に肘をつき、身を前に乗り出した。
「パーソナルシェアに書き込みがあったんです。ゴールデンウィークに入る少し前だから……二週間くらい前かな。もう消えちゃったほうが楽だ、とか、そんなような書き込みだったと思います。その書き込み以来、学校にも来てないらしくて――」
パーソナルシェアとは、海外発祥のソーシャル・ネットワーキング・サービスで、日本でも多くのユーザーを取り込んでいるコンテンツだった。名前や所属団体などで検索すれば簡単に知り合いを見つけることができ、ネット上で『友人』になることができる。聡恵もアイミに誘われて登録しており、数度書き込みをしてみたものの、あとで内容を見返した時に、恥ずかしくなるので、最近は他のユーザーのページを閲覧するだけになっていた。
「まあ、あんな書き込み見たらみんな驚くと思うけど。横江さんって、そういう弱音とか絶対吐かなさそうだから、余計ビックリだったよね」
言って、小池はパンを口に運んだ。
「横江さんって人は、普段はどんな人なの?」
風山が尋ねると、二人ともうーん、と唸った。
「同じ内部組つながりってことで、パーソナルシェアでは『友人』登録してましたけど、実際はろくに話したことないんですよね」
合田の言ったことは、別に珍しい事でもなかった。パーソナルシェア上では、申請されて、登録した結果そうなっただけという、名目だけの『友人』が多数いるのだ。中には『友人』の数をステータスみたいに考えている人もいて、手当たり次第申請している例も少なくないという。
「あたしのイメージでは、カッコイイ大人の女性ってとこかな。見た目もすごいキマってるし。ナホとは違うタイプの、クールビューティーな感じ? とにかく、あたしみたいな平民とは住む世界が違うって感じの人」
言って、小池はてへへと笑った。
「なるほど――その書き込みは、まだ見られるの?」風山は尋ねた。
「いえ、一日ぐらいしてから消したみたいですね。今ではもうアカウントも削除されてます」
合田の返答を聞くと、風山は腕組みをして考え込んだ。眉間には皺が寄っている。
「横江さんと親しい人に話が聞けるといいな……」
「それなら」小池がすぐさま提案した。「野本さんっていう人が、仲良いと思いますよ」
「ああ、野本さん。横江さんがあの書き込みしたあと、一番初めにどうしたのって反応してたね」
合田も野本という人の存在を知っているらしい。
「へえ」風山は言った。「二人は、野本さんとは知り合い?」
「あたし、同じ学部だよ。たまに話すぐらいだけど」小池が元気よく答えた。
「そりゃいい。紹介してもらうこと、できるかな?」
「いいですよ。メッセージ送ってみますね」
そう言うと、小池はスマートフォンを手に取った。
「ところでお二人はパシェ、やってる?」
小池はスマホの画面に目を落としたまま尋ねた。
「――パシェ?」風山は眉をひそめた。
パシェというのは、パーソナルシェアの略語だ。いつ、誰が初めに言い始めたのか知らないが、いつの間にかこの言い回しが定番となっている。
聡恵が語句の説明をしてあげると、風山は「いや」と小池に向かって首を横にふった。
「私は、一応やってます」聡恵はカバンからスマホを取り出した。
「お、じゃあさ、花菊ちゃんのこと、野本さんに紹介してみよっか? そうすれば色々聞けると思うし」
聡恵にとっては、一学年上の先輩で、どんな人なのかも全く分からない相手とかかわりを持つのというのは、いくらネット上とはいえ難題だった。いつもならばあまり乗り気にならないことだが、いまは気持ちの持ちようが違っていた。
自分は、もうココロ・プロブレム・ソリューションの一員なんだ。これが初仕事になりそうだし、頑張らなくちゃ。
聡恵は思い切って告げた。「そうですね、お願いしてもいいですか?」
「オッケー。じゃ、花菊ちゃんのページ、教えて?」
聡恵は、まず小池、それから合田と『友人』登録をした。その後、小池が野本に宛てて聡恵を紹介するメッセージを送った。
フルネームは、野本玲――金髪ショートヘアに派手なメイクのプロフィール写真を見る限り、聡恵は言うまでもなく、小池や合田とも別次元にいる人だと感じた。
「よし、完了!」小池は満足げに言った。「あとは気長に返事を待ちましょ」
「ありがとうございます」聡恵は頭を下げた。
「お二人とも、ご協力感謝するよ。ようし、ココロ・プロブレム・ソリューション、最初の活動開始だ! 横江さんの心の問題を解決だ!」
傍目からすればひどく恥ずかしい台詞を、風山は臆することなく言い放った。しかも拳を頭上に突き上げる動作付きだ。事務所を立ち上げてからの初めての仕事とあって、気合十分といったところなのだろう。
小池と合田がノリ良く「おー」と、合いの手を入れてくれた。気恥ずかしながらも、聡恵もそれに合わせた。
食事が終わり、しばらくたっても野本からの返事はなかったので、その日は解散することとなった。
大学を出たところで、聡恵たちとは別方面に向かうという小池と合田と別れた。
空はすっかり夜の闇に染まっている。だが、その下にある眠らない都会の街は、暗闇とは無縁だった。
「次のアクションは、野本さん次第か――」
渋谷駅へと下る坂道の途中で、風山が神妙な面持ちで言った。
聡恵は言った。「なんとか、うまくやり取りしてみます」
野本さんという人は、多分聡恵があまり得意としないタイプの人間だ。返事が来たとして、どんな話をしたらいいのか迷うだろう。だが、KPSでの初仕事をしっかりとやり遂げなくてはならない。なんとか頑張ってみよう。




