第三話 バイト初日
ゴールデンウィークも後半を迎え、バイト初日の日がやってきた。聡恵はバイト開始時間である朝十時の十分前に、事務所のある雑居ビルに入った。本当はもっと早くに来られたのだが、あまり早く行きすぎても迷惑になると思い、向かいのコンビニで時間をつぶして調整したのだった。
いざエレベーターに乗ろうとすると、定期点検中の表示が置かれていた。タイミングが悪いと思ったが、きちんと点検がされていることには安心した。聡恵は仕方なく階段を昇り、怪しげな二階をさっとやり過ごし、三階へと向かった。
事務所に入ると、ワタナベが笑顔で出迎えてくれた。
「おはよう、花菊さん。今日からよろしくお願いしますね」
「おはようございます。精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」
聡恵は意気込みを述べると、深く一礼した。
「じゃ、中へどうぞ」
ワタナベにつづいて、聡恵は作業スペースへと足を踏み入れた。今日も作業している人は誰もいなかった。
「じゃあまずは、編集済みの動画ファイルの整理をお願いしようかな」
ワタナベは部屋の中央にある、ノートPCが置かれた作業机に聡恵を案内した。
「ファイルの保存場所がぐちゃぐちゃでね。ファイル名にタイトルと通し番号が入っていますから、タイトルごとにフォルダを作って整理しておいてほしいんです」
ワタナベは未整理のファイルが保存されているフォルダを開いた。『KTS MK 1』などといった、内容がよくわからないタイトルの動画ファイルが無造作に並んでいる。フォルダ画面の左下に表示されているファイル総数を見ると、五百を超えるファイルが保存されているらしかった。
「整理をお願いするのは得意先へ納品前のもので、ファイルを開けないように暗号化してあるから、中身をお見せできなくて残念だけど、よろしくね」
「わかりました。新しいフォルダを作る場所はこのフォルダ内でよろしいですか?」
聡恵が聞くと、うん、ワタナベは返事をした。
「じゃあ地道な作業で申し訳ないけど、よろしくお願いします。じっくり、丁寧にやってもらえればいいから」
「はい、わかりました」
「あと、そこの機械は自由に使ってもらっていいからね」
ワタナベが指さした先には、ボタンを押すと自動で飲料が出てくる給茶器が設置してあった。
「ありがとうございます。使わせていただきます」
「じゃあ、最初の一杯を持ってきましょう。コーヒー、レモンティー、緑茶がありますけど、どれがいいですか?」
「そんな、悪いです。自分でやりますから」
「いいんですよ、私も飲みますし、ついでだから」
言って、ワタナベは給茶機の隣にあるキャビネットからプラスチックのカップを二つ取り出した。
「すみません、じゃあ、レモンティーをお願いします」
聡恵がリクエストすると、ワタナベは微笑を浮かべて給茶機のボタンを押した。そして、レモンティーが注がれたカップを持ってきて、聡恵のいるデスクの上へと置いた。
「ありがとうございます」
聡恵が礼を述べると、ワタナベは柔和な表情を返してきた。
「頑張ってくださいね。私はむこうの部屋にいますから、終わったら声を掛けてください」
事務所の奥の角には、天井から建てつけられた扉付きの間仕切りがあり、もう一つ部屋が設えられていた。ワタナベはその一室へと入っていき、聡恵は一人作業場に残された。
それから、聡恵は黙々と作業をした。何しろ膨大な量だ。全部整理するにはざっと見積もって一時間はかかりそうだ。聡恵は作業の合間に、ワタナベに用意してもらったレモンティーを口に含み、集中力を切らさないように努めた。
しかし作業開始から間もなくして、聡恵は眠気を感じるようになってきた。別に寝不足ではないはずなのだが、単純作業の繰り返しをしているせいだろうか。室温もぽかぽかとしていて、余計に眠気を誘う。このままではいけないと思い、聡恵は給茶機を使わせてもらって、ホットコーヒーを注いできて飲んだ。
だがどうしたことだろう。カフェインの効果が発揮されるどころか、むしろ睡魔はますます強大になってきた。顔を叩いたりしてみたが、意識は遠のくばかりだった。
ついには思考が完全に停止して、聡恵は机に突っ伏してしまった。