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ココロ・プロブレム  作者: 谷木 大來
第一章
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第二話 バイト探し

 季節は、ゴールデンウィークが始まったばかりだった。その連休の初日にトラウマを負った聡恵だったが、翌朝、泣き腫らした目でネットでバイト情報を見ていた。地元の群馬から上京して一人暮らしを始め、新しい環境に慣れるために色々苦心していたが、それもある程度落ち着いてきたことだし、生活のためにそろそろバイトもしなければと思っていたところだった。昨日のことでまだ落ち込んではいるが、バイトを始めれば気分転換にもつながるだろう。

 聡恵はいくつかのアルバイト求人紹介サイトで、下宿している学生マンションか、学校から職場が近いという条件で検索した。

 大学生がするバイトなど、ありふれている。アイミはファミレスで、ナユはカフェでバイトを始めたと聞いた。どちらも全国的に名の通ったチェーン店だ。二人のように、飲食店のホール・キッチンスタッフ、その他はコンビニ、アパレル等のショップ店員のバイトが、学生が就くバイトの大半を占めるだろう。

 しかし、聡恵はなんだか、安易にその流れに乗りたくなかった。それには昨日の一件も関与しているだろう。世間一般の浮かれた大学生と同じではいたくないという、ささやかな抵抗があるのだった。

 そんな世の中の多数を占めるバイト情報の中から、ある求人の見出しが聡恵の目に留まった。


『【経験不問・女性活躍中】映像制作会社でアシスタントのお仕事! 週一日から可!』

 

 すかさず見出しをクリックし、詳細を閲覧する。勤務地は大学から近い渋谷駅周辺で、時給はなんと千五百円以上と破格の待遇だ。仕事内容は撮影の手伝い、編集映像のチェック等、それから時々エキストラ出演の仕事もあると記載されていた。これは学生バイトがそう経験できるものではないだろう。

 見出しだけでも非常に興味を魅かれるし、きっともう応募多数だろう。そう思うと気後れしたが、聡恵は思い切って応募の電話をかけてみた。

「はい、エンターテインメントライフ・コーポレーションでございます」

 電話に出たのは、ベテランオペレーターのような口調の女性だった。

「あの……インターネットで求人を見て、お電話したのですが」

 心臓の鼓動が速まるのを感じつつ、聡恵は言葉を紡ぎ出した。いつもながら、こういった畏まった電話は緊張してしまう。

「ありがとうございます。応募をご希望でしょうか?」

「はい。まだ応募しても大丈夫ですか?」

「もちろんです。では恐れ入りますが、氏名、年齢と、現在のお仕事状況を教えていただけますか?」

「はい。花菊聡恵といいます。年齢は十八歳で、大学生になったばかりです」

「未成年の方ですか」

 電話の向こうの女性がマニュアル口調ではなく、驚いた様子で言った。

「あの、やっぱりダメでしょうか?」

「いえ……そのようなことはございません。では応募の旨を当社の担当者に申し伝えます。担当者から折り返しご連絡いたしますので、お電話番号を頂戴してもよろしいですか?」

「わかりました」

 聡恵は携帯番号を伝えると、電話を終えた。

 その日の夕方、聡恵の携帯に知らない番号から着信が入った。きっと、朝に応募したところからだろう。

 聡恵が電話に出ると、ハリのある男性の声が耳に入ってきた。

「株式会社エンターテイメントライフの、ワタナベと申します。ハナギクさんのお電話でよろしいでしょうか?」

「はい、そうです」

 今話している相手が、今朝オペレーターの女性が言っていた担当者なのだろう。声は大きいが、口調は柔らかだったので、聡恵は少し安心した。

「この度は、当社の求人にご応募いただき誠にありがとうございます。ハナギクさんとは、ぜひお会いしてお話をさせていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「はい、もちろんです。ありがとうございます」

 聡恵は舞い上がり、電話では不要とわかっていても、つい何度も頭を下げてしまった。

「では急で申し訳ないのですが、明日のご予定はいかがでしょうか?」

「明日ですか……特に予定はないので、大丈夫です」

「それはよかったです。では、明日の朝十時に当社の事務所までお越しいただけますか? 場所は求人情報にのせていますので」

 聡恵は快諾し、電話を切った。初めて応募するバイトということもあり不安に思っていたのだが、意外にもすんなり事が進み、気分が高揚した。

 ここまできたら、なんとしてでも働かせてもらいたい。聡恵は買っておいた履歴書に丁寧に記入すると、大学で撮った証明写真を貼った。それから、ネットで『バイト 面接』というワードで検索し、明日の面接に備えた。

 翌日、聡恵は時間に余裕をもって、求人情報に載っていた住所へと向かった。目的地周辺はネットのマップを見て、外観を確認してある。最近の情報技術は本当に優秀だ。世界中の地図で、もちろん対応している地域だけではあるが、実際にそこにいるような視覚的な情報を手に入れることができる。聡恵は海外に行ったことはないが、まるで行ってきたかのように語ることもできるのでは、と思えてしまう。

 JR渋谷駅の西口から南に向かって約五分。この辺りは道幅が狭く、新旧まだらな建造物が窮屈に立ち並んでいる。坂道も多く、雑然とした地域だ。看板を見ても、いまいち何をやっているのかわからないテナントが入っているビルが多い。一般の大学生には無縁といっていいところだろう。聡恵は通学のため普段から渋谷駅を利用しているが、この方面に来る機会はいままで一度もなかった。

 応募した会社が入る雑居ビルは四階建てで、灰色のコンクリートの外壁が黒ずんでおり、古ぼけた外観をしていた。一階には『チンギス・ハーン』という料理店が入っている。その店のすぐ隣にあるエレベーターに乗り込み、聡恵は『エンターテインメントライフ・コーポレーション』がある三階のボタンを押した。

 エレベーターは途中で止まりそうなくらいゆっくりと昇っていく。ちゃんと定期点検されているのだろうかと不安を覚えたが、無事に三階へと到着し、聡恵は事務所入り口の前に立った。『アルバイト採用面接の方は中へどうぞ』と張り紙がされている。

見知らぬ場所に、初めてのバイトの面接ということもあって、緊張はピークに達していた。聡恵は深呼吸をして心を整えてから、エントランスの扉を押した。

「失礼します」

 言って、聡恵は中に入った。すると、正面に横一列に並べられたパーテーションの向こう側から、背の高い、すらっとした体型のスーツ姿の男性が現れた。

「おはようございます」すかさず、聡恵は挨拶した。「花菊聡恵と申します。本日は、よろしくお願いします」

「これはご丁寧に。ワタナベです。いやあ、お若いのにしっかりしてる」

 ワタナベという男の容姿は、聡恵が想像していたよりも年配だった。五十代前半といったところで、白髪交じりの髪を整髪料で整えている。

「では、こちらへどうぞ」

 ワタナベが案内した入り口左手には、応接スペースが設けられていた。聡恵は奥の席へと促され、腰を下ろした。

「どうぞリラックスしてください。大したことは聞きませんから」

 ワタナベは歯がはっきり見えるほどに口角を上げた。眼鏡ごしに見える目尻には小皺ができている。笑顔の見本とも言える表情だった。おかげで、聡恵の緊張感はずいぶん和らいだ。

「ありがとうございます」聡恵もできる限りの笑顔を返した。

 聡恵が履歴書を提出すると、ワタナベはそれをしばらく眺めてから、口を開いた。

「へえ、あちらの大学に通われてるんですか。頭がいいんですねえ」

 ワタナベは感心したように小刻みに頷いた。

「いえ……得意科目だけで受験して、合格しただけですから」

 謙虚な物言いととられるかもしれないが、実際、聡恵は数学などの苦手科目についてはてんでダメなので、自分が頭がいいだなんて微塵も思っていなかった。

「いや、だからって、なかなか合格できるものじゃないですよ。ご立派です」

ワタナベに褒めちぎられ、聡恵は恐縮して頭を下げた。

「えっと、ご出身は――」ワタナベは再び履歴書に目を落とした。「群馬なんですね。一人暮らしをされているんですか?」

「はい。まだ全然慣れていないですが」

「まだ一ヶ月ちょっとなら、そうですよね。でもいいものですよ、若いうちの一人暮らしは。私みたいなオジサンの一人暮らしはさみしいだけですがね」

 ワタナベは照れくさそうに笑った。こういう自虐ネタは対応に困るが、聡恵はとりあえず愛想笑いをした。

「失礼――では、どうして当社でアルバイトをしようと思ったのですか?」

「はい。学生ではあまり経験できないような仕事をしてみたくて、御社の仕事内容を拝見して、他ではあまり経験できないことをできると思い、興味を持ったからです」

 聡恵はあらかじめ用意していた回答をすらすらと述べた。ワタナベは聡恵の目を見て頷きながら聴いていた。

「なるほど――確かにウチでは、他では体験できないことをできますよ」

「はい、ぜひ、やってみたいです」

 聡恵が意気込むと、ワタナベは聡恵の心情をうかがうように顔を眺めたのち、微笑を浮かべた。

「わかりました。では、週にどのくらい来られますか?」

「週に三回ほどを考えていますが、できるだけそちらの都合に合わせたいと思います」

「そうですか、わかりました」

 ワタナベはメモを取っていた黒革の手帳を閉じた。

「いやあ、今まで何人か面接をしてきましたが、花菊さんは特に好印象ですね。こちらとしてもぜひお願いしたいと思いますよ」

「本当ですか? ありがとうございます! ぜひよろしくお願いします」

 聡恵は思わず声が上ずってしまった。こうもいいように事が進むなど滅多にないことだった。

「こちらこそ、よろしくお願いします。今日はぜひ、職場の雰囲気をご覧になっていってください。個人情報保護の関係で、お見せできるのは入口から見える範囲だけになりますが、ご了承ください」

 そう言って、ワタナベはエントランス正面のパーテーションの向こう側へ聡恵を案内してくれた。あまり整理整頓されているとは言えないが、複数のモニターや映像編集用と思われる機材が並んでいて、その手の会社の事務所らしく見えた。他の従業員の姿は見えない。外に撮影に出ているのだろうか。

 見学を終えたのち、応接スペースに戻って初出勤日について打ち合わせをした。そこで面接は終了となった。

「今日はありがとうございました。これからよろしくお願いします」

 聡恵は深々と頭を下げた。

「ええ、楽しみにしています」

 笑顔のワタナベに見送られて、聡恵は事務所を後にした。

まさか、即日採用してもらえるなんて思いもよらなかった。嫌な出来事のせいで沈んでいだ気分も嘘だったと思えるほど、すがすがしい気分になっていた。

 事務所を出てエレベーターの降りボタンを押そうしたところ、エレベーターは一階で停まっていた。

 このエレベーター、動きが遅いんだよな……。

 昇りの際にそう感じた聡恵は、手っ取り早く階段で降りることにした。

 すると、二階へ降りたところに目を引かれるものがあった。

 テナントの扉に掲げられた看板。機械加工がされていないざらざらな木の板に、『KPS ココロ・プロブレム・ソリューション』と刻まれている。さらにその下には、チラシの裏紙のようなものがセロテープで雑に貼り付けられていて、そこにはマジックで書いたような字でこう書かれていた。


『ココロの問題、解決します。※ スタッフ募集中!』


 新興宗教か何かの事務所だろうか。とにかく、怪しさが滲み出ている。こういうのには関わらないほうがいい。バイトで来るときには近づかないように気をつけよう。

 聡恵は足早に、その場を後にした。

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