第一話 オフィス・レイアウト
ダンスショーから一日を挟んだ、火曜日の昼下がり。午後の講義が休講になった聡恵は軽く昼食をとったあと、KPS事務所を訪れた。
聡恵が事務所の扉を開けると、茣蓙のうえでくつろいでいたユーコーがこちらへ顔を向けた。
「お、いらっしゃい」
「こんにちは」聡恵はユーコーの傍へ歩み寄った。「いまはお休み中?」
「まあね」ユーコーは身を起こしてあぐらをかいた。「とりあえず、打ち上げの日までは待ちかな」
ダンスショーの打ち上げの段取りは玲が務めることになり、昨日、パシェで『打ち上げ、次の土曜日にしようと思うけど、どう?』というグループメッセージがきていた。聡恵とユーコーはオーケーの返事をしたが、優佳はパシェを退会したままなので、玲がメールで予定を確認しているところらしい。
聡恵も茣蓙のうえに腰をおろした。「打ち上げの日、優佳さんが良ければ決まりみたいだけど……」
「何か気になることでも?」
口ごもった聡恵の様子から異変を機敏に感じ取ったらしく、ユーコーが聞いてきた。
「あのね――」聡恵は心情を打ち明けることにした。「優佳さん、打ち上げのときに例の書き込みした理由を話してくれるって言ってたよね? でも、ショーが終わったあとの嬉しそうな優佳さんを見たら、もう心配いらないんじゃないかって思えてきて。すごくつらいことがあったのは確かだと思うけど、本人の中でもう切り替えができてるなら、終わったことをわざわざ蒸し返さなくてもいいのかな、って……」
「うん。まあ、もう大丈夫かもね」
ユーコーは何ともない口調であっさり言った。
意外だった。てっきり、まだわからないよ、とか慎重な答えが返ってくると思っていた。
聡恵がユーコーの顔をじっと見つめていると、ユーコーは微笑した。
「もう問題ないならそれにこしたことないよ。でも、本当に大丈夫っていう見極めはしっかりやらないとね。それから、例の書き込みの件を話してもらう必要があるかどうか決めようよ」
「うん――そうだね」聡恵は笑顔で言った。
「いやあ、しかし感心だねえ」ユーコーは腕を組んで仰々しく頷いた。「俺が何も言わなくても、ちゃんと今後のことを考えてくれてる。KPS団員としてしっかり成長してるよ」
聡恵は照れくさくなって言った。「そんな大げさなことじゃ……ただ優佳さんのことが心配なだけだよ」
「そう思えるようになったってことは、それだけ優佳と仲良くなれたってことだよ。仲が良くなれば、その人のことをもっと親身になって考えられるようになるもんだよね。だから、心の問題を解決してあげようとする人と、仲を深めることはすごく大事なんだ」ユーコーは指を立てて得意げに語った。
確かに、初めはKPSの活動の対象としてしか優佳を見ておらず、どうしたらうまく困りごとを聞き出せるだろうという頭しかなかった。でも、ダンスショーの経験を共有して親睦を深めたことで、いまやKPSの活動のためという意識からではなく、自然と優佳のことを案じられるようになっていた。
そう考えると、心配なのが目の前にもいる。
「あのさ」聡恵は聞いた。「私とユーコーも、だいぶ仲良くなったよね?」
「ああ、もちろん」
「じゃあ、ユーコーのためを思って、一つ言ってもいい?」
「え、なになに?」ユーコーは食いついてきた。
「この部屋、早くちゃんとした方がいいよ。これからお客さんも来ることになるわけでしょ?」
「え?」ユーコーはきょとんとした顔をした。「このままじゃダメ?」
「そりゃ……ダメでしょ」
「えっと、どの辺が?」
「――本気で言ってるの?」
聡恵が呆れて聞くと、ユーコーは片眉を吊り上げて両手を広げた。
聡恵は軽いため息をついてから言った。「事務用のデスクとか、椅子とか、それからお客さんとお話しするための応接セットとか――事務所にはそういうものがあるのが普通だよ。せっかく相談しに来てくれても、この部屋を見たら、変だと思って帰っちゃうかも」
「へえ、そういうもんかなあ?」ユーコーは気のない様子で部屋を見回した。
「そういうもんなの!」
聡恵が語気を強めると、ユーコーは身をすくめて、首元を手で摩った。「いやあ手厳しくなったねえ……」
話下手な聡恵は、どうしても聞き手に回ることが多いが、親しくなった人に対しては辛口になったり、毒舌を吐いたりなど、はっきりとした物言いをすることもあった。ユーコーにもそれができるようになっているということは、それだけ親しくなれたという証だった。
聡恵は気恥ずかしくなって顔を背けた。「ユーコーはちょっと常識を知らなさすぎ。親切に教えてくれる人なんて、そんなにいないんだからね?」
「うん、ありがたいよ」ユーコーはすなおに感謝してきた。
聡恵は目線をユーコーに戻した。「それで、結局どうするつもりなの?」
「そだな……じゃあさ、一緒に買いに行ってくれない? 俺、よくわかんないしさ。サトちゃんが選んでくれた方がいいと思う」
「私も別に詳しいわけじゃないんだけど……」
「いいのいいの。サトちゃんの思うようにしてくれれば、きっと最高のオフィスになるよ。それじゃ、さっそく買いに行こう!」
聡恵が返事をする間もなく、ユーコーはさっと立ち上がった。
本当にユーコーの行動力には恐れ入る。これこそがユーコーの最大の武器だろう。行動力というのは、天性の気質からくるところが大きいと思う。なかなか意識的に身につけられるものではないだろうが、ユーコーから少しでも吸収していけたらと聡恵は思った。その代わりに、いささか常識が足りないところを自分が補ってあげられたらいい。
オフィス家具を探しに行くにあたって、聡恵はCMなどでよく目にする大手の家具量販店を提案してみた。だがユーコーはできるだけ安くしたいとのことだったので、中古品を扱っている店をあたってみることにした。
聡恵がスマホで『オフィス用具 中古 渋谷』というワードで検索してみると、聡恵の大学の附属高校がある敷地の裏手に、中古オフィス用品を専門に扱っている店があることがわかった。ユーコーがテナント入居時に仲介業者からもらったという事務所の図面を携え、聡恵とユーコーはその店へ向かった。
そこは交差点の角に立つビルの一階に入っている店舗だった。小ぢんまりとした店内には、事務机から電話機まで、大小諸々のオフィス用品が整然とディスプレイされている。
「いらっしゃいませ。お客様、どういったものをお探しでしょう?」
店内をきょろきょろと見回していると、三十代くらいの身だしなみの良い男性店員が声をかけてきた。
「あの、最近事務所を借りたんですけど、まだ家具とか何も無くて。一通り揃えたいと思ってるんですけど――」
聡恵はとりあえず最低限必要だと思われるものを挙げた。代表者のユーコーのデスク、チェア、応接用のソファと机、カーテン――。
「なるほど」店員はメモをとりながら言った。「デザインのご希望はありますか?」
「えっと……なにかこうしたいっていうのある?」
聡恵が意見を求めると、ユーコーはとぼけた顔で肩を竦めた。「特にないなあ。サトちゃんにお任せするよ」
どうやらユーコーはインテリアには全く頓着しないらしかった。オフィスづくりは、そこにいる人に親しみやすさや、安心を与えるためにも大事だということがわかっていないらしい。
ユーコーに少し苛立ちを覚えつつも、聡恵は割り切って一人で段取りをすることにした。
聡恵は店員にリクエストを告げた。「お客さんとお話をすることもあるので、リラックスできるような、温かみのあるデザインにしたいですね」
「かしこまりました。そういったデザインを取りそろえたコーナーがございますので、こちらへどうぞ」
恭しく言って、店員は店の奥へと聡恵たちを案内した。
そこには、おしゃれなカフェに置いてあるような、明るめの木材を主にしたナチュラルテイストなテーブルや、レザー製のモダンなチェアなどが展示されていた。一般的な会社のオフィスにはあまり似つかわしくないように思えるが、IT企業など比較的若い会社はこのようなデザインを用いたインテリアにするところが少なくないらしい。
聡恵は店員と相談しながらイメージに合うものを吟味した。爽やかな雰囲気を出したかったので、カラーは明るい色でまとめることにした。ユーコーのデスクは、袖机が付いたソフトトーンの木目の広々としたデスク。チェアは革張りでキャスター付きのホワイトグレーのものに決めた。応接セットにはシンプルモダンなベージュの布製のソファに、透明感のあるガラステーブル。カーテンにはミントグリーンのものを選んだ。それから店員のアドバイスもあり、応接スペースの傍に観葉植物を置くことにした。
「一応これで全部かな」
聡恵が言うと、ユーコーが「ん?」と疑問の声を投じてきた。
「ほかになにかある?」聡恵は聞いた。
「まだサトちゃんの机と椅子、選んでないよ?」
「そんな、私のはいいよ。お客さんがいないときは、応接用のソファとテーブルを使えばいいし」
聡恵が言うと、ユーコーは頭を振った。
「いや、必要だよ。それに、これから団員が増えてく予定だしさ。そのために、そうだな――あと四人分の机と椅子を買おう」
思いがけない発言に、聡恵は困惑した。たしかに図面上では、今まで選んだ家具を置いたとしても、スペース的にはまだまだ余裕がある。だが金額的には、中古とはいえすでに聡恵の財布ではとても賄えないくらいの値段になっていた。
「本気? お金は大丈夫なの?」聡恵は小声でささやいた。
「なあに、心配ないよ」
気楽そうに言って、ユーコーは笑った。
結局、ユーコー用に選んだ机、チェアとデザインが似通った、サイズが一回り小さいものを四セット追加することになった。
安く抑えるつもりだったのが、随分と太っ腹な買い物になってしまった。追加したデスクとチェアは、将来的な投資と言えば聞こえはいいが、ユーコーにそんな余裕はないはずだ。きっと、聡恵のためだけに机と椅子を買うと言ったら遠慮されるだろうと思い、気をきかせて余分に買うことにしたのだろう。そう考えると申し訳ない気持ちになったが、思ったことを貫くにはなりふり構わない、というところがいかにもユーコーらしく、どこか好感が持てた。
購入手続きを終え、聡恵たちは店を出た。家具の配送は週末、土曜日の午前中になるとのことだった。
「いいオフィスになりそうだ。届くのが楽しみだよ」ユーコーは晴れ晴れとした表情で言った。
「そうだね」聡恵は同意した。「でも、団員を増やす活動もしていかなきゃいけないね」
「そこは大丈夫。なんとかなるよ」
まるで根拠はないが、その自信に満ちた物言いは、不思議と実現の可能性を感じさせるものだった。
すると、聡恵のカバンのなかでスマホが震えた。同じタイミングで着信があったらしい。ユーコーもポケットからスマホを取り出した。
見ると、玲からグループメッセージがきていた。
『優佳から全然メールの返事こなくて……今日何度か電話してみたんだけど全然出ないの。菱田さんも連絡取れないって言ってるし、心配。どうしたんだろ……』
「そんな、なんで――」
呟いて、聡恵はユーコーの顔を見た。
ユーコーは額に小皺をつくり、スマホの画面を見つめたまま、なにやら沈思しているようだった。