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ココロ・プロブレム  作者: 谷木 大來
第二章
13/27

第八話 ダンスショー

 思いがけない所からパワーをもらって、聡恵はダンスショーの舞台となるクラブ、『レッドスコーピオ』へと向かった。

 『レッドスコーピオ』は、渋谷駅から道玄坂を上がる途中で脇道に入って、少し行ったところにあった。入口は狭く、中は照明が抑えられているため奥まで見通せない。やはり、こういう場所に入るのは躊躇してしまう。

 しかし、ユーコーは何ともないといった様子で中へ入っていった。聡恵はおずおずとその後ろに続いた。

 入ってすぐのところで、身体と持ち物のチェックがあり、それからワンドリンク代を支払った。通常はここでID(クラブでは身分証明書のことをそう呼ぶらしい)のチェックがあり、二十歳未満の人は入場できないルールになっているが、今日のようにイベントで昼間から営業するときは未成年でも入場可にしているそうだ。ただし、お酒の注文の際にはIDの提示が必要になる、と説明があった。

 エントランス突き当りの階段を昇り、扉をくぐると、そこは一面ダンスフロアになっていた。天井や柱に取り付けられた大小のライトが、赤や青の光を明滅させながら、フロアのあちこちを動き回っている。向かって正面にステージがあり、右手の奥にはバーカウンターがあるのが見えた。

「お、来たね」

 そう言って近づいてきたのは玲だった。その横に優佳もいる。

 二人とも、本番用のおそろいの衣装に着替えていた。ピンクのキャップをかぶり、首周りが広くあいた黒いシャツの下からおへそを覗かせ、だぼっとしたカラフルなパンツの裾を、ハイカットのスニーカーの中へと入れ込んでいる。

「リハーサルの順番までまだあるから、邪魔にならないとこで合わせよっか」優佳が言った。「聡恵も着替えてきて」

 聡恵の衣装は、玲から貸してもらったものだった。玲が最初に見せてくれた衣装は、いま優佳と玲が着ているような露出が多めのものだった。さすがにそれを着て人前に立つのは、恥ずかしくてダンスに集中できそうになかったので、別の衣装に変えてもらうようお願いした。結局、黒のキャップに、上下ゆったりとしたグレーの衣装に落ち着いた。「それじゃスウェットとあんまり変わんないよ」と玲は不満げだったが、むしろそのほうがリラックスして踊れるのでちょうどいいと聡恵は思った。

 ユーコーの衣装はというと、ニット帽をかぶった以外は、いつものいでたちと変わらなかった。聡恵にはよくわからない感覚だが、優佳と玲が言うには、そのままでもそれっぽく見えるから、あえていじらなくていいということだった。

 聡恵はステージ脇のプライベートエリアで着替えをすませた。その後、フロアの隅で振りを確認しあった。

 そうしているうちに、あっという間にリハーサルのお鉢が回ってきた。

 開場前でお客さんはいないとはいえ、やはり緊張する。ユーコーは平生通り悠然としていたが、意外にも優佳と玲の顔がこわばっているように見えた。ショーの経験は浅いとはいえ、コンテストなどでステージに立つことに慣れているはずの二人がリハーサルから緊張のいろを見せるということは、それほどリベンジにかける思いが強いということだろう。

 そして、チームでステージに立ち、リハーサルを終えた。聡恵は目立つものではないが、何箇所かミスをしてしまった。優佳と玲も完璧とはいかなかったらしい。それでも二人に、リハーサルでできないことが本番でもできるはずがない、といった焦りは無く、本番で同じミスをしないように気をつけよう、とポジティブに捉えていた。おかげで、聡恵も前向きに考えることができた。

 そうして出演予定の全チームのリハーサルが終了し、いよいよ開場の時刻を迎えた。

 休日の昼間、しかも場所が渋谷というせいもあるだろうが、フロアはたちまち人でいっぱいになった。見るからにクラブ慣れしていそうな風格の若い男女もいれば、聡恵のようなクラブ初体験と思しき高校生くらいの少年少女が、目新しいものを見るような顔できょろきょろしている姿もうかがえた。

 そして定刻きっかりに、DJから繰り出されたミュージックとともに、MCが扇情的に開演の宣言をした。それを待ちわびていた観客が溜め込んでいた熱を一気に放出して、ダンスフロアはたちどころにヒートアップした。

 最初にステージに登場したのは、メンバーが男女合わせて十人以上にもなる大所帯のチームだった。それなりに知名度のあるチームで、一般参加ではなく公式ゲストとしての出演だった。

 ダンスのスタイルは、ブレイクダンスまではいかないものの、その要素も取り入れたアクロバティックな動きが主体で、メンバーを入れ替えながら、ステージを目いっぱい使ったダイナミックな踊りだった。歓声は終始やむことなく、メンバーの名前のコールなども多く聞こえていた。優佳と玲がどれほどのものを求めているかはわからないが、これくらい観客を満足させることができれば、間違いなく成功と呼べるだろう。

 それからしばらく、落ち着かない気持ちで他のチームのステージを眺めた。そして、いよいよ次が出番という時分となった。

 準備のためにステージ脇に移動する。いよいよだと思うと、聡恵の胸の鼓動は、リハーサルの時の比ではないくらい速まっていた。なんだか身体もぎくしゃくしていて、思うように動かない気がする。これはまずいと思い、聡恵は深呼吸をして何とか自分をリラックスさせようと試みた。見ると、優佳と玲も頬を叩いたりして平常心を保とうと工夫をこらしているようだった。

 そして前のチームのパフォーマンスが終わり、ついに出番がきた。

 すると、いきなりユーコーが提案した。「よし、円陣組もう」

「え?」優佳が硬い表情で言った。「でも……もう時間ないよ」

「いいから」

 ユーコーは有無を言わさず、両腕を優佳と玲の肩に回した。

「それでは次にいきましょう。次のチームは――あっと?」

 こちらの様子に気づいたらしく、MCの声が止まった。

「すみません! ちょっとだけ時間ください!」

 ユーコーが声を張り上げた。会場の視線が一斉にこちらに集まる。

「おっと、これはステージ前に気合注入のようだー。オーケーやっちゃってくださーい」

 MCはくだけた語り口で許可してくれた。

「ありがとうございます!」

 声を張り上げると、ユーコーは聡恵の顔を見てうなずいてきた。聡恵もそそくさと輪に加わった。

「なにこれ、超はずいんだけど」玲は苦い顔で言った。

 優佳は呆れたような笑いを浮かべた。「でも、なんかこれで吹っ切れるかも」

 聡恵は心の中で同意した。個人的には人前に出る瞬間が一番緊張すると感じるのだが、こうして周囲に注目されたことで、もはや予期せぬうちにその瞬間を迎えていたようなものだった。そう思うと、不思議と緊張がやわらいできた。

「まず俺がしっかり流れをつくってくる。あとはみんなの力を出し切れば、絶対大丈夫だから」

 ユーコーは一人一人に目配せしながら言うと、顔を下へ向けた。

「いくぞー!」ユーコーが叫んだ。

「オー!」

 聡恵は普段出すことの無い精一杯の声をあげて、輪をといた。

「さあー準備ができたようです。それでは踊ってもらいましょう! 『クラッキング・ウィズ・KPS』!」

 MCがチーム名をコールすると同時にミュージックがスタートした。そして、ユーコーが軽快に壇上へと飛び出していった。

 ユーコーはその時の気分でダンススタイルを変えると言っていた。その言葉の通り、いまステージ上で繰り出されているムーブメントは、練習でもリハーサルでも見たことのないものだった。本番ならではの雰囲気のせいもあるかもしれないが、今まで見たなかで最も圧倒的に感じられた。ユーコーは出だしから観客のハートを掴むことに成功し、いったん起こったざわめきは止むことがなかった。

 最期に宙返りをして華麗な着地を決めたユーコーは、ステージ脇の聡恵たちに向かって、カモン、というように腕を振った。

 優佳と玲が出て行って、観客のすぐ近くに立ってポーズをとる。聡恵は少し遅れて出て、ユーコーとともにその後ろに並んだ。

 そして、いよいよチームのダンスが始まった。

 次のステップはこうで、このタイミングでこうして、ここはリハーサルで間違えたから気をつけなくちゃ――聡恵は逐一頭で確認しながら踊った。そんな調子だと、目線は観客の方に向きながらも、その反応を見るまでの余裕はなかった。

 そこへ、ふいに指笛のような甲高い音が耳に入ってきて、聡恵の意識が観客に向いた。

 主役が変わっても、観客の視線は皆きちんとステージに向いていた。歓声も絶えず注がれていて、一緒になって踊っている人の姿も見える。ユーコーが独演していたときよりも、観客のテンションが上がっているようにさえ感じた。

 これほど人の注目を集めたら、ふだんの聡恵なら頭が真っ白になっていてもおかしくない。でもいまは、この状況を悪くない――いや気持ちいい、楽しい、とさえ感じることができた。聡恵はこのときはじめて、優佳と玲を虜にする、ダンスのほんとうの魅力に触れることができたような気がした。

 聡恵は自然に笑顔になった。そこからは変な考えなしに踊りに身が入って、精一杯、踊りきることができた。

 そして最後、チーム全員でポーズをとったところで、ぴったり曲が終わった。

 歓声はまた一際大きくなり、拍手が鳴り響いた。

 納得のいく出来だった。きっと優佳と玲の心も晴れやかだろう。これは誰が何と言おうと、自分たちにとって成功に間違いない。聡恵はそう強く思った。

 会場の熱気が冷めあらぬなか、チームはステージを降りた。

「やった、やったよ――」玲は感極まった様子で、涙ぐみながら言った。

「うん、やったね」玲の頭を優しくなでる優佳の目も赤くなっていた。

 ユーコーが柔和な笑みを浮かべて言った。「最高のステージになったね。俺がいなくても、大丈夫だったんじゃないかな」

「ううん」優佳は首を振った。「ユーコーがいい雰囲気をつくってくれたから、安心して、自信もって踊れたんだと思う。もちろん、聡恵もいたからこそ、今日のステージができたんだよ」

 優佳は聡恵に向かって微笑んできた。

「私も楽しかったです。いい経験になりました」聡恵は照れながら言った。

 すると、玲が涙声で叫んだ。「このチーム、最高だよ。マジありがとー!」

 そしてチームみんなで抱擁を交わし、喜びを分かち合った。

 そこでふと、少し離れたところからこちらをじっと見つめている青年に、聡恵は気付いた。なんだろうと不審に思っていると、優佳もそれに気づいたらしく、青年のほうに視線を向けた。そして、かちんと固まった。

利也(としや)――」優佳は目を見開いたまま声を漏らした。

 青年はすらっとした体型で身なりがよく、髪も短くしていて爽やかな印象だった。どことなくエリートの空気が漂っていて、クラブという場所にはあまり似つかわしくないように思えた。

「お、優佳のカレシのお出ましだ」

 玲が茶化すように言った。どうやら玲も青年と顔見知りらしい。

「すごくよかったよ――最高だった」

 感心した顔で言いながら、青年はこちらへ近づいてきた。

「初めまして。菱田(ひしだ)といいます」

 菱田と名乗った青年は、聡恵とユーコーに向かって頭を下げてきた。聡恵とユーコーも、どうも、という感じで会釈をした。

「来て……くれたんだ」優佳は菱田の顔をまじまじと見て呟いた。

「当たり前だよ」菱田は優佳のすぐそばまで歩み寄った。「このところ、ずっと練習してたもんね。優佳の努力がいい結果につながったんだよ。頑張ったね」

 そう言うと、菱田はそっと優佳の頭に手を乗せ、優しくなでた。

 優佳は戸惑った様子で目線を落としたが、やがてはにかんだような笑みをうかべて言った。「――ありがとう」

 すると、玲が唐突に言った。「よし、じゃあ今日はもう解散しよっか」

「え?」優佳は虚を衝かれたように玲を見た。「他のチームのダンス、見ないの?」

「正直、疲れたまっててさ――早く帰って休みたいよね?」

 玲は意味ありげな視線を聡恵とユーコーに投げてきた。

「確かに……そうですね」聡恵はすなおに同意することにした。

「そうだね。腹も減ったし」

 きちんと空気をよんだうえでの発言なのかはわからないが、ユーコーも異論ないようだった。

「――気を使わせちゃったかな?」

 言って、菱田は優佳と顔を見合わせた。そして見つめあったまま、二人とも恥ずかしそうに笑い合った。

 優佳と菱田は相思相愛という感じだった。美男美女だし、皆からお似合いと言われるカップルだろう。

 打ち上げは後日あらためてやろうと約束をして、チームは解散した。

 帰路の途中、聡恵はここ数日の出来事を振り返っていた。ユーコーが一緒にステージに立とうと言い出した理由――みんなで何かに向かって頑張るのは楽しいし、仲も深められる――それは結果的に、その通りになっていた。乗り越えるべき試練のように位置づけていたダンスショーだったが、最終的には心から楽しいと思えた。そして、性格的に自分とは相容れないだろうと決めつけていた優佳、玲とも仲良くなれた。

「ダンス、やってよかった。誘ってくれてありがとね」

 聡恵は隣を歩くユーコーに言った。

 ユーコーは破顔して言った。「じゃあ今度はバックダンサーじゃなくて、メインで出てみる?」

「それは無理」きっぱり言って、聡恵は顔を背けた。

「なんで?」ユーコーは調子の外れた声をだした。「ダンス、楽しかったんでしょ?」

「そうだけど……人前に立つのが苦手なのはどうしたって変わらないから」

「いや、やってみたら変わるかもしれないし――」

「絶対無理!」

 聡恵はユーコーから逃げるように早歩きした。ユーコーの言うことを何でも聞いていたら、果てはサーカスでブランコまでさせられそうな気がする。

 今回は、優佳の心の問題を解決するために仲を深められれば、という目的もあって話を受けたのだ。それを忘れてはいけない。

 ダンスショーを成功させるという念願を果たし、恋人ともうまくいっているように見えた優佳。その心に陰を落とした出来事とはいったい――。

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