絶望のスライム
間一髪。文字通りに間一髪だった。
頭上を一閃、狼の鋭い爪が空気を引き裂き、通り過ぎた。
(あ、ぶない)
直撃していれば訪れたものは、避けようのない死。
今避けられたのは、ただの偶然。
生物としての生存本能による回避行動と目の前の狼の未知の敵に対する様子見の初撃、その他にも幾つもの要素が連なってたまたま生まれただけの偶然の生存に過ぎなかった。
ただ運が良かっただけで今の攻撃を見て避ける事などスライムには到底できないことだ。
「がっ!」
狼は軽やかに身を翻して、後ろ足でスライムの柔らかな体を弾き飛ばした。
ぼよんとゴムボールのように跳ね、スライムは吹き飛んだ。
(う、ぎゅ)
痛みはないが、蹴られた衝撃だけでスライムの全身の生命力が著しく失われていく。
スライムはその身の性質上、物理攻撃には少しの耐性はある。
斬ったり焼かれたりすれば即死の為、最弱の魔物として知られてはいるが、物理攻撃には強い。
それでも目の前の狼の敏捷性を生み出す土台ともいえる後ろ足での蹴りは、そんなスライムの物理耐性すらも軽々と貫いた。
(し、ぬ)
スライムは朦朧とした意識を目の前の敵に向ける。
狼は悠々と歩き、転がるスライムの元まで向かってくる。
まるで弱った獲物を前に舌舐りをする獅子のようだ。
圧倒的なレベル差。いや、種族差。
スライム程度の力では、覆すことのできない圧倒的な差が目の前にはあった。
(く、そ)
ただの狼の魔物にもこのザマだ。
(まだ、だ。まだ……)
スライムは必死にもぞもぞと野を這う。
目の前の脅威から逃げるために。
無駄だということは分かっている……。
この行為は所詮死を先延ばしにしているだけだということはよく分かっている。
だが、それでも。
スライムは生き延びるために足掻き続ける。
ただ、無駄に足掻きを続ける。
が、しかし、現実は常に非情である。
満身創痍のスライムの這うような逃避と、狼の歩く速度が同等なはずもなく、直ぐに狼に追い詰められて、ぶにゅりと優しく押さえ付けられるようにスライムは踏み付けられた。
(っ、う)
狼はべろりと舌舐りし、にぃっと笑う。
その凶悪な笑みにスライムの魔物としての本能が全てを悟らせる。
やはり死は避けられなかった。
いや、死ぬだけならばまだいい。
良くはないがそれだけならばまだいい。
だが、今から行われることは今の彼にとっては死よりも辛いこと。
(や、だ)
魔力の同化である。
魔力というのは魔物の体と意識を構成するものであり、魔物の力そのものだ。
それを同化するということは、体も意識も力もその全てを他の魔物の一部になるということ。
つまり本来ならば死んで無になるはずが、他の魔物の中で延々と意識だけが流離うということである。
苦痛だ。
普通の魔物には強者を是とする本能がある為、それを苦痛だとは思う者も少ないが、今の彼にとって目的も果たせぬまま延々と意識だけが残る状態は、果てしのないほどの苦痛を伴う。
(こんな、ところで)
スライムはじたばたと暴れるが、それ以上の力で押さえ付けられてるので逃げ出すことができない。
狼はゆっくりと足下のスライムに口を近付ける。
魔力を同化するために。
(や、めて)
ふるふる暴れるスライムに全く意も介さず、狼は彼の体に牙を突き立てた。
(あ、が!!)
魔力を同化する方法。それは他の魔物を喰らうことだ。