非力なスライム
なんだこれは。
「あはははは、それそれ!」
なんなんだこれは。
仲間が一人、また一人。
切り裂かれて地面に散らばり、死に果ててゆく。
どうして。
自分たちが一体なにをしたというのか。
こんなことをされなくてはならないほどのーー家族を、友を、先生を皆殺しにされなくてはならないほどに悪いことをしたというのだろうか。
いや、していない。
断じて言える。
何もしていない。
自分たちスライムは人間には何もしていないのだ。
いやそれどころか人間とは友好関係にあったはず。
人間たちが困ってる時には手を貸したり、人間にとって薬草となる野草の場所までの道案内をしたり、子供の遊び相手になったこともあった。
……それなのに。
「くく、あはは、楽でいいね、こういう雑魚狩りは」
ざしゅりとまた仲間の命が一つ、ゴミのように無残に散った。
昨日まで一緒に笑い合い、同じ時間を共有してきた友の命が目の前で、氷が熱に溶けるように消え去った。
……酷い。
ぷるぷるとスライムの体が震える。
それは殺されるという恐怖によるものではなく、怒りによるものだった。
人間め。
許さない。許さない。そうだ。許してはならない。
彼の心に、その優しく穏やかで柔らかいスライムの心に、人間に対する殺意が宿る。
人間は敵だ。仲間の仇を打つ。
だが、今は逃げなくてはダメだ。
あの人間にはスライムの力では遠く及ばない。
今笑いながら仲間のことを虐殺しているあの人間は、勇者という人間の中でもとりわけ優秀は個体だ。
今この感情のままに向かっていったところで返り討ちにあうのが関の山だろう。
スライムはぽよんと一歩、後ろに跳ねる。
吐き気を催すような溶けた仲間の死骸が左右に見える。
彼らの亡骸の間を取って逃げるのは一瞬躊躇われた。
だが、今勇者は仲間達が集まっている場所で剣を振るい、無双を楽しんでいた。
ずきりと胸が痛む。
今ここで逃げるということは、彼らのことを見捨てるということだ。そのことに一瞬躊躇われたが、勇者に殺される間際の両親の「お前は生きてくれ」という言葉を思い出し、ゆっくりと後ろに転がるように跳ねていく。
ごめん。ごめんね。
何度も心の中で死にゆく彼らに謝り、自身の無力さを呪いながらも彼は野原を転がってゆく。
(だけど絶対に皆の仇は取るから)
◆
どこまで逃げてきたのだろうか。
気づいた時には見知らぬ森の中にいた。
ここはなんだろう。
どこかの森の中ということは分かるが、それ以外には分からない。
彼はスライムで、魔物だ。
魔物は基本的に自分の縄張り以外のことは知らないし、興味もない。
それが普通の為、自身が生まれ育ったあの縄張りと隣接するこの森のこともスライムは知らなかった。
(いや、ここがどこだっていいか。あの勇者に復讐する為には一体どうすればいいんだろう)
スライムは弱く、成長したところで普通の人間の大人にも及ばない。
魔物のくせに強くなる可能性がほぼなく、極希に人間を凌ぐような強い個体も生まれるが、彼はその強い個体というわけではない。
それに比べてあの勇者は何だ。
人間という種族の中でも選りすぐりの個体で、戦えば戦うほどに力が強くなる神域にも至る可能性を秘めている、いわば化け物のような存在だ。
スライムである彼には勝ちの目は皆無にも等しい。
だが、だからといって仲間の無念を晴らせぬまま諦めることなどできるはずがなかった。
(まずは駄目元でもとりあえずは特訓だ)
スライムはぽよんと跳ねて木の前まで移動し、ぽよんぽよんと弾むバスケットボールのように飛び跳ねて、そのまま木に向かって思い切り体当たりをした。
が、ぼよんと彼の柔らかい体は木の木目に傷一つ付けることが出来ずに弾かれて、ころころと転がった。
(……っ!)
痛覚はないので特に痛みに悶えることはなかったが、それでもその衝撃には驚いた。
しかも、スライムのその身には攻撃力というものがほぼなかった。
クソ、とスライムは跳ねるように起き上がり、また木に向かって体当たりを繰り出した。が、やはり結果は同じ。
弾かれて転がってゆく。
(なんで、どうして、こんなんじゃ勇者に勝てない。仲間の仇を打つことなんて……)
ゆったりとスライムは体を起こして、悔しさに身を震わせる。
だが、直ぐにその思考を振り払う。
ダメだ。なんとしてでも復讐をする。
勇者のことを思い出せ。
もっと自身に宿った憎しみを掘り起こすのだ。
彼は何度も何度も心の中でそう繰り返す。と、その効果が次第に現れて、勇者に対する憎しみが膨れ上がってゆく。
憎い、憎い、憎い、憎いーー。
と、その時だった。
ぞわり。
全身を撫でるように何か不思議な感触が駆け抜けたのは。
(な、に、今のは)
ぞぞぞぞぞと全身が盛大に警報を鳴らすかのように震え、同時に悪寒を走らせた。
それが本能的な恐怖だと彼が気付いたのは、それの来訪を認識してからのことだった。
「ぐるるるる」
木々の合間より覗くのは鋭い眼光。
尖った口に全身を覆う黒い体毛。外見は狼のものに近く、見るに恐ろしい怪物。
その姿が彼の前に現れた。
なんだあれは。
見たことの無い魔物だ。
ぐるると喉を鳴らしてこちらを警戒するその魔物は、この縄張りの魔物なのだろう。
まずい、と彼は思う。
あの魔物は今にもこちらに牙を突き立ててきそうな様子を示しており、臨戦態勢。あの魔物の相手は最弱のスライムには無理だ。
(逃げないと)
魔物としての本能がその選択のみを彼の脳裏に過ぎらせる。
じりじりとゆっくり身を後ろに下げてゆく。
が、それをただ見送ってくれるほど魔物の世界は甘くはない。
スライムが下がるのに合わせるかのように、狼の魔物はゆらりと木陰から出てきて、二人の距離は一定のまま変わらず、むしろどんどん距離が近付いてもいた。
「ぐるる」
喉を鳴らして威嚇する狼の魔物に、スライムは全てを理解した。
(無理だ。逃げきれない)
跳ねるか転がるの他に移動手段を持たない鈍足のスライムと四足歩行ど猛獣の如き敏捷性を持つ目の前の魔物。
逃げ切れるかどうかは明白だろう。
でもだからといって闘うなどはありえない。
(どうしよう。どうしよう)
一歩、また一歩。狼がじりじりと近付いてくる。
必死に思考を回しても、詰み直前の将棋の盤面を見ているかのように何も浮かんでこない。
(嫌だ。まだ死にたくはない)
ぷるぷると体を震わせ、スライムは威嚇する。
来るな、来るな、と。
だが、そんなものでは当然狼の魔物の歩みを止めることはできずに距離が詰められるのをただ受け入れる他なかった。
何も出来ない。打つ手がない。
何も出来ないまま、何かをなすこともないまま終わる。
スライムがそう思った瞬間、ついに狼の魔物は本格的に動き始めた。
後ろ足をバネのように伸ばして、一気に距離を詰めて、スライムに襲いかかる。