兵藤佐助は認めてもらいたい(前編)
兵藤佐助は思った。
(これでいいところを見せれば、十条の俺への印象変わるんじゃね?)
スポーツテスト、またの名を体力テスト。
国民の運動能力を調査するために実施されるもの。
小学校、中学校、高校とだれもがとおってきた道であろう。
握力、上体起こし、長座体前屈、反復横跳び、五〇メートル走、ハンドボール投げ、立ち幅跳び、持久走という八種目を姫ヶ丘学園では行うことになっている。
スポーツテストを行うため、今回は特別編成で授業が組まれ、体育が二時間続きである。
これまでの学校生活で兵藤佐助は多くの醜態を晒し続けてきた。
てんでついていけない授業、常識のない行動や礼儀作法、生徒会での仕事の不出来。
まるでいいところがなかった。
悪いところしか見せられなかった。
だが、今回は違う。
身体を動かすことだけはそれなりに得意とする彼は、ここで汚名返上を誓う。
(体育も今はほとんど、体操やらなんやらで本格的に始まらないし……これしかない!)
なぜか自分だけ扱いが悪い十条聖寧にいいところを見せたい。
そして、悪い印象を払拭したい、と意気込む。
(今日は一段とやる気満々だな、兄貴は)
姫ヶ丘学園では二クラス合同で体育を行っている。
二年C組と二年D組の佐助と小十郎は唯一体育の授業だけが被る。
小十郎はそのことがめちゃくちゃ嬉しかった。だが、今回は尊敬する彼から発せられているオーラにただただ圧倒されるだけで声をかけることができないでいた。
(なんか知らないけど、ガチだ。こりゃあ、ひとりくらいのしちゃうんじゃないのか?)
授業に真剣に挑もうとしている人間を見て、変な方向に思考がいく自称弟分の少年。
自分も負けじと準備運動を行う小十郎。
そんなふたりを含めた男子群とは少し離れた位置には女子たちは控えている。
「あまり気乗りしないわ」
と気分の優れない様子でいるのは十条聖寧だ。
生徒会長である彼女はなんでも完璧、と思われがちだが、こういう身体を動かすことは苦手としている。良くて平均、それ以上はいかないくらいなのだ。周りはそんな彼女を見て、「わたしたちに合わせてくれている」だの「いざという時に実力を隠しているのよ」だのと実は運動が得意であるのだと信じて疑わない。至って本人は全力でやっているのだが、神聖視されている彼女は周りからそんなふうに見られていた。
「さ、会長、握力を測りましょう」
体育館に集合した彼女たちがまず行うのは握力だ。その次に上体起こし、反復横跳び、長座体前屈を行う。そしてグラウンドに移動したのち、50メートル走、ハンドボール投げ、立ち幅跳び、最後に持久走で終了する。
今回はペアになって互いに測りながら進んで行く形式で、聖寧は柏木麗華と組んでいる。
「ああ、ごめんなさい麗華。すぐに測りましょう」
握力計に力を入れる。
結果は15kg。16歳の彼女の平均値としては10kg近くも低い。
「二回やりますから! まだもう一回ありますよ、会長!」
「う、うん……」
だが結果はほとんど変わらず、15.07kg。
「左手です! 会長は左手のほうが力が強いはずです!」
という応援むなしく、記録は右手よりもひどい14kg。
二回目も同じような記録に。
「まあ、会長に力があったって意味ないですものね。これくらいがいいでしょう」
うんうんと麗華はひとりで納得し、自分も測り始める。
37kg。
(うわ……私、つっよ!)
聖寧の倍以上だ。記録によって得点があるのだが、その得点も最高の10である。ちなみに聖寧のは2である。
「どうだった?」
「あ、私は――」
「すごいじゃない! やっぱり麗華はすごいわ。こんないい記録なのだからもっと胸を張りなさいよ」
自分のことのように喜んでくれる聖寧に痛く感動し、麗華は瞳を潤わせる。
(うう、なんてもったいないお言葉……)
褒められてしまえば、もう彼女は止まらない。
全力で、ただただ真摯に、スポーツテストに臨む。
十条聖寧という影に隠れてはいるが、彼女はなんでもできる少女だ。
勉強面では常に二番手であるも、聖寧の苦手な運動や料理といったものは一流。ただ、少々性格面で難があり、聖寧を絶対視する側面も相まって、聖寧のような人望はない。
「うっひゃー、さすが兄貴っす!」
ざわざわと男子陣がなにやら騒いでいる。
騒ぎの中心にいるのは兵藤佐助。主に騒いでいるのは有島小十郎であるが。
「っぱねえ! 超ぱねえっす、兄貴!」
「兵藤やるな」
「まあ、佐助ならこれくらい楽勝だもんな」
男子たちは小十郎のように別段騒ぐようなことはしないものの、その結果は当たり前だとでもいうように、すんなり受け入れている。
彼の記録は57.23kg。まあまあやばい記録である。運動部に所属していないのであればなおさらだ。昔から仲間を大切にしている彼は、小さな頃に鍛錬する日々を送っていた。そのため、鍛錬をやめた今でもその馬鹿みたいな力は健在であった。
(よしよし、男子の中でもトップだぞ、これ)
周りが騒ぐ中、佐助は自分の記録に合格点を与え、ガッツポーズをする。
(これなら十条もきっと俺のことを見返すだろう)
ぱっと見たその先に、ちょうどよく目的たる少女と目が合う。
(騒ぎに気付いたのか、こっち見てるじゃん! チャンス!)
そして彼は、記録を見せびらかすように握力計を掲げて――笑顔を向ける。
その相手の反応はというと。
ばっと集団に隠れるようにして、逃げてしまった。
(え、これでも駄目!?)
これでも認めてはくれないのかと、佐助は歯噛みする。
もっといい記録をと二回目にチャレンジする少年の必死な姿など、聖寧には映らない。
なぜなら。
(兵藤くんったら、みんないるのに……大胆!)
照れていた。
(私にいいところを見せたいってのはわかるけどぉ!)
恥ずかしかった。
逃げてしまうのは悪いと思いつつも、恥ずかしさが勝ってしまったのだ。
そんなことは露知らず、佐助は思いっきり力を込めて自己最高を記録させて、聖寧にもうアピールをしていた……のだが、彼女はやはり見てくれることはなかった。
(くそ、次だ次!)
気を取り直して、上体起こしへ移動する。
「よし、やるぞ小十郎。しっかり抑えておいてくれ。十条に見せつけてやる」
「はいっす――え、十条っすか……?」
引っかかりを覚えつつも、すぐに開始の合図が鳴り、体育教師のもと、上体起こしが始まる。これは30秒間の間に腹筋運動を行い、記録を測る。全員で一斉に行い、その次にもうひとりのペアと交代してもう一度やる仕組みだ。
結果、38回という好記録を叩き出した佐助は、小十郎が騒ぐ最中、またしてもだれかにその記録を見せつけていた。
(なにをしてるんだろ)
佐助の視線の先を追ってみると、そこには――十条聖寧がいた。
しかし彼女はぷいっとそっぽを向き、いそいそと麗華と交代していた。
そしてそれを見て、佐助はまたしても悔しそうに「まだなのか!」と叫んでいた。
(もしかして、兄貴……)
小十郎は、喉元まで出かかったそれを口に出そうとしたが、すぐに自分の番が来てしまったため、仕方なく上体起こしへ移った。記録は佐助には及ばないものの、33回となかなかのものだった。彼もまた、運動だけは自信があるのだ。
そして反復横跳びを行う中、小十郎は佐助の動向を窺い、それが確信となる。
(なるほど、兄貴は運動のできない十条に自分の記録を見せつけているんだ!)
毎回のように好記録を出し、それを聖寧にこれ見よがしに記録表を掲げて見せている。
さらにさらに、その表情は――ドヤ顔。
もう一度言う、それは笑顔ではなく――ドヤ顔。
まるで「どうだ見たか、雑魚!」と言わんばかりの!
対する十条聖寧は運動はできないらしく、ほとんど平均以下の記録。そのため、負けたのを認めたくないとばかりに佐助から視線を逸らす。
これらを総合した結果、小十郎は行きついてしまった。
(いつもいつも奴隷のように扱われているから、仕返しっすね!)
自分の尊敬する兵藤佐助にしては小さい行動であるが、彼がやっているのであれば、それに従うのが弟分の役目。
「兄貴、兄貴」
「なんだ」
長座体前屈を行うために準備する佐助に声をかける。
「オレも、それ。手伝えばいいんすね?」
「え、それって?」
「だから、兄貴が十条にやっている……それっすよ」
「あ、気づいてたか。……まあ、手伝ってくれるんならありがたいけど」
「もちっす!」
親指を立てる小十郎を見て、佐助は思う。
(俺が十条に運動できるアピールをしているのバレてたか。まあいいや、手伝ってくれるんならそれはそれで)
思惑はまったく違うのだが、そんなことは知らない佐助は友達である小十郎の手を借りることに。
彼らがまたおかしな結託を組んでいる一方で、少女は少女らで己と戦っていた。
(さっきからあの男はいちいち自慢してきて……。そんなに自分はすごいアピールをしてモテたいのか。……けど会長は会長でメロメロだしぃ! 私がもっといい記録出せればなあ)
女子の中ではトップクラスの成績を残すが、ことごとくその記録の上を行く佐助に麗華は己の鍛錬の少なさに嘆く。
(兵藤くんを近くで見たいし、祝福したいのに、私の恥ずかしがり屋!)
周りの目を気にする己の矮小さに嘆く。
長座体前屈が終わり、またしても彼らの方角から歓声めいたものが聞こえ。
「――――」
やはりそんな自慢の彼氏の超絶格好良い姿も見たい自分もいるわけで。
ちらり、とそちらを窺った。
そこには自分の記録を高々と掲げる彼氏の姿と、超ドヤ顔で見下すようなポーズをとる男の姿があった。
「…………」
超邪魔、だった。
くっそイラつく顔が、くっそ邪魔だった。
だからか、自然、その顔は凍りつく。
(ええええ! 見てくれたと思ったらなんでそんな冷めた目を!?)
兵藤佐助は聖寧の表情を見て、驚きを禁じ得ない。
(っしゃあ! 十条のやつ、すっげえ悔しそう! へっ、勉強馬鹿が! 思い知ったか!)
有島小十郎は無表情のそれを自分のいいように捉え、歓喜する。
(しまった! 兵藤にばかり気を取られていたが、あのチビ男。会長にアピールしてきやがった! 油断も隙も無いやつめ!)
柏木麗華は佐助に隠れて自分が運動できることをアピールしている小十郎の悪知恵の働きように憤る。
そしてそれぞれの勘違いは継続されたまま、グラウンドへと移動するのだった。