有島小十郎は馴れ合いたくない
「おい、数字がずれているぞ。ちゃんと確認しろ」
「うーい」
「おい、だれが適当に並べろと言った。ちゃんと順番どおりにしろ」
「……はいはい」
「おい、なんだこの駄文は。貴様は日本人か?」
「…………」
「またか。貴様は何度言ったらわかるんだ。これは――」
「うるせえ! なに様だてめえは!」
する仕事する仕事にいちいちいちゃもんをつけられ続け、とうとうキレた小十郎。
彼としてはやっつけでやっているわけではないのだが、そこら辺のところが厳しい麗華の許容範囲を超えてしまっていた。
「副会長だかなんだか知らねえが、指図してんじゃねえぞ、このデカ女」
「貴様こそ、庶務の分際で楯突くな、チビ男」
「ああん?」
「はあ?」
一触即発となって向かい合う167センチの少年と169センチの少女。
晴れて有島小十郎が庶務として生徒会に入って早数日、このような光景は恒例だった。
もともと四高の生徒に対して悪印象しかない麗華は彼のことを受け入れられず、さらに仕事が怠慢ときた。こうなってしまっても致し方ないことだろう。
対する小十郎もまた、姫ヶ丘の女子のようなお嬢様然とした高貴な人間が嫌いだった。加えて命令され、文句を言われてしまえば、彼とて怒りが込み上げてきても仕様がないことだろう。
「柏木、小十郎だって一生懸命やっているんだ。大目に見てやってくれよ」
「甘やかせてどうする。生徒会に入ったのだ、これくらいのことはやってもらわないと困る」
助け舟を出した佐助をバッサリと切り捨てる麗華。
「有島くんも。できないのならできないと言ってくれないと困るわ」
「できるわ! けど、このデカ女が細かすぎるだけ」
なんとか事を荒立てないようにと聖寧も尽力するが、小十郎はあくまで麗華が悪いのだと主張する。
それぞれが尊敬する相手に対して歯向かったことにより、またしても睨み合う。
あまりにも見飽きた展開に、ふたりの少年少女はだれともなしに息を吐く。
またなにか言い争いをする彼らを見ていられず、ちょこちょこと佐助は聖寧のところに移動する。
「なあ、あのふたり、どうにかできないか」
「え、あ、兵藤くん」
いきなり接近してきて耳元で囁かれた聖寧はドキッとしてしまう。
(顔、すっごく近いんだけど……)
なんかもう目の前で争っているふたりなどどうでもよくなる聖寧なのだった。
「おい、聞いてるのか」
「あ、ごめんなさい。えっと……私たちの今後についてでしたっけ? ごめんなさい、私はこういうことはもう少しあとでと考えていたのだけれど」
「なんの話だ。あのふたりのことだよ。ずっとあんな調子だろ」
「ああ、あのふたりのことね」
自分たちのことではないのかと、肩を落とす。
「でもどうにかって言われても、あのふたりは水と油のような関係って感じで……仲良くなんかできるのかしら」
手の施しようがないとばかりに眉間に皺を寄せる聖寧。
(水と油? 綺麗なやつと汚いやつってことか? なかなかすごいこと平気で言うよな、十条って)
四ツ谷高校という偏差値の低い馬鹿っぷりを発揮していた。
それはさておき、と佐助は思考を戻す。
「一回、ふたりで話す機会とか作ったほうがいいんじゃないか? なんかそういうのない?」
「うーん、そうねえ――あ、そうだわ。確か理科室の備品チェックをするように言われていたんだった」
思い出したように手を叩く。
「これをふたりにやってもらえば、そういう場を設けられるわ。けれど、大丈夫かしら」
「いいじゃん、それで。なんか問題あるか?」
「いえ、だって今だってこんな状態なのに、ふたりっきりにしたらもっと悪化しそうで」
止まる気配のない言い争いに不安げな視線を送る。
「いや俺は逆だと思う。きっとあいつらは俺たちに気を遣っていろいろ言えないこともあると思う。きっといい方向にいってくれるって」
「そうよね、大丈夫よ、ね。じゃあさっそく私が――」
「俺が言うよ」
と言って、彼らのもとへと仕事を伝えにいってくれる。
だがどうにもうまくいくようには思えない聖寧。彼らが佐助から仕事の内容を聞かされて嫌そうな顔をしているのを見てますますその思いは強くなっていく。
(兵藤くんが言うなら間違いないんでしょうけれど)
彼氏の意見は尊重したいが、これ以上関係が悪化しても困るのも事実。
(あれでも待って。ふたりが出ていったらここには私たちだけになる……)
あれこれと考えるうちに、彼氏たる兵藤佐助の行動の真意に気づく。
(もしかして兵藤くん……私とふたりっきりになりたいんじゃないの!?)
生徒会を思ってやったのだと思っていたが、その実、彼は自分のためにやっていたのだと知ると、彼女たる十条聖寧は恥ずかしさに悶える。
(やだ、なによそれ。それならそうと言ってよ、もう!)
もはや喧嘩をする彼らなど彼女の頭にはなくなり、彼氏一色に染まる。
当の彼氏と言えば、ただただ真剣に彼らの仲が良くなってくれるのを願って送り出していた。
◇◇◇◇
等間隔に並ぶ机には流し台も付属されている。
グループごとに座れるような大きな造りのそれに、木の椅子が並ぶ。
人体模型や顕微鏡なども置かれ、後ろの棚には多くの実験器具が見受けられる。
第一理科室。
科学や生物、物理などの授業で使う教室のひとつである。
そして現在、そこにはふたりの少年と少女が実験器具と紙を片手に作業をしていた。
「おい、この試験管の数だが、ちゃんと数えたのか?」
「当たり前だろ」
「馬鹿か、貴様は。貴様が書いたものと数が一致しないから言っているのだろう!」
「はあ、知るかよ。てめーの目がおかしいんじゃないですかねー」
「貴様……もういい、そっちが済んだら私があとひとりでやるからもうなにもするな!」
「なんだとぉ? 手柄を独り占めってわけか。そうはさせねえ、オレもやるし」
「あ、ちょ――それは、私がもうやったものだ! 馬鹿、やめろ、ごちゃごちゃになる」
とかなんとか、本当に仲が悪そうで。
全然生徒会室の彼らと変わっていなかった。
実験器具をチェックする作業なのだが、どうにも息が合わないふたり。
主に小十郎の出来の悪さが原因と言っていいのだが、麗華も麗華で自分ひとりでやろうとしていつもはしないであろうミスを連発していた。
(ああ、くそ、このデカ女と一緒に仕事するためにオレは生徒会に入ったわけじゃないのに)
小十郎はため息をつく。
(なんで私がこんなチビ男と一緒に作業しなければならないんだ。さっさと終えたい)
麗華はため息をつく。
互いに黙々と仕事を進めていくこと数分、ただでさえ仕事をし続けるのが億劫だというのに、同じ空間にいる相手が相手なだけに小十郎の限界は必然的に起こる。
「きゅーけい!」
作業を中断した小十郎は伸びをして近くにあった椅子に腰を落とした。
早すぎる集中力の限界に嫌味のひとつでも言われると覚悟していた彼だったが、麗華は付き合うだけ時間の無駄だとでも言うように無視して手を休めずに働き続ける。
そんな様子の彼女をじっと見つめ、生真面目っぷりを皮肉るように大仰に息を吐く。
「ここにはオレしかいないっつうーのに、だれへのアピールなんだか」
「ふん、貴様のようなやつと一緒にするな。私はだれかにアピールするつもりでやっていない」
「どうだか? 会長様のために早く終わらせようとしてんだろう」
「喋って邪魔をするなら本当に出ていけ」
キッと睨みつけられ、ふんと鼻を鳴らす。
(うぜえ。こいつの十条に対する忠誠心もなかなかだな。ま、オレの兄貴への忠誠心に比べれば、ちっせえけどな。……つか、今頃兄貴、十条にまた雑用押しつけられてんのかなあ、くっそお、こんな仕事やってられねえ)
ふと、小十郎に疑問が浮かぶ。
「そういえば、デカ女。お前って十条と兄貴の関係知っているよな?」
「関係? ああ、まあそりゃあ知っている」
疑問符を浮かべた麗華だったがすぐにそれがなにか察する。
(ふーん、あの男、会長と付き合っていることをだれにも話していないと思っていたが、チビ男には話していたようだな)
麗華が彼らの関係と問われて真っ先に浮かんだのはそれだ。
しかし実際には。
(はーん、やっぱこいつも兄貴と十条の関係が奴隷と主人みたいなもんだとわかっているようだな)
というものだった。
明らかな認識の齟齬なのだが、彼らは気づけるはずがなかった。
「で、実際どう思ってんだ?」
「どうと言われても……会長がいいと思っているのだから私はそれに従うまで」
「へっ、そうかよ」
「だが、私は認めてはいない」
見て見ぬフリをしていた麗華を蔑んだような目で見ていた小十郎の目が変わる。
「会長はたぶん悪い薬でも飲んだに違いない。きっとそのうち薬の効果が切れて、もとに戻ってくださる。そうすればあんな関係、すぐに終わる。そう私は信じている」
思ってもみなかった返答に感心したように彼女の作業を見守る。
(なんだよこのデカ女。兄貴をこき使う十条が悪いってわかってんじゃねえか。……けど、自分の尊敬する相手だから、ただ見ているしかないってわけか)
少し彼女を見る目が変わる小十郎。
「チビ男。貴様のほうこそどう思っているんだ?」
「馬っ鹿、お前。オレだってふざけんなって思っているよ。当たり前だろうが」
「ほう、なるほどな。貴様も同じように思っていたとは」
期せずして起こった意見の一致。
これで急速に互いの距離が縮まる――ということにはならず。
「じゃあデカ女、十条の弱点を教えろ。それをオレが兄貴に伝えるから」
「だれが教えるか。というか会長に弱点などない」
から始まり。
「ならばチビ男よ、兵藤の黒歴史を晒せ。私が会長に伝える」
「だれが教えるか。というか兄貴は武勇伝しかない」
で終わった。
意見が一致したところで仲が深まることはないようだ。
(なぜチビ男は会長の弱点など……。まるでそこを突こうとしているみたいじゃないか)
麗華は目の前の男を訝しむ。
(なんでデカ女は兄貴の過去を知りたいなんて……。まるで兄貴のすべてを知りたいみたいだ)
小十郎は目の前の女を訝しむ。
両者がなにやら不穏な雰囲気となり始める。
「ひとつ質問だ。貴様は会長と兵藤の関係が解消されたらどうするつもりだ?」
「もちろん、十条にアタック(物理的に攻撃)する」
「なっ!」
あまりの衝撃に実験器具を落としそうになる麗華。
「こっちも同じだ。デカ女はどうするつもりだ?」
「もちろん、兵藤を落とす(女たらしである事実を晒して、人間の地の果てに)」
「なっ!」
こちらも衝撃的なことを聞かされ、椅子からひっくり返る小十郎。
互いが互いの真の思惑に、気づいてしまい、声が出なくなる。
(このチビ男……兵藤と会長が別れたら、会長に告白するだとぉ? ふざけた真似を)
深読みしすぎである。
(デカ女、この野郎……。兄貴を落とすだぁ? くそが、兄貴と十条の関係を良く思っていないのも、自分が兄貴のことが好きだったからか)
同上。
「不純な貴様と協力などできるか!」
「それはこっちの台詞じゃ、ぼけ!」
そうして、ふたりの仲は深まるどころか、もっと最悪な形へとなってしまった。
◇◇◇◇
一方、生徒会室に残されたふたりはというと。
(ああ、やばい。十条に楯突くみたいなことしたから、仕事めっちゃ回された!)
彼らが他の仕事をしてしまったため、その皺寄せで自らの首を絞めることになった佐助と、それを微笑ましく見つめる聖寧というおなじみの光景であった。
(兵藤くんったら、ふたりになった途端に仕事に夢中になるんだもん、可愛い!)
その視線は催促のそれにしか見えない。
「ひい……」
佐助は心の中でめちゃめちゃ謝るのだった。