柏木麗華は穢れて欲しくない
「ねえ、麗華。兵藤くんの好きなものってなにかしらね?」
「兵藤の好きなもの、ですか?」
「ええ。なにかあげたいと思っているのよね」
放課後の生徒会室にて、生徒会長の十条聖寧からの問いかけに生徒会副会長の柏木麗華は資料を片手に立ちながら首を捻る。
本日はまだふたりしか来ていない。
他の者は放課後の掃除などで遅れているのだ。
(兵藤佐助の好きなもの、か。……ひとつしか思い浮かばない)
麗華の頭に浮かんできたのは、『女』だ。
先日の一件以来、同じ役職を務める兵藤佐助のことを重度の女好きと認識している彼女が真っ先にそう浮かんでしまうのも無理からぬことだった。
(だが、こんなことを会長に言うわけにもいかない)
自分の彼氏が女好きなどと知ったら、聖寧を悲しませかねない。
いくら聖寧の目を覚まさせるとはいえ、そういう方法は麗華の望むところではないし、彼のこととなると熱くなるためこんなこと信じてくれはしない。
……というか、こんなにも聖寧から思われていることが彼女には腹立たしかった。
「どうでしょうね、彼ってあまり好きなものとかなさそうですから、なにもいらないんじゃないですかねー」
と、ついつい意地悪をしてしまう麗華だった。
(ふん、会長からものをもらうなんておこがましい!)
私だって全然そういうのないんだから……という思いを込めて心の中で叫ぶ。
「そうよね、私も彼女なのにわからなくて……」
自分の至らなさに痛切な表情を作る聖寧に麗華は言う。
「で、でもどうして兵藤になにかあげようとしているのですか?」
「ついこの間、彼からプレゼントを頂いて」
聖寧が言っているのは、付き合って一か月記念にもらったプリンのことだ。
「プレゼントを……」
物をあげて好感度も上げようって魂胆かと麗華は佐助の行動の単純さ故の良さにちょっと心が揺れた。
「私、彼からのプレゼントって初めてだったから感動しちゃって」
女の子らしく、頬を赤く染めて言う。
「すぐ食べちゃったの」
「へえ、すぐにですか――ってすぐに食べちゃったんですか!?」
聞き捨てならないとばかりに椅子に座る聖寧に顔を近づける。
「え、ええ。とても美味しく頂いたわ」
「お、美味しく……」
「とはいえ、それ自体は初めてではなかったのだけれどね」
「もう何回も食べちゃっているんですか!?」
「そ、そうよ。滅多にないけれど」
「へ、へえ。もうすでに何回も……」
麗華は聖寧から告げられた言葉に、顔面蒼白となる。
(う、うそだ。会長が……私たちの十条聖寧があんな男ともうそんな関係に!?)
食べる。
一般的にそう表現すれば、食べ物と捉えるだろう。
だがしかし。
現在柏木麗華には兵藤佐助という人間が女好きという図式が成り立っている。
そういうこともあり、彼女が『食べる』という表現をあれな意味に捉えてしまっていても致し方ないことで。
(会長が食べちゃったってことは……会長から迫ったってことおおおおおお!?)
男女のそういう行為は男性側が主導権を握っているものだとばかり思っていた麗華であったが、まさか逆だったとは。
いや、違うと麗華はかぶりを振る。
(先ほど会長は滅多にないとおっしゃっていた。ということは、いつもは兵藤主導ということ。でも今回はプレゼントなのだから、会長のほうから来てもいいと彼側から言ったのだろう)
兵藤佐助に対して鬱憤がたまる。
(純粋な会長を弄びやがって、兵藤佐助えええええ!)
とはいえ、すぐに食べちゃうくらい進んだ関係であることも新たにわかったわけで。
「会長、やっぱりあの男はやめましょうよ!」
「なに言っているのよ、彼ほどいい男はいないわよ!」
「なっ!?」
いい男というちょっとあれなニュアンスを感じ取った麗華。
(そ、そんなによかったんですかぁ、彼とのあれは……)
性行為。
それ自体は知っていても、どれほどのものかは彼女にはわからない。
一般常識的に知っているだけで、気持ち良さもなにもわからないのだ。
「(彼のテクニックは)上手かったんですか?」
「(彼からもらったプリンは)それはもちろん!」
笑顔で返され、銃で撃たれたかのように地面に崩れ落ちる。
(私たちの会長が穢されてるううううううううううううううう)
今にも泣き出しそうになる麗華を他所に聖寧は顎に手を当てて唸る。
「うーん、やっぱり兵藤くんもそういうのがいいのかしらね」
「駄目です!」
ばっと起き上がった麗華はその発言に食ってかかる。
「絶対駄目です! もうしてしまったものは仕方ないですけどもうこれ以上は駄目です!」
「駄目ってどうしてよ!」
「駄目なものは駄目なんです! これ以上会長が穢れてしまうのを見ていられません!」
「穢れるだなんて失礼な! 私のじゃあ彼は満足できないって言うの!?」
「で、できませんよ! だって兵藤は……たくさんそういう経験をしてきているんですから。会長はまだまだでしょう!? 他の人に勝てるって言うんですか?」
少しきつく言ってしまったが、麗華はこれでいいのだと自分を納得させる。
(これくらい言わないと、また会長があいつと……ヤッちゃう!)
その光景を考えてしまい、強く目を瞑る。
そんな会長思いな少女の葛藤などわからない当の本人はといえば。
(確かに私は料理が苦手だけれど……、穢れるとかそこまで言う!?)
完璧な生徒会長十条聖寧にも苦手なことはある。
料理だ。
生粋のお嬢様であり、ほとんどそういうことを家政婦に任せていたため、やったことがないのだ。ただ本人はやったことがないだけでやればできると豪語するが、料理オンチっぷりはかなりのもので、煮る、炊く、茹でるなどの違いも正確にわかっていない。ほとんどフライパンで焼けばできるのだろうと思っているくらいの重症具合である。
そのことを気にしている彼女であるため、あんなにも強く言われたら温和な彼女でも思うところはあるわけで。
(まあでも兵藤くんは何人もの人と付き合ったことがあると言っていたから手料理くらい振る舞われたことはあるにはあるでしょうね)
その人たちに勝てると言われれば聖寧には自信などない。
「私だって勉強くらいするわよ」
「べ、勉強ですか!?」
「ええ。それくらいやってやるわ」
「ですが、勉強と言ったって……その、そういうのを見てってことですよね?」
「必要とあれば実演してもらう形になるわね」
「実演!? ビデオとかそういうのではなく、実際にヤッてもらうんですか!?」
「当たり前じゃない。見て学んだほうが早いでしょう」
「そういうものなんですか……」
彼氏のために他人のしているところを間近で観察するという聖寧のガチ感に、兵藤佐助に汚染されつつあることを改めて実感する麗華。
「当然だけれど、学んだあとはひとりで練習もするわ」
「ひとりで!?」
「本番のために練習するのは普通でしょう」
「そうですけどぉ……。そんなことしてる会長なんて見たくないです!」
「なにを馬鹿なことを。私だって努力くらいするわよ」
「そういう頑張りは見たくないんです!」
なかなか食い下がらない麗華に聖寧はむっと眉を寄せ、多少の苛立ちを見せる。
「練習したって私には兵藤くんを満足させられないと?」
「いえ、そういうことを言っているわけではないんですけど」
むしろ満足しなかったら佐助の息の根を止めかねないと思う麗華であった。
「なによ、自分は上手だからって!」
「は、はいいい!?」
「知っているわよ。あなたは毎晩やっているって」
「ヤッてませんよ!」
「う、うそつき! 前に聞いた時やっているって言ったじゃない」
「言ってませんよそんなこと!」
どんな痴女だと異議を申し立てたくなる麗華と、以前に聞いていたこととは違うことを言っている相手に不満顔となる聖寧。
「…………」
「…………」
沈黙が訪れた。
(う、私としたことが、会長に対してなんて失礼な……)
即座に猛省する柏木麗華。
(私のためを思って麗華は言ってくれたというのに、私ったらついムキになって)
自分の弱点を突かれたことできつく当たってしまったと反省する十条聖寧。
「すみません、少し言いすぎました」
「いえ、私のほうこそごめんなさい」
両者はお互いに悪いと思ったため、熱くなってしまったことを謝る。
和やかな雰囲気を取り戻した生徒会室だったが。
「いやー、悪いちょっと遅れた。クラスの女子から前に俺にしてもらった、というか生徒会関連なんだが、そのことのお礼で、食べさせてもらっちゃっててさ」
「「食べさせてもらった?」」
入ってきて早々、話題に上がっていたことを口にした兵藤佐助にふたりは声を重ねて聞き返した。
「ん、なんだよ。遅れたことは本当に悪いと思っているよ」
「もうそれはいいの。それでもらったっていうのは……その人の手によるものかしら」
「そうだぜ。いやー家庭的な女子っていいよな」
「…………へえ、そうなの」
抑揚のない声音で言う聖寧。
放心状態になってしまった彼女に代わり、麗華が口を開く。
「その者の手だけで……? う、上手かったのか?」
「? そうなんじゃね? もちろん。最高だったぜ」
「…………最、高」
「指先が器用なんかな。そういうの俺には無理だからよー」
「……だろうな」
ちらりと麗華が聖寧を窺えば、彼女はぷるぷると小刻みに震えていた。
「私……修行してくる!」
「ちょっと待ってください会長! ……兵藤、もっと口を慎まんか!」
「はあ!? お前らが聞いてきたんだろうが」
苦手な料理の道へと突き進む少女と、それをあれな方向だと勘違いして止めようとする少女。
そんなふたりに置いて行かれ、残された少年はというと。
「あーあ、せっかくあいつらの分も取っといてやったっていうのに」
クラスメイトからもらったクッキーを取り出し、ぱくりと口に運ぶ。
「やっぱ美味い」
我慢できずに、ひとつふたつと彼女らの分も食べてしまう佐助。
「しっかし、あいつら生徒会サボるとかそれどうなん?」
自分のせいで起きてしまったというのに、まるで本人はわからず、やれやれと息を吐いた。