柏木麗華は認めたくない
姫ヶ丘学園。
傷ひとつ見当たらない真っ白な校舎。生徒を迎え入れる巨大な正門は、一般人が見たならば近づくことすら恐れ多いと思ってしまうほど荘厳である。ひとたび、そこに足を踏み入れたならば、鳥の彫刻や銅像などといった一流の芸術家が作り上げた品が見受けられ、周囲には手入れされた木々や花壇が彩を作っている。
豪華絢爛な建物の中もまた、眩しいほど輝いている。巨大なシャンデリアが吹き抜けの校舎を綺麗に映す。姦しく話す生徒や勉強の話で議論する生徒、慎ましく、爽やかな生徒たちに教師陣も笑顔が挨拶を交わす。まさに絵に描いたようなお嬢様学校。
「おい、こらこっち見てんじゃねえぞ」
というのは一か月前の姿。
この学園には似合わない少年の口汚い言葉に生徒たちは顔をしかめる。
伝統ある姫ヶ丘の制服を適当に着崩し、かったるそうに校内を闊歩するのは以前まで偏差値の底辺に位置していた不良高校の生徒の一団だ。
「四ツ谷高校の人よ」「まあ、なによあの格好」「あの言葉遣いもどうなの」
ひそひそと喋る少女たちの目は、彼らのことを信じられないものでも見るかのよう。
四ツ谷高校、通称四高は昨年度正式になくなった。
ただの廃合ではなく、統廃合である。
近年少子化により入学者数の激減、通いにくい僻地に位置し、加えて校舎の老朽化。そして生徒の素行の悪さや退学者の増加によりまことしやかに廃合することが噂されていた。
そうして正式に廃合が決まった四ツ谷高校であったが、姫ヶ丘学園の側から統廃合の話が持ち込まれ、四ツ谷高校側はそれを容認し、全生徒はこの姫ヶ丘学園に編入する運びとなった。
しかし四ツ谷高校の生徒たちにとっては、はた迷惑なだけにすぎず。
「くそ、どいつもこいつも貴族みたいなやつばっか」
悪態をつく生徒がいるのも今に始まったことではない。
もともと荒れていたということもあるが、そういう部分が出てしまうからこそ、姫ヶ丘の生徒が四高の生徒を避けてしまう原因となってしまっている。
「おはようございます、十条会長」
だれかが挨拶をすると、もと四高の生徒が注目から外れる。
「おはようございます」「会長、おはようございます」「十条さん、おはよう」
口々に挨拶の嵐が飛び交う。
ただひとりにだけに向けられた視線に、その少女は笑みを刻む。
「みなさん、おはようございます」
十条聖寧。
この学園の顔にして、生徒会長を務める少女は先輩同輩後輩問わず、慕われている。
もはや話しかけられることすらも至上の喜びとばかりに向けられた笑みに生徒たちはうっとりと顔を緩める。
「今日も美しいですわね」「十条会長に挨拶されたよ」「今日ついていますわ」
道を空けてくれる生徒たち。
すたすたと一定の歩幅で歩き、その半歩後ろからついてくるのは女子の生徒会副会長を務める柏木麗華。
さながら護衛のごとく仕える少女もまた同様に畏怖の目で見られる。
気の強そうな眉にきりっとした理知的な瞳は彼女の聡明さを物語る。
成績、家柄、容姿ともに三拍子揃っているだけでも素晴らしいのだが、彼女は唯一聖寧が心を許す存在であり、それも相まって生徒たちからも一目置かれている。聖寧が王女であるならば、さながら麗華は王子と言っても過言ではないだろう。美少女と呼ぶよりかは美少年と形容してしまうほどの格好良さを感じさせる。現に彼女はその運動能力を買われ、よく部活動の助っ人に呼ばれるがその姿を見る女子生徒の目は、恋い焦がれる少女のそれであり、麗華に恋にも似た想いを抱く生徒も多くいる。
「あらあら、あなた制服が乱れているわよ」
ふと聖寧が足を止め、もと四高の生徒に近づき、着崩された制服を正す。
多くの生徒たちはそのだれにでも優しく接する彼女の行動に感心した様子となる。
「……おお、すまねえ」
制服を正された少年もまたその彼女から発せられる『美』という名の凶器にやられ、たじろぎながら言う。聖寧を前にすればいかなる生徒も自分の粗暴を省みる。
「では私はこれで。行きましょうか、麗華」
「はい」
このような一面があり、なんでも完璧。だからこそ、生徒からの信頼も厚い。
「おはようございます」
「おはようございます」
二年C組の教室へ入ると、一斉に話し声が止み、挨拶をする聖寧へ注視し、挨拶を返す。
麗華も続くようにして目礼し、彼女らが席へと座る道中も挨拶がされる。
そのたびに律儀に返し、ようやく席へついて、一息つくことが叶う。
「麗華、あなたも座っていいのだけれど」
「いえ、私は大丈夫です」
突っ立っている麗華へ座ることを許すも彼女は固辞する。
「いつも言っているでしょう。立っていられると私の心が痛むと。疲れるのだから座りなさい」
「わかりました」
隣の席へ座った麗華を見て、聖寧は満足そうに頷く。
しかし麗華は彼女に対する敬服の意は崩さず、姿勢正しく過ごす。
(さすがは会長。今日も一段と美しく、優しい……完璧すぎる)
中高一貫ということもあり、聖寧とはもう四年以上も一緒にいる麗華は彼女の完璧具合を常に真横で感じ、毎度毎度感心していた。
「あら、今日は兵藤くんもう来ているのね。でも寝ている……可愛い」
いつもは遅刻ギリギリで来ている兵藤佐助が真面目に始業前に来ているかと思えば、机に突っ伏して寝ていた。と思っていたら、おもむろに目を覚まし、ふあと欠伸を漏らす。
「おねむなのね兵藤くん。というかあのピンと跳ねた髪の毛、素敵すぎない!?」
「そ、そうですね」
麗華はぎこちなく応える。
どうして彼女が聖寧に同意できないかと言えば簡単だ。
普通に素敵と思えないのもそうだが、完璧美少女生徒会長である十条聖寧の心を奪い、その完璧っぷりが崩れつつあるという事態を引き起こしている原因の男だからだ。
彼と出会ってからというもの、聖寧がおかしくなったのは肌で感じていた。
なにがあっても彼が一番であり、彼のことばかり。現在はそこまで仕事に支障は出ていないし、学校生活でもあまりべたべたと接しないからか、まだその姿を他の生徒に知られてはいないのだが、それも時間の問題となるだろうと思っている。
(あんなのが彼氏とかおかしい)
素行は悪く、授業態度もひどい。成績も下の下、運動はできるようだがそれ以外はからっきし。生徒会の仕事もまるでできない。あと目つきも悪い。
印象は最悪だった。
というか変わっていない。
ここ一か月でもう充分すぎるくらい見てきて、彼は典型的な馬鹿という認識となった。
「あの、会長。差し出がましいようですが、私にはやはり会長に兵藤佐助という男は似合わないと思います」
「確かにそうね。彼にしてみれば私なんて足元にも及ばない」
「いえ、そうではなく。その逆と言いますか、彼には会長に釣り合う要素がなにひとつ――」
「なにを言っているのよ。釣り合う要素を持たないのは私のほう。こんな私で兵藤くんに悪いわ。もう少し、努力しなければならないわね」
「逆ですって! というよりも四ツ谷高校の生徒に会長と釣り合う男などおりません」
「もう、麗華は偏見を持ちすぎよ。四ツ谷高校の生徒だからと言って、悪いほう悪いほうにと。噂は少し聞きますけれど、所詮は噂であり、助長されているだけにすぎない。先入観に捉われすぎよ、麗華。もっと彼のことを見てみなさい、ほら」
聖寧に言われ、麗華は再び彼のほうへと向く。
そこにはひとりの女子生徒が自分の席に座ろうとしているのだが、男子生徒たちが屯しており、困り果てていた。だがそれを見て、佐助が彼らを適当に散らばらせ、女子生徒を助けていた。
「ありがとう、兵藤くん」
「邪魔だったら邪魔だって言ってもいいんだぞ。あいつら意外に素直なところあるし。まあそれでも無理だってんなら俺に一言声かけてくれればいいから」
紳士的に対応し、女子生徒から離れていく。
そのあとは、もともと同じ高校であった彼らと談笑し始める。
「……やだ、超格好良い」
見惚れる少女とは同じ気持ちになれない麗華は、複雑な心境に顔をしかめる。
(うーん、まあ確かにこういうところは悪くはない)
麗華が見てきた中で唯一褒められる点があるとすれば、他のもと四高の生徒とは違って、姫ヶ丘の生徒たちに対して変わらずに接しているというところだろう。姫ヶ丘の生徒たちは異性とほとんどかかわりを持たなかったし、不良高校の生徒ということも相まって、男子に対して恐怖という印象が強かった。でもその中で、彼がこうやって接してくれていることで一緒に学校生活を送れているというのも事実としてある。
「会長……」
ずっと兵藤佐助のことを凝視する十条聖寧を見る。
十条聖寧の兵藤佐助に対する愛は本物だ。
それはもう嫌というほどわかっている。
そして柏木麗華の彼女に対する想いもまた、種類は違えど大きさは変わらない。
故に麗華は決意する。
(あの男だ。あの男が会長のことを本気で愛する気持ちがあれば、応援しよう)
◇◇◇◇
放課後となり、本日は部活動の助っ人もないため、チャンスだと考え、麗華は聖寧に断りを入れて、生徒会室とは違う方向に向かう。
あるひとりの男の首根っこを掴んで。
閑散とした踊り場に出ると、彼を解放し、強く睨みつける。
「おい、なんなんだよ一体。話があるっていうから待ってたらいきなり掴んできやがって」
「貴様、会長のことをどう思っている?」
単刀直入に言われ、連れて来られた男――兵藤佐助はただでさえ状況が飲み込めないので「えーっと」と言って頬を掻く。
「ほう、即答できないとはな。その程度か」
「待て待て、早まるな」
相手からただならぬ気配を感じ、どうどうと両手で彼女を制する。
(なんだなんだいきなり十条のことをどう思うかって……)
佐助は十条聖寧が自分のことを嫌っていると思っている。同様にして目の前の柏木麗華も聖寧を絶対視していることから、彼女も自分のことは嫌いであると思っている。
つまり彼はふたりから嫌われていると思っているのだ。
(どう思っているってのはあれか、俺のことを嫌っている相手に対して俺はどう考えるのかってことを問われていると考えていいってことか)
……残念ながら違う。
だが考え出したら彼は止まらない。
(柏木はたぶん俺のことあまり知らない。十条が嫌いだから俺のことを嫌い、と考えているに違いない。ということは、ここでいい答えを出せば、少なくとも柏木から嫌われているという現状を打破できるんじゃねえのか?)
おそらく、柏木麗華は主人である十条聖寧に不信感を抱いているのだ。
どうして兵藤佐助のことを異常なまでに嫌っているのか、と。
だからこそこうして人目のつかぬところで問いただしているのだ。
などと兵藤佐助は頭をフル回転させ、言い放つ。
「俺は十条のことを仲間のひとりだと思っている!」
前述したとおり、彼は仲間思いである。
四高にいた頃から、仲間が他校にやられたら仲間のために他校に乗り込むくらいの。
それは姫ヶ丘の生徒になったからとて変わらない。
みんな仲良く、それが彼が望むことだ。
他の四高の生徒とは違って、最初から姫ヶ丘の生徒を受け入れているのもそのため。せっかく一緒に学校生活を送るのだ、下に見られているだとかそういうくだらないことで相手を受け入れないなど彼には考えられない。確かに身分や成績など違うのかもしれないが、同じ場所で過ごすのだ、それならばもう仲間ではないか、と。
たとえ相手から嫌われていようが、こちらは嫌うはずがないと彼は訴える。
「みんなと変わらない。俺は十条のことをみんなと同じくらいに思っている!」
兵藤佐助は言う。
「俺は十条に特別な感情なんて抱いていない。俺は十条のことも姫ヶ丘にいる生徒と同じくらい大切に思っているから!」
決まった、と佐助は思った。
これで麗華の自分に対する悪い印象を取り除けた、と。
しかし目の前にいる少女の表情は、硬直してしまっていた。
(ほ、本性表したぞこの男おおおおおおおおおおおおおお)
驚愕に目を剥く。
(まさか会長以外にも女がいるなんて……)
あの言葉から考えられることはひとつ、聖寧は彼の付き合っている女のひとりということだ。
だってそうだろう――彼氏たる兵藤佐助が彼女のことをどう思っているかと聞かれ、他の仲間、つまりは他に付き合っている女と同じく好きであると言ったのだ。
端的に言えば、何股もかけている女の内のひとりに過ぎないのだ。
彼にとって十条聖寧は、何人もいる女の内のひとりなだけ。
そして美しい生徒会長に対して、特別な感情はないのだと言い切る豪胆さ。
(げ、下衆野郎め……)
まさかこんなことを暴露されるとは思っていなかった。
敬愛する聖寧が選んだのだ、きっと素晴らしい人格者かなにかなのではないかと麗華は少しだけ期待していた。けれど全然違った。
思い返せば、彼が女子生徒に優しくしていたのは、自分の女にするためだったのだと考えれば辻褄が合う。そう思えば思うほど、彼のしてきたことのやばさが窺える。
まるで性に飢えた猛獣がごとく、ギラついた目で女子生徒を狙っていたかのよう。
「俺はこういう男だ、わかってくれたか?」
優しい声音も、麗華には仮面を被った性欲の塊にしか見えなかった。
「そして俺は、この学園の全員とそういう関係――いや、もっともっと深い関係を築きたいと思っている」
もはや隠す気はないらしく、堂々と性的なことを口にしだした相手に麗華は確信を得る。
「だからわかってくれ。俺は――」
「……ああ、わかった。充分にわかった」
「そうか、ならよかった」
安心したようにほっと息を吐く佐助を冷めた目で見つめる。
(これが俗に言うハーレムというわけか。なるほど、こいつは男子校でずっとそういうことから遠ざかっていたため、一気に性欲が溢れてきたということか。下品な……)
どういう手を使ったかはわからないが、聖寧も彼の餌食になったということ、と当たりをつける。
(だがこのことで怒鳴り散らし、会長に報告したところで、会長はすでにあいつの術中にはまっているし、擁護する人間の数もわからない。それを承知の上での宣言なのだろう。なかなか侮れんやつだ)
ここで麗華が得策だと考えたことは、この場を問題なく終えること。
「貴様のそういう欲というものは伝わった。まあ、精々頑張ることだ」
「おう。サンキューな。じゃあ、そういうことだから、柏木。これからもよろしくな」
そう言って、佐助は麗華の手を取り、握手を強制する。
「なっ――」
「さ、とっとと生徒会室に行こうぜ。十条も待っているだろうし」
さらっとごく自然に触れてきた彼は、麗華の動揺も気づかずに生徒会室へ向かう。
先に行ってしまった相手の後姿を見やりながら、彼女は思う。
(私にまで手を出そうということか。ふ、ふざけた真似を……。今に見ていろ、兵藤佐助。貴様の計画は私が崩し、なおかつ会長の目も覚まさせてやる)
闘志を燃やす少女は固く拳を作る。
「私に貴様の野望を聞かせてしまったことを後悔させてやる」
そうして。
自分に対する悪感情を取り除けたことに気分を良くする少年と、女子生徒全員を自分のモノにしようという最低な行為をする新事実が発覚したことにより、嫌い度がさらに増した少女の構図が成り立った。