十条聖寧は祝いたい
本日は兵藤佐助の妹、兵藤佐依里の誕生日である。
中学二年生である彼女は本日をもって14歳になるわけで、兄として佐助もなにか欲しいものはないのかと尋ねると、
「駅前のプリンが食べたい」
とご所望された。
すでに誕生日ケーキは両親が予約済みであるため、てっきり食べ物以外で来ると思っていたのだが、まさかの甘いもの二連チャンだった。なんでも相当有名なプリン専門店であるため、値段が張るのだそうで、佐依里はこんな贅沢は特別な日でしかできないと言って頼んできた。
食べ盛りというわけだろう、と佐助は考えそれを了承。
がしかし、そのプリンはなかなかの有名なものであり、早く行かなければ売り切れてしまうという人気商品であった。しかも値段はひとつ500円。プリンひとつでこれは高い……のだが、彼は仲間思いかつ、家族思いな少年だ。
妹のために早めに帰してもらえるように直談判しに行く佐助だったが――
「兵藤くん。今日がなんの日かわかっているわよね?」
「え……」
生徒会室の特等席に座る生徒会長十条聖寧は口を開こうとした佐助の口を閉ざさせた。
放課後。
いつものように着席していた彼女に向かって佐助が話をしようとした矢先である。
まるで予期していたかのように、彼に試練を与えてきた。
(な、なんの日……だと?)
戸惑う佐助。
心覚えはない。まさか妹の誕生日が解答のわけがないことくらい彼もわかっている。
だとすればなんなのだろうかと彼は無い頭で考える。
「もしかして忘れた、なんて言わないでしょうね?」
微笑する聖寧の姿は、佐助からは魔女の姿に見えてしまう。
これは忘れたらただでは済まないということを如実に表していることを彼は悟る。
「私たちのことよ。……それ以上は言わせないでよね」
ぷいっと視線を逸らす聖寧に佐助は彼女がなにを言わんとしているのか熟考。
(私たちのことってことは……俺たちに関係していることだから生徒会ってことだよな。え、俺なんかしたっけな……。いやちょっと待てよ。あれって確か今日までだったか!?)
思い当たる節がひとつだけあり、それとなく聞いてみることに。
「それっていうのは、俺と十条のふたりのあれ……だよな?」
こくり、と頷く聖寧を見て、佐助は確信する。
(この前のアンケートの集計のやつだあああ! やべえ、今日までだったか!)
先日聖寧と佐助のふたりで行った仕事、遠足のアンケート集計だ。
仕事をやっている最中にいろいろとあったため、結局その日に終わることができず、放置したままだった。なにも言われないし、まあいいかと放置したが最後、すっかり忘れていたというわけだ。
(やっと思い出したようね)
少々彼氏の無神経さに怒りそうになったものの、聖寧は安堵の息を吐いた。
(ふふ、そうよ。今日はふたりにとってとても大事な日)
それは。
(付き合って一か月記念日よ!)
ぐっと拳を握る。
そう、彼女が言っていたのは他でもない佐助と交際して節目の一か月記念日のことだ。
(こういう記念日は大切にしなくっちゃ!)
実は数日前からこの日を待ちわびていた。
交際するようになり、恋愛に目覚めた彼女はそういうものを大切にする少女であった。
でもこういうことを面と向かって言うことはできず、回りくどくなってしまった。
(まあ結果的にわかってもらえたからいいけれど、舞い上がっているのが私だけみたいじゃない……)
まったくそのとおり。
「……それで、兵藤くんはなにをしてくれるのかしら?」
「いきなりやってない前提!?」
佐助は聖寧の言葉に物申したくなるも、実際にできていないのだからと堪える。
(こういう締め切りを破った罰ってのはどういうことをやらされるんだ? というよりもなにをしてくれるのかってことは俺が罰を自分で考えるの? うわそれきっつ。自分の誠意を見せなきゃだから生半可なことをしたんじゃあ許されないかもしれない)
腹筋か、背筋か、はたまた一発ギャグか、それとも全裸逆立ちで校庭一周か。
いろいろと考える佐助に、聖寧は申し訳なさそうに頭を下げた。
「そうよね。兵藤くんにばかり押しつけて私がなにもしないなんておかしいわよね。私も一肌脱ぐわ!」
「いやどうして十条まで!? 俺だけで充分だろうが」
「だめよ、兵藤くんだけではなく私にも責任はあるもの」
「責任感強いな!? だが今回の件は俺が悪いんだから十条までやらなくていいって」
「え、でもそれじゃあ兵藤くんに悪いわよ」
「任せろ、こういうのは慣れてるから」
「な、慣れているの!? そ、そう。そうよね、兵藤くんも立派な男性だものね……。私が初めてってわけじゃなく、いろんな人と経験しているわよね」
「まあな、主に野郎とだけど」
「同性同士で!?」
「うえっ!? お、おう……」
前のめりになる聖寧に若干気圧されるような形で応える佐助。
(ま、まあ過去の恋愛遍歴なんて人それぞれよ。気にしていたら切りがないわ)
思わぬ形で彼氏の特殊な恋愛事情を知り、彼女は驚きを禁じ得ない。
(というかなに。生徒会ってそんな期限破ったらやばいのか……!?)
今まで意識してはなかったが、生徒会というのは生徒の代表であり、学園の中枢も担っているようなものである。生徒の模範とならなければいけない存在が期限を破るなどあってはならないというのも納得できる、と少々頭の残念な佐助は考える。もちろん期限を破ることはあまりよろしくないが、そこまで罰せられることでもない。
(十条が嫌っている俺を庇うくらいだろ。やべえ、どんな罰が来るんだよ……)
ちょっとした気の緩みが仇となり、死に近い恐怖が彼を襲う。
「じゃあ、さっそく行きましょうか」
「ちょっと待った」
意気揚々と立ち上がろうとした聖寧を制するように両手を突き出す。
(どうしたのかしら。今から一か月記念のデートに行くのに……)
もったいぶるような彼氏の行動に首を傾げる。
(待て待て。罰は受けるが、今日受けるわけにはいかねえ)
さっそく上に報告しに行こうとしたであろう聖寧を止める佐助。
「ど、どうしたの……?」
「今日はやめない?」
「ええ!?」
彼氏からの一言に思わず椅子から転げ落ちそうになる聖寧だった。
(なになに、どうしちゃったのよ、兵藤くん!)
直前で怖気づいたのかと疑う聖寧に佐助は言う。
「今日はちょっと今から大事な用事があってさ」
「はい……?」
「だからさ、これはまた明日辺りにでも回してもらえないかと」
腰を低くして揉み手で頼み込む相手に聖寧は頭がパンクしそうになる。
(どういうこと!? さっきまでの格好良さはどうしたっていうのよおおおお!)
支離滅裂な彼の言葉がわからない。
数秒前までの安心感のあるどっしりと構えた彼の姿はどこへやら。
(というよりも……)
彼女である十条聖寧は、彼氏のそんな変化などどうでもよかった。
「私たちのことよりも大事な用事ってどういうことかしら!?」
先ほどの発言には彼女にとって許しがたいものがあった。
(彼女よりも優先事項が高いものってなによ!)
である。
なんともまあ、可愛らしいことこの上ない。
初めてできた恋人である、このような彼氏一筋な脳となっても致し方ないであろう。
「どういうこともなにも……そのまんまだが?」
けれど、この可愛らしい彼女の心情など知らない少年は無自覚に心を抉る。
「いや、普通にいっぱいあるんじゃね?」
「な、ないわよ!」
さらっと言われ、受け入れそうになりかけた聖寧は早口で反論した。
「十条。お前はまだまだ若い。……今からこんなものに縛られていてどうする?」
仕事という名の呪縛に囚われ続ける少女に彼は言う。
「楽しいことはこの世の中いっぱいあるんだ。もっと他のこともやったらどうだ?」
視野を広げさせるために、社畜と化する彼女へ彼は言った。
聖寧は少し寂しそうに顔を伏せると小さな口を開く。
「……兵藤くんはこういうことするの、あんまり好きじゃなかった?」
「正直言うとな……」
「そう。無理強いしてごめんなさい」
「無理強いだなんて……。俺のほうこそこういうこと苦手で悪いな」
「ううん、いいのよ」
首を横に振って、気にするなと聖寧は言外に伝える。
「ほら、なにをしているのよ。大事な用事があるのでしょう。さっさと行きなさい」
「ああ」
「大丈夫よ。今日は特に仕事もないのだし」
「おう。じゃあまたな。仕事ないんなら十条も早く帰れよ」
せめてもの気遣いだけは怠らず、佐助は荷物を手早くまとめると素早く駅へと向かった。
ひとり残された生徒会室で窓の外を見やる。
するとそこには駆け足で自転車小屋へと向かう彼の姿があった。
「あ……」
校門から出ていく彼の姿を見送り、壁に寄りかかりながらぺたんと床にお尻をつけた。
寂しくないと言えば嘘になるだろう。
しかし彼には彼の事情があるし、得意不得意はある。
だからこうなることも想定内だし、怒りをぶつけるのもお門違い。
(デートじゃなくてもいい。でも、でもせめて……)
静謐な間にぽつりと落とされる。
「ふたりきりで過ごしたかった……」
少女の願いは、必死に自転車を漕ぐ少年の耳に届くはずがなかった。
◇◇◇◇
「危ねえ、もう少し遅かったら間に合わなかったな」
午後四時から販売開始となる『酪農とろーり濃厚チーズプリン』は毎度行列。
ものの数分で売り切れてしまうという人気商品だったが、運よく家族分買うことができた。
満足そうに箱の中身を見やり、妹の喜ぶ姿を想像し、ほっと胸を撫で下ろす。
(そういえば、十条のやつ……仕事ないって言ってたけど、昨日すっげえやってなかったか?)
記憶に新しい聖寧の姿を思い出す。
(あんなに忙しかったんなら、今日に回せばよかったのにな)
よくわからないことをするなあ、と佐助は不思議そうに首を傾げた。
「…………」
だがその時、佐助はなにも手伝うことをしなかった。
自分の仕事だけを終わらせればいいとばかりに、なにも。
(それなのに、俺はたったこれだけの仕事をできないで迷惑ばかり……)
気づけば、彼は駅から家とは反対方向に走っていた。
ここから全力で行けば、10分もかからずと戻ることができるだろう。
(頼む……まだいてくれよ)
◇◇◇◇
迎えの車が来た旨の連絡が入ったため、聖寧は生徒会室に鍵をかける。
いつものようにそれを職員室に返し、まだ明るい空を眺めながら、昇降口を出る。
校門前に見えるあの黒い自動車が彼女の家のものだ。
まだ時間帯が早いためか、部活動をする者たちの声が聞こえてくる。
それらを耳にしながら、一歩一歩と踏み出す。
「あっ! 十条!」
生徒会長である十条聖寧はあまり生徒たちから気軽に呼ばれることはない。
呼ばれるとすれば、そう……生徒会の仲間である――
「兵藤、くん……?」
彼のことを考えすぎて妄想が見えてしまったのではないかと目をこするも、目の前の人物は消えるどころかどんどん近づいてきて、その顔は鮮明に映し出される。
「よかった、あの車、十条のうちのやつだよな」
自転車を止め、箱を持ちながら話しかけてくる。
「ええ、そうだけれど。どうしたの?」
「ん、ああ。これを十条に渡そうと思ってな」
言って、佐助は箱から取り出したプリンを子袋に入れて聖寧に渡す。
「これは?」
「なんだよ、知らないのか? これは駅前にある超有名なプリンだ!」
胸を張って答える佐助に聖寧は「そうなの」と言う。
「おいおい反応薄いなあ。これ、すぐ売り切れる超人気商品なんだぜ?」
「この商品のことは知っているわ」
「は、なーんだ。知ってんのかよ。じゃあ食べたことも?」
「あるけれど」
「まじかー。うわー、そうなのかよお。ってそうだよな、十条だし」
頭を抱えだした佐助だったがすぐに気を取り直すように笑みを作る。
「もしかして飽きちゃうくらい食べてたり?」
「いえ、いつ食べても美味しいわよ」
「よかった! ならもらってくれ!」
「え、どうして? それに兵藤くんは用事があったんじゃあ……?」
「わかれよ。用事はそれ、それを買いにいってたの」
指を差す先は、聖寧が持つ『酪農とろーり濃厚チーズプリン』だ。
「これを買いに……」
「そ。じゃあ、もう用事も済んだし行くわ。十条のうちもちょうど迎えが来てるからあんま待たせるのもあれだし」
再び自転車にまたがった佐助は聖寧に背中を向ける。
だがこんな一方的に渡されて、はいさよならとは行かない。
「待って」
彼の足が止まる。
「兵藤くんは、私にこれを渡すために頑張ってくれたの?」
「まあ、その……なんだ」
兵藤佐助の脳裏に浮かぶのは一生懸命に学園のために働く少女の姿。
「十条にはいろいろさ、不甲斐ない俺のために迷惑かけちまっているから。今日のこともあるし、そういうの込々で。……これからもよろしくなってことだ」
言い終わるや否や、佐助は逃げるようにして自転車を思いっきり漕いだ。
本日二度目の見送りとなった聖寧だったが、先ほどとは打って変わって清々しい気持ちでいっぱいであった。
「なによ、兵藤くんってば……」
胸の高鳴りを抑えるが、全然鎮まってくれない。
「ずるいわよ、こんなの……こんなのもっと好きになっちゃうじゃない」
最初は忘れていると言って、次は思わせぶりな態度を取って、そのあとまた振るい落として。
そして最後にはすべてをなかったことにするかのように心を奪っていく。
まったく卑怯な彼氏である。
これじゃあまた惚れ直してしまう。
彼に十条聖寧はぞっこんだ。
「ふふ、なによ。大事な用事って……私のことじゃないの」
そうして、聖寧はしばらくの間、校舎前で目をハートにさせながら身をよじるのだった。
◇◇◇◇
「ああ、もう俺はプリンが食べられないし、仕事しなきゃだし。それになにより明日は罰が待ってるうううううう!」
こうして今日も平和に夜は更けていく。
言うまでもないが、翌日徹夜して仕上げたアンケート集計の期限はまだ先であることを聖寧から佐助は聞かされることになる。