十条聖寧は勉強がしたい(結)
それは兵藤佐助を愛してやまない十条聖寧が彼を見ていた時だった。
(兵藤くん、最近なにをやっているのかしら)
なにやら隣の有栖川莉々珠と一緒にこそこそとやっているのが後ろからわかる。
(昼休みにはどこかへ行ってしまうし、ここ最近は短い休憩時間にもふたりでなにかしているし。一体なんなの……?)
彼女の自分に内緒でなにかをやっている。
それだけで聖寧は気になって気になって仕方がなかった。
(ちょっとだけ、ちょっと見るだけだから)
だれに言い訳しているのか。
聖寧は、休憩時間になると友達に用がある体を装って佐助の近くへ行く。
談笑しながらも、耳はふたりのほうへと傾ける。
「わかんねえ。これどうすりゃ解けるんだ?」
「ああ、これはこっちの公式を使わなきゃいけないんだよ」
「なーる。え、でもそうすっとこれもそうなのか?」
「ううん、こっちはさっきのを使えばいいの」
ふーん、と聖寧は彼らがなにをしているのかを理解する。
(試験勉強のようね。けれどおかしいわ。確か、兵藤くんは一夜漬けなるものをするはずだったのに、普通に勉強しているじゃない)
以前に聞いていた話と違っていたことに若干の違和感を覚えつつも、そこは割り切る。
(でもどうして私を頼らないのかしら)
ずっと学年一位をキープする十条聖寧はだれもが認める秀才だ。
そのことは彼もわかっている。
だというのに、有栖川莉々珠という平凡な生徒に教わっている。
「ごっほん!」
わざとらしいことこの上ない咳払いをし、注意を引く。
会話の終えた友達のところから離れ、彼らの席の近くまで来ていた聖寧はさも話しかけてくださいと言わんばかりの態度で待っていた。
「げっ……」
いち早く気づいた佐助はしまったとばかりに顔をしかめる。
(げってなによ兵藤くん! 私に見られたくないみたいじゃない!)
佐助がこのような反応をしても致し方ない。
なぜなら。
(こんな問題に躓いているなんて知られたらまた馬鹿にされる!)
彼女から嫌われていると勘違いしている彼は極力努力している姿勢を見せたくなかった。
だがテストも迫っているということもあって時間が惜しかったため暇な時間を見つけては勉強していた。
今回は特に彼女の評価をひっくり返すためにやっているので、あまり突っ込まれたくないのだ。
「あ、十条さん。こ、こんにちは」
「ええ、こんにちは、有栖川莉々珠さん」
表情には笑みを貼りつけているが、少々の怒気が孕んでいた。
無理もない。
彼氏が彼女以外の女性と親しげにしているのだ、快く思えるほど広い心を持ってはいない。
まあそこまで狭い心を持っているということでもないのだが。
なぜなら彼女は彼氏たる兵藤佐助のことを信じているから!
「ふたりはなにをしているのかしら?」
わかりきっていることを聞く。
「試験勉強を……」
「そうよね」
じろじろとそのふたりの勉強道具を見ながら、小さく頷いている。
「ふーん、なるほどね」
聖寧ならば一瞬で解けるような問題もなにやら悩んでいるらしく、佐助の手は止まっていた。
「偉いわね。私もしようかしら」
そんなことを言いながら、ちらっちらと見ているのは佐助の顔色だ。
(聞いてきてもいいのよ。ほら、私にも……私にも教えさせて)
ウキウキとした様子で右往左往する聖寧。
(う、うぜええ。そんなに俺の惨めな姿を見たいってのかよ……)
その行動は佐助には邪魔でしかなかった。
嫌われていると勘違いしているのだから、悪いほうに考えてしまうのは普通だろう。
「十条さんがいてくれたら百人力です」
「おい、有栖川」
「え、な、なに? ……あ、そっか」
好きな相手に勉強を教わるなど、男としてプライドが許さないのだろう。
莉々珠は佐助がそう言いたいのだと察し、口にチャックする。
「な、なに、ふたりとも」
しかしふたりのアイコンタクトなどただのふたりの隠し事にしか見えない聖寧は、めっちゃやきもきしていた。
「私も暇なのだから、手伝うわよ」
「いやいいから。もうすぐ授業だし、十条も準備したらどうだ?」
時計を確認するともうすぐで予鈴が鳴る頃合いとなっていた。
「そうだけれど、まだ大丈夫なのだし」
「いいから行けって。俺、この問題に集中したいんだよ」
これ以上は取り合わないとばかりに佐助はテキストに目を向ける。
完全に邪魔者扱いされてしまった聖寧は悲痛に顔を歪めて、口を尖らせる。
「わ、わかったわ。邪魔してごめんなさい」
居たたまれなくなり、痛む心を抑えながら席へと戻っていく。
「い、いいの兵藤くん。あんな言い方して……」
「いいんだよ。そんなことよりも、これ次教えてくれ」
勉強を再開したふたりを遠くから羨ましそうに見つめる少女の姿は、ふたりには見えるはずもなかった。
◇◇◇◇
十条聖寧が勉強に身が入らないというのは稀だ。
ただそれもそのはず。
現在彼女は彼氏に冷たくあしらわれ、それどころかクラスの女子と仲良く勉強をしているのだ。
浮気の類の心配はなくとも、それに似た疑惑はさすがの彼女でも考えるわけで。
(うう、駄目駄目。こういうところが嫌われちゃうのよ……)
彼には彼のプライベートがある。
そこまで縛りつけるわけにはいかない。
けれどやっぱりなにもせずになどいられない。
「わわ、十条さん? い、今お帰りですか?」
「ええそうなの。けれどまだ迎えが来るまで時間が余っていてね。よかったらお話でもどう?」
「わたしなんかでよかったら喜んで」
「ありがとう」
有栖川莉々珠が掃除が終わるのを見計らって、教室で待ち伏せしていた聖寧は思いどおりふたりきりの空間を作ることに成功していた。
実際には柏木麗華に少し手伝ってもらい、人払いをしてもらったのだが。
莉々珠は自らの席に座り、自分はちゃっかり彼氏の席に座る。
(嫌な女ね、私って……)
自覚していてもやはり無理なものは無理だ。
「どう、試験勉強は順調?」
「はい。今回は今まで以上にできる気がします」
「そう。それはよかったわね」
「いえいえ。わたしなんかじゃあ十条さんの足元にも及びませんので」
「そんなことないわよ。私はあなたが努力しているのを知っているから」
「え、わたしのことを……?」
もちろん、と聖寧は頷く。
「クラスメイトよ。知っていて当然でしょ。一年生の頃からだいぶ成績も上がっているみたいじゃない。すごいことよ」
「あ、ありがとうございます。嬉しいです。知っていてもらえて」
末端の人間が雲の上の存在に認めてもらえていることはこの上なく喜ばしいことだ。
生徒ひとりひとりのことはわかっている。
さすがは完璧美少女生徒会長と言われるだけはある。
「ところで……有栖川さんには聞きたいことがあるのだけれど」
「はい、なんでしょうか」
卑しい自分に鞭を打ち、最低な女だと己を罵りながら言う。
「どうして兵藤くんは勉強をしているの!?」
「ど、どど、どうしたんですか十条さん!?」
「だって兵藤くんが勉強って……おかしいじゃない!」
「だからどうしたんですか十条さん!?」
言いたい言葉がうまく出てこず、莉々珠からは心配される始末。
けれど、混乱してしまった聖寧はそれ以上の言葉が口から発することができない。
(本当にどうしたんだろう、十条さん……)
これほどまでに取り乱した生徒会長を見たことがない莉々珠のほうはむしろ緊張が解けていた。
(確か兵藤くんが言うには十条さんからあまり良く思われていないってことだったから、勉強して頭が良くなったら困るってことなの、かな……。そうだとしたら結構嫌われているんだ、兵藤くんって)
なかなかに難儀な恋であると思う莉々珠であった。
(でもわたしも協力するって言ったし、兵藤くんの今日までの頑張りで本気度はわかっているから、なんとか兵藤くんの恋は実って欲しい)
分不相応という感じは否めないが、それでも莉々珠は頑張って欲しかった。
だって寝る間も惜しんで努力しているのを知っているから。
理由がどうであれ、あそこまで頑張れるのはそれだけ本気だってことだから。
「兵藤くんはすごい一生懸命やっているんです。もう少し温かい目で見守っていてくれませんか?」
「……けれど、一生懸命やっているなら…………、わ、私のところに来ても…………」
ぼそぼそと声を発するが、莉々珠はそれを拾うことができない。
「あの、十条さん!」
「は、はい!?」
「兵藤くんは結構いい人ですよ! 雰囲気はちょっと怖めですけど、話してみるとかなり穏やかでユーモアもあったり、紳士的で優しく、よく気が利く人で。こんなわたしにも親切にしてくれて……接してみて、最初の印象とはだいぶ違うなあって思ったんです」
「そう……」
なんとか好印象を残そうと頑張ってみるも、あまり心には響いていない様子の聖寧を見て、莉々珠は深い息を吸って言う。
「彼は他でもないあなたのために頑張っているんですよ!」
「…………え」
時が止まったかのように呆ける聖寧に、口が滑ったというように莉々珠は口元を隠す。
「あ、いや、その……これは言葉の綾といいますか。なんというか、その――そう、兵藤くんは生徒会副会長ですから! 副会長たるもの、勉強ができないって思われると生徒会の威信にかかわりますから。それで会長である十条さんにも迷惑がかかるっていう意味でして、決して深い意味はないと言いますか……ですね」
あたふたと言い訳をする莉々珠であったが、そんなこと聞こえるわけがない。
(わ、私のために、兵藤くんは勉強をしている)
そこにどういう意図があれど、十条聖寧には関係なかった。
自分のためにやっている――ただそれだけでよかった。
もうなにか求める必要などなくなった。
胸のつかえがとれたようにスッキリとした表情を作る。
「うふふ……、ふふ。有栖川さん。兵藤くんのことよろしくね」
「え、ああ、はい」
「それではごきげんよう」
「ご、ごきげんよう……」
颯爽と去っていく生徒会長を見送りながら、莉々珠は思う。
(や、やばい……。なんか地雷踏んだかもしれない。ごめんね、兵藤くん!)
不気味なまでに漏れる声を聞きながら、必死に彼へと謝るのだった。
◇◇◇◇
激動の中間試験期間を終えた姫ヶ丘学園。
休日を挟み、その結果の上位10人までが掲示板に張り出される。
二年生、三年生は統合の関係により、男子と女子とでそれぞれ上位者の名前が並ぶ。
「さすが十条さんですわ」「ほんとね」「ほぼ満点よ」
やはりともいうべきか、二年生のトップには十条聖寧の名前があった。
「さすが会長です」
「麗華も頑張ったじゃない。でも今回はちょっとあまり良くないみたいだけれど」
「も、申し訳ございません。少々心の乱れがありまして」
「そうなの? じゃあ次は頑張らないとね」
「はい!」
当然のように自らの名前が載っているのを確認すると、男子のところへ聖寧の視線は行く。
(載って、ないわね……)
あれだけ頑張っていたのに、と彼女は記載漏れではないかと疑う。
「まあいいわ。兵藤くんは他でもない私のために頑張ってくれていたのだから」
えへへ、とだれにも気づかれないように笑みを漏らす。
彼女はもうそのことで頭がいっぱいだった。
――――
で、その兵藤佐助と言えば――
(あ、赤点じゃねえか!)
返却された答案用紙を見て、がっくしと膝から崩れ落ちていた。
「つ、次のテストで巻き返そう。ね!」
「ああ、こんな結果出してすまねえな」
「いいよ、うん! わたしも十条さんに余計なこと――んんっ! な、なんでもない!」
ということで、彼、兵藤佐助の補習は決まった。