有島小十郎は見定めたい(転)
それは有島小十郎が尊敬してやまない兵藤佐助を追って、図書室を訪れた時のことだ。
(兄貴が女といる、だと……?)
だれにでも優しい佐助が女性から好意を抱かれるというのは自然の摂理だと小十郎は思っている。ただ彼としては姫ヶ丘に通うお嬢様のような存在は好かなく、兄貴分の佐助にもそういう人とは付き合って欲しくないと思っている。
(しかもあの女、オレが兄貴にノートを見せてあげようと思っていたのに、その役目を奪いやがった)
この日のために小十郎は授業を真面目に受けていた。
四ツ谷高校の時から、彼はそういう役目に徹していた。
なんでも兄貴の役に立とうと思い立って始めたもので、ずっと続けてきた。
しかし、そのいつもの役目があの少女の手によって失われていた。
(くっそお)
本棚に身体を隠し、こっそりとふたりの様子を観察する。
(本来ならあそこにはオレがいるっつーのに)
ままならない思いについつい本棚を叩いてしまい、周囲の生徒から奇異の目で見られ、「すいません」そのたびに謝ってぺこぺこと頭を下げての繰り返し。
(しかもめっちゃ仲良さそう……)
傍から見ていると、ふたりは友達以上の関係にも見えなくもない。
けれど、小十郎は知っている。
(認めたくはないけど、兄貴が好きなのは、十条だったはず)
直接には言われていないが、そう匂わせるような行動を取った佐助を見て、ショックを受けたのは今でも覚えている。ということは、だ。
(あの女がただ兄貴のことが好きなだけ、か……?)
佐助がモテると信じてやまない彼は、そうであっても不思議ではないと考える。
(あいつといい、デカ女といい……。オレの兄貴はオレのモノだっつの)
ここはビシッと言うしかないと小十郎は本棚の陰から出ていく。
「兄貴」
「え、おお、どうした小十郎」
いつになく真剣な小十郎の顔を見て、少々面を食らう佐助。
隣では莉々珠が困惑したようにふたりのことを交互に見ていた。
「今、勉強中だから用があるなら放課後にでも――」
「兄貴、騙されるんじゃないっすよ」
「は、騙す?」
ちらっと隣にいる莉々珠を見て、佐助にだけ聞こえるように声を潜める。
「勉強できる女ってろくなやつじゃないっすから」
たとえば、十条聖寧とか柏木麗華とかエトセトラエトセトラ。
というような含みのある言い方をした小十郎に佐助は眉間にできた皺を揉む。
「だから勉強ならオレが――」
「いいか小十郎」
「はい、なんすか!」
「そういう偏見を持つのはいけないぞ。有栖川はすげえいいやつだ」
「…………え」
「わかったら、もう邪魔するなよ」
ぽんぽんと彼の肩を叩き、佐助は待ってもらっていた莉々珠に謝りながら勉強を再開する。
放心状態で立ったままの小十郎は莉々珠からぺこりと頭を下げられ、敗北感をさらに味わう。
「う、うわああああん! オレの兄貴がああああああああああ!」
「おい、小十郎。ここは図書室だぞ」
そんなことは知ったこっちゃなかった。
そのまま小十郎は図書室から逃げ出した。
◇◇◇◇
(兄貴がすでにやつの手に落ちているのなら仕方ない)
有島小十郎は現在、眼鏡とヅラをつけて廊下の門でにっくき少女、有栖川莉々珠を待っていた。
なにをしようとしているのかは言うまでもない。
(あいつが兄貴に相応しい女かどうか見定めてやる!)
兵藤佐助が彼女を好きなのは明白。当初思っていたのとは逆で、佐助が彼女のことを好いているということになる。小十郎の見立てでは、佐助は現在ふたりの女子を好きになっているということになっている。小十郎としてはどちらも嫌なのだが。
(偏見を持つなって言われたし、ちょっとどんなやつか見てみるか)
指摘されたことは自分でも自覚があった。
姫ヶ丘に通う女子なんてろくなものがいないと思っていたのは事実だから。
だったら、どんなやつなのか知ろうということだ。
(ふん、どうせ十条や柏木と同じでくそ野郎なんだろうけどな)
すぐに正体を見破って告げ口をしてやると意気込んで大量の紙束を抱える。
作戦は簡単だ。このまま廊下の角を曲がってきた莉々珠とぶつかる。
で、そのあとの行動でどんな人柄なのかを見るというわけだ。
(よし、来た)
なにも知らない莉々珠が曲がってきた――と同時に歩み出し、衝突。
「うわああ」
結構大げさに転び、紙束がバラバラに散らばってしまう。
「な、なんてことだ! わたしの紙があああ」
大根演技さながらに棒読みで叫ぶ。
しかし莉々珠は全然演技とも見分けられず、
「ごめんなさい。大丈夫ですか? すぐに集めますね」
と言って小十郎の身体の心配をしてから紙束を回収し始めた。
一生懸命に拾う姿に、小十郎はただただ見ていることしかできなかった。
――――
(た、たまたまだ。あれくらい十条だってやる)
気を取り直して作戦二だ。
今回も至って簡単で、姫ヶ丘学園で飼っているウサギを彼女の目の前で小屋から逃がし、彼女がどう動くかということだ。
(ふん、だれも見ていないんだ。きっと放っておくだろう)
今回は小十郎は隠れて過ごす。
だれもいなければ、動く理由もないということだ。
(ほいよ! 逃げろ、ウサギよ!)
事前に作っておいた紐で小屋の扉を開いて、一匹のウサギを小屋から出す。
元気が有り余っているようで、解放された世界にすぐに飛び出していく。
「ああ、リンちゃん!」
ウサギの名前を呼び、莉々珠はなんの躊躇いもなく追いかけていく。
(ま、まあ。あれだ、きっとそのうち諦めて帰るだろう)
と高を括っていたのだが、貴重な放課後の数時間を使って彼女は捕まえてきたのだ。
「よかったよかった。もう逃げだしたりしちゃだめだからね」
小屋の中に入れてやると、微笑ましそうにウサギの頭を撫でている彼女をやはり小十郎は見ていることしかできなかった。
――――
その後もことごとく失敗に終わり、彼女がいい人であるということを見せられるだけだった。
「まだだ……絶対、嫌なやつに決まっている」
今度はどんな作戦で行こうかと練りながら廊下を歩く。
「有島くん」
と後方から名前を呼ばれ、振り返るとそこには天敵がいた。
反射的に飛び退き、身構える。
「な、なんだ……? 有栖川ってやろうじゃねえか。オレになんか用か」
とかなんとかいうが、内心ではビクビクしていた。
数々のトラップを仕掛けたのが小十郎だということが知れたのではないかとか、武道をきわめていてぶん殴られるのではないかとか考えだしたら寒気しかしなかった。
「い、今までのことならあれだぞ、オレじゃねえっていうか。偶然の産物というか」
「今までのことっていうのがよくわかんないけど」
見ると、莉々珠から緊張しているのが伝わってきた。
こうして面と向かって話すのは初めてだからなのだろうかと臨戦態勢であった小十郎は拍子抜けしてしまう。
「……あの、よかった一緒に勉強しない?」
「は……?」
「い、いきなりごめんね」
恥ずかしそうに指を絡めながら彼女は言う。
「有島くんって前の高校の時によく兵藤くんと勉強してたんだって? だからわたしがいたから有島くんが入れないというか、嫌な思いをしているんじゃないかと思って……」
「いやそんなことは……」
めちゃくちゃある。
だが言えるはずがなかった。
「図書室に来た時もそれを言いに来たんじゃないかって思って……。もし、有島くんがよかったら、一緒にしない? 別のクラスだけど、範囲は一緒なわけだし、兵藤くんも友達が増えたほうが心強いと思うから」
どうかな、と見つめる彼女の瞳は眩しくって。
けれど、小十郎は素直になんかなれるわけがなく。
「お、お前がそこまで言うんなら……兄貴のためだ。やってやらないでもない」
「そう! よかったあ。じゃあ昼休みにね!」
言って、くるっと回転した莉々珠は手を振って教室へ戻っていく。
その姿を見ながら有島小十郎はおもむろに呟く。
「めっちゃ、いい子じゃん」
かくして。
彼は兵藤佐助が恋する少女のふたりのうちのひとり――有栖川莉々珠のほうを応援しようと思うのだった。