十条聖寧は知りたい
「私は三泊四日でニュージーランドへ行っていたわ。世界遺産ミルフォードサウンドとニュージーランド最高峰のマウント・クック、美しいテカポ湖といった見どころのある南島を周遊するコースよ。中でも船の上から見たミルフォードサウンドなのだけれど、映画の中の世界のような大パノラマは圧倒されたわ。フィヨルドの山に雲がかかっていたあの幻想的な風景は忘れられないわね。……ああ、ごめんなさい私ばかり。それで兵藤くんはゴールデンウィーク、なにをしてお過ごしだったのかしら?」
淡々と横文字を並べる十条聖寧に、庶民代表たる兵藤佐助は口をあんぐりと開けていた。
生徒会室にて、ふたり過ごしていると、不意に先日のゴールデンウィーク中になにをしていたかの話となり、まず始めに聖寧が話す運びとなったのだが、佐助のおおよそ予想していた休日の過ごし方とはまったく違っていたため、言葉を失っていた。
それもそのはず。
彼女、十条聖寧は、日本の三大財閥がひとつ、十条財閥の令嬢である。
十条財閥は金融財閥と呼ばれるほどに金融部門に絶対的な優位性を持つ。金融資本においては、他の追随を許さず、常にトップをひた走り続けている。もともとは銀行業のみを行っていたのだが、鉄道や鉱山にまで視野を広げたことで海外にまで事業を展開し、そこでの成功が資金の基礎を築くに至った。それからも浮き沈みなく事業を展開し、現在では日本を代表する財閥のひとつとなっている。
ここまで長々と説明したが、平たく言えばお嬢様なのである。
お金持ちの娘、ということだ。
周りも多くが彼女のような家柄の子ばかりであり、つまりはまあ、これが彼女の常識のようなものであり。
(金持ち野郎が……)
決して本人は自慢しているわけではないのだが、人によっては自慢に聞こえるわけで。
一般的な中流家庭に育った佐助も例外ではなかった。
(私の話なんてどうでもいいわ。兵藤くんはなにをしていたのかしら。きっと私なんかよりもずっと有意義な休みを過ごしたに違いないわ。ふふ、楽しみ)
どんなことを聞くことができるのか今か今かと待つ少女の姿は、彼には一般家庭を見下すそれにしか見えなかった。
(ゴールデンウィークなんてなにもしてねえよ)
兵藤佐助は、ごくごく普通の生活をしていた。
旅行に行ったり、バーベキューやキャンプといった特別なことなど一切していない。
たかだか五連休。ちょっといつもよりも休日が長いな、くらいと捉えていた。
故に、やったことと言えば、寝て一日を過ごしていたとか、バイトをしていたとか、友達に誘われて遊んだとかで自慢できるようなことはない。
(馬鹿にされるううううう! ……けど、嘘ついたってバレるだろうし)
浅い知識で適当な国名を出して旅行したなどと言って追及されたら終わりである。
どうすべきか悩む佐助だったが、ちょっと見栄を張ることにした。
「お、俺はあれだよ……い、家作ってたから」
家。
ここで彼が言ったのはもちろん本物のことではない。
模型のことである。
なにを隠そう、彼は趣味で模型を作っている。主に作るのは建物や街並み、情景といったものでそれらを組み合わせてひとつの街を作って眺めることを好む。まあさしてそこまで凝っているつもりはなく、もとからほとんど完成されたものをほんの少し組み立てるだけの作業だ。
しかしこのことを、家を作っていたと表現するには無理がある。
「…………」
生徒会室は圧倒的な沈黙が流れていた。
(馬鹿だああああ! 俺ってすげえ馬鹿! なにが家を作っているだよ、嘘すぎんだろ)
対抗意識が強すぎて、おかしな方向にいってしまったらしい。
内省するも時過ぎでに遅し。
佐助はさも罵倒が来ると覚悟していたのだったが――
「おうちを作ってらしたの!? さすがね!」
目を爛々とさせながら褒め称える聖寧。
思ってもみなかった反応に、呆然とする佐助に彼女は言う。
「どんなおうちを建ててらしたのかしら」
純真無垢に掘り下げてくる相手に佐助は呆けた表情となる。
(まさかとは思うが……信じたのか!?)
一か月という短い付き合いではあるが、佐助も聖寧がお嬢様であり、あまり自分たちの常識がわからない節があるのは薄々気づいていた。だからこうやって信じてしまうのもあるっちゃあるのかもしれないと彼は思った。
(おうちを作って休日を過ごすなんて素敵ね。さすがは私の彼氏。他の人とは比べものにならないわ!)
本当にあった。
十条聖寧……姫ヶ丘学園生徒会長は信じていた。
あり得ないことだというのに、彼氏の言葉を信じてしまう彼女であった。
(くそ、仕方ない。ここで引くわけにもいかないし、乗り切ってみせる!)
やけくそ状態の佐助は作った模型の話をする。
「どういうってのはあれだな……普通の家もあれば、ビルとか商店街なんかも作ったな」
「まあ、多種多様なものを作ったのね! 建物を作るということが私にはあまり想像つかないのだけれど、大変なのでしょう?」
「どうだろうな……せ、説明書もあるし、完成図もあるから俺は大丈夫だったけど」
「へえ、そういうものなのね。けれど、肉体的にきついものがあったでしょう? 足場や土台作り、クレーンなどの大きなものを操縦したり、内装や外装、上下水やガス、塗装までたくさんの作業があるのだし」
「力だけは自信あるからな!」
「やだ、たくましい! それでどれくらいの期間やってらしたのかしら」
「今回のはあれだな……一日とかからなかったかなー」
「凄腕棟梁なのね!」
もう投了したいよー、と両手で顔を覆う佐助。
現在彼を襲うのは罪悪感だった。
決して嘘はついていないのだが、本当に建設をしていると思っている場合、それは嘘に変わりはない。なかなか胸が痛いものであった。
なんとか受け答えする佐助だったが、額に冷や汗をだくだくとかいていた。
「すごいのね。それで……完成したものはどこに建てられているのかしら?」
「…………」
詰んだ佐助は聖寧から顔を逸らす。
(いや、待てよ)
あれ、とそこで我に返る。
(さすがに常識知らずとはいえ、俺が家を建てられるわけがないことくらいわかるよな?)
ということは、だ。
(あいつ、わかってて聞いてきやがったのかあああああああああ!)
前言撤回。
罪悪感云々はもう吹き飛んだ。
彼女の性格のひん曲がり方に怒りすら覚えてしまう。
意地悪というかもはやいじめの類である。
(今思い返すとちょっと面白そうにしてたもんな。きっと俺が模型のことを言っていることもお見通しってことなんだろうな)
こちらの必死の返しを楽しんでいたということだろうと佐助は聖寧に遊ばれていることを自覚する。
だが本当に興味津々で聞いていた彼女は、想像を膨らませていた。
(兵藤くんの作った建物……すごく見てみたいわ。さぞ素晴らしい出来栄えになっていることでしょうね。ああ、彼氏がこんなにも有能な存在だなんて誇らしい!)
知らぬうちに彼氏たる兵藤佐助の株は上昇していた。
「ねえ、私、兵藤くんの作った家を見てみたいの。どこにあるか教えてくれるかしら」
「ねえ、私、兵藤くんの作ったちんけなおうちもどきを見てみたいのだけれど(佐助意訳)」
に、聞こえるわけで。
(あ、悪魔だこの女ああああああああああああああああ!)
もはや佐助にとっては恐怖の存在に映る十条聖寧という少女。
「だ、だれが見せるかあああああああああああああああああああああ」
佐助は散々振り回された怒りを込めて叫んだ。
しかし、それすらもプラスに捉える少女もそこにはいるわけで。
「もうっ! 照れちゃって!」
彼女には見せられないと彼氏の照れ隠しの絶叫に頬を赤く染めるのだった。
(将来の私たちのおうちを作るために勉強しているってわけね)
将来ふたりが住む家を彼がサプライズでプレゼントしてくれる。
きっとその日までは決してその努力を見せないのだろう。
十条聖寧は彼の意図を汲んで今後このことに触れるのはやめようと思うのだった。