柏木麗華は阻止したい(承)
それは柏木麗華が昼休みに図書室に訪れた時のことだった。
(あれは兵藤とうちのクラスの……有栖川、か)
あまり見かけない組み合わせだ。
というよりも有栖川莉々珠が友達とあそこまで親しげに話し込む姿など見かけたことがなかった。しかも相手が男子生徒と来た、ただごとではないと麗華の中で警鐘が鳴った。
遠くでしばらくの間彼らを観察していると、わかったのが勉強をしているということだった。
中間テストが迫っているのでそのような生徒がいるのは別段不思議ではない。現にちらほらとそういう生徒たちがいるのも見受けられる。
とはいえ。
相手は兵藤佐助。
普段から授業など真面目に受けていないという、およそ真逆のカップリング。
(怪しい……。ふたりはクラスでも話すような仲ではない。席替えで隣になっただけなはず)
いつから勉強を一緒にするような関係に――
(もしや)
ここで柏木麗華は兵藤佐助の掲げる野望を思い出す。
姫ヶ丘学園の全女子生徒を自分のモノにするということだ。
(なるほど、次のターゲットは大人しい有栖川、ということか)
勉強ができないという口実で彼女に近づいたというわけ。
見ていれば、ふたりからは笑みがこぼれることもしばしばある。
真剣に勉強をしているかと言われれば、すぐに頷くことなどできない。
(させんぞ、兵藤佐助……)
やはり麗華に込み上げてくるのは怒りの感情ただひとつ。
十条聖寧という自分の付き従う少女を射止めただけでは満足せずに多くの生徒を落とそうとする性欲の権化たる少年の思いどおりにさせてたまるか。
標的となった純真無垢な姫ヶ丘の生徒を守る。
彼女は強い意志を固めるとともに、図書室を出るのだった。
◇◇◇◇
天文部に所属する有栖川莉々珠は、直近発売された天文雑誌に部活動で使えるような記事がないかどうか探すために放課後、図書室を訪れた。
(いつも兵藤くんとテスト勉強しに来るせいか、テスト勉強以外で来るのって不思議な感じ)
雑誌が置かれているフロアへ行くと、目当てのものをすぐに見つけて近くの席へ座る。
ぱらぱらと見てみるも、どうもめぼしいものはないようだった。
(どうしよっかなあ、なかったらいいって先輩からも言われているし)
テストも近いからこれで今日の活動は終了する。
天文部の面々もそれぞれ太陽の観察などを行っており、それが終われば帰宅することになっている。莉々珠も他のメンバーがいるところに加わろうかと考えた時だった。
「有栖川、ちょっといいか?」
小声でささやかれ、振り返るとそこには生徒会副会長の柏木麗華が立っていた。
彼女らにはほとんど交流はない。
麗華は基本的に生徒会長である十条聖寧くらいとしか会話をしない。聖寧のほうはクラスメイトなどとも頻繁に会話をしてくれるため、莉々珠も話したことがあるのだが、麗華とはなかった。
運動部の助っ人として活躍する麗華は、そちら側の生徒とは多少の会話はするものの、他の生徒とはほとんど接する機会がなく、だれとも話さない。
「え、あ、ああ、ひゃい、そうれすけど」
そのため、こうして直接声をかけられ、動転してしまうのも無理はなかろう。
もともと美形な彼女は男性のような話し方をすることからも、どこか美少年というように思えて仕方ない。つまりイケメンに話しかけられた、と思ってしまうのだ。
兵藤佐助の時とはまた違った意味で、緊張していた。
「少し、有栖川に話したいことがあるのだが……隣いいか?」
「ど、どど、どうじょ」
立ち上がって、椅子を引いて差し上げる。
「ありがとう」と麗華はお礼を言い、彼女が座るのを見てから莉々珠もゆっくり座る。
ドキドキと胸の鼓動が止まない莉々珠はなにを言われるのかと緊張の面持ちで待つ。
「そんなに硬くならなくていい。同じクラスメイトだろう」
「まあ、そうですけど」
「会長にならまだしも、私に対してなど敬語を使わなくていい」
「ぜ、善処します……」
言っても全然そんなことは恐れ多いと恐縮する莉々珠であった。
こういう対応には慣れている麗華は特にそれ以上要求することなく用件を告げる。
「それで話というのは他でもない。……有栖川が兵藤と勉強をしていることについてだ」
「……ん、兵藤くんと勉強をしていることですか?」
「ああ。あれは中間試験の対策でやっているのか?」
「は、はい」
どんな話をされると思いきや、兵藤佐助の名前が出たことに小首を傾げる。
ここまでは確認事項なので麗華は自分の予想が大体合っていることで佐助がやろうとしていることも十中八九、自分の思っているとおりだろうと確信を抱く。
「有栖川」
「はい」
すっと見つめられた莉々珠は自然と背筋がまっすぐとなる。
「悪いことは言わない。もうやめるんだ」
「………………はい?」
ぽかんとする莉々珠に麗華は苦々しい表情を作る。
「どんなふうに言われて、勉強を教えるような関係になったかはわからないが、やめておくんだ」
「えーっと……」
「なにを言っているのかわからないだろうけど、これは有栖川のためを思って言っている。信じてくれ」
「まあ、柏木さんが言うんですからわたしのためだっていうことは信じますけど」
忠告は受けるも、莉々珠は承諾しかねるといった様子で言葉を濁す。
「一度引き受けたので、断るというのはちょっと……」
「大丈夫、あの男はそんなこと気にしない。それよりも有栖川のほうが心配で」
「いえ、ですが……、理由もなしにそんなことは」
「自分の勉強をしなきゃだとか言えばなんとかなる。お願いだ、彼からすぐに離れるんだ」
切迫した様子で言う麗華に揺れつつも、やはり踏みとどまらなければいけないという自身の良心が出てくる。
「やっぱり無理です! ごめんなさい!」
手を合わせて申し訳ない気持ちに苛まれながらも麗華からの要求を突っぱねる。
有栖川莉々珠は存外、言う時は言える少女であるようだ。
制服のためとはいえ、勉強にも耐えうる強い子であるので不思議なことではない。
だが、それではいわかりましたと引き下がるわけにもいかないわけで。
(心苦しいが言うしかあるまい)
兵藤佐助の虜になりつつある相手に向かって、麗華は言う。
「兵藤佐助は、邪な気持ちできみに近づいたんだぞ」
「はい、知っています」
「そうだろう、知っているだろう――え、知っている?」
オウム返しをしてしまう麗華。
「知っていますよ。……十条さんのこととか、一応彼から聞きましたから」
「そう、だったのか。ならどうしてあいつに勉強などを――」
「いえ、確かに最初聞いた時は驚きましたけど。実を言うと、わたしもそういうところがありまして」
「そういうこと?」
「はい。兵藤くんと似たようなところがありまして」
「あいつと似たような……」
言っていて、麗華はとんでもない表情となる。
(ええええええ! この子って……そういうことだったのおおおおお!?)
おそらく麗華に浮かんだのは『ビッチ』というものだろう。
尻軽女、アバズレ女、など性的にだらしなく、無節操といったような意味合いを持つ。
大人しい振りをして、そんな裏の顔があったなどと知れば、だれもが驚くだろう。
ただ、一応言っておくが、これは麗華が兵藤佐助に対して女性好きであると認識しているから勝手に変換されただけであって、全然彼女はビッチじゃない。なんなら処女だ。
「それで応援したくなっちゃったんです」
「おう、えん……」
「はい。兵藤くんには頑張ってもらいたいんですよね。同士として」
「どう、し……」
もはや漢字の変換すらもできなくなっている柏木麗華。
「兵藤くんの本気を目の当たりにして、わたし思ったんです。兵藤くんならいけるって」
「…………」
「柏木さんもきっと……惚れちゃうかもしれませんよ?」
「――っ!?」
柏木麗華はもう手遅れであると悟った。
これまでに男を自分のモノにしてきた少女をも、ここまで言わせるのだ――兵藤佐助のテクは尋常ではないのだ。自分がいつ彼の手に落ちるのかも時間の問題かもしれない。
「あれ、柏木さん、どうかしました?」
「いや、なんでも、ない……邪魔をしたな」
もうすっかりと緊張した様子を見せない莉々珠に麗華は上の空で答える。
そのままとぼとぼと歩き、時折壁や本棚に身体をぶつけながら図書室をあとにする。
「私は負けない。私は兵藤なんぞに屈しないぞ……」
彼女の頭の中には兵藤佐助という恐ろしい少年の顔がこびりついてしまい、中間試験どころではなくなったのは言うまでもない。