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十条聖寧は共感したい

 コポコポとコーヒーが注がれる。

 生徒会室には生徒会長の十条聖寧がコーヒーを好むため、コーヒーマシンが彼女持参で置かれている。主に彼女と柏木麗華が使用している。


「コーヒー好きなんて、会長って大人ですねー」


 コーヒーの匂いが鼻孔をくすぐり、平等院籠愛が感心したように言った。


「そう?」

「はい。わたし、まだコーヒー飲めないんですよ」


 ぽんぽん、と籠愛が自分の隣に座るように促すので聖寧は「はいはい」と言ってソファへと腰を落とす。

 いつもはそれぞれの席があるのだが、特に仕事のない時やみんなで談笑する時、来客時などは設えられた長机とソファを使用する。対面には佐助がおり、現在はこの三人。


「いい匂いなんですけどねー」

「ああ。職員室とかそういう匂いするよな」


 そこは同意だとばかりに佐助が続く。


「あ、わかりますそれ。でも」

「ああ。匂いはいいんだが」


 ふたりは言う。


「苦いんですよねー」「苦いからなあ」


 しみじみと、彼らは言った。

 わからないでもない。


 人の味覚というのは5つに分類される。その中で甘味・塩味・うま味は子供の頃に最初に口にする母乳やミルクといったものが一因となって、本能的に好むようになる。それに対して、酸味・苦味というのは本能的に毒や腐敗という判断がなされてしまうため、経験によって少しずつ好まれていく味なのだ。


 つまり、ふたりの舌はまだ苦味に対して慣れておらず、本能的にそれを拒否してしまっているため、苦手なのである。


「ですよね! 苦すぎてうえってなっちゃいます」

「ほんとそれな。なんで大人ってあんなのばっか飲んでるんだろうな」


 意気投合したふたりはあれやこれやと話し出す。

 彼らとはちょっと距離が置かれた聖寧はコーヒーを飲む手が止まる。


(コーヒーくらい普通じゃない? 麗華だって飲んでいるし)


 十条聖寧は昔からよくコーヒーを嗜む。幼少期から両親が重役たちをおもてなしする際に出されていたため、自然と彼女も口にしていたのだ。


「でも会長は飲めるんですもんねー。尊敬します」

「あ、ありがとう」


 しかし、褒められても彼女は心から喜べなかった。


(なんか……私だけ子供じゃないみたい)


 疎外感。

 自分だけが共感できないため、どこかそのように感じてしまう。


「まあコーヒーくらい、もう少ししたら飲めるようになるわよ」

「そうだといいんですけどねー」


 羨ましそうな視線を流しながら、コーヒーを置く。


「あーそうだ。今日、会長たちと食べたいと思って買ってきたものがあるんですよー」

「食べたい?」

「はい。これです」


 聖寧の疑問に応えつつ、籠愛が取り出したのは『ココナッツビスケット』。

 袋の中に何個も入っているそれは、とても甘くて美味しそう。

 放課後ともなれば、昼食からも時間が経ち、小腹がすく時間。


「平等院はいいお菓子持ってくるよな!」

「褒めてください、褒めてください」

「偉い偉い。じゃあ、一個もらうぜ」

「雑すぎじゃないですか!?」


 と言いながらも籠愛は佐助のために袋を開けて、「どうぞ」とお菓子を与えていた。


「うん、美味い。やっぱり甘いお菓子は最高だな」

「しょっぱいのもいいですし、辛いのもいいですよねー」

「それな。でも今の気分的に、甘いのだったからちょうどいいわ。サンキューな」

「いえいえー。わたしも食べたかったんで」


 もりもりと食べていた籠愛が、隣に座る聖寧にも袋を差し出す。


「はい。会長もどーぞ。コーヒーには甘いものって言いますよね」

「ええ。ありが――」


 口の開いた袋に手を入れようとした時であった。

 ふと気になったことがあり、「ちょっとごめんなさい」と断りを入れて袋の裏を見る。

 否、そこに記されている栄養成分表だ。一袋、100グラムあたりの数字が記載されている。


(ちょ、これエネルギー、タンパク質、脂質……いろんなのが高すぎじゃない!?)


 先日の一件もあって、聖寧は食べるのを控えていた。


(炭水化物に至っては70グラムって……これ相当よ)


 ご飯一杯が37グラムほどなので約ご飯二杯分だ。

 体重を減らす努力をしているというのに、これは高すぎる。


「どうしたんですか、怖い顔して」

「いえ、なんでもないわ。でもごめんなさい。私あまりお腹がすいていなくって」


「ええ!? わたし会長と食べたくって買ってきたのにー」

「うう……ごめんなさい。また今度ね」


「どうしてもですかぁ?」

「……そう言われても」


「一個だけでもどうですか? こんなちっちゃいんですよ」


 しつこくせがまれると、どうも断れない。

 悪気は全然ないし、本心からそう言っていることもわかるから。

 後輩にこんな顔をされては、と聖寧は決然とした面持ちで手を伸ばす。


「おいおい、あんまり無理強いされるなよ。腹減ってねえって言ってんだから」


 優しい彼氏の気遣いが彼女の手を止めた。


「兵藤くん……」


 彼女が嫌がっていることなどお見通しなのね、と瞳をうるうるとさせる聖寧。


「女子とかって胃が小さいって言うし、あまり無理させるのもあれだろ」

「なんですか、それじゃあわたしが女子じゃないみたいじゃないですか!」

「え?」

「えってなんですか! ひどい! 兵藤先輩なんかぶくぶく太れ!」


 お菓子を鷲掴みすると佐助の口めがけて大量に放り入れる。

 もがもがと苦しそうに「ず、ずいまぜん……」などと許しを請うていた。


「まあ確かにわたしは昔から両親、親戚から『よく食べるわねー。男の子みたい』って言われましたけど」


 自分でもわかっていたことなので、籠愛はそこまで彼を責められず、ぱくぱくと再び食べ始める。


「はは、俺も昔からよく食べたから、親から注意されたわ」


 懐かしそうに言って、佐助も口に入ったお菓子を美味しそうに咀嚼する。


「ごめんなさい、会長。これは責任もってわたしと兵藤先輩で食べちゃいますので」

「え、う、うん……でも、私も――」


 少しくらいなら、と言おうとするもなんだかまたしてもふたりの仲睦まじく間食するのを見て、それを声に出すことができなかった。


「…………」


 なーんか、またひとりぼっち感が否めない聖寧。

 一緒の空間にいるのに、ひとりだけ取り残されているような。


「そういえばもうすぐ中間テストですけど、会長は勉強しています?」

「一応。毎日の予習、復習に加えて少しずつやり始めているって感じね。もう少ししたら本格的に取り組もうと思うけれど」


「さすがですねー。わたしなんてまったくですよ」

「そろそろ始めたほうがいいわよ。特に平等院さんは高校に入って初めての中間テストなのだから」


「ですよねー。でもやる気が出なくって……。兵藤先輩はどうです?」


 他人事のように聞いていた佐助は水を向けられ、「俺?」と自らを指差す。


「やってねえよ」


 きっぱりとそう答えた。

 あまりにもその姿が堂に入っているので、籠愛は思わず「おお」と感嘆の声が漏れた。


「やはり兵藤先輩はわたしの見込み通りの男ですね」

「あんまいい意味に聞こえないなあ、それ」

「なにを言っているんですか、同士!」

「同士って……」


 仲間を見つけたとばかりに迫る相手に佐助は若干引き気味。


「だって兵藤先輩、予習も復習もしたことないですよね?」

「まあ」


「前に週末課題をしてなくて、生徒会室でやっている時ありましたよね?」

「……まあ」


「テストとか一夜漬けですよね?」

「…………まあ」


「不真面目同士仲良くしましょーね」

「ぐっ……」


 まるっきりそのとおりだった。

 兵藤佐助、不真面目だった。


「認めなさい、兵藤佐助。あなたはわたしとお仲間だと」

「はい、俺も平等院と同じでした」

「おーおー、やっとこちら側に来ましたね。ささ、お菓子を恵んであげますよー」

「ありがとうございます」


 ぱくりとビスケットを口にする。


「ねえ、ふたりともちょっといい?」

「はい?」「なんだ?」


 ここまで傍観に徹していた聖寧だったが、さすがに聞かずにはいられなかった。


「テスト一夜漬けって……そんなことでいい点数取れるの?」

「やっても取れませんし」「やっても取れないし」


 シンクロした。

 双子かよってくらいに。


「わかってますねー、兵藤先輩は」

「まあな。どうせ明日になれば忘れるんだからやっても意味ないんだよな」

「あはは、確かに。わたしも昨日のことなんか記憶にないですから」

「あはは、それはねえけど」


 またまたーとか言って籠愛は佐助の肩をばしばしと叩く。


「…………」


 理解が及ばぬそのふたりのやり取りをただ見守るしかできない聖寧。

 忘れないためにやるのでしょう、など言っても無駄なことくらい彼女にもわかっている。


「兵藤先輩は会長を見習ったほうがいいですよ」

「平等院もな」


 褒められているのに、全然嬉しくない。

 なんかちょっと自分だけ違うみたいで!

 というか間違っているという感も否めない!


 十条聖寧、しばし放心状態に陥る。


「いやー、わたしたちって相性バッチリですね」


 平等院籠愛は言う。


「どうです、わたしたち付き合います?」


 瞬間、聖寧の顔は青ざめる。


 相性バッチリ。

 これまでの会話でもわかったように彼、彼女は気が合う。

 自分にはない波長を彼らは持ち、それを共有しているかのように。

 付き合っている自分たち以上に。


(…………平等院さんと兵藤くん)


 不覚にもお似合いかもしれないと思ってしまった。

 思えば思うほど、彼らのカップリングは最高に見え――聖寧はより一層孤独に身を縮める。


「いや、ないない」


 しかし彼はあっさりと、悩んだ素振りすら見せずに言った。


「ええー、なんでですかー。付き合いましょうよー」

「ないったらない。あり得ないっつの」

「理由になってませんよー」


 制服を引っ張って、訴える籠愛を引っぺがす佐助。


「はいはい。いいからひっつくな。ちょっと喉乾いたから飲み物買ってくるけど、なんかいるか?」

「はい! 甘いやつをお願いします!」

「だと思った。十条は……っていらねえか。コーヒー飲んでるし」


 自分にも聞かれるとは思っていなかった聖寧は、


「え、あ、うん……」


 と尻すぼみに声を縮めて答えた。


 そのことには特に気にすることなく、彼は「んじゃ、ちょい行ってくる」と言って出ていく。


「なんだかすっごくあっさり振られちゃいました」

「そう、だったわね」

「ちょっとくらい悩むかなーって思ったんですけど、そんなこともなく……。なーんか怪しいです」

「怪しい?」

「たとえば好きな人がいるとか……、こっそり付き合っている人がいるとか」


 的を射たその推察に聖寧はぎくりと肩が跳ねた。


「まあいいやー」


 ごろん、と籠愛は先輩であり生徒会長でもある聖寧の膝に頭を乗っけた。


「会長ぉ、振られたわたしを慰めてくださーい」

「もう仕方ないわね」


 とんだ甘えん坊な後輩だが、聖寧は嫌な顔ひとつせずに受け入れてあげる。

 指で髪の毛を梳き、よしよしと撫でる。


(兵藤くん、私のことそんなに好きだったのね……)


 後輩からの誘惑にも微動だにせず、断る彼氏。

 彼女には、彼が自分のことを一番だと言っているようにしか見えなかった。


「会長、優しい。わたしには会長がいるから幸せです」


 幸せそうな笑みを刻んだ籠愛は先ほど振られたことなど微塵も覚えていないかのよう。

 事実、本気でなかったのだから仕様がない。

 顔を蕩けさせる少女ふたりの姿は異様にも思えるほど、幸福そうだった。


◇◇◇◇


 自動販売機から出てきた『いちごオレ』を手にしてため息をつく少年。

 告白から逃げるようにして出てきたというのも存外嘘ではない。


(あれでよかったよな……)


 彼も冗談の範疇だということはわかっているが、それでも冷たすぎたかなと思ってしまっていた。


(でも、断るしかないよな)


 恋愛に関して疎い。

 あまりそういったものには無縁で育ったためか、特定の女性を好きになったこともないのだ。

 けれどどちらにせよ、彼は断るしかなかった。


(だって、俺と平等院が付き合いでもしてみろ。十条から余計嫌われるだろうが)


 それだった。

 可愛い後輩とこんな男が付き合いでもしたら、聖寧は気が気でないだろう。

 あの時の顔だってそうだ。


(あんな絶望した顔初めて見たかもしれない……)


 佐助は気づいていた。

 彼女が今日、ひとりだけ置いてけぼりを食らっていたことを。

 後輩が取られてしまうんじゃないか――彼には彼女がそう思っていると感じていた。


(今度からは十条もついていける話題を出さなきゃな)


 彼は人の機微に敏感だ。

 けれどそれはどうしたって、違うほう違うほうへと考えてしまう。


「はあ……十条にもなんか買っていくか」


 せめてものお詫びとして、コーヒーを買う佐助なのだった。



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