平等院籠愛は自由に生きたい
平等院籠愛の朝は遅い。
姫ヶ丘学園の登校時間は8時10分まで。彼女の自宅から姫ヶ丘までは歩いて20分ほどかかるので最低でも7時50分には家を出なければならないのだが、彼女の起床時間は7時40分が常。これはどうやっても変わらない。
立派な家柄の彼女であるが、朝にはめっぽう弱い。
起きたらすぐに歯磨き、洗顔、スキンケアなどなどを速攻で行う。
制服を着ながら朝食の食パンを口に挟み、髪の毛もぱぱっと整える。
鏡を見る暇もなく、外に出るともうすでに20分を切るというのは日常茶飯事。
結果、徒歩通学ではなく競歩通学、ランニング通学となってしまう。
ちなみに大抵朝食も食べながら通学している。
門が閉まるギリギリで到着すると、教室にもすぐに入らなければ朝のHRが始まってしまうため、ここでも気は抜けない。
ちなみによくここで自転車通学の兵藤佐助と遭遇する。
二年生は三階に教室があるのに対して一年生は四階であるため、彼のほうが少しばかり余裕がある。そこがちょっと不満であった。
「兵藤先輩おぶってってください!」
「嫌だ!」
昇降口で靴を履き替えながら断られるのがワンセット。
「大丈夫ですよ。わたしをおぶっても《朝食抜き》のスキルが発動して体重が5グラムほどに激減しているので」
「そういうことを言うのなら、その口元についているパンくずをなくしてからな」
「こ、これはあれです……。今時のファッションです!」
「食材を使った!?」
「女子高生で流行っているのは、生きたファッションですから!」
「とか言いながら口元のやつふき取ってんじゃねえか!」
と激しく口論している間に二階へたどり着き、佐助は「じゃあな」と別れを告げる。
「待ってください。もうわたしは疲れたんです」
「だから?」
「おぶってください!」
「おぶるかあ! 俺だって疲れてんだよ! 悪いけど、先に行くぞ」
無慈悲にも言い捨て、彼は今度こそ教室へと足を向けるが。
「会長だったらこういう時、絶対おぶってくれますよー」
「十条だっておぶらねえよ!」
というかおぶれないだろうと、佐助は辟易しながら教室へと入った。
その後ろ姿を見ながら、「薄情者おおおお!」と籠愛は叫びながら階段を駆け上がった。
――――
移動教室で三階を訪れていた籠愛が友達と談笑しながら歩いていると、女子トイレから生徒会長の十条聖寧がちょうど出てきた。
昨日振りのはずであるのに、何年も会えなかったかのような感動を感じた籠愛はタックルのような勢いで聖寧に抱き着いた。
「会長だ、会長だ、会長だ!」
「ど、どうしたのよ。平等院さん」
面食らいながらも、余裕の態度を崩さずに問う。
「聞いてくださいよ! 今朝、兵藤先輩に会ったんですけど」
「兵藤くんに?」
その名前に敏感な彼女は急に興味深そうに耳を傾けた。
「体重の重い女は女じゃねえとか言って、わたしのこと女扱いしてくれなかったんですよ」
曲解にもほどがある。
「え、ええ……? 兵藤くんがそんなことを……」
「わたし重くないですよねえ!?」
いや知らないけれど、という顔を作る聖寧。
「重くないですよねえ!?」
「う、うん。そうね」
同意してくれたのが嬉しく、籠愛はぱあっと泣きそうな顔から一転、笑顔となる。
後輩が先輩に迷惑をかける行為というのは珍しいのだが、それが際立つのが相手が生徒会長の十条聖寧であるからだろう。
周りの生徒たちは呆気にとられ、籠愛の友達も彼女の無礼極まりない奇行に身を震わせていた。
「しかも。しかもですよ。兵藤先輩、会長のことも重いとか言ってました!」
「へえ、そうな――ん? え、今なんて?」
「だからですね、兵藤先輩が会長の体重が……重すぎるって言ってました」
重い、という言葉を強調して伝える。
話を盛るどころか、ほぼほぼ嘘になっていた。
それだけ彼に対して怒りを抱いてしまったということだろう。
「……う、うそでしょ。私って体重平均よりもなかったはず……。でも確かに最近食べ過ぎている気はしたけれど……」
真に受けた少女は、くずおれてしまう。
「ああ、会長しっかりしてください」
背中をさすって「大丈夫ですから」「会長は重くないですよ」と慰める。
「ありがとう、平等院さん。……じゃ、じゃあ私はもう行くから」
「はい、ではまた!」
よろよろと廊下の壁にぶつかりながら教室へと戻っていく生徒会長を見送りながら籠愛は思う。
(会長可哀想……。兵藤先輩にはわたしから言っておきますから!)
聖寧をあんなふうにさせた張本人がなにを言うというのか。
自由奔放な彼女は次の授業のために階段をスキップで上るのだった。
――――
昼休み。
食堂や購買部が込む中、平等院籠愛はどこで昼食を摂ろうかと考えていた。
姫ヶ丘学園では弁当を持参している者も多く、その豪勢っぷりはさすがはもとお嬢様学校という感じ。籠愛も同じように弁当を持ってくることもあるが、あの朝のバタバタである。忘れてくることが大半だ。
(食堂に行こっかなー)
と足をそちらに向けて歩き出した。
だがその彼女の前に見知った人物が視界を横切る。
(あれは、有島先輩?)
数日前に生徒会の庶務となった有島小十郎だ。
まだあんまりかかわったことがないため、どんな人か気になった彼女はついていくことに。
彼は購買部でパンとおにぎりを買うと、「牛乳ね!」と購買部のお姉さんに高らかと言う。
「あんがとな」
背の低いことがコンプレックスな小十郎はすでに常連。購買部のお姉さんがたにはすでに顔と名前が覚えられている。
ただ高校二年生でこれ以上伸びるとも思えないのだが、彼は諦めていなかった。
「ふんふんふーん」
教室に戻ると思いきや、彼は鼻歌を口ずさみながらグラウンドのほうへ歩き出す。
ここまで来たらついていかないわけにもいかず、籠愛は一定の距離を保ちながらつける。
通常ならば昇降口をとおってからグラウンドへ向かうのだが、彼は昇降口へは行かず、別の出入り口から外へ出て――段差に腰を落とした。
(ここで食べるつもりかな?)
ぼっち? 友達いないの?
そんな可哀想な人を見る目で彼を見ていると、がさがさと彼がなにかを懐から取り出した。
雑誌、である。
籠愛の角度からではどんな雑誌か見えず、気になった彼女が近づくと。
――表紙がえっちなグラビアアイドルの水着姿だった。
「お、この子結構胸あるじゃーん。うはあ、やっぱ胸だよなあ。居乳最高おおおお」
いやらしい顔となる先輩に、
「あ、有島先輩……?」
思わず声が漏れた。
「え、は、な、ななな、なんで!?」
びくっと籠愛の声に反応した小十郎は飛び退る。
「よ、よよよ、よお、平等院。ど、どど、どうしたんだ、こんなところで」
「いえ、別に」
感情の乗っていない声で言い、去ろうと踵を返す。
「待て待て。なんだよ、どうしたんだいきなり。なんかオレから逃げるみたいじゃん」
「いえ、別に」
「なんか勘違いしているみたいだけど、これ全然いかがわしいのじゃないから。ほら、漫画だよ漫画。全然こんなグラビアとか興味あって買ったわけじゃないから」
「いえ、別に」
「だからその返しなに!? 怖すぎるんですけど!」
「いえ、別に」
「だからやめてええ! オレが悪かった! 嘘です、めっちゃ興味あって買いました。というかこれしか興味ないです、はい、すいません!」
一層冷めた目を向けられる小十郎は顔を伏せるしかなかった。
だがそんな彼を見て、鷹揚に頷いてみせると、籠愛は言う。
「嘘ですよ。わたし、別にそういうの見る男性を引いたりしませんから」
「ほ、ほんとか!?」
「はい。わたしは普通だと思います。あ、口外とかもしませんのでどうぞ、お読みになってください」
有島小十郎には平等院籠愛が女神に見えただろう。
命の危機を乗り越えた彼は籠愛がいなくなったあと、「あいつ、まじいいやつだったな。つか、胸めっちゃでかくない?」と懲りずにそんなことを言うのだった。
――――
放課後になり、掃除の終えた平等院籠愛がぷらぷらと歩いていると、体育館のほうからひときわ大きな歓声が聞こえてきた。
誘われるようにして体育館に顔を出せば、そこには生徒会副会長の柏木麗華がいた。
彼女は運動ができるため、練習試合や本番の試合などで助っ人として駆り出されることが多々ある。今日もその日のようで、試合前のアップ中にもかかわらず、その存在感はめちゃくちゃすごかった。
「柏木先輩。今日はバレー部のお手伝いなんですね」
「ん、平等院か。見てのとおり、そうだが」
アップの終えた麗華に近づき、声をかける。
「聞いてください。今日、有島先輩にセクハラされたんです」
「いきなりどうした」
とんでもない告白を受け、麗華の汗を拭う手が止まる。
「それがですね、今日の昼休みにえっちい雑誌を有島先輩が見ていたんですけど、そのあとわたしの身体を嘗めまわすように見てきて……特に胸を」
超口の軽い女だった。
ついでに変なことまで付け足している(これはあながち間違っていなかった)。
「まさか、あのチビ男……会長だけではなく、平等院にまで」
「いえいえ、会長より柏木先輩のほうが危ないですよ」
「ん? 私がか?」
「はい。だって柏木先輩……胸大きいじゃないですか」
ちらり、と胸部を見ながら籠愛は言った。
確かに大きい。
生徒会のメンバーで言えば、柏木麗華>平等院籠愛>>>>>十条聖寧という具合に。
「気をつけてください。あの人……きっとこれまでも見まくってますよ」
「見まくってる!?」
「はい。柏木先輩の、お胸を――否、おっぱいを!」
「なっ――」
想像した麗華は女の子らしく、一気に顔を赤くする。
いないはずの相手を探し、両手で胸を抱くような形で隠す。
「柏木さーん、もうすぐ試合だよ」
「あ、ああ。わかった。すぐ行く」
バレー部のチームメイトから声をかけられ、動揺したまま返事をする。
「報告感謝する、平等院。今度、チビ男がそういう真似をしたら私が殴る」
「頼もしいです! その時はお願いします!」
敬礼をしたまま先輩を見送ると、練習試合が始まった。
「頑張ってください」と応援の言葉をかけてから籠愛は体育館をあとにした。
――――
「ふいー、今日も楽しかったあ」
帰宅早々、ベッドに寝転がると平等院籠愛は瞳を閉じる。
本日も彼女は通常営業。
天然というには生ぬるいほどの奇想天外な行動ばかりする少女の一日は華麗に過ぎ去る。
彼女の存在もまた、あの生徒会のメンバーの勘違いを引き起こす要因となっていよう。
「あれ、なんか忘れているような……ま、いっか」
眠いし、と言ってすぐに寝息を立てて寝てしまう。
平等院籠愛、生徒会をサボタージュする。
自由に生きる彼女は、こういうことが結構よくある。