平等院籠愛は教えたい
「会長、終わりましたー」
てとてととその作成し終えた議事録を持って、会長のもとへ向かう少女。
ふわりとウェーブのかかった髪の毛は柔らかく、彼女の接しやすさを印象づけている一因だろう。加えてそのぽわぽわとした雰囲気に優しい声音、嫌味の欠片も感じさせない存在感は疲れた身体を癒すかのよう。
「ありがとう、平等院さん。あとで見ておくわ」
「はい! お願いします」
放課後というのに元気の有り余った声で言うこの少女は生徒会書記の平等院籠愛。
周りは二年生ばかりだが、彼女は一年生。
今年入学したばかりの初々しい少女なのである。
上級生に囲まれる彼女だが、仕事はきっちりとこなすし、成績だっていい。女性陣の中では一番のコミュ力を持ち、友達も多い。年上に対しての言葉遣いや敬う気持ちも忘れない。
彼氏を好きすぎる聖寧、会長を絶対視する麗華、馬鹿な男ふたりという面子の中では総合的に見て、籠愛が一番なのではないというくらいのスペックを持つ。
「あ、兵藤先輩苦戦していますね」
自席へ戻る際に生徒会副会長の兵藤佐助がノートパソコンを前にして手が止まっているのを発見し、覗き込む。
彼は事務仕事系が苦手である。専ら力仕事専門なところがあり、機械類は以ての外。
こうして苦戦を強いられるのは必定と言えよう。
「ん、ああ。このエクセルっつーの? 使い方がまじむずくて」
パソコンを使う授業などしてこなかった彼にとって難しいこと難しいこと。
説明書もあるわけではないから、余計に。
「あはは、兵藤先輩ぶきっちょですねー。ここなんて数字跳ね上がりすぎですよ」
「え、あ、ほんとだ。なんでだ」
「きっとこれここの表の全部を足しちゃってるんじゃないですかね?」
言って、隣の席である有島小十郎が不在のため彼の椅子を引っ張って佐助の隣に陣取る。
自分の仕事が一段落したため、籠愛は佐助の手伝いを買ってでた。
本日の生徒会はこの三人で活動していた。
「おわっ! すっげ! なにその技!?」
「へっへー、どうですか。これがわたしのスキル《高速演算》です」
眼鏡もかけていないのに、くいっと眼鏡を上げる動作をする籠愛。
佐助の反応を見て、調子に乗っているようだ。
大したことはしていないが、佐助にとっては美技にも等しい。
「わたしを師匠と崇めるのであれば、教えて差し上げなくもないぞよ」
「ははー、お願いします。平等院師匠」
「よろしい」
ご満悦な様子で頷くと芝居かかった口調で説明し始める。
時折、機嫌を良くするように佐助は籠愛をよいしょし、それを受けまんざらでもない様子で頬を緩ませる籠愛。
「…………」
そんなふたりのやり取りを面白くなさそうに見つめる生徒会長。
わからないでもない。
彼氏(思い込んでいるだけ)が他の女と仲良くしている様子を目の前で見せられているのだ、彼女の立場の人間ならば、快く思わないだろう。
「あははっ。だからなんでそっちを持ってきちゃうんですかー」
「あ、ミスった。いやでもこれはこいつがここにいるのが悪くてでな」
「言い訳しないー。わたしはそんなふうに弟子を育ててません!」
「すいません。俺のせいです」
きゃっきゃと笑いを交えながらされる会話。
「………………」
歯が割れてしまうんじゃないかと思うほど力強く噛む。
(ここにあなたの彼女がいるのだけれど……)
視線で訴えるもまるで見てくれない。
代わりに籠愛が気づき、手を振ってこれら、強張った表情を崩して笑顔で手を振り返す。
(悪い子、ではないのよね)
平等院籠愛はこういう子なのである。
別に兵藤佐助に対してだけやっているわけではない。だれに対しても苗字さながら平等に接し、距離が違いのはあれだが、めちゃめちゃいい子なのである。
だが最初はこんな子ではないと思っていた。
姫ヶ丘学園では会長選挙のみ行い、役員は会長が指名する形をとっている。
つまり生徒会長である聖寧が他の役員を選んだということだ。それは有島小十郎を生徒会に入れた時にもわかったことだろう。
彼女としては佐助を入れる、それだけでよかった。
彼にぞっこんな彼女は彼だけいればよかった。
あとは柏木麗華。麗華は唯一この関係を知る女子であり、信頼に足る人物なので必要だと考えた。普通にいて欲しかったというのもある。
で、どうして平等院籠愛が生徒会に入ることになったかと問われればこう答えるだろう。
なんとなく、だ。
特別な理由などない。
ぶっちゃけ、仕事なんて聖寧だけでなんとでもなるから。
現に四ツ谷高校と統合する前の生徒会ではほとんどを彼女がやってきた。彼女がすごすぎたから。他の生徒は彼女を神聖視するので、自分では無理だと手を出そうとしなかったのも原因の一端を担っているだろうが。それはともかく。統合され、姫ヶ丘の生徒だけで生徒会を構成するのもどうかということで一新することになった。
極力彼とふたりっきりになりたい彼女は部活動に入っている生徒をと思っていた。部活動があればそちらを優先するので、自然と生徒会には来られない。他がいなければ、部活動に入っていない聖寧と佐助は自然とふたりきりになれる確率が高くなる。
該当する生徒の中から成績も良く、真面目そうな子をと思って選んだだけに過ぎない。
(仕事面に関しては全然期待どおりなのだけれど……)
こうも自分の彼氏とベタベタされたらたまったもんじゃない!
籠愛はふたりが付き合っていることを知らないので致し方ないこと、と割り切ってずっと過ごしてきたのだが、まあ無理。
「兵藤先輩タイピング遅すぎですよ。なんで人差し指しか使ってないんですか」
「いや、そんなこと言われても……」
「というかさっきから画面も見て、キーボードも見てって大変じゃないですか。ブラインドタッチできないとか、男としてどうなんです?」
「ぶ、ぶらい……え、なに?」
意味のわからない単語に疑問符を浮かべる佐助へ籠愛は「見ててください」と言って、彼を押しのけて自らがノートパソコンの前へ移る。
そして、彼女は目を瞑ったままキーボードを叩き始め、最後にエンターキーを打ち鳴らして決めポーズを披露。
「おおすっげえ! なにも見てないのに文字が打ててる!」
画面を確認した佐助が拍手しながら驚嘆する。
「ふふ、これがわたしのスキル《遮断速打》です」
「か、かっけー」
目をキラキラと輝かせながら羨望の眼差しを後輩に向ける佐助。
(なにが《遮断速打》よ。それくらい私にだってできるし。……というか私のほうが速いわよ)
対抗意識が芽生え、ノートパソコンを引っ張りだすと、無駄に文章を打ち始める。
いきなりの奇行とも取れる行動に、
(くっそ、十条のやつ。俺だけできない感出すためにわざとあんなことを……)
彼氏にはまったく響いていなかった。
(どう、兵藤くん? 私のほうがすごい――あ、あれ?)
ちらっとそちらの反応を窺うも聖寧のほうはだれも見てくれていなかった。
まさかの無反応だった。
「というかさっきからわたししかしてないじゃないですか。兵藤先輩もやってくださいよ」
「悪い悪い。ついつい頼っちまってた」
見学するような形となっていた佐助が籠愛に再び近づき、ほぼ密着状態で仕事をする。
「……うう」
ノートパソコンの画面越しに映る自身の泣き顔に目元を拭って常の表情を取り戻す。
(仮にも彼女が目の前にいるのに、なんで兵藤くんはそんなことを……)
自分のことなんて彼女として見ていないみたいじゃないかと聖寧は切なくなる。
……まあ、事実彼女として見ていないのだから仕方ない。
「おい、これバグか?」
「え、どれです?」
なにやらトラブルがあったらしく、ふたりして難しい顔をしていた。
「あれ、なんでこんなことになっているんだろ」
どうやら籠愛でもそのトラブルの解消法がわからないらしかった。
チャンス到来。
(聞きに来るわよね? 私に聞きに来るわよね?)
エクセルなら完璧、パソコンのバグも基本的に直せる。
機械ならお手の物だ。
そのことをふたりは知っているので、頼るとしたら聖寧しかいないとなる。
いつ来てもいいように姿勢を正して、手持ち無沙汰感を醸し出し、ついでにわざとらしく咳払いまでしてみせる。
(さあ、頼っていいのよ? 私は平等院さんなんかよりできるのだから!)
彼女の威厳を見せてやるとばかりに気合十分な聖寧だったが。
「こういう時は、ググればいいんだっけ?」
「珍しくいいこと思いつきましたね! 兵藤先輩!」
ずごーん、とだれかが机に頭をぶつける音が生徒会室に響いた。
「なるほどなるほど。これ、原因兵藤先輩じゃないですか」
「そうなのか?」
「そうですよ。まったく……機械音痴過ぎませんかー」
「ごめん。で、これ直るのか?」
渋々といったふうに「やってあげます」と籠愛は修正に取りかかった。
「…………」
魂の抜けたような顔になる生徒会長の十条聖寧はふたりのほうから視線を切る。
自分の仕事がまだ残っていたのだ。
鬱々とした気分で仕事に戻ろうとした聖寧だったが。
「あー、そうだ。わたしこれからお友達と約束があったんです」
「あ、そうなの?」
「はい」
言って、籠愛は立ち上がると聖寧のほうに歩み寄ってくる。
「すいません、会長。もう上がっても平気ですか?」
「え、ええ、いいわよ。あなたはちゃんと仕事を終えたのだし」
「そうですか。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、籠愛は帰り支度を始める。
教えを乞う人がいなくなるため、佐助は「どうすっかなー」と空を仰いだ。
出来の悪い教え子に籠愛は「しょうがないですねー」とため息交じりに言う。
「わたしはドロンしちゃいますけど、あとは会長に教えてもらったらどうですか?」
「え」「へっ」
ふたりの声が重なる。
「たぶん兵藤先輩ひとりじゃ終わりませんよ? わたしより会長のほうがパソコンに詳しいのでそこら辺は問題ないでしょうし」
「いや、でも……」
佐助が渋るのも無理はないだろう。
様々なことが重なって聖寧からは嫌われていると勘違いしている彼は、彼女の手を煩わせるようなことさせられないのだ。ただでさえ嫌われているのに、もっと嫌われてしまうから。
「会長、兵藤先輩に教えてあげてくれませんか? 全然できないみたいなんです」
頼みづらそうな佐助を見て、助け舟を出す。
「いや、ちょ、平等院なにを勝手に――」
「いいわよ」
「いいの!?」
了承してくれるとは思っていなかった佐助は目をかっ開く。
「でも、十条だって仕事があるわけだし、迷惑じゃあ……?」
「わからないところを教えるくらい大丈夫よ。それとも平等院さんじゃないから嫌?」
「全然そんなことはない、けど」
どうして引き受けてくれたのか疑問で疑問で仕方ないというふうに応える。
「よかったですねー、会長は優しいですから。それではわたしは帰ります。あ、会長。わたしの愚息をよろしくお願いします!」
「ええ、任せて」
というやり取りをしてから籠愛は生徒会室をあとにした。
台風が去ったかのように静けさに包まれる室内。
約束を取り付けた当人がいなくなったため、それが有効かどうか佐助が測りかねているとおもむろに聖寧が言う。
「と、言うわけだから……。なにかわからないことがあったら聞いてくれていいから」
「お、おう。悪いな」
ぎこちないやり取り。
先ほどまでのふたりのほうが距離が近しい関係であるとだれもが思ってしまうくらい。
(兵藤くんが私を頼ってくれる)
しかしそんなことはもう気にしていない。
積極性に欠ける彼女のため、というわけではないだろうが、それでもその余計が聖寧にとってはめちゃくちゃありがたくって。
やっぱり平等院籠愛のことは憎めないのだった。