兵藤佐助は行かせてあげたい
そわそわ、と。
十条聖寧は先ほどからずっと落ち着きがなかった。
否、先ほどというよりもここ最近ずっとである。
(いつになったらデートのお誘いが来るのかしら)
原因はそれであった。
以前(十条聖寧は焦らしたい参照)に勘違いを起こして彼女は彼氏である兵藤佐助からデートの誘いが来ると思い込んでおり、ずっと待っていた。
だが来る日も来る日も、なーんにも音沙汰なく。
「んんっ」
こうして咳払いをして知らせようとしていた。
(さっきからなにやってんだ、十条のやつ)
怪訝にその様子を見つめる佐助は、資料をぱたんと閉じる。
さすがにこれほどまでに露骨にされれば気づく。
というか彼の場合、ずっと気づいていたのだが、どうも心当たりがなくて困っていたのだ。
(落ち着きがねえな。今日は俺以外にだれもいないし、それが関係してるとかか?)
嫌っている相手とふたりっきりというのは苦痛の他ないだろう。
けれど、今までだってふたりでいることは多くあったし、そうではないと信じたい佐助。
(あ、もしかして……トイレじゃね?)
でかでかとある正方形の机のせいで下半身は見えないものの、それが却って彼にそう思わせる。
(それしかねえ。たぶん、俺にトイレに行くってことを言いにくいんだろう)
女性というものは往々にして、そういう類のことを気にする。
特に好きな人の異性の前で。
(いや違う違う。俺の場合は、嫌いが故だろう。十条が黙って席を外せば必ず俺が理由を聞く。そしたらおのずと十条はトイレに行く旨を話さなければならなくなる。それは十条のプライドが許さないってところか。俺は男だからわからねえけど、こういうの恥ずかしいと思う人もいるし)
うんうんとひとりで勝手に進める佐助。
(はあ、仕方ない。俺が一肌脱いでやるか)
別段、彼は彼女のことを嫌いなわけではない。
むかつくことはあれど、向こうが勝手に嫌っているだけに過ぎない……と彼は思っている。
実際には正反対なのだが。
「なあ、十条……そんなに行きたいなら行ってもいいぞ」
直接的には言わず、こちらはわかっている体を装いつつ、そういうことは気にしないぞということを暗に匂わせる。
良く言えば、高度。
悪く言えば、回りくどい。
しかし相手が相手なだけに、そのチョイスは間違いだった。
(や、やだ私ったら……急かしてるって思われちゃった!)
十条聖寧は彼氏が自分のことを好きだと思い込んでいる。だからおのずとその思考も自意識過剰なまでのものになってしまうのだ。
(恥ずかしい……こんなデートをせがむ彼女とか)
聖寧は赤くなりそうな頬を両手で覆う。
恥じらいを見せる彼女を見て、佐助はふっと笑う。
(やっぱりな!)
予想が的中したことに一安心する。
(女子とはここ最近結構接することが多くなったから、いろいろわかってきたぞ)
姫ヶ丘学園との統合が功を奏し、佐助は自分のスキル向上を果たしていた。
「わ、私は別に……そこまで行きたいってわけじゃないのよ!」
「っ!?」
まさかの発言に目を丸くする佐助。
「いやいや行きたいんだろ、俺はそういうの気にしないから」
「超行きたいとかそういうことじゃないから平気よ」
「だってずっと行きたそうだったじゃないか」
「そういうこと、直接言わないでくれる!?」
認めたがらない相手に、ついつい喧嘩腰で気を遣うということを忘れていた佐助は反省する。
(確かに、ずっと行きたそうはないわな……)
怒られるのも無理はないと、これ以上の追及をやめる。
(私ってばなんで行きたくないとか言っているのよ!)
自分で自分を殴りたくなっていた聖寧。
面倒くさい彼女にはなりたくないと反射的に否定してしまったが、すっげえ行きたかった。
デート、超行きたかった。
でも、と聖寧は思う。
(デートに行きたいのは私だけで、兵藤くんは行きたくなさそう、ね……)
こちらはガンガン行きたい感を出しているのだが、彼氏のほうはあまり乗り気ではない。彼女として、なんかこう……ちょっと寂しさみたいなものがあった。
「というよりも、資料のチェックは終わったのかしら?」
もうこの話は終わりだとばかりに事務的な会話をする。
そう言われてしまえば佐助も従わざるを得なく、「おう」と資料を渡す。
「誤字脱字はなかった?」
「見た感じな」
「そう。なら次はこちらもお願いできるかしら?」
「……わかったよ」
一拍置いて、受け取ると再び席に戻って資料を読み始める。
(はあ……なんだよ、また嫌われだけじゃねえか)
良かれと思ってやったことが却って印象を悪くすることになり、がっくしと肩を落とす。
(もうもうっ! 私の馬鹿っ! これじゃあ兵藤くんからデートの誘い来なくなっちゃう!)
資料の添削をする聖寧の集中力は皆無だった。
全然文字が追えない。
どこまで読んだかわからない。
読んでは戻りの繰り返しを数度やった時だった。
「あー、花とか摘むのもいいよなー」
独り言のように呟かれた言葉。
声の主は他でもない兵藤佐助だ。
(お花を摘みに……って)
聖寧がその言葉を意味することを理解するのに時間はあまりいらなかった。
(デートの誘いじゃない!?)
敗戦のショックからの復活は超早かった。
佐助のそれは独り言ではなく、彼女に聞こえるように言ったのは間違いないのだが、当然ならがそれはデートの誘いなのではない。
(しょうがないよなあ、だって十条のやつ、限界そうだし)
生徒会長たる十条聖寧がお漏らし、したのではシャレにならない。
だから今度は女性がトイレに行く際に代用する言葉を使ってオシャレっぽさを演出させた。
(これなら行きやすいだろう!)
彼の思惑どおり、彼女の表情は先ほどとは打って変わって晴れやかだ。
それはそうだろう。
なぜなら、彼女はそれがデートを意味する言葉であると思っているから!
「兵藤くん……」
十条聖寧は言う。
「お花摘みに一緒に行ってくれるのね!」
「……え?」
ぽかんとする佐助。
そのまま硬直状態すること数秒。
(つ、連れションだとおおおおおおおおおおお!?)
連れション。
言わずもがな、それは友達を連れてトイレに行くことである。
だがしかし、それは同性同士でやるものであって。
今回のように異性でやるものではない。
(いやいや待てよ。俺が知らないだけで、共学のやつらは普通にやるのか?)
いや、きっとやらない。
(まあ、トイレくらい普通だし? 出なくっても行くのが常識だし?)
なにが普通だというのか。
「仕方ねえ」
重い腰を上げて連れションしに行こうとするが。
(ちょっと待て、なーんかおかしくね?)
自分は嫌われているではないかと根本的なことを思い出す。
(嫌いなやつをわざわざトイレについて行かせようってことは……)
嬉しそうに鼻歌を口ずさむ聖寧を見て、はっとなる。
(この女……俺を女子トイレに入らせて、変態扱いしようとしてるんじゃねえの!?)
恐怖に身を震わせる佐助。
「どうしたの、兵藤くん。お花摘み行かないの?」
「…………」
心底楽しそうな笑みを顔に貼りつける少女の悪行に少年は総毛立つ。
(こっちが気を遣って言ってやっているっていうのに、恩を仇で返すような真似を……)
彼は考える。
トイレに行きたいのがバレて恥ずかしくなってしまい、そのことをねちねちと遠回しに追及してくる相手に不愉快な気分にされた彼女は、仕返しに『変態』という不名誉なあだ名を学園じゅうに広めるつもりなのだ、と。
一見、なんでもない提案に思えて、その裏には大きな策略があったのだ。
「さあ、行きましょう」
「やっぱひとりで行けええええ!」
「ええ!? それじゃあ意味ないわよ!」
「だろうな! けどそれで済むんだからいいだろうが」
「確かにそうかもしれないけれど、ふたりで行くからこそ、楽しいものがあるんじゃない」
「いいからとっとと行け! 俺は仕事あるんだ。なんならお前の分もやっとくから」
あくまでふたりで行こうとする相手を生徒会室から追い出し、仕事に取り組む。
「ったく、トイレくらいさっさと行ってくれればこんなことにはならなかったのに」
という佐助の不満など扉の先にいる聖寧には届かない。
「そっか、兵藤くんって真面目だから、ちゃんと下調べしたいってことなのね!」
どうあっても彼女の中での兵藤佐助という人間は最高の彼氏であるらしい。
「わかったわ。今回はひとりで行くけれど……次は一緒に行くのだからね」
扉越しでそう伝え、十条聖寧はスキップしながらお花を摘みに行った(トイレにではなく、本当に)。
果たしてふたりがデートをする日は来るのだろうか。
それはまだだれにもわからない。