兵藤佐助は認めてもらいたい(後編)
グラウンドに移動した二年C組とD組の生徒たち。
燦燦と照らす太陽の日差しのもと、50メートル走が開始されていた。
まずは女子たちが横に六人並び、教師の合図と同時に計測されていく。
柏木麗華と十条聖寧も順番が回ってきて、走っていく。
麗華は女子の中でもダントツだが、聖寧はやはり平均以下の記録に。
続いて走るのは男子。
兵藤佐助と有島小十郎は同じレーンで走り、ふたりは一位、二位のフィニッシュ――と同時に彼らは図ったように聖寧に向けて笑顔+ドヤ顔!
(あなたのせいで兵藤くんの格好良さが半減するからどきなさいよ! だれもあなたの活躍なんか見たくないのだから、大人しくしてなさいよ! というか本当に邪魔!)
佐助に次いで運動のできる小十郎により、佐助の活躍が霞む。
そんな存在が聖寧にとって、すっげえ邪魔だった。
というかその顔が本当にうざかった。
(くそ、やはりあのチビ男、会長にアピールしてる!)
生徒会長たる十条聖寧が小十郎にイラついている頃、隣の少女もまたその男にイラついていた。
以前に、有島小十郎本人から自分は十条聖寧のことが好きであることを聞いて知っている麗華は、彼がなにをやっているのかを瞬時に理解したのだ。
(チビ男など、兵藤より駄目だ! 分不相応すぎる!)
断固反対の姿勢の麗華は、小十郎のアピール攻撃にどう対処しようかと先ほどから考えていた。
(やはり、私がチビ男の記録を越えねばならないか)
自慢してくるのであれば、自慢し返すしかないと麗華は思ったのだが、この50メートル走も負けてしまっていた。
残すは三種目。それらすべてを彼に勝とうと気合を入れなおす麗華だった。
(よーし、いい感じいい感じ! 十条だけじゃなく柏木もめっちゃ悔しそうじゃん!)
こちらに向けられているそれが、イラつきだと感じ取れない小十郎は勝ち誇ったように笑みを刻んでいた。
(柏木は多少やるようだが、十条のほうはうんこだな。まじうんこ過ぎて笑える)
涼しい顔で彼女らを見つめるその目は、人をイラつかせるものだった。
「兄貴、いい感じっすね!」
「そ、そうか?」
隣にいた佐助に同意を求めるが、あまり反応はいいものではなかった。
(なるほど? 兄貴はこんなんじゃ足りないってことか。了解っす、兄貴!)
アイコンタクトで伝え、敬礼する。
しかし小十郎のそれは、佐助はまったく求めていなかった。
(おかしい。十条がこっち見てくれたまではよかったんだけど、小十郎が手伝ってくれた途端、すっげえ冷たい目を向けてくるんだよな。なんでだろう?)
本気で悩む佐助。
好印象を抱かせようとやっている行動がちょっとどうかと思うことに加え、ちゃんと聖寧は佐助のことをいつものうっとりとした目で見ているのを見逃し、隣にいる少年相手に向けている冷めた視線だけを感じ取るというのもなかなかの才能である。
「兄貴、兄貴。オレからアドバイスなんて失礼っすけど、もうちょっと『どやぁ!』って感じの顔をしたほうがいいっすよ」
実際にドヤ顔をして見せる。
「いや、それ逆効果じゃね?」
「効果抜群に決まっているじゃないっすか! むしろ今までの兄貴のじゃあ足りないっすよ」
「そう、だったのか。わかった次はそんなふうにしてみる」
余計なアドバイスを小十郎から受け、佐助たちはハンドボール投げに移行する。
女子たちも男子に続くようにして移動を開始していた。
「麗華、なんだか一段と気合が入っているようね」
「ええ。負けられない戦いですので」
「だれかと競っているの?」
「いえ、競っているというよりかは……、だれかに見せるために頑張っているというか」
もごもごと言いづらそうに小さく口を動かす麗華は、聖寧を見ようとはしなかった。
(どうしたのかしら、麗華。……なんだか様子が)
ふと思い出す。
そういえば前にもあったではないか、と。
(これ、好きな人にアピールしたいってことなんじゃないの!?)
ハキハキとしている麗華がこんなにもたどたどしくなるのは恋愛絡みであることは確定事項。つまり今回のこれもまた好きな人に見せたいという麗華の可愛らしい行動なのであると聖寧はわかった。
自分の彼氏に夢中になっている間に、友達が頑張っていたとわかり、その対象としている人物はだれなのかと首を動かして見渡す聖寧の横では。
(会長に見せるために、とか言えない!)
ゴミのような男から狙われている聖寧を守るためとはいえ、言えなかった。
陰ながら会長を守りたい、それが麗華の考えだったのだ。
「よっしゃあ! さすが兄貴だぜ! オレも続くっす!」
他方。
馬鹿みたいに大声を張り上げる小十郎がハンドボール投げをしていた。
互いの記録は好成績だったらしく、終えた彼らは少女ふたりを発見し、
「へっ」
とドヤってきた。
ついでに言うと佐助のドヤ具合も増していた。
「はう。…………超格好良い」
ピンポイントでそのドヤ顔が聖寧に入ってきて、思わず眩暈を起こして倒れそうになる。
もはや有島小十郎など彼女の視界には入らなくなっていた。
だがそれが彼をつけあがらせるのも当然の結果なわけで。
(はっはー! 兄貴とオレのダブルドヤ顔が十条をやっつけたぜえ!)
小十郎は口笛を吹いて上機嫌だ。
彼は十条聖寧が悔しがる顔しか興味がなく、もはや彼女しか見ていない。
(な、なんてことだ! 会長があのチビ男を見て、一瞬頬を赤くしただとぉ!?)
あわあわと口を開閉させる麗華には兵藤佐助がその隣にいることなど忘れてしまっているようだった。もはや兵藤佐助など見えておらず、聖寧が小十郎を見て倒れそうになったと勘違いを起こす。
(とうとう俺を見ただけで眩暈起こしたぞ、十条のやつ! なんでだよ!)
頭を掻きむしる佐助。
先ほどよりもアピール度合いは上がっているというのに、結果がついてこないことに彼は頭を抱える。彼には十条聖寧から自分に向けられるものはマイナスなものでしか受け取れないらしい。
「ふざけろ、チビ男があああああああああ!」
裂ぱくの気合とともに放たれたボールは遥か彼方へ飛んでいき、34メートルというめちゃんこすごい記録を麗華は出す。ちなみに小十郎も同じ距離だ。
「見たか!」
「て、てめえ!」
指を差され、小十郎は記録が並ばれたことに地団太を踏む。
(これでチビ男のアピールは無駄に終わったぞ、ざまあみろ)
ほくそ笑む麗華。
(あのデカ女、オレたちの邪魔をしやがって……。どうせなにをしているのかもわからないでやってるんだろうな、くそ。これだから頭でっかちは困るんだよ)
小十郎は佐助と聖寧の関係を奴隷と主人と思っている。以前にそのことをどう思っているのか麗華に聞き、その時に彼女から認めていないと返答がきたため、彼は彼女にそのことをそれとなく伝える。
「やめろ、デカ女。オレと兄貴のしていることくらい見りゃわかんだろ。これじゃあオレの記録がしょぼいみたくなるだろ。邪魔してんじゃねえ」
「わかっているからこそ邪魔するのだろう、この戯けが! 貴様は私の記録に塗りつぶされろ」
いがみ合うふたり。
その光景を見つめながら、物憂げに呟く少女がいた。
「麗華の好きな人って……」
聖寧だ。
(有島くんだったのおおおおおおおおおおおおお!?)
なんかとんでもない誤解を抱いていた。
(だって、さっき『見たか』とか言ってたものね……。そういうことなのよね?)
先ほど、だれかに見せるために頑張っていることを告げられていた聖寧は麗華の発言を、そう解釈してしまっても仕方ないことだろう。
(好きな人ほど突っかかってしまうというのも聞いたことがあるわ)
そう思えば思うほど、麗華がいちいち小十郎に口を挟む行動が可愛らしく見えてくる。
今のこれだって。
(どうしてなの麗華……。有島くんっていろいろ残念じゃない……)
ひどい言いようだが、事実、残念な子であるのは間違いない。
そんな精神状態での記録など伸びるはずもなく、聖寧の記録は二桁もいかなかった。
その後、小休止を挟み、最後の種目である持久走が始まる。
まずはペアのひとりが走り、終わり次第ペアのもうひとりが走る。
男子は1500メートルで女子が1000メートルだ。グラウンドが一周200メートルであるので、男子が7周半、女子が5周だ。
「麗華、その……あまり無理して頑張らないでね」
「お気遣いありがとうございます。ですが私は本気、ですので」
「そ、そう」
本気なんだ、と聖寧はちょっぴし泣きそうになった。
(あのデカ女、オレのポジションを奪うつもりだな?)
入念に手足をほぐす小十郎は本気モード全開だ。
あそこまでして邪魔する理由――それは、麗華が小十郎の定位置……つまりは佐助の二番手を奪おうとしていると考えた彼はそうはさせるかと相手を睨む。
(兄貴のことが好きだから、まずはオレの場所につこうって魂胆か、見え見えだぜ)
首をぽきり、と鳴らす。
(何周差、つけてやろうかなあ?)
高らかなスタート合図とともに走り出した男子と女子。その先頭に躍り出たのは、やはり彼と彼女だった。
「はっ、オレについてこようってか? いい度胸だぜ」
「貴様こそ、私についてこれるのか?」
最初から飛ばしていくふたりについてこれるものなどいなかった。
独走する彼らは、無言のままぴったりとくっつき拮抗状態をキープ。
だがそこで小十郎はあることに気づく。
(あれ、これ何周目?)
という疑問が浮かぶのは一瞬遅かった。
何周目かを終えた小十郎の隣には一緒に走っていた人物が忽然と消えていたのだ。
「お疲れ様、麗華」
「ありがとうございます、会長」
労いの言葉とともにタオルを受け取り、笑顔のまま足を止める麗華。
(あいつ、もう終わりじゃねえか!)
女子と男子とでは走る距離が違う。
すなわち、彼らは対等に戦えてすらいなかったのである。
「あ、あれ……」
突如、ふらふらとしだし、足が思うように動かなくなる。
当然だ、彼はずっと彼女と争い続けたのである。一定のペースを保っていたとはいえ、それは1000メートルのそれであり、残り500メートルある彼のペースではなかった。
そして必然的に。
――有島小十郎の持久走の記録は散々なものとなるのだった。
「ふん、思い知ったか」
してやったりの麗華は満足そうに、死んだように大の字で寝る彼を見下ろした。
(麗華が有島くんのことが好きなのは確定的になったのだけれど、今はそれどころではないわ)
とは、生徒会長の十条聖寧である。
真横であんなにも見せつけて走れば、彼女がそう思わざるを得ないだろう。
でもそんな彼女は、現在、違うことで頭を悩ませていた。
(兵藤くんに、私の走っているところ見られちゃう……)
これまでの種目は、あまり佐助から見られることはなかった。
しかし今回はグラウンドを一緒に走ることになる。
走ることに集中するであろうが、彼女のことを見ないということもないだろう。
聖寧は、運動が不得意であるのだが、中でも持久走といった体力がものを言う種目がなによりも苦手だった。単純に彼女には体力がないからである。
「会長、ファイトです!」
「う、うん」
ぎこちなく頷き、スタート地点に並ぶ。
「ったく、小十郎は……あっ」
「あ」
すると兵藤佐助と目が合ってしまい、聖寧は反射的に顔を背ける。
気まずい空気がふたりに流れる。
(また目を逸らされた! これがラストチャンスなのに、やべえよ!)
焦りの色を見せる佐助。
(兵藤くんが近くにいるうううう! もう嫌よおおおおおお!)
これほどまでに走りたくないと思ったのは初めてであろう聖寧。
だがそんなふたりの耳にスタートの合図が届いてくる。
仕方なしに走り出したふたりだったが、やはりその姿は対照的だ。
首位の少年と下位軍団の中に紛れる少女。
差はどんどん開いていき、気づけば、一周、二周と追い越されるまでに。
(もう嫌よ……。きっと兵藤くんはこんな運動もできない彼女なと知って失望する)
気分はどん底へと落ちていくと、速度も同じようにして落ちていく。
気づけば、集団の中にいた彼女は、周りからおいて行かれるようにしてひとりとなる。
「はあ……はあ」
もうすぐゴール、というところで佐助の前に走るひとりの少女が視界に入る。
(そういえば、ずっと十条のこと見てたけど、あんまり運動得意じゃなかったんだな)
意外な欠点とも取れる彼女の一面を、今日一日をとおして知った。
てっきりなんでもできると思っていた彼は自分の記録など簡単に塗り替えられるかもしれないと覚悟していたが、蓋を開けてみればそんなことはなかった。
(もしかしたら俺がいい記録を十条に見せていたのは彼女にとったら苦しかったことなのかもしれない)
もしも自分が苦手な教科で難問を前に悩んでいる中、すでに解答を終えた人物からちょっかいを出されたら、たまったもんじゃないだろう。
兵藤佐助は、それと同じことをしていたのではないかと思い至る。
(なにやってんだよ。嫌われないようにしてたのに、自分から嫌われるような真似を……)
本当に馬鹿だと自分の頬を叩く。
辛そうに映るその後ろ姿に佐助はとおり過ぎる際に、
「頑張れ」
と小声で言い、そのままゴールへ突き進んだ。
たったそれだけ、されど彼女にとってその一言は、奮起するには充分な激励で。
疲れなど一気に吹き飛んだ少女の疾風がグラウンドに轟いた。
◇◇◇◇
翌日。
「あれ、今日十条は?」
遅刻ギリギリで登校してきた佐助はHRが終わるや否や聖寧が欠席していることに気づき、事情の知っていそうな麗華に聞く。
「お休みだ」
「え? なんで?」
「貴様は会長のことをなにも知らないようだな。会長は昨日の持久走の影響でお休みになったんだ。わかったら、とっとと一時間目の準備でもするんだな」
聖寧がいないことで不機嫌な麗華はぶっきらぼうに答え、佐助を追いやる。
クラスメイトたちも周知のことであるように、聖寧は持久走のような体力を酷使するものをした翌日は休むのである。それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけの理由。病気とかそういうのでもなく、ただ単純に弱っちぃ、それの一点に限る。
けれどそこまで知らされなかった佐助は。
(うわああ、それって完全に俺のあの一言が影響してんじゃん! 俺もあとから思ったんだよなあ。あれ、すっげえ上から目線じゃね? って。まじなにやってんだよ俺はああああ)
案の定、落ち込むのであった。
◇◇◇◇
「お姉ちゃん、私頑張った頑張ったわよぉ……」
「うんうん、わかったから」
子供のように甘える聖寧を流しながら、大学生の彼女の姉はいつも以上に疲弊する彼女を見て、微笑む。
(頑張れって言われた……頑張れって。ふふ……)
たまらなく嬉しかった。
彼氏からの言葉ほど、彼女を動かすものはない。
(今度は並んで走れるようになるわ。待っててね、兵藤くん)
ベッドで寝込む少女は、毎朝ジョギングをして体力をつけようと誓うのだった。