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ぷらしーぼ

作者: 間津紅華

おにご、しようぜ。


子供の頃、することがなくなった俺達はあれこれ考えても結局鬼ごっこに落ち着く。


じゃーん、けーん、ホイ!


また、あいつが鬼になった。隣のクラスの木下はじゃんけんが弱い。

だから、みんなやり直す。木下はそのたびに申し訳なさそうに謝った。

木下は勉強ができる癖にあとは何にもできない。だから、いじめられっ子だった。


集団に属していると、年齢が上がるにつれて、各メンバー同士の力量の差がはっきりしてくる。そして、一番下は無条件で一番上の標的になる。

俺は丁度真ん中の立ち位置だったから、どっちつかずの風見鶏。多数派が攻撃する方に回ればそっちに付いて、擁護する人数が多ければ、攻撃した側を一緒になって責め立てる、そんなガキだった。


鬼ごっこは小六になっても続いた。木下は相変わらず弱かった。

そんなある日、いつものように鬼ごっこをやって、いつものように木下が鬼で終わった夕暮れ。リーダーの田村が言い出した。

「オマエ、明日もオニで終わるんだったら、来なくていいよ。」

木下の表情が崩れ始める。

「木下がいると、ツマンネーんだよ。今回だって何回かオニ変わったけど、オナサケで交代してばっかだったじゃん。」

田村の腰巾着、谷が追撃すると、木下はぐすっぐすっと泣き始めた。

谷の一言で皆が口々に言い出す。

「足遅いもんなー、木下は。」

「また泣いてるし。」

「情けないなー。」

「もう帰ろうぜ。」

冷酷な遊び仲間たちは、目を真っ赤にして泣きじゃくる木下を尻目に次々と去ってゆく。

そんな中で俺は葛藤に苛まれていた。

慰めるか、見放すか。

「行こーぜ、リョウ。」

山本が呼ぶ。

行こうとしたとき、木下を見た。

こらえようようとしても、流れてしまう涙で土を濡らしながら、じぃっとこっちを見ている。

「もう帰るぞー。」

山本はもうかなり遠くだ。

今行くからー、と返しながらもその足は木下に向かっていた。


何やってんだろ、俺。


「木下ぁー。」

みんな帰って誰もいなくなって俺と木下の二人。そうじゃないのがわかっていても嗚咽がなんとなくわざとらしくてウザい。

「お前、悔しくないの?あんなこと言われて。」

「悔しいよ!」

びっくりした。急にでかい声出すもんだから。涙でぐしゃぐしゃの顔で木下は続けた。

「悔しい。何度だって見返してやろうと思ったよ。だけど、俺は…、ダメだから…。人よりできないから…。」


「オマエ、水飲んでねぇだろ。」


「え。」

何言ってんだ、俺。

取りあえず、

「どうなんだよ。」

「…うん。」

飲んでないんかい。

何故か安心した俺は一気に畳み掛けた。

「水、飲むといいよ。母ちゃんが言ってたけど、水って『えいちつうーおー』ってのでできてるんだけど、それって、筋肉めっちゃ強くなるらしいよ。山本も谷も田村だって飲んでるから、あんだけ速いんだぜ。」

「そうなの?」

「ただし、普通に飲むだけじゃダメだ。」「どうするの?」

「まず、デカめのグラスで…。」

どんな風に言ったのかは覚えてない。適当に思いついた出任せをならべていただけだったからだ。

それから木下は俺の言う通りにしたのか、次の日の鬼ごっこでは一度も鬼にならなかった。それどころか、今までダメだった勉強も体育もめきめき成績を伸ばしていった。結果が出るたびに皆が驚いた。あのリーダーの田村でさえも木下を認めるようになり、木下がいつの間にかリーダーになっていた。

俺は度々、木下に感謝された。水のこと、教えてくれてありがとう、って。

嘘だったとは口が避けても言えなかった。木下は幸せそうだったし、悪いことをしたとは思えなかったからだ。

それから小学校を卒業して、木下とは別の中学になった。それからは疎遠になってしまって、噂を聞くぐらいだった。進学校にトップで入ったとか。


そこそこ良い高校、まあまあ有名な大学を出て、就活中な現在。今日の面接が本チャンだ。八坂箕製作所、大企業だ。わりと高学歴をキープしてきた俺にとってこの面接が要だ。ここでしくじれば全てが水泡に帰す。そんなプレッシャーに心臓を握られながら市営バスの一角に座していた。両手をぎゅっと組み、貧乏揺すりが止まらないのを必死に押さえる。正直、死にその場でそうだった。

バスが止まる、八坂箕製作所本社前だ。入れ直した気合いをぐらつかせないようにしてバスを降りた。

胃が痛い。

吐きそうだった俺はバス停のベンチで休む事にした。幸い、集合まで一時間ある。会場はすぐそこだ。十分だけ休もうと冷たくなったベンチに刺激を受けていると、誰かが隣にすわってきた。

「大丈夫ですか?顔色悪いですよ。」

突然、話しかけてきたのには驚いたが俯いたまま答える。

「ええ、これから面接なんですけど緊張で胃が痛くなっちゃって。」

「ああ、私もよくなります。そうだ、これを。」

そういって目の前に出された手には錠剤が一つ。

「胃薬です。私も緊張して痛くなったらこれを飲むんです。病院で処方してもらったので緊張も解けるように合成されているんです。余分に購入して余ったので一錠差し上げます。」

「いいんですか?これはそもそもあなたに処方されたもので…。」

「市販のものだから大丈夫です。それよりも、面接、頑張って下さい。」

「…ありがとうございます。」錠剤を受け取ろうと手を伸ばしたとき不意に目が合った。

「…木下?」

「面接、頑張れよ。永山。」

「ああ、懐かしいな。頑張るよ。ありがとな。」

久しぶりに会ったので話したい気分で山々だったが時間がない。気が付くと四十分もバス停にいたのだ。心の底から別れを惜しみながら会場へと向かった。


待機室は空気全体がはりつめていて、その場にいる全員が緊張で顔を強張らせていた。横のやつなんか手汗で履歴書をふにゃふにゃにしている。

俺は木下からもらった錠剤を飲んだ。幸いバス停でカラカラだった喉は会場に入る前に水で潤しておいたので、唾で飲み込めた。


「永山 リョウさん、どうぞ。」

「はい。」

強すぎず弱すぎず。丁度の声量で返事ができた俺は薬の効果を実感した。

「失礼します。」

どうぞ、ドアの奥から聞こえた穏やかな声に安堵してドアを開けた。

「では、初めにこの会社を選んだ理由を聞かせて下さい。」

「私が御社を志望したのは―」

驚くくらい落ち着いて話せた。あの具合だったら受かっているだろう。もし、木下があの胃薬を渡してくれなかったら…。


木下に感謝せねば。


そんな思いが不意に湧いた。

会場から出た俺は急いでバス停に向かう。あそこにまだいる。根拠はなかったが確信していた。まだ、あの錆び付いた青いベンチに…、座っていた。

「待っててくれたのか、木下。」

「ああ、待ちくたびれたよ。永山。」

懐かしいなぁ。何度もそう言い合った。小学校以来会ってなかったのに一番身近な人に感じた。

あのあとどうなった、だの、あのときああだった、だの一通り昔話に花を咲かせると、不意に木下がこんなことを言い出した。

「プラシーボ効果って知ってる?」

「俺、心理学は苦手だったんだよな。」

「簡単に言うと暗示だよ暗示。ほら、さっき渡した錠剤。あれ、ただのビタミン剤だったんだ。それに、昔鬼ごっこしてた時、永山は『水飲むと強くなれる』って言ったろ?でもそれ自体にはなにも効果がなくて、思い込みだけで強くなれた。君には本当に感謝してるよ。」

「おまえ、じゃあ知っててたのか、俺がウソついてたって。」

「確かに、ウソと言えばウソになるけど、君は紛れもなく本当のことを言ったんだ。」

「…すまない。」

「いいや、君は悪くない。」

「本当にすまない!」

不思議だった。急に謝らないといけないと思ったのが。悪いことしたと思ってた。

ずうっーと、木下のことを思い出す度にそんな罪悪感みたいなのがちらついて、いつの間にか思い出すのをためらっていた。そんなことを思っていたら、目頭が熱くなってきた。

「泣いてるのか?」

「泣いてねぇよ、安心しただけだ。」

そうだ、安心しただけだ。泣いてなんかない。ここはバス停だ。ハタチ越えた大人が泣いてたら恥だ。

「こっちこそありがとうな。おかげで人生安泰だ。」

「はは、それはお互い様だよ。小学校の時、君がプラシーボをくれなかったら僕の人生は暗いいじめられっ子のままで終わってたよ。」

「お互い様…だな。」木下はそれから、歩いて帰った。もうすぐバスが来るってのに。バスは酔うから歩くよ、と言ってあっさり去った。

いい奴じゃん。小学生の時もそうだった。相変わらず変わってない。いじめられてたのが不思議なくらいだった。大人しく、控えめで、誰にもやさしかった。例え、自分をいじめていた奴でも。



しばらくして、小学校の同窓会があった。

全員出席しているはずの十数年ぶりの懐かしい面子の中に、一人だけ姿が見当たらなかった。というよりも、来れなかったのだ。

かつてガキ大将をつとめていた田村が壇上に上がり、マイクを手にした。

「この度は、私たちの友である、木下 キョウスケ氏の欠席、誠に遺憾に思っております。並びに謝罪の言葉をここで述べさせていただきたい。

木下君と偶然あったのは、ある居酒屋でした。その日、事情があって私は浴びるような酒を飲み朦朧とした意識での帰り道の途中、気が付くと車道に躍り出ていました。

その時、誰かが背中を押したのです。

その勢いで歩道に倒れた時…。

私は彼の顔を見ました。

あいつは…あいつは、幸せそうな顔をしていましたよ。

轢かれそうになった…俺を…庇って…みがわりに…。

それでもあいつは笑っていました。

もうすぐ死ぬってのに…。

お…俺は、あいつをいじめてばっかだったのに…。ううっ…。」

田村のスピーチで会場は悲しい空気が流れたが、なんとか雰囲気を持ち直して、良い感じに終わった。






後で聞いた話しだが、千鳥足の田村を庇って木下が車に轢かれたのはあの面接試験の前日だったらしい。

バス停に現れたあいつが誰だったのか。

俺は紛れもなく、木下だと思っている。

あいつは、あの時のお礼を言いに来たんだろう。

プラシーボのお返しはプラシーボ、という感じで。


あの時、あいつが生きてたにしろ死んでたにしろ、俺は緊張を解くためのプラシーボ(偽薬)を確かに受け取ったのだから。



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