蛇の享楽
0766
金曜日。俺は教室で総菜パンを食べていた。なんたることか、最寄り駅にたどり着いたとき、すでにスーパーは閉店していたのだ。食材が買えなくては弁当は作れない。かといって有り合わせで満足させられるような物を作れるほど俺はまだ手錬ていない。涼花にはずいぶん文句を言われてしまったが。
仕方がない。月曜日には万全の準備で最高の俺製弁当を作って見せる。その決意はさらに揺るがないものとなった。
入見は毎日弁当をつまみ食いするためだけに俺のクラスまでわざわざきていたのだが、今日は欠席したらしく俺の失態は露呈せずにすみそうだ。間が良い奴。
0767
チャイムが鳴った。
0784
下校時刻。入見を待とうとして休んでいたことを思い出す。病弱そうには見えないがあいつはたびたび学校を休んでいる。少し最近ましになったと思ったがそう簡単に人は変わらないものだ。
対して俺は一年と少しの学校生活で一度の欠席や遅刻をしたことがない。中学のときは皆勤賞を貰ったくらいだ。
0786
突然どこからかバイブ音が聞こえてきた。耳障りだな鬱陶しい。などと思っていたらどうやら音源は自分の鞄らしい。前に携帯電話を開いたのはいつだろう、などと思いつつ鞄を漁る。奥底からでてきた傷だらけのいわゆる黒のガラケー。
0787
電話だったのだろうか、すでにコール音は消えている。こういう場合どうやって確認するんだっけか
ホーム 〉電話 〉着信履歴
これか。
《涼花 5/25 15:37 不在着信》
涼花からか、わざわざ電話してきたということはなにか急ぎの用があったのか。ならばこちらから掛けなおしたほうがいいだろう。
中央の決定ボタンを二回押す。
《呼び出し中・・・・・・》
少し曇ったコール音。俺から涼花に電話するなんてもしかしたら初めてなんじゃないだろうか。まあそれはないか。
《呼び出し中・・・・・・・・・》
・・・プッ
出た。
「ああ、えーともしもし、俺、秀だけど」
・・・・・・・・・
「ん?電波悪いのか。聞こえるか?」
・・・・・・・・・・・・
サーという薄いノイズ音がやけに大きく聞こえる。少し待つがなにも聞こえない。
「なんか聞こえないから掛け直すぞ」
そういっていったん電話を切る。
《通話終了 1分24秒》
《 再ダイヤル 》
再びコール音。
《呼び出し中・・・・・・》
・・・・・・プツッ
「ああ、もしもし、聞」
『お掛けになった電話は、電波の届かないところにあるか』
おい、
「まじかよ・・・」
俺は耳から電話を離し、通話を終了する。
なんだよこれ。どうしたんだ。
落ち着け。考えろ。
0787
最初のコール音、大体20秒ほど。これは涼花本人ないし涼花の携帯電話を操作した誰かによるものだ。この時点では電話の向こうには誰かしらがいたことは確実。
次に俺が電話を掛けなおしたとき、コールが終わってから30秒もたっていない。これには一分ほどのコールで電話に誰かが出た。しかし俺はなにも聞き取ることが出来なかった。電波が悪かったせいか、それとも
「黙って俺の話を一方的に聴いていた」
肌が粟立った。だとしたらそうとう気味が悪い。なんのためにそんなことを。悪戯の可能性も完全にないわけではないが、だったら二回目に掛けなおしたときに笑ってネタバレのはずじゃないか。
二回目、あのアナウンス。この数秒間で電波の届かない場所に入ったとは考えずらい。仮にそうだとして涼花はこの時間に圏外ぎりぎりの場所でなにをしているというんだ。今はまだ学校で部活だろう。
そうだ、普通なら今は部活の最中、そもそも中学校で堂々と通話などできるわけがないのだ。それはいま、涼花が普通ではない状況にあることを指しているのではないか。
次の可能性として電源が切れたということ。これが最も現実的ではないか。しかし涼花本人が掛けてきたとすれば自分で電源を切ったというのはおかしな話だ。電池が切れたというのは最も分かりやすい説明だが、電池残量がぎりぎりの状態で通話をしようとしたという謎が生まれる。メールならばさほど電池も消耗しないし、用件を伝え終わる前に電池が切れる危険もない。わざわざ通話してきたといことはメールを打てなかったから?
考えれば考えるほどわからない。ただ、一つこの考察には共通している部分があった。
「涼花は今なにかしら普通ではない状況にあり、俺と早急に連絡を取る必要があった。しかし、何らかの原因により今携帯電話は使用不能になっている」
念のためもう一度掛けてみる。
・・・溜息。やはり同じアナウンス。これで先の予想はほぼ確定。
もし何事もなかったら?そうしたらただの笑い話で済む。それが一番なんだが。
行くべきだ。行かなければ一生後悔する。
そんな気がした。走る。
0819
どのくらい走ったのか、駅はいつになく遠かった。途中走りながら涼花の中学校と自宅に電話したところ、涼花は先ほど下校したとのことだった。部活はオフだったらしい。家の電話は誰も出なかった。
だとすると下校中に電話を掛けてきたということか。ますます不安になる。
0827
ようやく駅に着いた。が、様子がおかしい。
0841
0872
人が多い。改札前に置かれた低いホワイトボードを見る。
二つ先の駅でなにかトラブルがあったらしい。上下線ともに運休、再開のめどは立っていないとのこと。
「こんなときに、」
0899
「あ、先輩!」
0900
こんなときに。
「ちょっと急いでてな。すまないが今度にしてくれ。じゃあまた」
そういって半ば強引に別れようとすると雨鳥が止めてきた。
「待ってください!」
「急ぐんだ」
「なにがあったんですか」
「説明している時間が惜しい」
「妹さんのことですか」
え。
「なんで・・・。何か知ってるのか?」
「はい・・・。さっき知らない人から聞きました」
知らない人?どういうことだ。
「先輩に伝えろって言われたんです。『三上涼花が今おまえが会いたがっていた人物のところにいる。』と。それだけ言ってその人は人混みに紛れて行ってしまいました。顔は見えなかったです。すみません」
俺が会いたがっていた人物。
「これ、どういう意味なんですか。先輩の会いたがっていた人って、誰なんですか?」
言うのか。こいつに。
言えば確実に巻き込むことになる。これは俺個人の問題だ。
「すまない。言えば巻き込むことになる。おまえには関係ないことだ。忘れてくれ」
0930
雨鳥はうつむいて少し悲しそうな顔をした。たのむ。そんな目をしないでくれ。
「関係ないなんて。って言ってくれたのは先輩じゃないですか・・・。私だって」
なにも言い返せない。つくづく情けないな俺は。
「私だって先輩の力になりたいんです。もうここまで巻き込んだんですから、最後まで付き合わせてください」
「死ぬかもしれないぞ」
脅しではない。
「構いません。私こう見えて結構しぶといんで」
そう言って彼女は笑った。
「わかったよ。そのかわり危険になったら逃げろ」
おまえと引き替えに何かを得るなんて事はしたくない。
「もちろんです!」
0945
俺は今までの事をかいつまんで説明した。
電話のこと、視線のこと、それから[俺が会いたがっていた人]のこと。そしてこれからしようとしていること。雨鳥は真剣に聞いてくれた。
アマトリ
電車が動き出したらしい。
「結局走らないほうが早かったみたいだな。ありがとう」
三上先輩は無愛想だがこういうところで優しい。
「いえ、私はなにも」
なにも・・・。
なにか、できるのだろうか・・・。
「どうした?」
「いえ、なんでも無いです」
それを言ったらおしまいだ。先輩だって出来ることは限られている。同じ不安を持っているはずだ。自分が弱音を吐くわけにはいかない。
電車が滑り込んでくる。私たちは無言でそれに乗り込む。
あのときと似ている。ちょっとだけそう思った。見てるかな桜空。
ふと視線を感じ振り返る。先輩の言っていたあの視線だろうか。だとしたら今ここで感じるというのはおかしい。きっと気のせいだ。そう思って自分を落ち着かせた。が、先輩もまた落ち着きがない。
「気づいたか」
小声。こちらを見てはいない。警戒している。
「はい」
私も小声で返す。
「おかしい。なぜ」
先輩は独り言の様に呟いた。私もまた同感だった。ふいに電車が揺れる。慣性の法則により、私はバランスを崩し、先輩にしがみつく形になってしまう。ああもっと身長があればドア前の吊革でも捕まることができるのに。
「二つ先で乗り換えだから」
それでも先輩は冷静に計画を遂行している。
冷静に?よく見ると少し赤面ぎみなような・・・。だめだだめだ。これはあれだ、自意識過剰というやつだ。私こそ冷静にならなくては。
「あの、そろそろ離れても・・・」
「はわっ、ご、ごめんなさぃ」
言われて気がついた。いつまでもしがみつかれて見つめられては先輩だってそれは恥ずかしいだろう。冷静に、冷静になれ。
私は火照る頬を叩いて気合いを入れ直した。
だが、効果はいまひとつだった。
1021
いつもの乗換駅、の二つ手前。いつもここで多くの乗客が乗り込んでくる。主要路線から在来線への乗り換え駅といったところか。目の前のドアが開き、俺たちは降りる客の邪魔にならないように一旦ホームに降り、待っていた人の列の先頭につく。ちらりと同行者の顔を見る。雨鳥はどこか緊張した面もちだ。人が出きったところで乗り込む。再び先ほどの位置、ドア横のスペースに滑り込む。
出来るだけ空いているドアからご乗車ください。
曇った構内放送が響く。
ドア閉まります。お荷物お体引いてご乗車ください。
今だ。
俺と雨鳥は息を合わせてホームに飛び降りる。後ろで扉が閉まる。成功か?
それはまだわからない。が、少なくとも俺たちの他に駆け降り下車をしたものはいないようだ。見渡すと同時に電車の乗客を瞬時にカウントし、右手が計数機に出力する。
1925
「行きましょう」
「ああ」
2009
乗り換えた先の電車は通勤時間にしては空いていて俺たちは二人並んで座ることができた。雨鳥はスマートフォンを操って俺が頼んだ情報を集めてくれている。俺はとくにこれといってやることはない。思索を巡らせながら手元の計数機を見つめる。最近こいつにぜんぜん構ってやっていない。それが良いことなのか否かは俺には全く判断のしようがない。もっとも俺の意志とは関係なくこいつは人を数え続けているが。
母が死んだとき、俺は世の中のなにもかもが信じられなくなり。目に見えるすべてのものがただの無味乾燥な物質でしかなくなってしまった。人は「数」だった。ただの動く単位。数は俺の見る世界を最も的確に表現してくれる唯一にして無二の存在だと、そう信じていた。
もちろん今でもそう思っているわけではない。この世は俺が観測しなくても動き続けるし、人は皆それぞれ自我を持って動いている。だが、ふとそれが信じられなくなったとき、俺はまた数に縋った。いつでも逃げられるように、俺は計数機を手放さなくなった。そして今もまたこうして心を落ち着かせている。
こんな話は誰にもしたことがない。ばかげていると笑うか、気味悪がって距離を置かれるか、いずれにせよ良い結果につながるとは思えない。共感してくれる人が現れたとするならば、そいつはきっと殺人鬼かなにかだろう。人を数として見るなんてどうかしてる。それが一般論だ。逆らうべきではない。
2010
ふいに鳴る携帯電話。既視感。俺はすぐに画面を開き確認する。雨鳥も反応して画面をのぞき込む。
《新着メール一件》
《受信箱(1)》
『お役立ち情報』
なんだ、これ。一時期流行ったようだが俺はメールマガジン、会員登録が必要なものなどには一切入っていない。とするとこれは。
躊躇はない、開いてみる。
『三上涼花は今市内のとあるマンションの一室にいます。今日の夜半、奥ノ沢林道に運ばれます。たぶん明日のうちにバラバラになりますので助けたくばそれまでに。』
ふざけている。なんのために。そもそもこれは本当なのか。だめだ落ち着け。考えろ。
もしこれが本当だとしたら辻褄は合う。
俺の推理通り涼花はやつの元に居てこれから殺される。そして俺がやつを見たのと恐らく似たような場所に遺棄される。
この文面から行くとそれを阻止するためには今日中に涼花を助け出さなければいけないらしい。
「どこからどう見ても罠だ」
思わず俺は口に出していた。
「そうですね」
雨鳥も同意する。さっきまでとは目つきが違う。自覚したのだろう。自分が今なにをしようとしているのか。
罠だとしたらどうする。なにか相手の意表を突いて涼花を救い出し無事に逃げ仰せる事の出来る妙案が・・・浮かぶわけがない。どうしたってリスクが高すぎる。やはりこれは、
「乗るしかないな」「行きましょう」
同時だった。
そうだ。この罠に掛かってみるしかない。もしも情報が適当で俺たちが林道に向かっている間に涼花が殺されていたとしたら、俺たちは警察に行きこのメールを証拠品として提出することが出来る。今からそうしてもいいのかもしれないが、時間がない。
時計を見る。
17時47分。今涼花は、それを考えると胸が痛くなる。場当たり的犯行ではない。俺がもっと早く気づいていれば、こんなことには。
ちらと見ると隣では既に奥ノ沢林道の場所が検索されていた。そうだ。今出来ることをすべきだ。件の林道はここから一本電車を乗り継いだところにあるらしい。
「レンタルバイクの予約は出来るか?」
移動手段は不可欠だ。
「先輩免許もってたんですか!?」
驚かれても。一年前。そういえばあの時周囲は反対していた。涼花は賛成してくれたが。そういえば二人で旅行に行こうと約束したな。懐かしい。
「持ってるとも。とってから先週で一年になる」
今は二人乗りだって合法だ。
「へぇ」
「疑ってるな。こう見えても俺、運転は結構自信あるんだ」
雨鳥は笑った。
「信用しますよ」
「まかせとけ」
雨鳥は再びスマートフォンを操作した。
2019
2027
19時04分。予約したオートバイを受け取り、俺は雨鳥を後ろに乗せて夜の林道へと向かっていた。400ccのオンロード。多少心許ないが仕方ない。
買い物は済ませた。後は走るだけだが、これから先山道を約20kmを走破しなくてはならない。緊張する。
ふと雨鳥が後ろから背中を叩いてきた。何か言っているようだが二人ともフルフェイスのヘルメットをかぶっているため声はよく聞こえない。一旦バイクを端に寄せて話を聞く。
ナトリウムランプの光が薄暗くあたりを照らしている。
「今携帯電話が鳴ったんです」
そういって雨鳥は携帯電話を取り出した。
ふわりと雨鳥の顔が画面に照らされた。強張った表情。
メールボックスを開く。
《お役立ち情報②》
来た。今度は雨鳥の方に。お前だけではない、ということか。
『ショータイムのお知らせ。奥ノ沢林道プレハブ小屋にて24;00より開催いたします。どうぞお楽しみに。P.S.三上涼花はまだ生きています。』
なるほど。そこでまとめて終わらせようということだろう。24時か、まだ時間はある。だが俺たちがその時間にできることは少ない。早く行かなければ。行って、やるべきことをやるんだ。
思考は単純化していた。危険はかえりみない。
効率的に、冷静に、冷淡に、冷酷に。
2035




