6/司祭ヒリエム②
化け物である。
今月でもう四台か。目の前にある無残に引き千切られた行商のキャラバンの馬車を横目に遺体が見つからないか馬車の中を調べている。
馬は全て逃げ出している。馬車の引き手の席に血痕が複数ある。馬車が樹木に衝突して壊れているので、走行の最中に直接に乗り込まれたと私は見る。それで操縦の効かなくなった馬たちが樹木を横切って森に逃げ、衝突の衝撃で中の人間が動けない隙に内部に侵入を許し全滅したのだ。
内部には血で一面が赤黒く装飾されているようであった。
「死体はやっぱり一つもないのか」
私の横で町の大男ララヌイにそう問われ、こくりと首を縦に振る。今月でもう七回目のその行為に死を悼む気持ちは初めの頃ほどはない。
「やっぱり、狼か熊ですかね。少なくとも盗賊じゃないですね。荒らされてはいますが食糧ぐらいしかなくなってませんよ」
「馬鹿野郎。ここらの動物にこんなえげつねぇ真似ができるかよ。きっと南ハイルの異人種が戦争のどさくさに紛れてここいらに入り込んだに違いねぇ」
「そんな話聞かねぇぞ。真っ先に王都で被害が出るだろ普通」
「王国なんか信用ならんよ。わしらの頃のが遥かに良かった。近頃は偉い人なんかひっとりもきやしねぇや」
「そんなことよりラエじいさんこれどうするよ。まさか置きっぱなしにする話もあるめぇ」
私と共に検分に来た筋肉だけが取り柄のクッタリアの町の田舎者どもは好き勝手にほざいているがまず先にやることがあるだろう。
「みなさんお静かに。死者への祈りを」
「そうじゃな、司祭様。ほれお前ら、集まらんか」
私の右には町最高齢の自警員であるラエじいさんが、左にはその自警団の現団長であるララヌイが、私に寄り添って黙祷を始めている。
ノートルニア教では死は循環を意味し、また新たな生を受ける神聖なものである。
なので、死体が見つからない場合があればその場にいる者全員で簡易的ながら儀式をしなければならない。司祭がいなければ町村の長、それもいなければ最も高齢の者を中心に寄り添い死者へ薫陶を与える。
それを死者に告げ、神々には死者が虚無に還されぬように嘆願する役割が私である。
もちろん私に死者や神々と話しをする力などないが、聖ノートルニア時代書にはかつて対話ができた人間がいたと書いてある。
役割をもって生まれた我々が神の元、つまり無に還されることはこの上ない不名誉なことであり、また同族として神の赦しを受けられるように祈るのだ。晴れて現世に留まった死者は土や塵芥となり、ハイル大陸と同化する。もしくは巡り巡って生者として生まれてくる。
この生者として再び生まれる際は人間、他種族問わないらしい。我々には死すらも神に与えられた役割なのかもしれない。
「それで団長。その積荷はどうしますかね」
「ダミ。少し黙ってくれ」
「いや、しかしこのままほっとく訳にも。それこそ盗賊にでも持ってかれたんじゃ二次被害がありますぜ」
「分かった。分かったから。ダミお前は町から荷馬車を持ってこい」
「へへっ、はい」
ダミは町長の息子である。だからという訳ではないが自警団内でも彼は他者とは扱われ方が異なるらしい。彼の兄たちの件もあるのだろう。
私が十代で親の手伝いをし始めていたころはまだ可愛げのある坊やであったが、何台も行商が壊滅し思わぬ金銭を得たことに味をしめ、今ではすっかり目の前の惨事にかまわず火事場泥棒的意見を真っ先に言い出す厄介者である。
彼に感化されたわけでも諭されたわけでもなく、町の人々も金銭的な面で積荷を貰い受けることには賛同せざるを得ず、今では町の財源のほとんどがこれだそうだ。相当な儲けだ。
ナルシア帰りに襲われるのが大半で町の貯蔵庫には砂鉄や石炭、油や日用品が山積みになっている。
とりわけ不作ということもなく町で食事に困ることなどはないが、ナルシアとの付き合いで技師が国に盗られた後も武器を仕入れていた町の商人たちは王国付近は国産の装備の普及のため売れず、遠く北の地まで売りさばきに行かねばならない。
また、ナルシアへ向かう見たこともない新規の商人たちは抜け目がなくこちらの足元をみて安く作物を得るため町の人々は日に日に追い詰められていっていたのだ。
「ヒリエム司祭。そろそろ祈りの言葉を」
若い自警員のジャイに急かされ、町へ馬を走らせるダミの黒髪を見ていた私は簡易な言葉で祈りを捧げる。
言葉などそれこそ無意味なのだ。
ノートルニアの時代書自体には祈りの言葉の記述などなく後世に広まった俗事であることは百も承知だが、人々を安心させるためには仕方がない。祈るも祈らぬも無である神々へと伝わる訳がないではないかとも思う。
私の生まれ故郷クッタリアは北ハイルでは中央付近にあり、昔から商人たちの宿場町として栄えたようだ。
私の家系は代々神職やその関連職に努めているらしく、王国の大神官からも時たまお呼びにかかっていたらしい。それも三代前までで最近は周辺の村町の教会などに巡回もしながら生活をしている。各地への巡回もここ四五年でその数が減った。
町の商人の話によると「流れが変わった」のだそうだ。軍事力、農業、工業、宗教施設は王国に集中し、各地の貴族や領主を集め集権化というものが進んでいるらしい。それで王国は今てんやわんやで地方がその煽りを受けているという。
「この五名の名も分からぬ迷える魂が我が神に召されず、またこの地で生を受ける事を深く望みます。ノートルニアの神々の僕の名のもとに」
「え、ヒリエム司祭。五人が乗ってたってなんで分かるのですか」
若者ジャイに問われて疑問に思った。見ればわかるだろうと。
ララヌイが気を揉んで私の方を見ている。何だ。どう説明すればいいのだ。そんな私たちを見かねてか老ラエが口を挟む。
「司祭様の家は先々代から死体の数を当てるのは得意じゃったからな。先々代の兄弟の墓守のじいさんみたいに死者の臭いでも嗅ぎ分けられるんじゃろか」
「いえ、そんなことは」
「ではどうして」
「血だよ」
先ほどからそわそわしていたララヌイが割って入った。
「ヒリエムは前から血の飛び散り方から怪我の原因を当てるのが上手かったよな。ほらあの俺の妹の飼い犬が死んだ時だってさ。刃の鈍い刃物でやられたって言い当てたじゃないか。町の鍛冶屋の息子の。出てっちまったけど、あいつが試し切りしたんだって、捨ててあった短剣見つけて後で分かったし」
「わしゃそんなこと知らんぞ」
「ラエじいさん。あんたなんかには言えるはずもないだろ。死んじまった鍛冶屋の親父は俺ら子供に優しかったし、あんたはまだ気性が荒くて何するか分かったもんじゃなかったろ」
「わしは昔から町の人気者じゃったぞ」
そんなどうでもいいことを聞き流しながら、自問してみる。
血の飛び散り方なんかでそんなことが分かるのだろうか。気にもしたことがなかったがどうもそうなのかもしれない。
「それで国からの派兵の話はどうなったのでしょうね」
「あれな。あれは町長が渋っていたがどうにかそろそろ来るらしい」
「なんだい王国の兵隊さんが来てくれるのかい。わしらがこんなことするのもこれで最後かな。あの山賊町長の悔しがる顔が見たいわい」
ふと、あの森の向こう側で何かに見られているような錯覚に陥る。
馬たちも何かに脅えているようだ。
どうにも気分が優れない。何か厭なことがこれから起こるような、見てはいけないものを見てしまったような、そんな予感がしていた。