54/死霊術師ヒリエム⑩
その姿に私は動揺を隠せない。あの男がいる。あの醜い男が周りを怪物で固めてこの砦の中に入ってくる。
わざわざ姿を晒してまでどうして。いやそんなことより本当にこの怪物たち全部を統率していることが驚きであった。
いつそんな時間が。クッタリアで私が退治したのはただの一部だったのか、初めからこの数を用意して私を、私とアトゥスの力を探していたのか。だから、あんなに自信満々で私にあんな無茶な交渉をしに来たのか。
ここに来た理由は言うまでもない。私に死に方を、この技術を受け渡せるような死に方を教えに来たのだ。
私にも逃げ場がなかった。
動く絵には次第にこの一室に迫る男が見える。この場所を知っている。
あの男はこんなところで怪物が町にきた原因は私だというのか。私に知識があると、禁忌を知っていると言いふらすのか。
そんなことをされてはこの兵士たちにも何をされるか分かったものではない。このローバスという男はあんな本を読む。
時代書の解読などと御大層なお題目の本だ。
解釈には色々あるというのに。どうせ偏った考えを押しつけるような本なのだろう。
しかし、時代書について書かれた本である事には変わりは無い。禁忌について何と書いてあるのか心配でならなかった。禁忌を犯すもの生かすべからずなどと書いてあったなら、このローバスは私を殺そうとするのだろうか。
きっとする。自分の大切な本にそう書いてあったならきっと自分の兵に命令するだろう。私ならそうする。私には死の選択しか残されていないのか。
私は辺りを見回す。この遺跡。そうだこの遺跡に何かないのか。このような動く絵があるのだ。
何かあの男を、始末する何かは。
私は手当たり次第に遺跡の物に触り始めた。きっとアトゥスの降霊術のように押したり引いたりすれば何かが起こる。そう確信し手荒に辺りの物を動かしだす。
「ななな、何してるんですかぁ。あなた!」
貴族の男がまるで生きているのに墓に入れられたように騒ぎ出す。
「触らないで。触らないで。駄目です。何が起こるのか、全く予想ができないんですよ。私たちに対する罠だってきっとある」
小太りな男が私の邪魔をしてくるが構うものか。
台の上にたくさんの石がある中の一つの石を思いっきり押す。
石は押し込まれて台に沈んだ。
「ああ、なんて事を。」
男が動く絵のあった壁を指さした。
何やらこれは読める。数字だ。一つは固定した数字の横に変な記号がある。もう一つは次第に減っていく数字。これが何を意味するのか。
「きっと罠だ。この部屋の侵入者を排除する。早く。早くここから抜け出さないと」
もう手遅れだ。怪物たちがこの直ぐそこを彷徨っているのが壁の絵で分かる。
「モルチス様。この陰へ。ここに隠れて」
従者の男たちがそこの部屋の角の物陰へとモルチスと呼ばれた男を座らせた。
「よし。お前たち忠義を尽くすんだ。主人の周りで固まれ。いいか!絶対にモルチス様に怪我をさせるな。矢が降ろうと剣が飛んでこようと守りきるんだ」
ローバスと兵士たち、町の男はもう事の顛末に身を任せるしかないと。しかし、モルチスは抵抗した。
「やめるんだ。君たち。やめるんだ」
小太りな割には力がないのか。周りの使用人たちに押さえつけられて動けないでいる。
数が十を切った。もうすぐ何かが起こる。
あの男が来る前に。私の罪が晒されない事を強く願った。外で何かが強く閉まる音が聞こえた。
何か粉が宙を舞っている。あの怪物たちがもがき苦しんでいる。あんなに斬りつけても怯まなかったのに。壁の動く絵には怪物とあの醜い男が苦しむ様が鮮明に描かれていた。とてつもない勢いで壁に書かれた数字が、固定されていた数字が減っていった。
「これは凄い」
貴族モルチスの感嘆の声が。
兵士ローバスの驚嘆の表情が。
火傷の痕が酷い男の羨望の視線が。
恐ろしい光景であった。怪物たちは一瞬のうちに火達磨になり次第に蒸発していく。
そこには液体が。人の形をした液体がもがき苦しんでいる。あまりの燃焼の早さに人の形のまま苦しんでいる。
あの男は――
あの私を脅した男を探す。どれもこれも激しく燃えていて見分けがつかない。
この建物の中にまであった矢倉なども消し済みになっている。備え付けてあった剣なども溶けてなくなっている。
――どこだ。
あの男を探しているとあの魔物。液体の魔物たちが一塊になっているのが見えた。
そこにいた。中に人影が見える。あの醜い脅迫者は魔物に包まれている。
やり過ごそうとしていた。まだまだ数字はなくなっていない。これが全て燃えて無くなるのも時間の問題だ。次第に魔物が蒸発していく。
私はやったのだ。あの男を秘密を抱えさせたまま墓場まで送ってやった。というか墓にすら入れない姿にしてやった。
あの数字が零を示す。これで終わったのだ。この灼熱の地獄絵図が。また新たな文字と共に数字が現れ減り始めた。
これはなんだったのだ。ただの侵入者への罠だとしても。ここがその罠を作動させる部屋だとしても。余りにあの燃え方はおかしい。
火も使わずになぜあんなに燃えたのか何があれを燃やしたのか。
分からない事は限りないが、ただ危機を脱した。それだけで十分ではないか。
「これで終わったのでしょうか」
私は聞いてしまった。誰も分からない答えを求めて。
「いや、外にはまだいるはずだ。どうにかせねば」
ローバスが息も絶え絶えに答える。そうか。外の奴らがまだいるのか。
しかし統制者がいないのだ。魔物はこの世から消えて無くなっていないだろうかなどと安易な希望的考えに浸ってしまう。
「だが、またこの中に誘い込んで燃やしちまえばいい。だろ?」
傭兵の男が嬉々としている。
「カルベスさん。たぶんそれは駄目です。もう無理だ。僕たちが来た時ともう状況が違う」
モルチスはこの建物の数字の意味が分かったようだ。
初めに動いていた数字のはこの灼熱地獄を発現させるのにかかる時間を表し、次に動いた数字はきっと燃料の貯蔵量なのだと言った。
そして、今動いている数字が灼熱の後に外に出られるようになるまでの時間だと。数字が次第に減っていく。
カルベスがその意見を聞いていたにも関わらず扉を開こうとしたが、全く動かない。カルベスはこちらを向くと――どうもそうらしい――といったしたり顔でこちらを見てくる。
なんて迂闊な。確認のためとはいえ、もし開いてしまったら、私たちまでローバスのような、それ以上の熱に苦しんだかもしれないのに。私たちはそれからしばらく部屋の中で待つしかなかった。