53/兵士ローバス⑪
「君。そこの君。この町になにか良く燃える物はないのかい!」
なんとか怪物を抑える。いや押されている。
クッタリアの人々は既に誰もがどこか隠れる場所を探して走り回っている。何日もあの怪物の行動を見ていたのだ。慣れてきたのだろう。
今助けが必要なのはこの町の人間だ。後ろで怯える人々。その中の良い物を来た貴族風の男に話しかける。
「燃える物。燃える物ですか。ええ。ええ」
無理もない。男は混乱しながらも必死に思い出そうとしている。
「それで奴らを撒く。一時しのぎだが。炎で燃やして灰にするまで強力でなくてもいい。奴らは良く燃える。その内にどこか隠れられる場所か高い場所に退避するのだ」
「あります。兵士さんありますよ。ありますとも。私の主人の銃のための火薬が樽に入っています」
この男は従者であったらしい。
それにしても火薬が樽に詰められているとは、あの苦い思いをした地で奪った銃から私たちが発見したのも火薬だ。王都では見たこともない。しかし、それで鉛玉を射ることは身を持って知った。そうか、あの燃焼する粉が樽に詰まっているのか。
「どうすればそれは燃えるのかね?私には知識がない教えてくれ」
「あ、あれは木炭、硝石、それにあの硫黄の配分より出来ていまして」
「そんなことは聞いていない。どうすれば燃えるのかね?」
「あれは火を付ける必要があります。一瞬で爆熱します」
それでは火の球にしてぶつける事は出来ない。どうするか。
「それに水を含むと爆発しなくなるので。あ、あと衝撃でも爆熱します!」
熱心に説明してもらうのはありがたいが、どの程度の衝撃で燃焼するのかが分からない。この弩を射る程度で燃え上がる保証はない。
「銃は。銃の使い方は――」
「私が。時間がかかるので私が弾を込めます。そしたら縄に火を付けた状態で渡しますので、その弩と同じように引き金を引いてください。良く狙わないと外れますが。火薬を爆熱させるには十分でしょう」
貴族の従者の男はそういうと近くの銃まで走っていった。
なるほど。勇敢である。私たちの保護の元に怯えるだけの人物ではないらしい。
男は火薬や弾を込め始める。ずいぶんと面倒な作業に見える。私があの地で見た物はもっと素早く装填してきて恐ろしかったが、これはそれほど怖くない。
「みなさん火薬樽はどこに」
後ろの従者の一団に聞いた。あそこです。あそこです。とみんな口々に言いながら近くの小屋を指さす。
「誰か樽を持ってきてくれ!」
返事は無い。あの男だけが特別怖い物知らずであるのか。無鉄砲であるのか。無理もない。
「それで貴方たちの主人はどこです?」
後ろに見える。大きな建造物を指さした。木の矢倉なども建てられていて砦として使われているのか。
「では貴方たちは主人の元まで走ってください。その主人と安全な場所に隠れて」
これには従者団は返事もせずに走り去っていった。
恐ろしくて恐ろしくて逃げろと言われるのを待っていたのか。それとも私たちが危険な目にあるから見切りをつけたのか。全く。こちらを手伝うつもりはなかったらしい。
「ローバス隊長、私が行ってきます。隊長は点火の用意を」
おう、と私が返事をするのを待たずに小屋へと走っていった。自分から行動を起こす事をこの悪夢の日々で会得したらしい。
「あんた、まだか。これでは持ち堪えられないぞ」
私も矢を弩に付ける時間が惜しいほどに苦戦していた。二人の兵でこの場を守りきるのは無理がある。腰の剣を掴み抜き出す。樽が来るのが先か。銃の用意が先か。どちらにしても早くして欲しい。
「何をしているのです。早く逃げなさい!」
「司祭か。貴方こそ逃げろ」
ヒリエム司祭が複数の傭兵を連れ立って駆けつけてきた。
これには助かった。逃げろなどと言ったが、この場に一緒に留まって欲しい。
傭兵たちはみな虚ろな、死んだ魚の様な目をしていたが、この状況だ無理もない。
目と鼻の先で傭兵が腕を切り落とされても戦っていた。
あれは。何だ。全く怯まない。
あれはあの共食いの怪物だ!
あの怪物もここにきている。しかし、なぜ私たちを助けるように戦う。なぜあの時抵抗をしなかった。もしや、この怪物たちは味方なのか。
そんな考えが頭を過ぎるが今はそんな時ではない。
「用意できました」
従者の男が私に銃を渡してきた。そして縄に火を付けた。それと同時に叫び声が聞こえた。
「隊長。樽がそっちに行きます!行きます!」
振り返ると大量の樽がこっちに向かって転がってきていた。
樽は横にして縄で繋いでいたのか。これなら樽を運ぶ時間が省ける。
「よし。みんな樽に気を付けろ。当たるなよ。後ろに下がってあの砦まで行け。あの火薬樽が化け物どもの前まで行ったら私がこれで撃つ。」
私が少しずつ他の者よりも遅い速さで後退する。狙いを外すわけにはいかない。出来るだけ引きつけた状態で必ず当てるのだ。
「隊長。隊長ももっとこちらへ」
部下の声が聞こえるが無視する。
今は少しでも時間を稼がなければ。
樽が私を通り過ぎる前に化け物が私に襲いかかってきた。不味い。とそんな私の前にあの傭兵たちが躍り出てきた。
私の代わりに怪物の餌食になる。なんてことを。英雄的行動だ。こんな自分の身を犠牲にする程の心意気があるのなら、傭兵などで身を腐らせることなどなかったろうに。
その考えは直ぐに捨てる事となった。
――これは。
怪物に首筋を齧りつかれても全く怯まない男たち。これは。この傭兵たちも怪物なのだ。
そうかやはりこちらの味方をしているのだ。私たちを庇っているのだ。
幾つもの樽が私の横を通過する。樽は怪物たちを巻き込みながら進んでいく。
今だ。今しかない。
あれが怪物でなく本当に人間であったら。しかし、人間であったとしてもあの私を庇った行為を無駄には出来ない。
中央を転がる樽に狙いを定める。顔を銃に近づけ過ぎている。顔に縄の火の熱が伝わる。その熱さなど気にはならない。今は引き金を絞ることに精神を集中する。そして、放った弾丸が樽に命中すると、周りの他の樽を巻き込むほどの爆発が起きた。
「だ、大丈夫ですか。この兵士さんは」
少しずつ意識がはっきりしてきた。
――私は。
体中が痛む。
「気付きましたか。隊長。よく無事で」
私は気を失っていたようだ。それがなぜ。
「司祭や我々で運んだのですよ。この貴族の従者が真っ先に走り寄って。我々も無我夢中でしたよ」
部下の一人が泣き顔をしていた。
そうか成功したのか。良かったと思う。
「もう少し近ければ一緒に爆発に巻き込まれていましたよ。あんな無茶を。爆熱する事を伝えましたのに。なぜ!」
私の足から木の破片を取ってくれているあの勇敢な若者が問いかける。
私にだって意地がある。あの怪物たちに好き勝手やられるのは癪だ。
「ほ、ほかの人々は……」
声が擦れてあまり喋れなかった。
あの熱で喉を焼かれたのか。息を吸っていたら肺まで焼けてしまっていたであろう。なんと幸運な。
「俺の娘や町の人々は家に立て篭もっているよ。今はこの砦の周囲にだけだ。あんな気味の悪い奴らがたむろしているのは。それにしてもあんたは良くやったよ!」
「あー。良かったです。良かったです。無事で良かったです!」
恰幅の良い小太りな男がなぜか泣いていた。余程泣き上戸なのか。見ず知らずの私にために泣いている。
「ここは――」
ここは砦の中か。どこなのだ。一体。周りには何やら複雑な文字などがある。見たこともない物だ。一体ここは。
「ここは、この遺跡の最も重要とされる場所です。です。ここをこじ開けるのには一週間かかりました。あの化け物にも直ぐに開けられないでしょう」
遺跡。これはそんな物なのか。
直ぐには開けられないと言ってもここは歩いてこられる場所にあるのか。
なんてことだ。これではまさに袋の鼠だ。逃げ場がない。
「そんなことよりあれを」
司祭や傭兵の生き残りの酷い顔の男は何やら壁を見つめている。
ただの壁ではない。不思議な絵だ。そのとても精巧に描かれた絵が動いている。この遺跡に。中に怪物たちが入ってくる様子が描かれている。
なんてことだ。本当に逃げ場がなくなった。