41/超犬チャップス③
チャップスは激しい爽快感と力強い何かが自分の体に入り込んだことに気付いた。
それはチャップスの意識を一瞬奪ったが、チャップスの肉体を支配するには及ばなかった。
チャップスは目が覚めるとララヌイたちの元に戻っていた。隣には自分を蹴り飛ばした馬がまるでチャップスの仲間であるかのようにいる。
蹴り飛ばされた痛みはもうないが恨みを晴らさんとばかりに馬の首元に噛みつき肉を引き千切った。引き千切った傷跡から何やら粘性のある液体が伸びる。まるでチャップスに纏わり付くように。チャップスが千切ろうとしても切れない。
その時また、力が漲る。そうか、これがこの若い力の衝動の元なのか!
チャップスは馬から液体を絞り取るように何度も何度も噛んでは飲み込み噛んでは飲み込んだ。
「チャップス止めろ。チャップス!」
まだ実際の距離よりも遠くから主人の声が響くが、今まで味わったことのないこの何とも言えない清涼感にチャップスは勝てずについに馬から啜るように液体を飲み干してしまった。
馬は倒れ込んで動かなくなった。そして見る見るうちに朽ちて無くなった。
さらに力が漲ってくるのが分かる。この自分の小さな体がまるで大きな塊へと膨張していく感覚がチャップスの五感を刺激する。目の前にはまだまださっきの液体がある。
欲しい。欲しい。
そう願ったチャップスは次の獲物に齧り付いた。
チャップスが次に起きた時には主人が傍らで心配そうにしていた。馬車の中である。
座席にはヘミンがいる。チャップスと主人にヘミンと馬。それだけしかいなかった。
「チャップス。お前。どうしちまったんだ?」
主人が心配そうにチャップスの体を擦った。とても優しく。チャップスにも先ほどの出来事は何であったのか分からなかった。ただただあの快感に抗えなかっただけだ。
今も自分の体の中にあの力があるのが分かる。その所為か、チャップスの体はとても逞しくなっていた。
「あんな物食っちまって大丈夫なわけないわなぁ」
ヘミンの声が聞こえる。今は遠くから聞こえはしない。
「今から町に戻っても遅くはないよ?ララヌイさん」
「いいんです。町にはその内に国の兵隊がやってくるでしょう。私たちはあの怪物に待ち伏せされたんですよ。とても厭な予感がしますが、このまま町に戻ったら私たちを標的にしている怪物を引きいれる事になりませんか?」
「私は、町の自警団と兵隊に守ってもらった方がいいと思うがね。」
「それにチャップスがあの怪物みたいに何時ならないとも限らないでしょう。チャップスがあれを退治できるのは凄いですけど、町中で化け物になられでもしたら取り返しがつかない」
「でもなぁ。怪物を誘い込みながらチャップスに退治させるのはどうかと」
「チャップスはあれを見つけると一目散に。食事に行く時みたいにはしゃぐから止められませんよ。だったら少しでも多く怪物を退治してもらわないと」
「チャップスがあの怪物みたいになったらどうするんだね」
「私とヘミンさんが死ぬだけです」
「それは困るんだが」
「王都なら何かあの怪物の正体が分かるかもしれませんからね。退治しながら少しずつ行きましょう」
「王都にチャップスを。怪物になるかもしれない犬を入れるのはいいのかい」
「だから退治しながらなんですよ。それにチャップスも見てもらわないとあれが何なのか分かり様がないですからね。それに家族がいない場所でチャップスの様子も怪物の正体も分かるかもしれないなんて行かない選択はないです」
「分かったよ。分かった。私は今の話は聞かなかった事にする。ワインを一本空けてくれ。酔って忘れちまおうか」
主人が何を言っているのか同じ種であるかの様に分かった。チャップスも賛成である。ララの所に怪物を引きいれる事だけは絶対にしたくなかった。
それから数日の間、化け物を捕食しながら王都への道を少しずつ進んだ。
だが、計画が少し狂った。チャップスが食事をしている際に一人の兵士が馬で通り過ぎたのだ。そちらを追いかける獲物を狩るのに少々時間をかけ過ぎてしまい瀕死の馬とその乗り手を王都まで急ぎ送ることにしたのだ。
ヘミンが渋ったが荷車の荷物をほとんど捨ててまであの老いた馬は荷車に縄で括りつけてここまで運んだが直ぐに往生するだろうことをチャップスは知っている。
あの兵士が手遅れだったとしても馬の種類をみれば何処産だかいずれ分かるだろう。それであの男の素性を調べる助けになるとララヌイが言っていたのをチャップスは覚えている。
しかし、急いで王都に来てしまって良かったのだろうか。まだあの獲物が食べられるならチャップスにとっては嬉しい事だが、ララヌイに罪悪感が生じるかもしれない。そうならないためにも私が退治しなければとチャップスはまるで人の様に感じていた。
チャップスは王都に着くとララヌイによってそこらじゅうを歩きまわされ、やっと何かの調査機関があると噂を知った。国の執務官に取り次ぎを頼んだが体よく断られた。
信じていないのだ。チャップスはそれで良かったと思う。ララヌイは考えが及ばないようだが人間は信用できないのは昔から変わらない。信じられていたら今頃、どこか誰も知らない場所に送られる様な気もしていた。
それはとても怖い事だ。
チャップスはまだ気付いていないが彼の中で起こった変化は並々ならぬものであった。この変化を彼が自覚した時、果たして彼は幸福に思うのだろうか。