29/闘いの始まり①
それは月が雲に隠れた暗い夜に現れた。
ふら付きながら町の中へと入り込む侵入者。その服はぼろぼろで血で赤く染まっていた。脚は折れ曲がり腕も首までも折れていた。生きているのがおかしいくらい肉体が崩れている。
大分腐っているのだろう。
その異様な人間の姿の化け物は容易に見つかった。町中松明で照らされていた。巡回する者もその手には松明を持っている。持ち主を失った資源はこうして利用されたのだ。
巡回者はすぐさま声を張り上げながら町の矢倉を駆けあがると鐘を引っ切り無しに叩き続けた。
「来たぞー!来たぞ!みんな配置に急げ。急げ!」
ついにその時が来たのだ。
町の戦士たちは夜は各家に潜んで今まで過ごした。夜間、戦わない者は最も丈夫な町長の家の二階に密集し、その闘いが終わるまで固唾を飲んで見守る。
鐘がなっても家に潜む戦士たちは飛びださなかった。巡回者を中に入れると扉を固く閉め、全員が屋根に上る。
策があるのだ。
囮と思われる商人風の姿の生ける屍にローバスは照準を合わせる。矢には松明から火が灯され、それをゾンビに放った。
死体はよく燃えた。あの速さでは家に辿り着く前に消し炭になる。火事になる事は無い。それを見越した火矢であった。
町中の明かりで良く見える。町を取り囲むように動物や人間の死体がいた。
「よし。矢を番え!」
弩や石弓に矢を装着し、各自が目標を定める。狙うは脚。動きを封じてこちらが有利にするのだ。
「良く狙って。放てぇ!」
次々と標的に着弾する。みごとに脚や関節に入り込む矢じり。
しかし、死体たちは一歩も動かない。いや動けないのか。ローバスはほくそ笑む。神の御加護だと。
「よーし。次は反対の脚を狙えぇ!矢を番えぇ!」
狙う射手たちが慌てだす。
死体が一歩一歩動きだしたのである。
「焦るな焦るな。良く狙え。奴らが聖域に入ろうとして立ち止まった瞬間が勝利の時だ!」
それも想定済みだ。
ローバスには自信があった。奴らが邪悪な者であるならこちらは聖域の中から迎え撃てばいい。それだけなのだ。そう邪悪な者であるならば。ローバスの作戦は出来が良かった。
司祭に大量に聖別させた聖水を布に染み込ませ、地面に吸われて乾かぬように板きれの上に乗せる。これを町の四方を囲むようにして陣を作る。これで簡易な聖域の完成である。
しかし、人の死体より先んじた足の速い動物の死体はそれを乗り越えてきた。これも想定済みだ。教会とは違い簡易な邪法である。効果があっても、どの程度かまでは分からない。聖水の染みた布を踏む事は出来なくとも乗り越える事はできるかもしれない。
「慌てるな。まだだ。狙いを定めろぉ!」
だが、ローバスに抜かりはない。町の非戦闘員が隠れる町長の家を筆頭に重要な拠点になりえる家々の外壁には同じく聖水が染みた布や聖水を吸わせた木々を打ちつけてある。これなら家に触れる事はできまい。
第二の聖域である。
「よーし。引きつけろぉ。用意ぃ!」
残念なことに意気込むローバスたちを不測の事態が襲った。
馬の死体が入口が分からず家の壁に激突し首がへし折れるも生きた馬のように死にも、聖水に触れて怯みもしなかったのだ。
完全に一同は意表を突かれた。慌てる者、命令なく矢を射る者、家々の屋上は狼に囲まれた子羊のように阿鼻叫喚と化した。
ヒリエム司祭に霊験がなかったのか、はたまた神はいないのか、ローバスの聖域への理解が悪かったのか分かりようもないが、それぞれが各々にその不満に区切りを付ける。
戦わねば死ぬ。
それは明白であった。
町長の家の女子供が危ない。そう気付いた妻帯者やまだ若い青年たちは次々と死地へと下りる。助けに行かねばならない。
「おい。持ち場を離れるな。上から狙え。射手は絶対に持ち場を離れるな!」
そう叫ぶローバスであったが、その指示に従うのは一部の模範的戦士と一部の臆病者だけであった。
「孫の敵じゃ。残らず神の国に送ってやるわい。二度と生を受けんようにな。」
生きる家族より死んだ者のために飛び出す者もいた。このラエもその一人であった。ラエは屋根に上らず家の中にいたのだ。兜と鎧を身に纏い、いつ襲われるかもしれないにも関わらず。その手に握る剣と鎚に込められる思いは孫のためか己のためか。