23/町長ダート②
私は考えあぐねていた。これからどうすべきかを。ダミに兄らを呼ぶように命じたが、一向に息子たちは来ない。
あの男、ローバスの言うことがもし、万が一正しかったとしたら国に救援を頼むなどと悠長なことは言っていられないはずだ。だが、あの男は私たちに逃げろなどとは言わなかった。
なぜなのだ。
事が重大なのであったならばまずは自分たちが逃げる事を考えるであろう。しかし、あの男は町から出る事を禁じ、町の警戒だけに力を注ぐような行動をとっている。私たちに町から出るなとは言わないが、町の自警団や自分の部下には町の中でのみ行動するように命令していた。私たちでその太古の魔術の化け物に勝てると本気で思っているようにも見えない。これでは自殺行動も甚だしいではないか。
「親父、トッドの兄貴が話があるって」
ダミが兄を連れてきた。
広間に入ってきたトッドは疲れ切っていた。私はそんな息子を強く抱きしめる。まだ震えている。
「息子よ、良く生きて帰った。ティッカーはどうした。一緒に来なかったのか?」
「今あいつは駄目だ。あの森で頭がおかしくなったんだ。部屋を閉め切って俺も入れてくれないんだよ」
「そうか。その森での真相について聞きたいのだよトッド。私に話してくれるかい?」
「ああ、俺もお義父さんに話があります」
とても真剣な表情だ。何かを決めた様な。
「そうか。先に聞こう」
「いえ、義父さんが先に」
「わかった。私の聞きたい事は直ぐに終わる。落ち着いて話してくれ。あの兵士の言っているように森で化け物に襲われたのか」
「俺は森で何があったかまでは知らない。馬車の見張りをしてたんだ。そしたら、そしたら」
震えが大きくなっている。それほど恐ろしい体験をしたのか。普段のトッドはこんなに取り乱すことはない。
「いい。いい。無理に話すな。あの男の言っている事は真実なのか?」
これだけは聞かなくてはいけない気がした。
トッドはただ首を縦に振る。あの男と私が何を話していたかなど知るはずもないだろうに。あの男が自分の体験と同じことを語ると信じている。
これはどうすればいいのか。本当に化け物などが出たならば私は第一に息子たちの事を考えなくては。もう三人しかいないのだ。遠くの友人との約束より、この非常時では近くの息子たちのことが心配でならなかった。
「お前の話は何だね。トッド。少しずつでいい。落ち着きながら喋りなさい」
トッドは呼吸ができないほどにしゃくりあげている。ダミはそんな兄を心配そうに見つめている。声をかけることなどできない。
大の男が子供のように泣くほどの辛い目にあってきたのだろう。私はトッドが自分から話しだすまで待つことにした。
「お、俺、俺。義父さんの期待にはもう」
「いい。いい。ゆっくり話せ」
「も、もうこんな町に残りたくない。義父さんの手伝いは出来ない」
「そうか。そうか。トッド。そんな事で気に病むな。私もそれを考えていたのだ。それで、これからどうしたいんだい」
森での恐怖と私への罪悪感で一杯なのであろう。私が許してやる事で少しでも気が楽になればよいが。
「俺、死ぬ前に義父さんの故郷に行きたいと思っていたんだ。教えてくれよ」
「そうか。そうか。分かった。こっちに来なさい」
トッドを自分の前まで近寄らせると私は椅子から立ち上がり、また息子を抱きしめた。耳元で私の故郷を教えた。
「誰にも教えていないのだ。秘密にしてくれよ」
「ああ。義父さん」
トッドに少し元気が戻った。
ダミは静かに事の次第を見守っている。
「ダミ。お前は――」
「親父。いいよ俺は。俺は親父といる」
「義父さん――」
「いいんだトッド。お前はお前の好きなようにしなさい」
心が折れてしまったのだろう。トッドは私の息子たちの中でも最も頼りにしていた。
腕力や行動力ではなく、初めて拾い育てた孤児だからで思い入れがあるのだろう。
私の実の息子であるダミにも血の繋がらない兄弟であるとは思えないほど親しい。だから捜索隊に加えることを真っ先に決めたのだ。しかし、どう見ても今の息子にその面影はない。
「俺と義父さんはやっぱり家族にはなれなかったんだよ」
「そんなことはないぞ。なぜそんな」
「ダミだけは選ばなかった」
「お前も分かっているだろう。ダミはまだ子供だ。半人前にお前たちと同じように仕事は任せない」
ダミが会話に割って入ろうとしていたので腕を上げ制止した。
ダミは苦虫を潰したような顔をして頷いた。
これだ。まだこいつには事の分別が出来ない。実の息子ながら私に似ているのだ。出来もしない事を出来ると言う。
私と違うのはまだ真の恐怖を味わっていないという事。
トッドは私には過ぎた子だ。ティッカーや他の息子たちも出来た子だ。恐怖に立ち向かって死に、トッドはすぐに逃げださずに私にこれからの事を話しに来たし、ティッカーは自分の中の恐怖心と向き合っているのだろう。
「でも、でも……」
トッドがこのように聞き分けのない子供のように甘えるのは初めてだ。
幼いころからいつも私とは養父と義子という関係の線を引いたように他の子ほど甘えてはこなかった。母親が出来てからもだ。そのくせダミには一番兄のように振る舞っていた。
ここは彼の期待に応えてやる時かもしれない。
「お前が望むのなら、王都の友人宛に文を書こう。そこで新たな人生を始めるのもいい」
抱きしめていたトッドに不意に突き飛ばされた。
「俺はそんなつもりじゃ」
私は息子の期待に応えられなかったらしい。幼少の頃より見てきたのに、息子のことが今も何一つ分かっていないのかもしれない。情けなくなった。
「トッド。お前たちの言う事が本当なら、こんな町にはもういられない。何か理由を付けてお前たちは逃げられるようにするつもりだったのだ。お前だけじゃないティッカーにもダミにも選択はさせる。だから気負いせずに――」
「あれは本当だよ。ただ、お、俺は親父と離れたくないんだ。親父に死んでほしくない。だ、だから、数十年も会ってない、俺たちが会ったこともない貴族なんかのためにここに残る必要はないよ。なあ、ダミとティッカーと家族みんなで逃げよう。貴族なんて俺らに何をしてくれるわけでもないだろう?」
張りつめた空気が破裂したような音がした。
私はトッドを、息子をはたいてしまった。
「あの人の事を悪く言うんじゃない。彼は私にとってたった一人の友なのだ。」
我ながら心にもない事を言うものだ。
それならなぜあの時、何もせずに逃げ帰った。
友人のためを思うならあの時にあの化けサソリを仕留めでもして少しでも功を立てて成りあがっていれば、今も友人のために少しでも役に立てただろう。
友人は私を許してはくれたが、私の彼を裏切ったと言う思いは今も変わらない。
私は結局、彼を自分が成りあがる手段として見ていたのだ。だから今も彼を通して自分が良い思いをするためにこんな町を、町の人々を治めているのだ。
「分かったよ。義父さん。俺はティッカーとダミを連れて義父さんの故郷に行くよ」
「勝手に決めるなよ兄貴。俺は親父とこの町に残るぜ。折角今日までこの町を守り続けてきたんだ。何が化け物だ。その貴族から親父と死んだ兄弟の分の報酬をもぎ取るまで俺は一歩も引かない。この町にはどれだけの軍備が整ってると思ってるんだ。人手さえ揃えば、幾らでもやりようがあるだろう。投擲機を引っ張りだせば農民だって立派な戦力だ。兄貴だって思い直せ。この町から出て行ってどうする。また一からやり直すのか。親父みたいに余所者として」
「ダミ、お前は……。あれを見てないからそんな寝言を!」
トッドはダミに掴みかかった。
私が止めるべきなのだが、私もまだ考えあぐねていたのだ。
最近の経済状況が芳しくないからまだ砦はないが、剣や槍、鎧に盾と一揃いしてある。町の人に狙いを気付かれないように少しずつ少しずつ増やしていったのだ。
表では自警団のための予備の物だ備蓄品だなどと言って。私の所有する納屋には干し草に埋もれている買い付けた投擲機もあるし、酒を入れる木箱には石弓だって納まっている。
私はあの時とは違う、何もできない若者ではない。ローバスの話を聞く限り、家々を障害物に見立てれば動く死体ごときに後れは取らない。投石で潰し、矢で動きを抑え、生きている意味がなくなるまで切り刻めば良い。
この町から男を全員兵隊として徴用できれば、一個小隊以上の戦力になる。司祭だろうが老人だろうが自警団員以外も訓練対象にしてきた甲斐がある。
しかし、もう一つの考え、というより強烈なイメージが脳裏から離れない。巨大な鋏に切り裂かれる戦友の身体、毒針を刺されて苦しみながら死んでいった都の人間。
あの時はそうだった。私は一目散に逃げた。仲間を見捨てて。あの時は何とかなった。一人の英雄のお陰で。
だが今はあんな英雄はいない。訓練を幾ら積んでも所詮町人だ。農作や狩、売買だけをして危険から離れて生きる事しかしていない人間たちが恐怖を知って逃げ出さないと誰に言える。兵士であった私でも逃げ出したのだから。
「トッド。ダミ。止めろ。無駄に争うな。これからの事は、家族みんなで話し合おう。いいな。お前たち二人でティッカーをここに連れだしてくるんだ。引き摺ってもいい。今は個人的な感傷で時間を浪費するのは得策ではないと。それまでに頭を冷やせ。私たちは紛れもない家族だ。話し合えば必ず答えが出る」
私はこの事態に対する答えを後回しにした。
この後、家族が集まったら他人任せにもするだろう。私にはどちらも選びがたい。その理由がある。三人にもローバスが言った事を正確に伝えなければならない。そして、彼が私たちに逃げろと言わない、ある意味不審な行動をとっていることも。