21/町長ダート①
どうやら記憶が錯乱しているようだ。支離滅裂な用語を並べたてては興奮した様子でこちらを睨む。私は整理するために少しの間、席を立った。
たった四人の帰還者。馬車は壊れ、私の息子も疲弊している。
何かに襲われた。ここまでは分かる。しかし、なぜこのような戯言を真剣に私に訴えるほどになったのであろうか。
この男は疑り深い男である。私の事も疑ってかかっていたので、どうにか話を逸らし、私の秘密に踏み込まれないようにしたが、一人の見張りがこの捜索の間も付いていた。
何の事は無い。町の警戒にしては交代もせず、町中で聞き込みなどをしていたが、私の家の近くを通る際のあの慎重な動きは、私への警戒心の現れであろう。
この男は何か私を騙そうとしているのであろうか。いやしかし、どんなに金を積まれても私の息子たちが私を裏切ることはありえない。
これはこの兵士ローバスの策に乗るふりをして情報を私に渡すための息子の知恵であろう。
これからこの男は追いだしたら呼んで問いただす必要があるな。
私に褒められたいのか。
しかし、単独行動は計画の綻びを生む。叱る必要もないが、なんとか戒めさせねば。これからの事もある。
「なぜ、私の話を真剣にお聞きにならんのかね」
ローバスは口から泡を吹き、その熱弁に拍車がかかる。
彼が資料という、卓上のその本たちはただの頭のおかしな人間の妄想の産物にしか私には思えない。
聖ノートルニアの歴史を疑う訳ではないが、こんな話は聞きいれることなどできない。
所詮は物好きの行き過ぎた見解でしかない。
「到底理解など出来んのだよ。君の話はあまりに突飛過ぎる」
次に卓上の汚物を指す。
ただの腐った動物の頭である。動くことなどない。汚らしい液体が切り口から溢れているのみである。
「こんな物を私の家に入れて、おふざけがすぎるのではないかね」
「ふざけているのはあなただ町長。私以外の者にも話を聞きなさい。誰もがこれに襲われたのだというだろう。町に持ち込んだ時はまだ目玉がぐりぐり動いていたのだ。見ていた者もいるはずだ!」
「そんなに興奮するものではない。信じがたいが貴様の話をゆっくり聞いてやろう」
何の魂胆があるにしても話を聞かなければ事の進展はないようだ。後で息子から事の真偽を聞けばよい。
「それで本当なのかね。これが先ほどまで動いていたというのは?」
「もちろんだ。こんなくだらない嘘をつく意味などないだろう」
「私も戦場で色々な物を見てきたが、こんな話は馬鹿げている」
「まだ言うか。この分からず屋!」
ローバスは激しい剣幕で今にも私に殴りかかってきそうだ。それを抑えて必死に説明を続けさせる。
「それでこの術者を見たのかね?」
「見てはいない。貴方だって元兵士なら知っているでしょう。どんなからくりにせよ術者は隠れるものだ。あなたはどこに赴任した事があるので」
「貴様に教える筋合いはない」
「私はこの派遣の前、東の地にいました。あなたは?」
真摯な瞳でこちらを凝視する。
曇ったガラスの様な眼球に私の姿がうっすらと映る。私は苦悶の表情を浮かべているのか。
思い出しているのだ。この地にきてから新たな使命に燃える事で忘れようとしていあの出来事を。
私の生まれるずっと前から、北ハイルと西ハイルと呼ばれる地には明確な境界線がある。
砂漠である。
日中は照りつける太陽の業火に身を焼かれ、日が沈むと優しい月明かりが我々を死の眠りへといざなう。
砂漠の先には龍の血を引くという異人種が生活を営んでいるとされるが、この砂漠が彼らを阻み、この北ハイルの大地を彼らが踏んだ事は今まで数えるほどしかないと故郷の物知りな貴族の友人に聞いたことがある。
私は寒冷なライマーン出身でありこの乾燥地帯の気候に慣れるまで優に五年を超えた。
隣人との境界壁は砂漠があれば十分という訳でなく、砂漠の生物がこちら側に侵入しないように高い石の城壁が砂漠と草原に挟まれて延々と続いている。これがいつ建てられたのか定かではないが、時には敵を阻み、時には奴隷の脱走を阻んできた。
この地に大昔に存在した人間の国家は、捕獲した異人種や人間の奴隷を平等に捌いていたそうだ。奴隷は闘技場で戦わせることもあったそうだ。
その時に様々な人種の血の味を覚えた砂漠の生物が化けて徘徊しているとそんな与太話まであった。
故郷の友人の助力により、より安全な西ハイルの地方の国境の警備に付けはしたのだがこの寒暖差に殺されそうになった。そんな時私たち警備兵は日の出ている間は鎧を脱ぎ棄て、灼熱の外気から身を守るために黒いローブを何枚も何枚も重ねて頭まで羽織って暑さを凌ぎ、月の出ている間は日中のままの恰好で身を寄せ合いながら火の番をした。
鎧などいらなかったのだ。
砂漠の冴えた空気の中で見る夜空は故郷での光景とは違った意味で格別であった。しかし、そんな地で私は大きな挫折を経験することとなる。
刻一刻とその事態は迫っていた。そんなことも露知らず私たちは突如崩壊した城壁の修復作業に携わることとなった。熱砂の砂場で石でできた積み木の割れ目に粘土を塗りたくり手頃な石を合わせる。
この城壁は既に大した価値がなかったので人員は余計に割かれない。材料もその場の間に合わせで作った。この城壁は満足な修復も再建もされることはない。ただ役目を果たしていた時代と共に風化していくだけであった。
それがあのサソリの魔物が現れて全てが変わった。私は故郷の友人との約束とそこでの仲間を失い、除隊を決意した。
それからというもの私は目的を忘れて故郷に逃げ帰るつもりであったのだが王都に着いた私を出迎えたのは誰であろう故郷の友人であった。各所の最も貴い貴族は合議制の議員として新たな国家運営の役に立つべしと御達しがあったのだ。
合わす顔の無い私はただただ逃げ出したい気持ちで頭がパンクしそうであったが、その友人は私の裏切りを快く許してくれた。何か新たな計画ができたようであったが、私は申し訳なさと情けなさで彼からの新しい計画への参加の誘いを断れなかった。
それからである。
私は新たな使命に打ち込み、あの砂漠の城壁は新たな未知の侵入を防ぐ役割を得たのである。
結局私は西ハイルの警備に就いていたとだけ話し、過去をローバスに打ち明けなかった。
私には何が友人の考えの妨げとなっているのかが既に明白であった。
私の愚かさである。
友人もそれを心の隅で理解しているのであろう。私に彼の計画の全貌は伝えられていない。
あれからもう何十年が経ったのか。友人との関係を誰にも知られないために接触は絶っている。私には彼がどこで何をしているのかさえ知りようがない。彼は私の愚かさをからかっていただけなのか。もしくは、もう彼の言っていた計画など忘れて王都の貴族議員として優雅に生きているのだろうか。
それならまだいい、もし友人がまだ何か企んでいるのなら私は私の役割を全うしなければならない。今の全く理解不能な事態は私にとってかなりの重荷であった。また友人の不利益になってしまうのではと恐れていた。
「分かった。貴様の直感を信じてみよう。私はこの町が守られればそれで良いのだ」
「ありがとう。ダート町長。ではこの紙にサインと拇印を。これで王国への正式な要請ができる」
たったそれだけのことだったのか。
既に夜が明けかかっている。これから息子たちを呼んで真偽を確かめねばなるまい。私の息子だとも知らず、生き残った町の団員たちはとても怯えているとローバスは私に伝えてきた。
もちろん何があったか彼らにも聞くつもりだと答えるとローバスはそうですかと深く礼をしてから一言残し、私の家を後にした。
「あなたを怪しんでいましたが、そんな小事ではなかった。これだけは私に言えます。あれを発見することが私のここに来た役割だと。それでは失礼」