18/兵士ローバス④
「私は居残りですか。なぜです!」
「君には町長を見張っていてほしいのだよ」
ジャーンははっと思いついたようである。
「あの町長がこの事件の鍵を握っていると」
「いや、そういった訳ではないが。怪しいのだよあの男は。何か隠している」
「それなら他の者にでも――」
「そういう訳にもいかない。君が話を聞いた中にもあれの手先がいたかもしれん」
「それじゃあ尚更、私がうろついていたのでは隊長が怪しんでいると敵に伝える様な物です」
この若者は思い込みが激しいのが難だな。
人を信じる時も怪しむ時も自分の思い込みに入れ込んでしまうのだろう。思考の二極化が激しい。
「ジャーン君。いけない。早とちりはいけないよ。まだ何も確証はないんだ。彼らは今は敵ではない。今のところは」
「それに連れていく町の者が多すぎます。あれでは不意打ちをされては幾ら正規の訓練を受けたとはいっても、味方に後ろから攻められるかもしれないなんて」
「いいんだ。いいんだジャーン君。落ち着いて聞きたまえ。たしかに連れていく全ての自警団員が息のかかった者であるかもしれない。しかし、下手な手はそうそう打たないだろう。あれは慎重な男だと私は感じている」
「隊長は何をお考えになっているのです。同じ兵である私にも話していただかないと共に行動しようがありません」
「私も正確に何が起こっているのか確証がある訳ではないんだ。だから、余計な先入観を君に与えないためにも話さない」
「それでは自分の役割は。それだけでも話していただかないと」
「今話す。今話すから落ち着きたまえ」
ジャーンの様子を見る。
私が村長から得た情報やそれに対する私の考えを伝えないで、ただ村長が怪しいというので大分混乱しているようだが少しずつ落ち着きを取り戻している。
それでいいのだ。一兵士が感情的になるものではない。
「いいかね。君はただ村長を遠くから見張っていればいい。間者の訓練などしていないのだから、当然ばれるかもしれないのだが、それでいいんだ。彼が何を部下に命じているかは知らないが、私が怪しんでいるとそう思わせておけばいい。炊煙でも何でも彼らには合図があるかもしれないがそれは無視していい。彼がこの件の犯人であるなら私たちを始末しにかかるかもしれんが始末しろの合図なのか始末するなの合図なのか私たちには見当もつかない。だから、ただ見張っているのだ。分かったか?」
「それでは隊長の身に何かあった場合、どうすればいいのですか。私たちも町長に消されることは」
「そんなことはない。隊の者は何も知らないんだ。狙われるとしたら君だよ。ジャーン君。」
ジャーンは驚いたような悲しいような顔をする。
もちろん仮定が正しいとしたら残った隊の者にも害が及ぶことは必然だが、この際、彼の性格を理解した上で彼に行動させなければならない。
「いいかね。君は私が戻らなかったら真っ先に王都へ行き、ここで何を見聞きしたのか、そして私の身に何かあったことをコーマック兵士長に伝えるのだ。それが役目だ」
「あの兵士長にですか?」
「そうだあの兵士長にだ。後は彼が何とかしてくれるだろう」
希望的観測である。何かの証拠があるわけでもない。ただ確信しているだけだ。町長が怪しいと。
だからその私の個人的考えは兵士長には伝えさせない。余計な、情報ともいえない噂話は排除し、ただ私たちの身に何があったのか調べてもらえればいいのだ。
死体が全て消えているというのも何か理由があるのだろう。ならば死体がひとつでも残っていれば傷痕から獣の仕業なのか人の仕業なのか自ずと判明する。町長の仕業だとしても私たちか町に残った兵士が抵抗をすれば、何人かに手傷を負わせることは容易い。
ありえないと思うが町ぐるみでもないのであれば事態は明るみに出る事になる。何か秘密があるなら炙り出せばいいのだ。
これで保険は済んだ。私も何が起こっているのか到底理解できない事に怯えている一人なのだ。取り越し苦労だろうが、手を打たないことなど私には出来なかった。
「それでは自警団のみなさん。まずはヘミン行商の馬車のあった場所付近までご案内を」
やはり私は臆病の自火に責められていたのか。
町長の選んだ団員たちはどれも若く悪事の片棒を担がされているような雰囲気ではなかった。もしくは、自分の意思で悪事を働いているかだが。
町から離れてしばらくすると炊煙がいくつも上がっているのが見えた。私たちの出発を見物に来ていた町の者が食事を作っているのであろう。煙で何かを知らせるというのも我ながら馬鹿げていたようだ。
「ローバス隊長。もう猛獣の目星がついたので?」
「いやついてはいない。死体を残さず持ち帰るような動物にも心当たりがないよ」
「それでは私らは何を退治にいくのです」
「それを確かめに行くんだ。怪しい集団が活動をするなら洞窟で、というのがお約束だ」
「はぁ」
この者は本を読まないのか。大抵の冒険譚でも何でも洞窟といえば何かあるものである。
それになぞらえた冗談であったが真面目に捉えられてしまったか。
「それで団長らの馬車があったのはどの辺で?」
「もう少し先に行った辺りですよ。もうすぐです。急がせましょうか?」
操者を選ぶ老馬の馬車を町に置いていき、町の馬や馬車を数台借りて目的地を目指す。
襲われた馬車があった交易路には血だまりの跡があったが目ぼしい物は特に落ちていなかった。やはり洞窟を調べてみるしかあるまい。死体を隠すのはとても骨の折れる作業だとうのは知っていた。
深く穴を掘り埋めると土が新しくなりばれてしまう。ばらして川に捨てようにもそのばらばらにするには苦労が絶えず、腐敗ガスによる膨張や異臭でどのようにしても目立ってしまう。
東の地では私はとても辛かった。心が張り裂けそうであった。
実際に体験するまでは半信半疑であったがあの異種族は殺した敵の死体を醜悪なモニュメントに作り替える事を趣味にしたとても耐えられない習慣を持っていた。
新鮮な死体は木に括りつけたり一部分を装飾品にしたり、腐ってきた物は煮えたぎる鍋の中で肉がそぎ落ちるまでぐつぐつと煮込み骨だけにした。
同胞がそのような悲惨な目に合わないように死を冒涜されないように私たちは懸命に死体隠しに取り組んだがほとんどの者は見つかって彼らの日用品などに化けている。
森の深くに入ると馬も却って邪魔になるというので馬車は森の入口で数人の見張りを付けて置いておくことにした。森の中はあまり気持ちのいいところではなかった。ここも死の臭いがこべりついている。
もし後、あの異種族が持っていた銃という物からでる硝煙の臭いがしていたら私はあの時の恐怖を完全に思い出してしまう所であった。
「うへぇ、くせえな。何が腐った臭いだこりゃあ」
私には分かる。血と肉と五臓六腑を胃液が溶かす臭いだ。とてもじゃないが慣れることなどできない。
鼻から脳天までを鈍い鑿と槌で抉られるような、魂と肉体を無理矢理引っぺがすような我慢できない臭い。
口を開いて喋りなどするから臭いをかなり深く吸い込んだのであろう。
私の従者であるかのように供をしていた男が、熊の亡骸の前で立ち止まる。
息絶えて腐乱した動物はあのノートルニア時代書に描かれているという強大な力に敗れる人間のようで、それに小さな龍が炎を吐きかけているようだ。
まだ戦場にもでたことがないのだ。繊細さの欠ける光景を眼前に無理が生じたのである。
男はだらだらと涎を垂らしながらも私に謝罪をする。
あらかじめ分かっていた事だ。彼ら私に付いて来た者たちは口で息をするなという私の忠告を受け入れた。
私たちは十数メートル間隔を空けて森の中に次第に溶けていく。まだ早朝だというのに森の中は世界の終りであるかのように薄暗かった。
暗い森の中をどれほど歩いたのであろう。大した距離ではないはずであるが、森の中の光景に一同は時間の感覚を狂わされる。
最初のうちは私たちはあまり歓迎されていなかった。ところが森の中で幾つもの動物の死体とその臭いに囲まれているうちに、ここにいる私たちには一種の仲間意識が生まれていた。
この森で生を失っていない者は私たちだけだという強迫観念からくる物である。
混沌と災厄に満ちた禁断の地。
私は偽善に満ちた言葉を口にするためにここにいるのではない。
「人が見えたぞ」
ついに待ちに待った瞬間が訪れた。古木の背後から一人の生者が現れ、我々に背後を見せたまま森の奥へと向かっている。
その姿は疲弊していた私たち捜索隊を再び立ち上がらせた。町の自警団の若者が一人駆け寄る。私にはそれが探し人であるのか否か判断は出来ない。
若者は生者にゆっくりと近づくと歩幅を合わせて歩き始め、顔を確認して振り返った。私に向けられた眼差しには焦燥からの脱却の喜びが込められていた。
「コーブさんです。無事です。」
こちらにそう叫ぶ若者の首に男が牙を突き立てた。