17/司祭ヒリエム③
厭な予感は的中してしまった。あれほどの惨劇を起こせる者に対してたったの十五人で何ができるのであろうか。
この男はあれを見ていないのだ。
団長ララヌイらの馬車のあの有様を見ても、あの化け物に人が勝てると思い込んでいるのか。いや化け物などいないと端から高を括っているのだ。眼前の真実が見えない男に何ができようか。
国の兵士ローバスはこれから町長の推薦のあった八人の男どもを加えた計十五人でこれから猛獣退治に行くようだ。
私たち町人には何があったのか知る由もないが、町長との話し合いの結果、共同で作戦に臨むようなのである。町の安全も考え、訓練された兵隊を置いておくのはいいとしてなぜあの化け物に対して町一丸となって対処しないのか不思議でならなかった。
私の教会では持ち主の入っていない棺桶が五基、これからも人が入ることがないのを知っている。空のまま町の墓地に埋葬されるのだ。
折角の葬儀は中止となった。何を考えているのか。ララヌイたちが生きて帰ってくることなど、あの行商たちと同じくあり得ないのに。せめて家族や友人たちに死を悼む時間を与えてやることすらこの男は否定したのだ。
「司祭様。ヒリエム司祭様でございますか?」
私がナルシアへの交易路へ向かう一団を見送っていると町に残った一人の若兵士に声をかけられた。
「探しましたよ司祭様。まさかあんなところに教会を構えているとは思いませんでした。あれではあそこで何かに襲われても誰も気付きませんよ。これからは町の警護に自分たち正規兵が付きますので、安全のためにもこの町から出ないようにお願いします。」
よく笑うその若者を見ていると。
「司祭様。聞いていますか?自分の顔に何かついていますか?」
私が首を横に振ると。
「それでは、どちらへの返事か自分は分かりかねます」
また笑った。これでもう五度目。
この若者はローバスに頼まれて、町の人間からの情報集めと声かけを頼まれているらしい。町の人間の神経は擦り減っていたので、この話しやすそうな若者に町の安全を訴えかけるように言ったのであろう。そんなことをしても安心などできないだろうに。
私は若者の求めるままに情報を提供した。初めて被害が確認されたのはいつか。今までの被害状況は。そのひとつひとつの被害現場はどのようであったか。と子細に求められるのでそれに応えた。
他にも町の噂や歴史についても色々と聞かれた。そして最後に彼の中での素朴な疑問がきた。
「この町で何が起きているのでしょう」
「化け物だ」
私はそう答えることしかできなかった。
私は一度教会へ戻ることにした。アトゥスが自宅に籠っている。まだ朝食は持っていっていないので腹を空かせていることだろう。正気を失ってはいても飯は喉を通る。ただ人に会えないのだ。
私が行って彼を怯えさせてしまっても、私が傍からいなくなれば彼は普通の人の様に食事をする。毎日それの繰り返しである。他の者にはそうそう会わせる訳にもいかない。何を口走るか分からない。それで困るのは私である。
教会にある簡素な我が家に帰る。余り物を買い込まない質の私だがこんな時なので食料だけはある程度備蓄している。
アトゥスに何を食べさせようか悩む事は無い。自分が食べるのと同じく一番古そうな何かを持っていくのだ。
私はカビの生えていないパンを手に取り、皿に乗せる。最近は町で取れない作物は高いので町の小作人からの寄付金代わりの野菜や近くの山で採れる山菜を集めては食している。
小作人たちは豊作祈願の催しの際などに験担ぎに祈祷などを頼んでくるのであるが我々の神の創造物ではない侵略者である植物の増殖を願うとはまた奇妙な風習である。
だが、この祈祷が効果てき面なようで私たちは食うに困らぬ生活が出来ているのである。
甲斐性のない私の教会では独力で孤児などを養うことなど到底出来ないが、小作人たちのお布施があるのでいつ何時孤児が町中で助けを乞うても一人や二人なら受け入れる事も出来る。この町で孤児が出ることなどあのダートが町長になってからないのだが。
私がアトゥスの住居に着くとアトゥスは私が扉を開けて入る前から私に赦しを乞うている。
私が入ってからは一層必死になって詫びを入れてくる。
「赦してくれ。赦してくれ」
「アトゥス。私が赦す。だから正気に戻ってくれ」
「赦してくれ。赦してくれ」
これで何度目か。
私にだけ赦しを乞うアトゥスに何度も赦しを与えてみたのだが、彼はより懸命になるばかりで言葉が通じていないようだ。
厭になる。
前は私の唯一の理解者であるとまで思っていたのに今ではこれである。
「うるさい!お前など赦しはしない!絶対にだ!」
つい口走ってしまった。
アトゥスは一時驚いたような表情を見せた後、私の顔をじっと見つめて涙を流して言った。
「すまない。」
何年ぶりであったか。
アトゥスが正気に戻ったような、幻視する死者ではなく私に放った謝罪のような気がした。