12/商人ヘミン①
これは神の思し召しなのだ。
王都へ高級なワインを送る途中でこんな辺鄙な町で足止めを食らい、保存施設などもなくワインの品質が著しく損なわれることに心底辟易していた私のピンチに神がチャンスを与えてくださったのだ、と北のライマーン地方の都市ミラドラでワイン商を営むヘミンは感激した。
しかも距離は王都への十分の一と申し分なく、それを売りにナルシアに来訪中の貴族にワインの取引を持ちかける算段まである。
貴族というのはどれも見栄っ張りで嘘吐きで商売相手としては金銭面以外の利点などないがそれが重要なのである。
王都の貴族たちは本当のビールを北の田舎貴族は呑んだ事がないと馬鹿にするが、北の貴族は王都の成金貴族はワインの味も知らないのかと馬鹿にするものである。そこに漬け込むのだ。王都でワインを捌いても、今は北の貴族もほぼ王都にいる。北の貴族は味が悪いと安く買い叩くし、北の貴族が買わないような味の落ちたワインを王都の貴族たちが買うはずもない。
プライドだけは高い奴らだ。
しかし、高級ワインを普段買うような貴族は王都にいる。王都に向かうほかない。なんと忌々しい王国か。
だが、これはチャンスだ。ワインの価値を知らない王国貴族が近くにいる。邪魔をする者はいない。こちらの良い値で売れるだろう。ついでにワインに一番合うパンだとやっすいこの町のパンを大量に売りつけよう。これだけで浮足立つには十分であった。
利益の出ない時に利益を出す秘訣は今の状況を悲観することではなく与えられた物をフル活用することだ。
それから何としても早くナルシアの町へと向かいたいヘミンが一芝居打ったのは言うまでもない。なんとか町の人間を使ってナルシアまで行こう。今日までの分で雇った奴らは解雇だ。特に役に立たなかったから丁度いい。
そう画策するヘミンは初めに町の長を懐柔することに決めた。
この町へは初めてだが、情報収集には余念がない。町の人間に来たところ、ここの町長は山賊などと呼ばれるほど強欲なのだそうだ。前の町長が急死したのはこいつのせいだとまで言い張る者もいた。その町長を余所者なのだそうでそれもあって嫌われているのだろう。よくある話だ。しかし、そんな男が町長にまでなるとは意外とやり手なのか。そんな奴に話すなら一つだ。
儲け話を持ちかける。
ワインの性質など知らないであろうからこちらの状況などは話さない。ただ、ワインを売りたいから町まで案内と護衛を付けてくれと頼むだけである。その代償として一部の利益を奴にやろう。
賄賂だ。
獣だか盗賊だか知らんが、町の人間にはワインを売りに行くのが理由などとは言わない。金銭も与えない。その分をなるべく少なく町長に渡す。
完璧だった。傭兵などを雇えば命がけの仕事なら給与も馬鹿にならんが、町の自警団なら町長の一声で馬鹿のように働く。もちろんまともな人間なら自警団の人材費、設備費、維持費に悲鳴をあげて自警団縮小を叫ぶのだが、この町の自警団は装備の充実の割には、割に合う給与を貰っているようには生活からは見えない。
あらかた息子の身の安全のために装備だけは揃えてあって、他の団員は町のためと犠牲になっているのだろう。そんな奴が町長なら商機であり勝機だ。
自信を持っていけ弱みは見せるな。
そう心に言い聞かせて、町長への約束を取り付けた。このような事態に町長に忙しい仕事があるなどとは思わないが、あちらの顔を立ててやらねばならない。機嫌を損なうことは絶対にいけない。
そして、ついにその日が来た。
「この度はこのような忙しい時に御用立ての相談などしてしまい大変申し訳なく――」
「建前は言い。こんな金を掴ませて何がしたいのだ」
威圧的というか威厳のある声であった。元兵隊なのだそうだ。
とても大きく筋肉隆々である。しっかり情報を仕入れていなかったら私も少しちびっていたであろう。
「とんでもございません。何がしたいかなどと大層な事は思ってはいません。ただ町の食糧などもそろそろ手に入れませんと何かとご不便かと」
「笑わせるな。貴様などの心配などなくともこの町はしっかり機能している」
「そうでしょう。そうでございましょう。町で聞きましたよ。貴方様がこの町に来てより町の景気はうなぎ昇りだと――」
「余計な世辞もいらん。その様子だと色々と調べたのか」
少し勘が良いのか、話が漏れたのか。とにかく厄介だな。どうするか。
そう戸惑っていると町長の方から話を切り出された。
「馬車の荷台。あれにある物を早く売りにだしたい。そのようなことであろう。早く話せ」
そこまでばれてしまっているのでは仕方がない。これ以上こっちが弱くみられる前に話を通してしまおう。
「はい。おっしゃる通りで。私、ワイン商を営む者でして。それで、早く家に帰るためにも商品を売りたい次第でございます。そのために少々人員を貸してほしいと、頼みに来た次第です」
「ならこの町で売ればよいではないか」
「そ、それは……」
「なんだ、このクッタリアでは売れなくて、ナルシアでは売るのか?」
ナルシア。やはり話が漏れたか。いいや、他の者にナルシアの話などは。
ああ、あのうだつの上がらなさそうな商人から聞いたのだった。あいつがべらべらと他の者にも喋ったのか。だから駄目なのだ。
「いえ。あの。ナルシアでは貴族様が――」
「そうか貴族に売るようなワインなのか。町人に手が出ないぐらい高いのかな?」
駄目だ。この男にはかなり話がばれている。それならせめてワインが劣化寸前だと知られないように。
「ふふっ、町の者は知らぬが私は北の地の出身なのだ」
しまった。それならワイン商だと告げなければ良かったと思ったが後の祭りであった。
計画が全て潰れた私が黙していると不敵な笑みを浮かべながらこう言った。
「これならどうかな?私はこの金を返さずに貴様は騒動が済んでから王都でワインを売る。町に着いて何日経った?北の地方からこの町へは、何日だったかなぁ?いずれにしてもワインは売れないなぁ」
完全に勢いを失った私に町長は畳みかけてくる。
「それともこうだ。この金は返してやるからワインを一ダース頼むよ。たったの一ダースだ。ビールも蜂蜜酒も飽きたことだし、私も故郷のワインが恋しくなっていたのだ。それでこの町の人間を四人程貸してやろう。良い話じゃないか?」
全く良くない。貴族に売るワインなのだぞ。こんな端金とたった四人の人出で割に合うか馬鹿者。
しかし、雇った者も既にほとんどがこの町を出ており、いつ騒動が終息するか分かったものではない。何がいるか分かったものではない道を一人で馬車をひくなどまっぴらごめんである。
しかし、これでは儲けのほとんどが飛ぶぞ。ええっと、と金勘定をしている私の姿を嘲笑うように席を立つと去り際に町長がにこやかに私に囁いた。
「高級品のワインは初めてだからとても楽しみだよ」
この男、山賊より質が悪い。人を食ったような男である。
私はその後、四人の自警団員を寄越すように頼み、自分で馬車をひいてナルシアに向かうしかなかった。