第四章(1/2)
――――リンが家に来てから一週間が経った。
パパが仕事に出てからも一週間で……
そして、アスカと最後に会ってからも一週間だ。
正確にはアスカとはあの夜から一度も会っていない。
『俺も出来る限りここにくるようにするから』
そう言っていたのに……
「ナナ、手が止まっている」
リンの声でハッと我にかえる。
「あ……、ごめん…」
止まっていた筆を再び走らせる。
どれくらい考え事をしていたのか、筆の先についた碧色の絵の具は乾き始めていた。
「あちゃあ……、水で溶かさないと……」
カチャカチャと音を立てながら筆を水に浸ける。
「ナナ、どうかした?」
わたしの顔をのぞきこむようにしてリンが訊く。
「ん~、ちょっとね」
「パパが居なくて寂しい?」
「その理由は全体の0.03%以下」
そんなことを言うと、
『ひどいよ~ナナぁ!!パパはいつでもナナを120%で愛しているのにぃぃぃ!!!!』
なんて台詞が聞こえてきそう。
だから寂しくないのかもしれないけど。
「大丈夫だよ、リン。ちょっとボーっとしただけ」
リンはわたしから顔を離すと不満そうな顔した。
「でもリンの顔を下手に描かれるのを黙って見ている訳にはいかない」
「う……、まぁそうだけどさ……」
目の前の机に置いてある大きめの画用紙を見る。
そこには眼が描かれていない未完成の女の子の絵があった。
休日で暇だったわたしとリンは、お互いの似顔絵を描こうという奇行(?)に走ったのだ。
「でもそんなに下手かなぁ?学校の成績、美術は5だったんだけど……」
客観的に見ても中々の出来だと思うんだけど。
「ナナの絵は上手いと思う。ただ、乾いた絵の具では台無しになってしまう」
本音をハッキリ言うリンが褒めている。
少し照れるなぁ……
「ごめんごめん。ちゃんと描くから」
他愛のない、平和な会話。
でも心のどこかで不安だった。
リンを回収すると言っていた人達はまだ動きを見せていない。
アスカからの連絡もなし。
リンを守るのはわたししかいない。
その状況がとても不安で、怖かった。
だから今は少しでも不安を和らげたくて、こうしてリンと平和に過ごしているけど……
「そういえばリンが描いた絵は?」
「む……」
その一言にリンが少したじろぐ。
そして自分の描いた絵とわたしの顔を見比べて、そっぽを向いてしまった。
「リンのは見なくていい…」
リンは赤面しながら再び筆を走らせる。
正直、そんな表情をされると普通の女の子にしか見えない。
「ふふっ…」
「ナナ、何で笑う?」
「いやぁ、リンも女の子なんだなーって…」
リンはむっ、と唇を尖らせる。
「ナナ、それは失礼。
それに早く描かないとまた絵の具が乾く」
「ごめんごめん!
そうだね、わたしも描……」
そこでわたしはふと気づく――
リンの水入れが黒と白だけで染まっていることに…
――あれぇ?
「ね、ねぇリン…
やっぱり絵を見せてくれない?」
「まだ途中」
「途中でもいいから!――ねっ?」
するとリンは少し不満げな顔で画用紙を差し出してくれた。
「リ、リン……これ…」
「リンはナナほど上手く描けない」
リンは後ろで腕を組んで恥ずかしそうな仕種をしている。
画用紙に描かれていたもの、それは――
牛。
誰がどう見ても牛。
「なんで牛?!」
「何故って…ナナはウシさんが嫌い?」
「き、嫌いじゃないけど…」
「これはホルスタインといってオランダ原産の乳牛」
「品種じゃなくて!なんで牛描いちゃったの?思いの外ショックだよ?!」
しかもわたしより遥かに上手だし…!
「リンはナナがなりたい姿を描いてみた」
「わ、わたしがなりたい?」
「ナナは…」
そのままリンは目線を下に向ける。
???
「ナナは同世代女性と比較して貧相」
わたしはようやく理解する。
「リンの情報から推測すると、ナナはAカッ……」
「も、もうやめてーーー!!!」
わたしは慌ててリンの口を塞ぐ。
「ははっ、二人とも随分と楽しそうだな…」
黒いコートに、碧色の双眼…
その声の主は窓の淵に座っていた。
「アスカ!」
「すまない…顔を出すのが遅れてしまった」
「そんな全然―――ってどうしたの?!その傷!!!」
「そんな事はどうでもいい…
今日は大切な事を伝えにきた」
「大事な事?」
「俺がリンを連れ出したのがばれた」
「えっ!!!」
しかしアスカは冷静に続ける。
「待て、慌てるな。ばれたのは俺の事だけでアンタの事は心配しなくていい。
『約束』は守れそうにないがな…」
約束……その言葉がわたしの中でフラッシュバックする。
――俺も出来る限りここにくるようにするから
「そう…なんだ……」
「だがアンタはこれまで通りにやってくれればいい。
これからもリンを頼む」
「…わかった。今度はわたしが約束する。リンは絶対に守るって!」
アスカは「そうか」と呟き、立ち上がる。少し表情が柔らいだような気がした。
「じゃあ俺は行く。
奴らもプロだからな、長居は危険だ…」
「これからアスカはどうするの?」
「そうだな……
俺はアンタとリンの笑顔を守るために奔走するだけさ」
「でも・・・」
「心配するな、俺ってハイスペックなんだぜ?」
アスカは悪戯っ子のように笑ってみせ、窓に手をかけるとみるみるうちに透明になった。
「す、すごい…!」
「じゃあ頼んだぞ。
あぁ・・・あと胸なんか気にしなくていい…
なんだか必死に見えるから」
「う、うるさい!」
わたしは恥ずかしくなって机にあった三角定規を投げたが、虚しく窓の外に綺麗な放物線を描いて飛んでいっただけだった。
「ちっ、逃げたか…」
「いてっ…!」
窓の外からの悲鳴がわたしに届く。
――あっ、しまった!三角定規…
「ごめんなさい!大丈夫ですか――ってあれ?」
そこにいたのは五月蝿いけど、もうひとりの大切な人…
「ナナぁぁぁあっ!!今帰ったよぅ!」
「何だパパか…」
「はうっ!!グサッときたよ?!その言葉!
まるで鋭いモノが刺さったみたいに…」
よく見ると三角定規が頭に刺さっていた。
「グッジョブ、ナナ」
リンが親指を立てる。
「パパ!頭、頭!」
ふうっ・・・
にしても今日は良い日だ。
▲▽▲▽▲▽▲▽
呆れているのか、怒っているのか、はたまた両方なのか。怒鳴るような声が通信機越しに入ってくる。
つい37分29秒前、RS-99と接触し、再び取り逃がしてしまった。今は捜索中である。
「また逃げられたのか! 一体いつまで奴を追っているつもりだ?」
声の主はRSシリーズの指揮官。サイボーグではないが、軍略に長けているために採用されたエリート。私の直接の上司でもある。名前は番という。
「仕方ないでしょう。RS-99の光学迷彩は当時の最新技術で、あれから20年たった今でも彼を見つけることができるレーダーはありませんから。私一人で探している時点で時間がかかって当然です」
「やけに褒めるじゃないか」
「先輩ですから」
「ははは。それにしても……妙だな。奴の迷彩は1時間持続するのがやっとのはずだが……。軍の外に塒以上のメカニックがいるとは思えん。まさか海外に逃げたか」
「何を言ってるんですか。我々RSシリーズは日本から出ると自爆するように出来ているのでは?」
「ああ、そうだった。歳のせいかいろいろなことを忘れはじめていてな。まあ、私の後はお前が採用されるだろうから、心配することは何もないが」
話が逸れている。
「お前は冷静に戦局をみることができるからな」
「サイボーグですから」
「いや、改造前からそうだった」
「番さまは私の過去をご存知なのでしたね。特に興味はありませんが」
「……そうだな」
「塒さまは今は?」
「RS-105のヘッドの処理に追われている。逃げた個体がネットワークに干渉し、作業が滞っているらしい」
…………。
「そうですか、では捜索に戻らせていただきます」
「時間がかかると言っていたが、早急に頼む」
「ならば人海戦術を使いますか? RS-99には数でかかっても無駄ですけど」
「……ただの激励だ。深い意味はない」
「よくわかりませんが、捜索に戻ります」
「そうしてくれ。RS-104、次の定期連絡ではいい報告が聞けると期待している」
通信が切れて、静かになる。
「『早急に頼む』、ですか」
静かな中で私は呟く。
当てもなく歩きながら頭脳だけを働かせていた。
(命令なのか、それともただの激励なのか……)
本当に、わからない。どちらなのだろうか。そんな思考がちらつき、思い直す。
(例えただの激励であっても、手早く済ませれば良いだけでしたね)
簡単に出た結論をしっかりとインプットして、生じる新たな問題について今度は考える。もちろん、歩きながら、レーダーで辺りを探りながら、だ。
(しかし、方法は? RS-99は見つけることから困難な上に、仮に接触しても常に逃げられてしまいますから……)
そう。一週間ほど前に対峙してからずっとそうだった。
探して。接触して。訳の分からない戯れ言を聞かされ。逃げられる。
一週間。変わらずその繰り返しだったのだ。
(やはりあの時、無理にでも始末しておくべきでしたか……)
……しかしそれを今更になって考えるのは無駄なこと。
そう気付き、RS-99を見つけるために頭脳を使おうとするが、いつのまにか記憶領域にある命令が伝達されてしまっていた。
保管されていた記憶を蘇らせる。一週間ほど前の映像や音が頭脳部分に送られる。
そして、深夜に私とRS-99が対峙した場面が浮かんだ。
『そうだ、感情だ』
(そうでしたね。確かにありました。この理解できない言動)
『俺はお前達に、ココロを取り戻してほしいんだ』
(わからない。わからない。そんな無駄なもの……)
『生憎、RS-99なんて奴はここにはいない。
ここにいるのは……』
『”アスカ”という名の一人の人間だ』
(『アスカ』? 一人の人間? 彼がRS-99なのは事実。どう考えても彼は壊れていますね)
『俺は回収される訳にはいかねぇよ。リンとナナを守って、アンタ達の感情を取り戻すまでは』
(………………え。ちょっと待って下さい)
『RS-105もRS-99も存在しない。リンとアスカって名前がある』
(………………)
立ち止まる。少しの間機能を頭脳に集中させる。
掘り出された記憶が、確かに手掛かりを伝えてくれていたからだ。
『アスカ』、『リン』、『ナナ』
(文脈から考えて、『リン』とはRS-105。『アスカ』とはRS-99)
――単純な話だった。何故気付かなかったのか。
リンとアスカ。その名前は誰にいつ与えられたのか。
(答えは、……一つ)
『ナナ』
それに至るや否や、すぐさま通信を接続する。相手は、塒さまだ。
接続した瞬間に、口を開く。
「塒さま! 今すぐここら一帯の住民のデータベースにアクセス出来ますか!?」
「……………………」
何故か、沈黙が返ってきた。
「塒さま……?」
「……………………」
「塒さま!」
何かあったのだろうか。いくつかのシチュエーションを想定し始めた時、声が響いてくる。
「完成だ…………!」
「塒さまっ」
「本当に、戦闘機や旅客――」
ぶつん。
通信を切断する。
まさかこんな時にまで彼が『話が通じない状態』だとは。いくら変人であろうと仕事はするべきだろう。
……仕様がないので他の候補に通信する。RS-105だ。
こちらもすぐに繋がった。相手が喋り出す前に先に用件を伝える。
「RS-105に命令です。ここら一帯の住民のデータベースにアクセスして、『ナナ』という名を持つ住民を検索しなさい」
塒さまとは違い、すぐに無機質な声が答える。
「コピー」
「不言実行」
「善は急げ」
返答がおかしい。と違和感を感じた直後に思い当たる。
(塒さまにはRS-105のヘッドの処理という仕事が割り当てられていましたね……)
原因は彼が仕事をしていないから。仕事してほしい。
「検索終了後、結果の報告をお願いします」
「コピー」
最後にRS-105に簡単な命令をして、通信を切断した。
何はともあれこれで飛躍的に話は進む。RS-99などの行動が読めない分不安要素は多いが。
…………逃げたRS-105の個体は確実に奪還しなければならない。
――今度は番さまに連絡する。