第三章(1/2)
「ナナ、朝だ」
「んむう……」
ゆさゆさ。
目を開けると、リンがわたしの体を小刻みに揺すっていた。
「……今日はお休みなんだからもうちょっと寝かせてよ」
ゆさゆさゆさ。
「それを繰り返してすでに57分32秒経っている」
……細かい。
「分かった起きるから」
ゆさゆさゆさゆさ。
「いいながら目を閉じるな」
むむむ……。
小刻みだから揺すられすぎて気持ち悪くなってきた……。
「リン、揺するのやめて……」
「ナナがちゃんと起きればやめる」
「分かったから、今度こそ起きるから」
わたしはもう一度目を開けた。
リンがわたしの顔を覗き込むようにしてベッドに寄りかかっている。
「……リン、顔が近いよ」
「そう思うのはナナとリンの心の距離のせい」
むむむ……。
気まずくなって窓に目をやると、カーテン越しでも外がまだ暗いことが伺えた。
そういえば部屋も暗い。寝起きで目が慣れていなくて気づかなかったのか。
「……リン? 今何時?」
「午前3時26分06秒」
「こんな暗いのに朝な訳無いでしょ!」
「でもロサンゼルスではすでに午前11時26分13秒。お寝坊さんだぞ、ナナ」
「ここは日本! ロサンゼルスは海の向こう!」
「…………」
あれ?
リンは膝を抱えて黙り込んでしまった。
心なしか唇を尖らせて、拗ねているようにも見える。
「どうしたの?」
「リンには感情がある」
「……知ってるけど」
「寂しかった」
抱えている膝を、さらに強く抱きしめる。
「リンは身体が機械だ。頑丈だから戦わないと疲れない。眠くならない。ナナは人間の身体。疲れるし眠くなる」
「それって……」
「夜はナナが寝てしまう。リンは暗い中1人」
わたしはリンの声を聞きながらベッドから身体を起こした。
「寂しいのは辛い。辛いのは嫌だ。こんな感情は要らない」
そう言って顔をうつ向けるリンが、なんだか無性に儚く見えて。
気付けばわたしはリンの小さな身体を、ギュッと抱きしめていた。
「……ナナ?」
不安そうにわたしの顔を見上げるリンの目には小さな雫が光っていた。
「分かったから、わたしもなるべく早く起きるようにするから」
リンの頭をそっと撫でる。
まっすぐで、綺麗な髪だった。
「だから二度と感情は要らないなんて言っちゃダメだからね?」
わたしの言葉を聞いたリンは、少し考えるようにしてから、
「……分かった」
静かに笑った。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「そうだ、感情だ」
ちょうど同じ時間。『感情』という言葉が別の場所でも使われる。
――夜も深い。そんな草木すら眠る闇の中、声の主はしっかりとその眼の光で何かを主張していた。
深海に浮かぶ碧の宝石のような、とても際立つ瞳を持つ男が立っていた。
「……はい?」
面食らうのは軍服の女。男と二人、向かい合い、碧が四つ、煌めく。
「……私の言葉を聞いていましたか? 逃走した『RS-105』の個体のカードと、紛失した空の個体は貴方が盗んだのですか、と聞いたのですが」
「そうだ、感情、ココロだ」
全然意味がわからないその発言を、男は繰り返した。それで何かが伝わると信じているかのように、碧の光は揺らがない。
「故障、ですか。……憐れですね、RS-99号。せっかくこの私が足を運んだのに、まさか貴方が故障とは」
「違う」
女の言葉に、男は即座に口を挟む。真剣な表情が映える。絵になる。
「俺は正常だ。多分おかしいのはお前達だと思うが。あと……、もうRS-99号ではない」
人の気配どころか、辺りには風の音さえしない。
この時間は車も通らないのだろう。暗く静かな道路上に、二人は対峙していた。
「何なんですかさっきから。わけがわかりません」
女は腹が立つとでも言いたげに、青年を睨んだ。
「……わからないなら空を見てみろ。綺麗な星空だ」
彼の言う通り、今宵は星が美しかった。輝く宇宙が、道路や家を包んでいた。
「――雲もなく、星がはっきり見えますね。それが何か?」
「…………それが何か、か。一言余計。しかも、感想というより分析か」
何が言いたいのか、理解不能。ついに彼女はため息をつく。
「はぁ…………。さっきから貴方は。詩人にでもなったつもりですか?」
そのままうんざりだと表情で語る。
「朝まであまり時間はないのです。無駄話はやめてそろそろ質問に答えてください。盗人は貴方なんですか?」
確かに、時間はそんなになさそうだった。そろそろ、人によれば目覚める時間だ。
男はようやく答えようと口を開く。
「――俺は、あいつに感情を無くされると困る。俺にとって、今あいつは唯一の希望だからな」
「……希望?」
「RSシリーズ、一種類だけの大量生産。あいつだけがまだ感情を無くしていない。そして、『リンク』という機能」
男。アスカは星を見て、眼を細める。そしてそのまま、問い掛けた。
「そもそも、『感情を消す』なんてことが可能か? サイボーグになってしまったら取り戻すことは出来ないのか?」
「……一体、何を?」
「軍事兵器であろうと関係ない。俺はお前達に、ココロを取り戻してほしいんだ」
▲▽▲▽▲▽▲▽
「ナナ」
どれくらいそうしてたんだろう?
ずっとリンを抱き締めていたわたしは、か細いリンの声に反応し顔を上げる。
目が合うとリンは少しも表情を変えず、静かに口を開いた。
「重い」
あれ? これはわたしに対する挑戦状かな?
「リン。自慢じゃないけど、わたし体重は軽い方だからね」
軽い、の部分を若干強調しながら、わたしがそう言うと
むっ、と、とても分かりやすくリンが唇を尖らせた。
「違う。リンが言いたいのはいつまでナナがそうしてるかって事」
なるほど。
「そっか、リンの方が小さいから自然と体重が掛かっちゃうんだね」
気付かなかったわたしが、ごめんと言いながらそうして腕を離してあげると、また
むっ、と、リンが唇を尖らせる。
「えっと、今度は何?」
「リンは小さいけどその分軽い。ナナはリンより重い。女の子は軽い方が勝ち」
ん? もしかして
「大丈夫だよ、リンもその内伸びるって」
と、挑発する様にわたしがそう言うと
むむむっ、と、今日一番に唇を尖らせる。
こうして見てると、本当に歳相応の可愛らしい女の子なのに
「その上から発言はリンに対する挑戦状と……ナナ、何で笑う?」
おや? どうやら笑ってたみたいだ。
自分でも気付かない位、リンを見てるのが楽しくなったのかも
「何でもないよ」
と、リンの頭を撫でてやり、午前3時半にわたし達は友情(?)を深めあった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
ナナとリンがじゃれあっているのをよそに、碧の瞳を持つ二人の会話は続いている。
「何を言うかと思えば……。
やはり貴方は壊れているようですね」
軍服の女が冷たい声で言い放つ。
だがアスカは、それを気にする様子もなく会話を続ける。
「どこも壊れてはいない。
壊れているのはお前達のココロだ。
……さっきお前は、俺のことを憐れだと言ったな」
「…………その通りでは?
貴方ほどのスペックをもつ個体が壊れるなんて、憐れ以外の何物でもないでしょう」
女は冷たい目付きを変えずに言う。
「俺からすれば、ココロが壊れていることに気付けないお前達の方が憐れだ」
アスカは女を哀しげな表情で見つめながら言った。
しかし女はそれを聞いても、目を閉じてため息をつくだけ。
「くだらない問答に付き合っている暇はありません。
その口振りだと、貴方はRS-105の居場所を知っているようですね」
「だったらどうする」
「その場合、貴方のローカルデータベースからそれらに関する情報を調べろと『上』から指令が出ています」
「『上』……か。
人として最低の集まりを『上』と呼ぶのか?」
嫌悪感を隠そうともしないアスカ。
しかし女は、アスカの発言を無視して言葉を続ける。
「私には貴方クラスのセキュリティを突破できるほどの情報処理能力がありません。
よって、設備の整った場所へ貴方を連れていきます。
ご同行願えますか? RS-99」
女が告げると、辺りは静寂に包まれた……が、
「クックック……」
というアスカの悪めいた微笑がそれを破る。
女はそれを怪訝な目で見ていたが、しばらくしてアスカが言葉を発した。
「生憎、RS-99なんて奴はここにはいない。
ここにいるのは……」
アスカは何度目かになる、悪めいた、しかし人間らしい笑みを浮かべて続ける。
「『アスカ』という名の一人の人間だ」
堂々と、それに誇りをもっているかのように言った。
辺りに再び静寂が訪れた。
しばらくして、女が淡々とした冷たい声で言う。
「同行の意志なしと判断。
これより、個体番号『RS-99』の回収を開始します」
女の瞳の色が、碧から紅に変わる。
それが、女が戦闘体勢になったことを示すサインだということをアスカは知っていた。
ゆえにアスカは、表情を哀しげに歪めて言い放つ。
「ココロのない兵器……
人を殺すだけの存在……
お前達は……それでいいのかっ!」
返事が返ってくることはなかった。
紅い瞳で構える女。
碧の瞳で対峙するアスカ。
夜はまだ、明けない。