第一章(2/2)
少女を抱えなおすと、わたしは考えを巡らせた。
ぐずぐずしてはいられない。
そのうちさっきの男性達はここにも来るだろう。
無駄にできる時間は、一秒たりともなかった。
(この子を匿ってくれるような場所は……)
ふと、脳裏に三角形の翼が閃いた。
(あの人なら……!)
店長なら、匿ってくれるだろうし、何かが分かるかもしれない。
何より、彼の店はここからそう遠くない。
この時間ならば、まだ彼は店にいるだろう。
わたしは決断すると、夜の路地裏を駆け出した。
月が冷たい光を放っている。冷たい夜風がわたしから体温を奪っていった。
耳の痛くなりそうな程の静寂の中、わたしの足音と呼吸と、火花の飛び散る音だけが響く。
だんだんと呼吸が早くなる中、わたしはさっきの少女の言葉を思い出していた。
『機体損傷度45%……』
『腕部よりエネルギーの漏洩を……』
『データをメインメモリに保存後、シャットダウンを実行します……』
時々後ろを振り返りながら走っていたわたしは、その意味を理解して唇をかんだ。
(この子は……)
やはり、人間ではなかった。
『機体』
『腕部よりエネルギーの漏洩』
少女の肘にちらと視線を送って、わたしはため息をついた。
エネルギーの漏洩というのは、火花が散っているこの状況をいうのだろう。
あぁ、とんでもないことに首を突っ込んでしまったのかもしれない。
でも、そう思いながらも、わたしはこの少女を見捨てようとは全く思わなかった。
この少女が誰であろうと、何であろうと、
『お願い……助けて……』
という言葉は本物だ。
ようやく道の先に通りが見えてきた。明かりの数も増え始める。
あの角を曲がれば、店はもうすぐそこだ。
この少女を追っているらしい男性達の姿も今のところ見えない。
息を思い切り吸い込み、更に走るスピードを上げようとした瞬間――
バチッバチバチッ
ひときわ大きな音がして、今まで肘から散り続けていた火花が唐突に止んだ。
「えっ………?」
思わず足を止める。
人間ならば本来前腕があるところ。
そこから絶え間なく散っていた火花は跡形もなくて、傷口から見えているのと同じ鋼色の断面があるばかりだった。
「え……ちょっと、どうしたの!?」
もちろん返事は返ってくるはずもなく、最悪の事態を想像しそうになってわたしは首を振った。
おそらくこれは『シャットダウン』なのだろうが、だからといって死んだとは限らない。
思わず立ち止まったまま考え事に耽ってしまい、はっと我に返ったわたしは店へ向かって再び走りだそうとした。
しかし。
わたしは数歩もいかぬうちに立ち止まることになる。
路地の出口には、二人の男性が立っていた。
街灯の薄明かりに、男達の顔が浮かび上がる。
どちらも30を越えた大人に見えた。
片方は人混みに紛れていたら普通に周囲に溶け込めそうな、特徴の少ない男。
もう片方はそれよりもずっと大柄で、服の上からでもその体格の良さがはっきりと判る。
「まさか、それを持ち運んでいる人間がいたとはな……」
そう言ったのは特徴のない男の方。
もう一人の男が右手に握った何かを口元に持っていく。
無線機、のようだ。
「ボス。発見しました。直ちに回収します」
『回収』という言葉を聞き、自分でも無意識のうちに一歩、後ろに身を引くのが分かった。
そこの通りに出れば、角を曲がればすぐなのに、どうしてこんなところで見つかってしまったのだろう。
それが歯痒くて、悔しくてしょうがなかった。
二人の男達も用心深くこちらを窺っている。わたしの素性を探っているようだ。
「お嬢さん。それをどうするつもりだったのかな……? 申し訳ないが、それはわが社の所有物だ。大人しくこちらに返してもらおう」
この少女が、この人達の……?
それならもしかしたら、動かなくなった少女も無惨な腕も、直すことが出来るのかもしれない。
でも、この少女は逃げていた。
例えロボットでも、こんな小さい少女が必死に助けを求めていた。
―――だからこそ、ここで彼等に渡すわけにはいかない。
わたしは迷わず後ろへと駆け出していた。とたんに背後から怒声と追ってくる気配がする。
静寂の路地に緊迫した三つの足音が鳴り響く。
街灯に照らし出される自分の影が不気味に伸び縮みを繰り返し、わたしは腕の中の小さな存在を強く抱き締めていた。
その時。路地の途中にあった別の道に飛び込んだわたしは何かに躓き、体勢を崩してしまった。
「あっ……!」
少女の小さな身体が目の前に投げ出される。
腕から地面に倒れ込んだわたし自身も身体中の血が脈打ち、激しく胸を上下させていた。
もう……逃げきれない…………
助けられないの……?
いつもわたしの帰りを家で待っていてくれる、あの心配そうな顔が再び頭に浮かんでくる。
捕まったらこの少女はどうなるんだろう…………わたしは……?
―――その時、カチッと音がして少女の鎖骨の下、胸の間にある部分が開いた。
「えっ……?」
なに……これ…………
ボロボロの服の隙間からそっと中の物を取り出す。
それは薄い2cm四方の……
「メモリー……カード……?」
先程少女の口から紡がれた機械的な音声を思い出した。
『データをメインメモリに保存後、シャットダウンを実行します……』
わたしは、それを―――なぜだかは分からないけれど、とっさに服のポケットに隠していた。
メモリーカードをポケットに隠したわたしは立ち上がり、再び走り出した。
今はもう動かない少女を置いてただひたすらに走った。
当然後ろからは怒声や足音が聞こえて………くるはずだった。
不思議に思い立ち止まる。しかしやはりあの二人の男の気配はなく、暗闇のからは静寂が聞こえるだけだった。
「な、なんで……?」
全力疾走を二度も続けたわたしの息はかなり上がっていた。体中が酸素を求めている。
おかげで頭が上手く回らない。
「と、とにかく店長のところへ……!!」
回らない頭であの店に向かってフラフラと歩き出す。
(なんで追ってこないの……!?この子は何……!?なんでわたしはこんなことに関わっちゃったの……!?)
店に向かいながら、答えの出ない自問自答を繰り返す。
自問自答を繰り返すうちにふと思う。
(あの人達が追ってこないのは、目的が達成されたから……?)
そうだ。あの人達は少女を追っていた。
その少女はわたしがあの場に置いてきた。
胸の中にあったメモリーカードを抜いて。
『データをメインメモリに保存後―――』
今ごろ男達は少女を『回収』しただろう。
中身が無いとも知らずに。
(データをメインメモリに保存って、まるで……)
「パソコンみたい」
……わたしの頭にはまだ酸素が足りていないみたいだ。
「一体何なんだろ……?」
SDカードに似ているが少し違う……。
しかしメモリーカードであることは間違いないような、薄いチップとわたしはにらめっこしていた。
結局、わたしは店に戻ることなくそのまま家に帰った。
あの後、深呼吸をしてしっかりと酸素を取り入れたわたしは落ち着いて状況を整理した。
店長にどう伝えよう……。
『ボロボロになったロボットの女の子が怪しい二人組に連れていかれちゃった!』――かな?
いくら優しくて物分かりのいい店長でもそこまでは信じてはくれないだろう。
このメモリーカードを見せたところでどうなる訳でも無いし……。
それ以上にまたあの男の人達がいた場所に戻ることなどわたしには到底出来なかった。
待ち伏せしているかもしれない……。
メモリーカードが無いのに気づき追い掛けて来るかもしれない……。
そんな想像するとそれまでの恐怖は何倍にも膨らんで……。
自然と歩みが止まった……。
―――逃げたのだ、わたしは……。
……非日常から……非現実から。
それに比べて此処はいい……。
6畳半の部屋に机、ベッド、パソコン、雑誌……。
わたしが一番安心できるところ……マイルーム。
冷たいカフェオレを一気に飲み干し、嫌な記憶を少しでも紛らわせる。
「どうしよう……これ
持ってきても良かったのかな……?」
わたしが腕を天井に向け、非日常のカケラを白く光る電灯と重ねた時だった。
「やはり貴女が所持していたのですね」
わたししかいないはずの狭い空間に高く透き通るような声が響き渡る。
「誰?!!」
振り返ると声の持ち主は窓の外から登場した。
闇に溶けてしまいそうに黒い髪に鋭い目つき、それに……軍服?
でもわたしが気になったのはそこじゃない……。
ここは2階。
しかも彼女はエメラルド色の瞳をしていた。
(まさかこの人も……)
「このような場所から失礼します。
しかし私は怪しいものではございませんのでそう強張らずに……。」
注意していたが、まさかこんなにも早く来るとは想定外だった。
しかも相手は多分人じゃない……。わたしはチップを握りしめ、彼女の動きに警戒した。
「そう言って油断させるつもりですか……?わたしは騙されませんよ。」
少し彼女との距離をとる。
むむむ……。
わたしの威嚇のおかげかは分からないが彼女は目を逸らしふぅ、と溜め息をついた。
「仕方ありませんね……。
出てきなさい、RS−105号……。」
すると、RS−105号とやらが同じ様に窓から部屋に入って来た。
予想だにしなかった出来事に思わずわたしは息を呑んだ。
「先程はどうも……。」
RS−105号は恥ずかしげに軽く会釈して……。
わたしの目の前にさっき連れていかれたはずの非現実が再び現れた。
「あなたはさっきの……!」
軍服の彼女が紹介した女の子、RSー105号は、ついさっきまでわたしの腕の中にいた少女だった。
「違うけど、合ってる」
わたしの言葉に、少女は短く答えた。
「……え? でも……う、腕は……?」
全く同じ顔、体つきだけど、今目の前にいる彼女には両腕も千切れていなければ、全身の擦り傷も見当たらない。
わたしが首を傾げると、少女がまた口を開いた。
「だから、違うけど、合ってると言った」
……ますます訳が分からない。
見兼ねて軍服の彼女が、ふう、とため息をついた。今度は彼女が説明してくれるようだ。
「同じ型番の別個体です。つまり、あなたがそれを抜き取ったRSー105号とは別のRSー105号です」
別の……個体。
大量生産、大量消費。
「同じ型はみな、特有のネットワークで繋がっているので、あなたに出会った記憶はありますけどね」
この場所はデータベースから検索してたどり着きました、と彼女はニコリともせずに告げる。
「危ないよ」
……え?
再び口を開いた少女は、一言だけ喋ると。、また黙った。
「危ないって……何が?」
「メモリーカードです。あなたが持っていると危険ですよ」
「……それは……さっきみたいに狙っている人がいるから……?」
軍服の彼女は、またため息をつく。
「先ほどネットワークで同型は繋がっていると言いましたよね?」
あ、そうだっけ。
「逆ですよ。『あなたが中を見ると危ない』という事です」
むむむ……。
「口封じのために命を狙われるってこと?」
……あれ? 今度も反応が悪い。
「……所詮小娘の頭の回転速度はこんなものですね」
「下手の考え休むにニタリ」
「何か二人掛かりで罵倒された! しかもニタリって何!? 何で笑い声の擬音なの!?」
「狙われるんじゃなくて、即座に消されるんですよ」
……え?
「まあそのカードには『鍵』がかかっていますし、普通の端末では開けない型なので、あなたが中を見るとは誰も思っていませんが」
「爆弾には爆弾処理班、要注意人物には監視態勢」
「見張られるってこと?」
そして、何かの拍子にわたしが中を見たら……。
……処理。
「だから、今のうちにそのカードをこちらへ渡した方がいいですよ? 誰だって監視の中で過ごすのは嫌ですし」
「見張る方も疲れる」
……仕方ない、のかな。『非日常』に首を突っ込んでみたのはわたしの方だし。
少女も、わたしが関わるのを望まないみたいだし。
もう、いいかな。
……わたしは、誰に許可を求めてるんだろう。
そしてわたしは、少女の小さな手に、さらに小さい『非日常』を、そっと握らせた。