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弔翼

作者: 笹丘かもめ
掲載日:2012/07/06

いつだったか、とりあえず随分昔のはずだが、私にいつも残飯をくれる子供がいた。

歳は大体五つぐらいだったろうか、とても小さな子で、農家の子らしい粗末な身なりをしていた。

彼女は家では末の子で、親は朝から晩まで決して豊かではない田畑を耕し、上に三人いるきょうだいは二人が奉公に出ていた。そんなわけで、彼女はごく幼いうちから家事の多くをしていたのだった。

はじめはその子が川で釜を洗うときに残った玄米飯のおこげをたかりに行っていたのだが、いつの頃からか、彼女は私のために食事の残りを持ってきてくれるようになっていた。芋の煮たのやら卯の花やら、ごくたまには干魚の切れっ端のこともあった。たぶん、少ない自分の食事の中から取り分けていたのだろうと思う。思えばその頃から彼女はじわりじわりと痩せていったのかもしれない。

彼女とはよく追いかけっこをして遊んだ。といっても彼女は人間で私は鳥だったから、必ず私が勝った。木の枝にとまった私を見上げるとき、彼女はよく「私も飛べたらよかったのにな」と悔しそうに口を尖らせるので、私はそれがちょっと面白かった。



その年は飢饉だった。

前々年、前年の冷害に加え、春の初め頃から渇水の兆しがあったが、夏になってそれは更に激しくなった。水路は干上がり、八月の頭にはからからに乾いた田螺の殻がぽつりぽつり落ちているだけになった。田畑に緑色を残すものは殆ど無く、じりじりと照りつける陽のもと、穂も出ずに黄色く萎びた稲がひび割れた泥土にしがみついていた。その頃には彼女が私に残り物をくれることもなくなっていたし、そもそも彼女の姿を見ること自体なくなっていた。



多分あれは、いわゆる口減らしというやつだったのだと思う。

次に彼女の姿を見つけたとき、彼女は集落の近くの山の中に一人倒れていた。体が小さかったこともあってあの家でまっさきに衰弱したのだろう、腹水で膨らんだ腹に棒切れのような手足をして、立ち上がる余力も既になさそうに見えた。

傍らに降りた私の姿に目を止めた彼女は、頬もひどくこけているのに、目だけはまるでいつかのように微笑んだ。そして重そうに右手をわずか持ち上げて、私の羽に触れた。

ぎこちなく口角を持ち上げて、彼女は笑ったようだった。

「やっと触らせてくれた」

ほとんど息ばかりのような声が喉から漏れて、森のしじまに消える。

私はなぜかあの子のそばを離れられなくて、ずっと次の言葉を待つように立っていた。

でもそれは単に種族由来の好奇心だったのかもしれないし、自分もひどく空腹だったからだったかもしれない。よく覚えていない。


「ねえ、」

浅く呼吸をして、彼女は思い出したように言った。

「私も鳥になりたい」

そして、彼女は空を見上げたようだった。私もつられて空を見上げると、樹冠の隙間から覗く空はとても青く、私が目を戻しても、彼女はずっとずっと空を見上げていた。

彼女が既に死んでいると気づいたのは、寄り添っていた彼女の体が冷たく固くなりはじめてからだった。



私は彼女を食べる気になれなかった。

そしてこんな旱魃でも蝿はいるのだな、とぼんやり思った。

それから遠慮のない蝿達に無性に腹が立って、全部蹴散らした。でも蹴散らしても蹴散らしてもどこからか余計に集まってくるので、最後には諦めた。

私にできることはないだろうかと柄にもなく考えてみたが、非力な鳥では運ぶことも埋めることもできない。あまりよくはない鳥の頭でしばらく考えてから、私はできるだけ傷をつけないように彼女の右目をつつき出して、そっと嘴に咥え、舞い上がった。





空は晴れて雲はなく、高く飛べば飛ぶほど遠くまで見渡せた。この景色は彼女に見えるだろうか、見えているだろうか。高く昇るほど空気は薄く冷たくなって、激しく羽ばたく度に白黒の羽が舞い散る。遥か遠く、青く煙る山並みのむこう、彼女が人のまま生きられる場所があったのじゃないかと思った。

そして両翼が痺れ前も見えなくなったとき、私は一息に彼女の目を飲み込んでしまって、そのまま羽ばたくのもやめて、真っ逆様に落ちていった。

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