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溶菓子

作者: LMN


 クシュ、と空気が潰れる音が口から漏れた。

 涎で薄く濡れた表面がネトつく。

 流石に気持ち悪いという事はないが、此処まで人工的だと少々気味が悪い。

 口の中で半分になったソレを舌で転がして、じっくりゆっくりと溶けて行くのを待つ。

 解けたソレを、んく、と飲み込もうとすれば、ベッタリと喉に張り付いて重たく流れていく。


 前言撤回、気持ち悪いにも程がある。

 歯の隙間がネトつく、気持ち悪い。

 喉の奥が熱くて渇く、気持ち悪い。

 舌に残る甘さがどうにも、気持ち悪い。

 これはどうにも慣れそうもなかった。


「……甘いな」

「そりゃあ甘いだろうね」


 マシュマロだしね。

 小さくぽつりと零した不満に、ハスキーな声がそう軽く呆れかえる。

 天井を見上げたままで目線を右下にやるという少し器用な事をしてみれば、眠そうな半眼が俺を見つめていた。

 ジッと/ジトっと見合う事、数十秒。

 スッと、言葉代わりにと差し出されたのは、小さく赤いマグカップ。

 

「コーヒー」

「砂糖入れ過ぎのな」

「じゃあ要らないんだ」

 

 ぐちゅぐちゅ、ごくん。

 甘い、砂糖無しでもう一杯。

 

「最後まで飲みなよ」

「やる、光栄に思え」

「ホント、甘いモノ嫌いだよね」

「お前が甘党なんだよ、超の付くな」

 

 再び差し出されたコーヒーを押し返す。

 うぇ、口の中がまだ甘い。

 砂糖が溶け切れてないぞ。

 コイツこんな砂糖水、よく飲めるな。

 横目で鼻歌を歌いつつ、ちゅるとコーヒーに口をつけるコイツを見やる。

 上は大きめの黒いフード付きパーカー、下はデニムのホットパンツ。

 寸の詰まった白く短い指が袖から見え隠れしていて。

 俯きながらだと半眼は乱雑に垂らされた前髪に隠れ、白い顔はマシュマロのよう。

 

 はふん、と頬が一瞬緩んだ。

 何コレマジ可愛い。

 もう別の生物だろ、可愛さ的に。

 ただ見てるだけで吐き気がして来たから、

 そろそろ甘いモノは自重して欲しいんだが。

 

「何でマシュマロはべっとりと甘いのかね。辛ければもっとファンが増えるだろうに」

「さぁね。でも常識人ならべっとりとした辛さなんて御免こうむるだろうけど」

「日本人も軟弱になったもんだ」

「これは軟弱以前に個人の趣向の問題だろう。君が口をはさむ問題ではないね」


 ボソッと言い放ち、今度はマシュマロを三ついっぺんに小さな口に放り込んだ。

 えぇい止めぃ、胸やけさせる気か。

 そんな俺の心の叫びを知ってか知らずか、もちゅくちゅと幸せそうに頬一杯マシュマロを頬張る小動物を見る。

 あー駄目だわ、コイツはそういう方面には天然気味なんだった。

 やっぱ甘党とは共存できないのかねぇ。

 

「なに見てんのさ」

「……なぁ、へけって言ってみ」

「ふぇ? えーと、へけっ」

「えいッ」

「ぷゅッ!」

 

 無表情でその台詞言ってどうする。

 某ハム公の様な顔してたんだぞ?

 満面の笑顔は必須だろうが。

 だから俺がつい力を入れてほっぺを潰したのも仕方ない事なんだ、きっと、多分。

 濃い甘い匂いが、むわりと顔にかかる。

 思わず、顔を顰めてしまった。


「噴くなよ、汚ねぇな」

「顔中にブッかけてあげようか?」

「やめぃ。ネタネタになるだろが」

「冗談だよ。というか、さっきからずっと言おう言おうと悩んでたんだけど」

「何だよ」

「そろそろおコタ片付ける頃じゃないかな、もう五月も終わりなんだよ?」

「やだよ。てか文句あるなら入るなよ」

「だが断る」


 俺は基本的寒いのは嫌いなんだよ。

 良いだろおコタ、ぬくぬくだし。

 電気通さなくても余熱で十分だしな。

 クーラー? 

 夏には最低温度設定ですが何か?


「熱いのは嫌いなのに、そこは譲らないんだ」

「暖かいのは別問題だっての」

「じゃあ今度お汁粉作ってあげるね」

「おコタにはアイスだよなー」

「スルーかよ。あ、ついでにボクのも頂戴」


 ボクっ子と申したか。

 因みに俺はショタコンではない、断じて。

 にしても、さっきからペース乱されっぱなしだな……ここらで意地悪してやろうか。

 傍まで引っ張ってきてある冷蔵庫から茶色いアイスバーを取り出して、袖から見えるぷにぷにの指に握らせる。

 ふふふ、さぁそのままいきな。

 そして期待通りの反応をするがいいさ。

 アイスの先が何も知らない小さい唇の中に咥えられ、そして―――――――シャクッ。


「甘しょっぱ!」


 桃色の舌が小さく飛び出た。


「塩キャラメル味だ、ウマいだろ」

「なんてピンポイントにマズい物を」

「マズいとは生産者に失礼な。この塩っ気がまたいいんじゃないか」

「甘みと塩っけは相容れない。これは真理だよ。相変わらずの馬鹿舌だね」

「お子様舌に言われてもな」


 再び互いに睨みあう。

 こいつのお子様舌は筋金入りだ。

 カレー駄目、キムチ駄目、納豆も駄目ならば野菜全般も駄目という、偏食の権化。

 主食はクッキー・オレオ等のお菓子であり、白飯はむしろおかずだと豪語する。

 そんな味覚崩壊というのもおこがましい甘味至上主義者。

 市販の甘いカフェオレにマシュマロを十個浮かべて飲む姿を見れば、ヘンデル兄妹も裸足で逃げるだろう。


 まぁ俺の方も辛党か馬鹿舌と言われたらあまり反論はできないんだが。

 いっそ韓国かインドに産まれたかった。

 この国には安らぎ、仕事口、明るい未来、そして何よりも辛さが足りない。

 あっても、からしやわさびなんかの刺激物。

 医薬にもなるスパイスや大陸の唐辛子の奥深さには比べるべくもない。

 

 だが抹茶は日本の文化だ、渋くてウマい。

 礼儀作法が面倒な点に眼を瞑れば、の話だが。

 しかし抹茶味、テメーはダメだ。


「甘い抹茶(アレ)は抹茶じゃねぇ」

「そう? ちょっと渋いけど、好きだな」

「じゃあ本物飲めるよな」


 抹茶を淹れた湯呑みを冷蔵庫から取り出し、頬にぐいっと押しつける。

 おぉ、手の甲で押しても気持ちいいな。

 低反発気味にへこむ頬の感触を楽しみつつ、しばらく嫌がらせを続けてみる。

 むにゅむにゅ、むにゅむにゅ。


「静岡から取り寄せた抹茶だ。飲んでみ」

「だが断る」

「しかし断る事を断る」

「そして断る事を断る事を断る」

「そんでもって断る事を断る事を断る事を」

「怒るよ?」

「あい」

 

 甲をぺち、と軽くはたかれた。

 む、本気で嫌がっているみたいだし、流石にもう止めとくか、嫌われるのもやだし。

 その後、口直しと言わんばかりにマシュマロを再び口一杯詰め込み始める小動物を、抹茶を啜りながら見やる。

 むぅ、また胸やけが……。

 というか、ちょっとイライラしてきたな。

 コイツの幸せそうな笑顔で胸が一杯だが、胸やけするだけの許容量はもうねぇよ。


 ニコニコ、モグモグ、イライラ、ずずず。

 モグモグ、モクモク、イライラ、カタン。

 ――ひょい、ぱく。


「あ、最後の一個!」

「残念、もう口ん中だよ」


 んあ、と器用にマシュマロを乗せた舌を出して、中を見せつける。

 あ、と名残惜しそうな顔をした瞬間にパッと舌を引っ込める。

 開いていた半眼がしゅんと元に戻ったりして可愛いなコノヤロー。

 ソレを何回か繰り返すと、段々涙目になってきた上に目線が俯きがちになって行く。

 そして次にコイツが口を開いた時、ハスキーな声は微かに潤んでいた。


「か、辛党のくせに……」

「今離党したんだ。今日から甘党」


 そしてトドメにこの一言。

 子供っぽいのは自覚してる。

 たまには、意地悪したっていいだろう?


「あ、そ、だったら……」

「な、なんだよ」


 俯いたままおコタからするりと抜け出るとにじり、と一歩分近づいた。

 俺が動くのを許さない、無言の圧力。

 四つん這いで寄ってくる黒猫。

 いや、どっちか言えば、黒豹、か。

 潤んでるだろう目は髪で見えず、見えるのはパーカーの襟から覗く……肌色。


 ゴクリ、と唾を飲む。

 ざんばらの髪が、黒いカーテンとなり半眼を隠すが、俺の顔はあっちから丸見えで。

 マシュマロは仄かに赤く染まっていて。

 ちらりと見えた、小さくてピンクの唇は、悪戯を考えついた悪女の様に妖しく歪んで。


「こういう甘さも、大好きだよね?」

「へ、ちょ、んんッ!」







 クチュ、と空気が漏れる音が口から漏れた。

 涎で薄く濡れた表面がネトつく。

 別に嫌という事はないが、此処まで甘ったるいと流石に引けてしまう。

 最後のマシュマロを転がしあって、じっくりゆっくりと溶けて行くのを待つ。

 完全に解けたソレを飲み込もうとすればベッタリと喉に張り付き、重たく流れていく。


 前言撤回、何かやだ。

 口の中がネトつく、何かやだ。

 頭の奥が熱くてボヤける、何かやだ。

 身体に残る甘さが、何かやだ。

 これはどうにも、慣れそうもなかった。


「っはぁ……慣れない、な」

「そりゃあね」


 君、甘いのも熱いのも苦手だものね、と。

 いつも通りの変わらない眠そうな半眼が、

 ニヤけ面で俺を見下ろしていた。

 クソッたれ、まだ頭がボヤけやがる。

 頬が熱い、目が霞む、身体に力が入らない。


「えいっ」

「きゃっ!」

「きゃ、だって。可愛いなあ、もう」


 トン、と軽く身体を押され、小さく華奢な体が俺を馬乗りになって押さえつけた。

 スッと近づけられた顔からは、むせ返る程に甘ったるい香りがして。

 お前はいつもの様に、俺に囁く。


「もっかいする?」

「甘いのはもうごめんだ」

「じゃあ遠慮なく」


 くちゅくちゅ、ゴクン。

 こ、こ、のガキァ……。


「ん、抹茶味ご馳走さま」

「次やったら、噛む」

「ホント、甘いのは嫌いなんだね」

「お前が甘党なだけ、だ……」

「君もじゃなかったっけ?」

「それは……」


 ギロリッと、自分でもキツいとは思う目尻を更につり上げて睨む。

 だがコイツはまるで子供でも見ている様な、優しげな目線を向けるだけ。

 あ、こら、頭なでるんじゃない。

 もう二十歳越えてるんだぞ、大人なんだぞ。


「こうしてれば可愛いのにね。君のこういう顔なんて、こうでもしなきゃ見れないし」

「……可愛げのない女で悪かったな」

「別に? ボクが男勝りで気の強い素の君が一番好きな事も事実だよ」

「格好つけやがって」

「君だって好きな人の前では常日頃背伸びしてるだろう。それと同じなだけさ」

「好きな奴? 誰か居たかねぇ?」

「そりゃあボクでしょ。彼女だし」

「言い切ったなオイ。それで俺がお前嫌いとか言ったらどうするんだよ?」

「言いたい事は言う、君はそんな人間だ」

「……ちょっとムカつく」

「君に言われるとは、光栄だよ」


 いつもは見上げてる眼に、見下ろされてる。

 何時に無く半眼が憎たらしく見える。

 コイツ、強引にねぶってやろうか。


「ねぇ、今何か背筋がゾクッとしたんだけど」

「気のせいだろ」

「今の言葉、せめて目線をこっちに向けてから言ってほしかったな」

「心はそっちに釘付けだ、安心しろ」


 つい、と眼を逸らしながら言ってみる。

 恥ずかしい台詞なのは重々承知。

 だけど、一度言ってみたかったんだ。


「顔真っ赤だけど大丈夫?」

「一々言うな」

「恥ずかしいなら言えば良いのに」

「余計言えるか」

「恥ずかしい時、君は短く一言しか返さない」

「え、あ」

「大丈夫だよ」


 ボクは、君の事は何でも知っているから。

 ニコ、と微かだけどこれ以上無い眩しい笑顔を向けられた俺は、またどうしようもなく顔が熱くなってきて。

 向かい合って顔に手を添えられた事なんてこれっぽっちも理解できなくて。

 理解できたのは、この一言だけで。


 マシュマロみたいだね。


「あ、う、あ……」

「ボクはお子様、なんでしょ」

「え、あれ、その、俺……」

「君は大人、なんでしょ」


 くすり、と眩しいのとはまた別の類の笑顔を向けられて一瞬頭が沸騰しそうになる。

 しかしそれは鼻先に感じた妙な生温かさで中和され、微かにだが意識を戻す事が出来た。


「しっかりしなよ、もう」

「……俺、今、何やってた?」

「さぁね。でも顔は真っ赤だよ」


 ニヤ、と笑いながら言われて、ふと気付いた。

 コイツにこれ以上赤くなってる所を見られたらと考えて。

 ぼぉっと霞んでいた頭の中がくっきりと鮮明になってきて。

 この小柄な身体をぎゅっと抱き寄せたのは、どうしようもない、恥ずかしさの表れで。


「恥ずかしいんだね。顔を見せたくない位」

「うるさい」

「でも柔らかいね。君みたいな身体だったら、ボクも手放しで喜べたんだけどなぁ」

「うるさい」

「だってボク」

「うるさい」


 もう一回、強く抱き寄せた。

 思いきり、強く。

 平らな胸を、自分の胸に押し付ける様に。

 お互いの激しい心音が聞こえる位に。

 ……ん?


「なに見てんのさ」

「恥ずかしいのか」


 お互い、絶句する。

 あっちは予想外の一言で。

 こっちは予想通りの展開に。


「な、何の事?」

「心臓がバクバクうるさい。俺も、お前も」

「自分のと勘違いしてるんじゃないの」

「薄い分、良く伝わってるけど」

「強者には弱者の気持ちが分かるまい」

「最後に、口数が多い、いつもよりな」

「そんなの、証拠じゃないじゃない」


 つい、と視線が逸れた、気がした。

 追求するのは簡単だったと思う。

 だっていつもマシュマロみたいに真っ白な頬がこの時真っ赤になってたんだから。

 ついでに言うなら耳もだけど。

 くす、と笑えてしまう程、簡単だった。

 

「もう一回、じゃないを付けたらどうだ?」

「そんなの付けたら、日本語じゃなくなるよ」

「じゃあ、(こっち)を付けたらどうなるかな」

「んぐっ」


 赤くなったマシュマロを両手で挟んで。

 全部、思いっきり、ねぶってやった。

 さっきのお返しだ。


「甘いな」

「……だろうね」


 一分近くはそうしていただろうか。

 抹茶味のマシュマロは、とっくにコイツの甘ったるい味に変わっていて。

 マシュマロは、まだ白に戻って無くて。

 離した瞬間、向こうが俺に抱きついて来た。

 俺の首にしっかりと短い手を回して、互いの顔が見えないように。


「何でこんなに甘いのかねぇ」

「知らないよ、馬鹿……」

「お子様に言われたかねぇなー」


 それ以降、俺が言葉を出す事はなかった。

 勿論コイツだって一言も喋らなかったし、 互いの視線は、一時間は合わなかった。

 夕方になっても、ずっと離れる事はなかった。


 うん、おコタももう要らないかな。

 電源も付けずにこんだけ熱かったら。

 そんな事を思っている間にも、俺の耳には甘ったるい息が吹き掛けられている。


 はぁ、と、溜め息を吐いた。


 やっぱりこれは、慣れそうにない。



《了》


その晩、二人は更に熱く、甘く溶け合いましたとさ。

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