牙を持つ少年
私が初めて彼と出会ったのは、夏も終わりに近づいたころでした。
広場から少し歩いたところにある、小さな公園。彼はそこで、楽しそうに遊んでいる子供たちを、ただ眺めていました。
自分は遊びに加わろうとはせず、膝を抱えて木陰に座っています。そんな彼はちっとも楽しそうには見えず、私は声をかけました。
「あなたは遊ばないの?」
私が声をかけると、彼は目を丸くしてこちらを見上げました。けれどもすぐに、目を伏せてしまいました。
私は彼の横に座ると、彼と同じように、遊んでいる子供たちを眺めました。
「……あなた、いくつ?」
私が訊くと彼は困ったような顔をして、それから
「……11さい」
あまり口を開かず、モゴモゴした声で言いました。
「私と同い年だ!」
私は笑いましたが、彼は俯いたままです。
「私もね、本当は皆と一緒に遊びたいの。だけど仲間に入れてくれないんだ。お前と一緒にいたら、ビンボー菌が移るって」
私はつぎはぎだらけの自分のスカートを見ながら、笑いました。彼は笑いません。
「あなたはどうして、皆と一緒に遊ばないの?」
「…………」
「あなたも、私と話すのは嫌?」
「そんなこと、ないよ」
彼は相変わらず、モゴモゴした声で言いました。道に迷った人みたいに、視線をあちこちに動かしながら。そんな彼の慌てっぷりが面白くて、私は思わず笑いました。それでもやっぱり、彼は笑いません。
彼がずっと浮かない顔をしているのが気になって、私は尋ねました。
「何か悲しいことがあったの?」
彼は首を振ります。それから、小さな声で言いました。
「笑っちゃいけないって、言われてるから」
「どうして?」
「……笑ったら、牙が、見えるから」
彼は狼族の子供なのだと、そこで初めて気付きました。
銀色の髪と大きな牙を持つ狼族は、この世界では忌み嫌われる存在でした。『野蛮で下劣な化け物』として、彼らは迫害され続けていました。
『大昔の狼族は狼に近い姿だったが、現在生き残っている狼族は、ほとんど人間と変わらない姿をしている。だから気をつけろ、どこに潜んでいるか分からない。見つけても、決して近寄るな』
学校で何度も何度も聞かされた言葉です。
私は、目の前にいる少年を見ました。膝を抱えて座りこみ、ずっと俯いている銀髪の少年は、野蛮で下劣な化け物には見えませんでした。
「――名前、なんていうの?」
私が尋ねると、銀色の髪の中で、灰色の瞳が揺れました。
口をきゅっと結んだかと思えば、ゆるゆると開き
「……カイン」
消え入りそうな声で、そう言いました。
「カインね。私はロゼ!」
彼は口を開かずに、微笑みました。少し泣きそうな、目をしながら。
私とカインは、すぐに仲良しになりました。
カインは口を閉じたままだけど、笑うことが多くなりました。
ただ、私たちのことをジロジロと見る目も、どんどん増えていきました。
ある日カインは、一輪の花を持ってやってきました。
ピンク色のコスモスにそっくりな、けれどもコスモスよりも花びらの多いそれは、私が見たこともない花でした。
「これ、どうしたの?」
私が訊くと、カインは目を細めました。
「狼族しか知らない場所に生えてる花。年に2回、咲くんだ。……ロゼに、あげる」
彼の頬は、少しだけ紅潮していました。多分、私の頬も。
けれど彼はそのあと、ゆっくりと目を閉じて、言いました。
「ロゼは、僕とはもう会わない方がいい」
「どうして……?」
「ロゼも、仲間外れにされるから」
私たちを見つめる冷たい視線のことも、陰口のことも、私自身知っていました。けれど、私は彼と離れたくはありませんでした。だって彼は、
「カインは、私の初めての友達なんだ」
コスモスのような花を見ながら、私は昔のことを思い出していました。
「びんぼーだからって、誰も遊んでくれなかった。いつも馬鹿にされて、からかわれて……。私のお母さんはね、いつも言うの。笑ってたら、いいことあるよって。だから私、いつも笑ってたの。何を言われても、何をされても、笑ってたんだ」
笑いながら話していたはずの私は、いつの間にか顔をぐしゃぐしゃにして泣いていました。
「……本当は、泣きたかった。だけどいつも笑ってたの。私ね、カインと出会って、初めて本当に笑ったんだよ。作り笑いでも、強がりでもなくて、本当に」
私の泣き顔を見て、カインはオロオロしています。そんな彼を見て、私は思わず笑ってしまいました。
「カイン。私、カインのことが好きだよ」
私がそう言うと、彼は余計にオロオロしてしまいました。けれど、しばらくしてから
「……僕もだよ」
そう言って、はにかんだように笑いました。
笑った時に少しだけ、鋭い牙が見えました。
空気も凍りそうなくらい寒い冬のある日。
「狼族を、一人残らず処刑しろ」
国の偉い人が、そう言いました。
私は慌てて、カインを探しました。処刑所に連れていかれる狼族の中に、彼の姿がありました。
「カイン!」
私が叫ぶと彼は立ち止り、ゆっくりとこちらを向きました。口には、猿ぐつわをかまされていました。
「カイン! カイン!」
私が彼に近づこうとすると、怖い顔をした兵士たちがやってきて、私を取り囲みました。
「近づくな、危ない!」
「危なくなんかないわ! どいてよ!」
「ゲセンの子供は黙ってろ!!」
ゲセンというのは、私の身分をしめす単語でした。
「あいつらには野蛮な血が流れている。そのうえ、鋭い牙を持っている。いつ暴れだしてもおかしくない化け物なんだぞ。ゲセンのお前だって、それくらいは知ってるだろう?」
「知らない! カインはそんなんじゃない!」
「これだからゲセンは……!」
兵士の一人が、私を蹴り飛ばしました。私がその場にうずくまると、兵士たちはブツブツ文句を言いながら、どこかへ行ってしまいました。
悲しそうな顔でこちらを見ていたカインは兵士に怒鳴られて、再び歩きだしました。
彼の小さな後ろ姿は、処刑所の中に消えていきました。
私は、知っていました。
人の言葉も、視線も、鋭い牙になることを。
私や彼に向けられた言葉は、視線は、まるで牙のようでした。
とても鋭くて、とても恐ろしい、牙でした。
彼が笑った時に見えたのは、鋭くて、大きな牙でした。
けれど、ちっとも怖くありませんでした。
誰にも向けられない、優しい牙でした。
けれど彼は、殺されました。
鋭い牙を持っていたから。
他の人とは少し違うから。
それだけ、で。
冷たい時が過ぎ、春が訪れました。
私は彼を弔うために、彼と初めて出会った公園に向かいました。そして、目を見開きました。
彼が座り込んでいた木陰。そこに、コスモスのような、けれどもコスモスではない花が1輪だけ咲いていたのです。
暖かな風が吹いて、花が揺れました。まるで、笑っているように。
「……おかえり、カイン」
私が笑うと、カインもふわりと、笑いました。