驚くばかりのメリッサ
「ここはこうなるのですね。そして―――」
麓の町…その一角にある空き家の中に響くディアナの声。十数人の生徒と思しき人達は、そのディアナの講義に黙って耳を澄ませている。年齢も性別もバラバラだが、その全てが大人だ。
「―――では、今日の講義はここまでとします。ご清聴に感謝いたします」
ディアナの前にある机…その上においてある砂時計の砂が落ち終わるのを確認したディアナが、一礼と共に講義の終了を宣言する。と、同時に、これまで適度な緊張感に包まれていた室内が、一気に柔らかくなる。終了と同時に退室する者、生徒同士で講義の内容を話し合う者、内容についてディアナに質問する者など様々だ。
「錬金学術か。魔王にそんな知識があったとはな…」
その一部始終を見学していたメリッサが、講義を終えあらかた生徒が退室したのを見計らってからディアナに声を掛ける。その声色は驚きに満ちている。
「一応、大体は教えられますよ。言語学術に魔学術、薬学術、数学術、歴史に道徳・倫理なんかも…まあ、最後ふたつは私が説いてもお前が言うなで片づけられてしまうのですが…」
「だろうな。かつて世界を滅ぼしかけた者の道徳・倫理など聞く価値はない。それに、今の講義を聞く限りでは、大体は基礎の範疇だろう? それくらいの知識なら私も持ち得ている」
「そうですね…英才教育を受けたであろう貴女からしたら知っていて当然かもしれません。ですが、この町に居る人たちはそれを知る権利すらなかったのです」
「そうそう。貴族様達はこういう知識と暴力で俺ら平民を虐げやがる。かと思えば、シスターディアナに手も足も出ず逃げ帰る役立たずぶりだ。シスターディアナがこのような寛大なお方だからよかったようなものの、かつての魔王の様な残虐な人だったらどうするつもりだったんだろうなぁ…」
そうして始まったメリッサとディアナの会話だったが、どうやらその内容が気に入らなかったのだろう。唐突に生徒の一人が会話に割り込んできた。悪い言い方だが、胡散臭いチンピラ…と言う表現がしっくりくる容貌だ。
「なっ!? 何だ貴様いきなり! 無礼だぞ!!」
「そりゃ失礼。で、どうするつもりだったんです? のびのびと英才教育を受けた勇者様なら当然、何とかしてくれてたんですよねぇ?」
明らかに皮肉っているその口調にメリッサも当然怒り出すが、とうの生徒も引く気はない様だ。ますます嫌らしい表情と口調でメリッサを責め立てる。
「ぐっ…! そ、それは…」
「ピランチさん、止めてください。メリッサ様も未だ道半ば…己を完成させるために必死にもがいているのです。そして、皆からそう責められる重責も背負っているのです」
「―――申し訳ないシスターディアナ。しかし、突然現れたかと思えば講義を偉そうに見下し、なおかつ内容を基礎だ何だとケチ付けられちゃ、嫌味の一つでも言ってやりたくなりますぜ」
その生徒…ピランチの追求を返せずにいるメリッサだったが、ここで見かねたらしいディアナが割って入る。すると、ピランチは素直に頭を下げ…はしたのだが、メリッサを見る目は不快と嫌悪に満ちている。よほど貴族と言う存在を嫌っているのだろう。
「お、そうだ! なあ勇者様よ。次の講義で勝負と行かねぇか? 内容をより深く理解できた方の勝ち…ってのでどうよ?」
間髪入れずに、何やら提案をするピランチ。明らかに良からぬことを企んでいそうなものすっごく悪い顔をしながら。
「勝負だと?」
「おうよ! 次の講義は言語学なんだが、基礎の段階で滅茶苦茶難しいぜ~っ! 難しすぎて受けてるのは俺と俺の上司、あともう一人言語学者の先生だけだ! でも、英才教育を受けた勇者様ならついて行けるよなぁ!?」
訝しむメリッサに、ピランチは次の講義について簡潔に説明する。そして、それを聞いていたメリッサだが、不意に不敵に笑いだす。
「ふっふっふ…。言語学なら望むところだ! むかし著名な先生に教えを乞うていたからな! 獣人咆哮声だろうが精霊呼応声だろうがよっぽど深くない限りはついて行ける自信がある!」
「それはつまり…乗ったって事でいいんだな!? かかったなマヌケな勇者め!」
自信満々にふんぞり返るメリッサ。しかし、ピランチの方も確かな策がある様だ。果たして勝者はどちらに…と、その時だった。部屋の外からドタドタと慌ただしい足音が響いたと思ったら、勢いよく扉が開いたのだ。現れたのは全体的に細長い体つきに立派な髭を蓄え帽子をかぶった男。よほど急いで来たのか、呼吸は乱れに乱れている。
「はあっ、はあっ…!! ぴ、ピランチ君、二ドレ君! まだ講義は始まっていないね!?」
「バジリア先生! ええ、まだ始まってねえですよ!」
「…っ!? ば、バジリア先生!?」
その男…バジリアは必死に呼吸を正そうとしながらピランチと、もう一人残っている寡黙な男…二ドレに呼び掛け、それにピランチは上機嫌に返し、二ドレもコクリと頷く。
一方、メリッサはバジリアを一目見るなり驚きに目を見開いていた。まさかこんな所で会えるとは…と言った感じの驚き方だ。
「ん? お、おお! 君はまさかメリッサ君か!? おお、おお、大きくなったな! 何故ここに…と、そうか、勇者一行がこの町に来ていると噂になっていたな…」
「は、はい…その通りです。先生は何故こちらに…いや! それは後にして…」
同じくバジリアもメリッサに驚きの視線を向けている。が、ここでメリッサはピランチの方へ向き直った。
「はっはっは! このバジリア先生こそ私の昔の恩師だ! ピランチだったか!? 先生の教え方なら熟知している! この勝負もらったぞ!!」
ビシッと指を突きつけ勝利宣言をかますメリッサ。しかし、ピランチの表情は崩れない。バカめ…とでも言いたげなニヤニヤとした笑みを浮かべ続けている。
「その言葉を聞く限り、メリッサ君も講義を受けに来たのか?」
「はい! お久しぶりの先生の講義、楽しみです!」
ウキウキとした様子でバジリアの質問に答えるメリッサ。しかし、何故かバジリアは困惑気だ。
「あー…。すまんな、メリッサ君。次の講義は私も”受ける側”なんだ。と、言うより、次は私ではまともに講義できん…」
そうして、申し訳なさそうに頭を下げるバジリアだったが、その言葉を即座に理解できなかったのだろう。メリッサは「は…?」と固まってしまう。
「―――バジリア先生がまともに講義できない? 言語学で? その権威と言われたバジリア先生が?」
信じられない…とばかりにブツブツと呟き続けるメリッサ。が、次の瞬間、再び扉の開く音。そして、そこから一人の女性が音もなく入室してくる。
この世の物とは思えぬほど白く美しい肌と顔に、輝き艶のある腰辺りまである金髪。そして、何より目を引くのは背中から生えている純白の四枚の羽根と、頭の上で光り輝く輪っかであろう。明らかに人間ではない。
「な…っ!? て、天人!? しかも羽が四枚って王族の方…って、リュシアネル殿っ!? な、なにをやって…い、いえ、何故こんな所に………え? 本当に何でこのような場所に…? あえっ、えっ……?」
どうやらこの色々超越した存在をメリッサは知っている様だが、それ故なのか、ここにいる事が理解できないようでただひたすらに混乱している。
「おい勇者様よ。取り乱すのは好きにすりゃいいが、リュシアネル様の講義、んで、バジリア先生ですらまともに講義できない言語学…とくりゃ、何の講義か…わかるよな?」
そんなメリッサに、変わらずニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて聞くピランチ。その声にメリッサはハッと顔を上げた。
「ま、まさか………。こ、古代セリエス象形語…?」
「ご名答ーっ! 流石に知ってやがったか! とはいえ、そういう言語があるって知ってるだけで、中身はちんぷんかんぷんだろ? おら、講義が始まっぞ! 席につけ!」
「ばかなっ! ちょっと待て! 古代セリエス象形語は天人族の王家にのみ脈々と伝わる秘蔵音言だぞっ! 私どころか、城の学者達も喉から手が出るほど知りたがっている物だっ!! そ、それを、こんな辺境の学び舎で学べていい筈が」
「お静かに」
ぎゃいぎゃいと騒ぐピランチとメリッサだったが、それを超越した存在…リュシアネルが制す。落ち着いた静かな声色だったのに、ピランチとメリッサの騒ぎの中でもはっきりと聞こえた不思議な声だ。
「落ち着いたようですね。それでは講義を始めます」
そうして、静まり返った室内を見回した後、改めて講義の開始を宣言するリュシアネル。すでに何度も受けているであろう様子の勝ち誇った顔のピランチと、明らかに初めて受けるであろう様子の絶望顔のメリッサ。スタートの時点で知識に深い差のあるこの勝負の行方は、ここで決してしまったようだ。




