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古城、売ります!

 その古城は、王国の北端のひどく辺鄙な場所に建てられていた。なんでも、築三百年ほどは経っているらしい。隣国との戦争が行われていた時代には難攻不落と城塞と言われていたようだ。けれど、戦争が終わり平和な時代が訪れれば、すっかり廃れてしまって今は海から吹き付ける潮風に晒され、朽ちゆくのをただ待っているだけだ。岸壁の上に建ち、周りは林に囲まれている。近くの村や街までは遠く、古城を訪れるような人間などほとんどいない。所有していたのは、由緒正しい王国貴族のスペンサー伯爵だ。この辺り一帯、かつてはスペンサー伯爵領だったのだが、それも代を重ねる事に所領と財産を失っていき、今ではこの古城とその周囲の林を所有するのみとなっていた。


 最後の所有者であったスペンサー伯爵が亡くなってから、無人の廃墟と化していたのだが、つい数ヶ月前に一人の少女がやってきた。年齢は十五、六で、やせっぽちの栗色の髪をした少女である。近隣の村の人はこの城にやってきた少女を、ただの城を管理するために誰かしらに雇われたメイドの一人だろうと噂していた。その噂はそう間違ってはいない。メアリーという名のその少女は、王都の下町育ちで、根っからの庶民である。


 たった一人で古城にやってきた少女は、朝早くから忙しなく働いていた。なにせ、やることは多い。もうじき冬が訪れるため、早朝ともなれば霜が降りている。霧も濃く、ショールが吹き飛ばされそうなほど風も強かった。そんな中、木切れを担いで外に出てきたメアリーは、錆びた背の高い門の外に木槌で杭を打ち込む。その杭に取り付けられているのは『古城売ります!』と書かれた看板だ。昨日、苦労して作ったものである。

「うんっ、これでよしっ!」

 看板を設置したメアリーは腰に手をやって満足そうに頷いた。けれど、あまりの寒さに身震いがして、ショールを引き寄せる。

「それにしても……こんな看板を設置したところで、誰も来ないんじゃないかしら?」

 なにせ、たまたま人が通りかかるような場所ではない。王国の北の端だ。その先は海で、さらにその先は隣国である。島国であるこの国は四方八方海に囲まれて、船で交易を行っていた。ここから二時間ばかり馬車で移動すれば港町がある。だが、そこから二時間もかけてこんな辺鄙な場所にある古城まで、物見遊山に訪れようとする人なんていないだろう。観光名所になるような立派な城でもない。


「年季だけは入っているのよね……」

 メアリーは「はぁ」と、ため息を吐いて肩を落とす。築三百年の古城は堅牢な石造りで、かなり大きな城だ。とはいえ、長く修繕されていないため、どこもかしこも老朽化がひどく、造りも昔のままだから住み心地はひどく悪い。城の中はどこもかしこも、凍えそうなほど寒いのだ。修繕しようにも、かなりの費用が必要になるだろう。わざわざ、こんな城を買おうとする人が現れるなんて思えなかった。

「まあ、いいわ。どうにか、手立てを考えなきゃ……」

 独り言を漏らして、急いで鉄柵の門を押して引き返す。荒れ果てた庭を通り抜けると、城の正面玄関が見えてくる。だが、その扉は重くて開きづらいのだ。そのため、メアリーは外壁沿いに歩いて使用人たちが使う小さな裏口から中に入った。


 厨房に入ると、暖炉の薪がもう燃え尽きようしている。しゃがんで薪を焼べると、冷えた手をかざした。お茶をいれて、朝食の準備をしよう。そう思うのに、体がすっかり冷えてしまっているためにすぐに動けない。

「本当に、ひどいところだわ。こんなお城、残されたところでどうすればいいの?」

 独り言が多くなるのは、この城で話し相手が一人もいないためである。なにせ、いるのはメアリーただ一人だけだ。いいや、もう一人――否、もう一匹だけいる。庭の隅っこで震えていた子犬のケティだ。拾った時より少しだけ大きくなったこの同居犬は、メアリーの足もとにやってきては小さな尻尾を振る。きっと、ミルクの時間だとわかっていて催促にやってきたのだろう。子犬なのに、食い意地だけは一人前だ。

「わかった、わかったから。すぐに朝食の準備をするわよ。怠けていたって、どうにもならないことくらい十分にわかっているんですからね」

 ケティに言い聞かせて立ち上がり、コンロに火を点ける。厨房のコンロは古くて、使い勝手もひどく悪い。この城にやってきた時には長く使われていなかったから、煤だらけで蜘蛛の巣まで張っていた。それをなんとか使えるように掃除したのだ。ただ、かつては晩餐会や舞踏会も開かれていたようで、大人数の料理を作れるように厨房は広々している。奥は食材庫や、食器類を終う部屋があり、さらに階段を下りれば地下にはワインの貯蔵庫があった。とはいえ、そのほとんどが飲み尽くされていて、残っているのは埃をかぶった数本の瓶と、空の樽だけだ。


 お茶をいれ、ミルクパンで少し温めたミルクを小皿に注ぐ。ケティがそのミルクを舐めている間に、ライ麦のパンを温めてチーズを添え、皿に盛った。これで、今日の朝食の完成である。暖炉の前に移動させた椅子に座り、紅茶を飲みながらパンを頬ばった。テーブルで食べないなんて、あまり行儀がいいことではないとわかっているけれど、ここにはお小言を言う人間はいない。自由を満喫できることだけが、唯一いいところではある。けれど、ひどく寂しくもあった。


「ねぇ、ケティ。一度、王都に戻ろうと思うのよ? ジョアンナおばさんたちの顔を見たいし……王都の方が買い手が見付かると思うの。ここでいくら待っていたって、やってくるのはカラスくらいじゃない? でも、困ったわね。あなたをどうしたらいいかしら? 一緒に王都に行く? それとも、しばらく村の人に預かってもらう? 教会の神父様ならいい人そうだったから、少しの間は面倒を見てくれると思うの」

 パンを咀嚼しながら話しかけると、足もとでミルクをチビチビ飲んでいたケティは上目づかいにチラッとメアリーを見る。尻尾だけは動かしているものの、返事をしないところを見るとどちらでもいいのだろう。

「やっぱり、連れていくべきよね。でも、あなたは汽車は初めてでしょう? かなり揺れるし、長い間キャリーバッグの中で大人しくしていられる? 王都に着いたら、弁護士の先生のところに行くつもりよ。でも、ご高齢だったし、仕事を辞めるとおっしゃっていたから会ってもらえないかも。そうなったら、他の先生を紹介してもらいましょう。そうと決まれば、準備しなきゃね。ジョアンナおばさんも、アーノルドおじさんも、私が急に戻ったらびっくりするわ。本当に、お祖父様も厄介なものを押しつけてくれたものよ」

 誰も聞いていないことをいいことに、メアリーはケティを相手に一人でしゃべり続ける。そうしていないと、寂しさに負けそうになってしまうのだ。この広すぎる古城の中に、たった一人でいるなんて。ため息を吐いて、残りのパンを口に押し込む。

「よし、ぼやぼやしていないで、片付けの続きをしないと。それから、荷造りよ。ケティ。あなたはまだここでミルクを飲んでいればいいわ。ただし、火の番だけは忘れずにね」

 立ち上がって流し台に皿とカップを置き、厨房を出る。ミルクを飲んで満足したケティは温かい暖炉のそばにうつ伏せになり、眠そうに欠伸を漏らしていた。


◇◇◇


 翌日の早朝に出かけたメアリーは、村で荷車に乗せてもらい駅のある街まで移動する。そこから汽車で王都に戻ると、もう日暮れ間近だった。生まれ育った王都の賑やかな人混みが、なんだかほっとした。古城に滞在している間、聞こえてくるのは鳥の鳴き声か、風の音くらいだったから。

「やっぱり、王都はいいものね。ああ、そうだ。あなたは初めてだったわね。ケティ。驚いて騒いではダメよ」

 キャリーバッグの中にいる子犬のケティに言い聞かせ、汽笛の鳴り響く駅舎を出る。今にも出発しそうだった乗合馬車に手をあげ、急いで駆け寄って乗り込んだ。


 一ヶ月ぶりに戻ったのは、下町にあるベーカリーだ。叔母のジョアンナと叔父が二人で営んでいる店である。小さな店だが近所の人たちの評判は上々だ。メアリーが戻った時にはもう閉店間近で、叔母のジョアンナが片付けを始めているところだった。

「おばさん、ただいま!」

 元気よく店に入ると、ジョアンナが目を丸くする。ふくよかな体型で、メアリーと似た栗色の髪をしていた。エプロンをしたまん丸いお腹に飛びつく。

「メアリー! 急に戻ってくるなんて、どうしたの? びっくりするじゃない。しばらくは片付けをしなくちゃいけないから、戻れないって手紙に書いていたでしょう?」 

「そうなんだけど……弁護士の先生に用があったの。それに、ジョアンナおばさんの顔を見たくなっちゃった。だって、あっちには話し相手になる人もいないのよ? 寂しさのあまりに死んじゃうかと思ったわ」

 抱きついたままニコッと笑うと、「まったく、あなたってば」と叔母のジョアンナが困った顔で笑う。頭を撫でてくれる手は相変わらず優しい。甘えたくなってそのままギュッとしていると、「おい、どうした。メアリーの声がしたぞ」と、奥の厨房から叔父のアーノルドが姿を見せる。


「おじさんっ! ただいま。戻って来ちゃった」

「メアリー! やっぱりか。そうだと思ったんだ。あんな辺鄙なところにいっちまって、毎日どうしているのかと心配してたんだぞ。もう、戻ることはねぇよ。よく知らねえ爺さんの残した城なんて放っておけばいいだ。お前は、うちの子なんだから!」

 叔父のアーノルドはニカッと笑って、大きな手でガシガシと頭を撫でてくる。

「ほら、あんた。早く、片付けを終えちゃってよ。店じまいをしなきゃ、夕飯を一緒に食べられないでしょう?」

「ああ、そうだ。ちょっと待っててくれ。明日は、店を休みにするからな! 絶対にだ」

 アーノルドはそう言うと、忙しそうに店に戻っていった。

「おじさん、私も手伝うわ」

「ああ、いいの、いいの。あんたは疲れてるんだから。それより、そのバッグの中はなんなの? 鳴き声が聞こえてくるけど」

 ジョアンナに訊かれて、「そうだ!」と提げていたキャリーバッグを見せる。

「私の相棒のケティよ!」

 メアリーが少しばかりバッグを開くと、顔を出したケティが愛想よく吠える。

「お城で留守番をさせておくわけにもいかなかったの。まだ、子犬なんだもの。家に連れていっていい?」

「もちろん! それじゃあ、あたしらは先に戻っていようか。今日は飛びきりおいしいご馳走を作らなきゃね」

「それなら、おばさんの野菜煮込みのスープが食べたいわ」

「そんなものでいいの? いつも食べていたものじゃないの」

「それがいいの。食べたくて夢にまで見たんだから」

 笑って答えると、「じゃあ、戻ったら手伝ってちょうだい」とジョアンナがポンと頭を叩いた。

 


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