【1話 空象道】
「は,は,は,は,は,は」
現在入谷はと言うと,いつも通りに基礎鍛錬を
積んでいた,その基礎鍛錬と言うのは全身の
部位鍛錬のこと。
頭のテッペンから足指の先まで,心血を注いで
痛みと言う犠牲を払いながら日々,肉体を極めて
いた。
フルコンタクトや極真空手の比ではないほどに
その身を打ち続ける,壊れるまで,疲れ果てるまで,そんな指標はない,数を数えず時計を見る暇も時間を考える余裕もない。
「ふん,ふん,ふん,ふん」
肉体を極めるのは空手がもっと向いている,それは剛を押し進める武だからだ。
両の手足,指一本一本を最低1万回の全力の突きを構えて,息を整えて,放つの,突き指は当たり前,
指の骨は粉々に成り筋断裂は日常茶飯事。
「ふん,ふん,ふん,ふん」
それでも無心と痛みを感じれる身体に感謝を
惜しまないで冷静に鍛錬をする。
胸は柔道の鍛錬を参考にさせて頂き,大木に
向かって枝を掴みぶつける,ぶつける,ぶつける,
それを1万回と繰り返す,頭はフライパンを
叩き付け,顎は木にぶら下がったりダンペルを
咬み挙げる。
腹筋や腕立て伏せなど基礎的な自重訓練は
全身各部位100回を10セット,つまり1000回
行い,ランニングはkmてはなく走れる限界まで
身体を追い込む。
こうして出来上がるのは,死線を潜り抜けた
鋼の肉体である。
「肉体は仕上がったな」
「師範!」
彼は入谷の師範の輝須安彦,既に空象道の
始まりに入門している御方だ。
「技術に至っては実践で化勁を十全に行使して
いたな,,,ついにお前もこの領域に至るのだ」
「よろしいのですか!」
この数十年と言う年月,無駄と断ずる経験は
一切無かった。
「空象道の力,鍛錬するに相応しい実力を備えたからこそ次のステップに行くぞ」
入谷は師範に連れていかれて巨大な水場に
出された。
「これから水中訓練を開始する」
「あの,何故水中訓練なんですか?」
「熊蜂の見る視点が空間の粘度を知覚して飛んでると言うことは知っているか?」
「そうなんですか?あれだけ羽が小さいしまぁ
それが一番納得出来るんですかね」
「それはともかく,今からそれを可能とする」
「はい!」
こうして,水と言う環境の制約をしっかりと
感じながら身体をじゃばじゃばする。
「(泳ぎ方,手の形,水の流れ,,,進む速さは抵抗を
受けない方法を取り,楽に沢山進む,陸上においての空気とはそれなのでは?)」
ゆっくり着実に,我流独学で推測を重ねた結果,
なんと無くの理解を得た。
「その感覚を忘れぬまま,身体を乾かして陸地で
重力を感じろ,地に引っ張られる感覚を,抵抗は
同時に解放だと」
こうして,陸地で身体を動かすとまた違う感覚を
受ける。
「(空気摩擦の風圧を使い物理ベクトル単体で物体に技を掛ける技術は総合して空象道,力やエネルギーに一切合切の無駄や隙を生じさせず力を離散させない)」
「混沌を受けながすこと,それ即ち常なる化勁が
必要なのだ(それはエントロピーの法則や物理ベクトルに反する抵抗をカウンターして本来考えられる計算を超えた相乗効果を生み出す)」
「最小限の動きから最大限の効率を生み出す,
つまりは極限の合理性を必然的に無くては
ならないのだ」
必要最低限に全く動かない直立不動状態から
相手の攻撃を無防備に直撃しても逆に相手の
拳にダメージが蓄積する反動返しや風のように
透かしたり,またそのインパクトを吸収して
相手の力に自身の力を加えて攻撃をし返す
だけなほどの練度を要求される。
「理合の完全な理解と実践可能が必要不可欠なのである,仕組みがわかればシンプルだが単純にそれを凌駕するほどの力量や技量を出すことが難しいんだ」
柔も剛も総じて筋脂の構成に過ぎない,異なる
役割で最大を発揮するピースなんだ。
「重力が弱く酸素が濃い時代は虫が大きかった,
これが一番分かりやすい例だろう」
「過剰分泌を己で量を調節して最大限過剰に
算出するのか」
空象道の真理を悟る。
「開眼,天啓ではない,これは自らが開いた道なのだ」
空象道,その別称は劣・天道と言う。
《空象道の理合における哲学》
それは自由だが逆説的自由が存在する,
逆説的自由とは,例えば行動しなければならないという義務感や必然性が,その主体を縛り自由を奪う矛盾のことである。
自然界においても,生存競争と絶滅の連鎖は常に生き物を縛り,自由な選択を許さない,この義務感と必然性は,武術における勝たねばならぬという心構えや技を極めねばならぬという修行の必然性にも重なる。
格上の生物と対峙した生き物は格上と戦わなければならない,という状況によって自由を縛られ,敗北する,生存競争の中で生きるものもまた,逃れられない苦悩に直面している点で同様で
ある。
自由に至るために苦悩から逃れるためには行動せねばならないが,その行動自体が新たな苦悩を生むという悪循環に陥る,自然界の捕食者と獲物,戦いと死の連鎖もまた,この悪循環の構造に似ている。
また,これは元凶がある故に苦悩が存在するが
ゆえに元凶が存在していていると言う,掟破りやエントロピーや摂理の普遍的な不滅性を表している,生存競争も存在するからこそ次の危機が生まれ,危機が生じるからこそ生存の試練が存在するという循環構造を持つ。
無駄と混沌を倒すためには,その苦悩という概念を頭から消滅させなければならない,しかし,苦悩という概念を消滅させるためには元凶を倒さなければならないという,袋小路に陥る。
この矛盾は,自然界の絶滅の連鎖に抗うことができない状況とも重なる,倒すための行動すべてを苦悩と定義して制限させることができ,どんな極めた道や虫が小さくなっても毒や特有の性質,在り方を発揮しようと,それをする必要がある時点で逆説的自由に縛られる。
ゆえに,エントロピーには完全には勝てない,しかし,武術の修行において重要なのは,勝利や結果に囚われず,この苦悩そのものを受け入れ,無執着で行動することである。
自然と同調し,義務感から解放された心で動くこと,それが真の力と境地を生むのである。
つまり向き合わなければならないのだ,故に
真の空象道の到達者とは,初めから完成された
最も傲慢な存在なのだ。
《空象道,何故他者に依存しないのか》
数学的に言うならば小数点単位の値の空気抵抗を力を受けているとして,それを常に威力を増してカウンターする感じだから。
無駄な余剰エネルギーを自分のスタミナを一切消耗無しに最大限に有効活用するって側面を持つ。