奪い取った場所
「残念ながら……既にハルバートさんの記憶は完全に消失しているようです」
アリシアが連絡を取ってくれた、この街一番のヒーラーが、無念そうに告げた。
「……なんとかなんないの?」
アリシアが食い下がるも、ヒーラーは難しい表情だ。
「王都の私より力のあるヒーラーなら、可能性はあるでしょう。
けれど、私のヒーリングでも一切回復の兆しすら見られないのは……。
惑いの森の空気にアテられたことによる記憶障害であれば、単に記憶の引き出しが制限されているだけですので、制限を外せば元通りになります。しかし、彼の場合、記憶が制限されている様子もありません。もはや……彼は、ハルバートさんとは別人と考えるべきでしょう」
「一回死んでみる?」
アリシアは俺の方を向いて突然言い放った。
俺もしかして30ページくらい読み飛ばした?
「惑いの森の記憶喪失だったら、蘇生後は回復するじゃない」
蘇生という概念があるのも、実に異世界している。
蘇生についての記憶を引き出してみる。記憶はあるが、俺にとってはなじみのない概念なので、一々このように頭の中で検索を掛けないと出てこないのだ。
【蘇生とは】
一介の冒険者がほいほいできるものでもなく、相当高位のヒーラーに大金を積まねばならない上に、死んでから二日以内という時間制限付き。
目の前のヒーラーは、その高位のヒーラーに当たるのだろうか。
いや、その前にそんな必要はないのだ。
俺は、瀬川瑛一郎なのだから。
「……いや、いいよ。なんかのきっかけに思い出すかもしれないし」
しかし、アリシアは納得がいかないのか、ダメよ、と小さく呟き、唇をぎゅっと噛み締める。
「ねぇ、ほんとにどうにもならないの?ハルバートは戻ってこないの?」
無情にも、ヒーラーは首を横に振った。
ヒーラーの診療所を出ると、既に夕闇がそこまで迫っていた。
さて、今日の寝床はどうしたものか。
宿屋に何泊かできる資金はあるかと思われるが、今後のことも考えて無駄な出費は避けるべきだろう。
そういえば、ハルバートとやらはどこを拠点にしていたのだろう。
「アリシア、今日はありがとう。ところで……ぐえ」
アリシアの頭が、鳩尾に突き刺さる。
「……ごめん。困るよね、知らない女にこんなことされても……」
おいおいハルバート、この子とどういう関係?
推察するにハルバートとアリシアは、ある程度以上に気の置けない関係ではあったのだろう。
しかし、瀬川瑛一郎としての記憶を制限された状態でこの世界に転生したのであれば、ひょんなことから瀬川瑛一郎としての記憶を取り戻したとしても、ハルバートの記憶が失われる理由がよく分からない。
やはり突然ハルバートくんの上に俺の記憶が降ってきて上書き保存されてしまったのだろうか。
ハルバートにも親がいて、友がいた。もしかしたら愛する人がいたのかもしれない。
その事実に心が痛む。
望んだことではないとはいえ、俺の存在がひとりの男をどこかに追いやってしまったということだ。
「ありがとう、アリシア。俺の家がどこか知ってる?」
その言葉に、アリシアは悲痛な表情を浮かべる。
いや、心は痛むけど、喫緊の問題ではあるので……。
「……こっちよ」
道中、アリシアは一言も口を開かなかった。
10分ほど歩いただろうか。
アリシアが歩みを止めた先には、一件の家があった。貸し屋らしい。
そしてその玄関前には、レストランに放置してきたミラエルの姿があった。
「お昼はご馳走さまでした。寒いので家に入れてくれますか?」
自宅の間取りは2DKと言ったところだろうか。
この世界の家賃の相場がどの程度かは知らないが、ハルバートの生活水準はやはりある程度高かったことが伺える。
室内もある程度整頓されており、壁には恐らく冒険者稼業に使用するのであろう剣やら弓やらが掛けられている。
弓のバリエーションが多いところを見ると、メインウェポンは弓矢だったのだろうか。
寝室を覗くと、いくつかの書物と、日記帳のようなものを見つけた。後で目を通すとしよう。
ベッドシーツの乱れは、ここに誰かがつい最近まで生きていたことを嫌でも思い知らせてくる。
ハルバートという男が何を考えていたのか、何を成そうとしていたのか。俺にはそれを知る必要があるのではないだろうか。
それが、居場所を奪った者の責務ではないか。
「とはいえ、責務を果たすのは自らの安定が前提か」
リビングに戻るとアリシアは勝手に飲み物の用意をしていた。
少なくとも、この家の仕様を少なからず把握しているのだろう。
「それで、ミラエルさん。どうして貴女はここに?」
ミラエルは当然のような顔で椅子に腰掛けて茶をしばいている。
正直、この子がこれ以上俺に関わる理由などないはずなのだが。
「まだお礼をいただいておりませんので」
そうだった。
昼食はあくまで礼には含まれない、との主張をしていた。
「お礼って、金銭をお求めですか?法外な値段でなければ今払うけど」
「あぁ、そうだ。私には目的があり、それには人手が必要なのです。ゴールドの冒険者であるならば、是非私の目的にご助力いただきたいと思いまして」
取って付けたような理由を述べるミラエル。
一番に思い浮かんだのは詐欺だ。
特に関わりもないのに異性が急に近づいてくるのは詐欺。
しかし、金銭目当てなら俺が地面に横たわっていた時に金目のものを持っていけばよかったのに。
「でも、こいつは記憶を失っているのよ?戦えるの?」
「戦えないんですか?」
「分かんない」
俺は首を振る。
「まぁ戦えますよ多分」
何の根拠があって言ったのかは知らないが、ミラエルは続ける。
「アリシアさん、この方はどのような冒険者だったのですか?」
おぉ、有り難い質問だ。
「・・・・・・そうね、話しましょうか。こういうのが案外、記憶を取り戻すきっかけになるかもしれないし」
そう言ってアリシアは、当然のように俺の隣に腰掛けた。
「ハルバートは、そうね、弓の名手だったのよ。
別に能力が特別高いわけではなかった、と思うわ。
本人もそこまで向上心があったワケでもなかったし。
ただ、魔獣討伐の際には必殺必中。
ことごとく急所を射貫き、次々と武勲をあげていた。
『グッド・ラックのハルバード』の異名は、この街の冒険者で知らない者はいないわ」
『グッド・ラック』というのは俺の『ギフト』の名らしい。
単に言葉だけの意味を考えれば、幸運値を底上げするものだろうか。
その『ギフト』により、弓矢の命中率が非常に高かった、と。
なるほど、メインウエポン選択の理由が弓なのはそういったことが理由か。
「彼は・・・・・・大魔女の秘宝だとか、魔王の討伐だとか、そういう欲は持っていなくて。
ただ、この街で細々と生きていきたい、と常々言っていたわ。
ある程度難易度の高いミッションを受けてはいたけれど、それは名を上げるためというよりは、金銭のためだった。家族もあまり持つ気はなかったみたいだけれど・・・・・・」
そこまで言って、アリシアは項垂れるように手元のカップに視線を落とした。
ううむ、聞きたいことは山ほどあるが、なんとも聞きにくい。
『記憶を失ったハルバート』である俺がどこまで踏み込んでよいものか。
「アリシアさんはハルバートさんとは、どのような関係だったのですか?」
ミラエルさん、ナイス。
詐欺師の疑いはまだ消えないが、本当にいてくれてよかった。
アリシアは、俺の顔をちらと見る。
「・・・・・・どうなんだろ。今となっては分からないわね。私は、強引にこの家に出入りしていただけだし、彼もわずらわしく思っていたのかしら」
空気が、ぐんと重くなる。
俺はその空気に耐えきれず、お茶をひとくち口に含もうとすると、
対面に座っているミラエルも同じようにカップを上げていた。
これからどうしたもんか、ホントに。