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間章6:高宮千鶴

主演映画の撮影が進む中、裕奈は渉の言葉を胸に抱き、圧倒的な存在感でその場を支配していた。


彼女の演技には確信があり、カメラの前に立つたびに、観る者の心を揺さぶる迫力があった。


現場のスタッフや共演者からも称賛の声が絶えなかった。


撮影終了後、モニター越しにその様子を見守っていた千鶴は、静かに胸を押さえた。


裕奈の力強さに心を打たれる一方で、自分の過去が鮮明に蘇ってきたのだ。


20代の頃、千鶴は自分の夢を追いかけて芸能界に飛び込んだ。

しかし、華やかな舞台の裏側に潜む厳しさや現実に押しつぶされ、成功を掴むことはできなかった。

ステージに立つことを夢見た日々は、挫折とともに終わりを迎えた。


夢を諦めて広告会社に転職したとき、千鶴は心の奥で自分を責め続けていた。

「私は結局、何者にもなれなかった」

そんな虚無感が、日常の中に静かに根を張っていた。


転職先の広告会社で出会ったのが、夫だった。

彼は大手広告代理店に勤めるエリートで、どこか眩しいほどに自信に満ちていた。


言葉巧みで社交的、華やかな人脈を築き上げ、誰とでも自然に打ち解ける。

そして何より、「夢を叶えた大人」に見えた。


失敗を経験し、夢を諦めた千鶴にとって、そんな彼は眩しく映ったのだ。

「こんな人と一緒にいれば、きっと自分も変われるかもしれない。」

「失敗した自分でも、“普通の幸せ”を手に入れられるはず。」


――安定した未来と、“成功した人間”との結婚。

それが、自分に残された新しい生き方だと信じた。


しかし現実は違った。


夫は外では人当たりが良く、華やかな交友関係を築く一方で、家庭では無口で冷淡だった。

その心は常に仕事や外の世界に向いており、千鶴と向き合う時間はほとんどなかった。


結婚後も、夫は多忙で家に寄りつかず、たまに帰ってきたときも会話は次第に口論に変わっていった。


千鶴は「普通の家庭」を築こうと必死だった。

しかし、完璧主義で理想を追い求める千鶴の性格が、自由奔放で束縛を嫌う夫の気質と衝突を生んだ。


そんな中で生まれたのが、裕奈だった。


しかし――


裕奈が小学校の頃、芸能界に入りたいと言い出したとき、千鶴は最初反対した。

「芸能界なんて甘い世界じゃない。あなたにはもっと安定した道があるはず。」


それは母親としての心配からではあったが、同時に自分の過去の挫折を思い出したくなかったからだった。

あの頃の悔しさや虚しさを、娘にも味わってほしくなかったのだ。


だが、裕奈は決して諦めなかった。

何度も何度も千鶴に頭を下げ、「沢山の人を笑顔にしたい」と自分の夢を語り続けた。

その真っ直ぐな眼差しに、千鶴はかつての自分の姿を重ねずにはいられなかった。


「私とは違う。この子なら…。」


最後には、裕奈の熱意に根負けする形で、千鶴は裕奈の芸能界入りを認めた。

――そして、千鶴自身も再び“あの世界”に足を踏み入れることになった。

かつて夢破れた舞台に、今度は母として立つ決意をしたのだ。


だが、心のどこかに燻り続ける芸能界への未練は、知らず知らずのうちに裕奈への期待と厳しさへと変わっていった。


さらに、裕奈の夢が現実になっていく中で、家族の距離は少しずつ離れていった。


裕奈が中学2年生のとき、芸能活動に専念するために東京へ転校してからは、家族の関係はさらに希薄になった。

夫は家に帰らないことが増え、裕奈との連絡も途絶えがちに。


そして、裕奈が高校3年生のとき、夫の浮気が発覚した。

千鶴にとって、それは積み重なった不信と失望の決定的な瞬間だった。


ある晩、久しぶりに帰宅した夫が静かに口を開いた。

「……もう終わりにしよう。」


その言葉に、千鶴は一瞬、感情が揺れた。

しかし、すぐに冷静な声で応じた。

「……そうね。もう終わりにしましょう。」


互いに疲れ果てていた。

争い続ける理由も、無理に繋ぎ止める理由もなかった。


千鶴は離婚に同意した。


裕奈には「普通の家庭」を与えられなかったという後悔と、自分と同じような間違いを繰り返してほしくないという思いが、知らず知らずのうちに裕奈への厳しさとして現れていた。


——しかし今、スキャンダルを乗り越え、力強く自分の道を歩んでいる娘の姿があった。


「裕奈は、私がなれなかったものになろうとしている…」


千鶴はそう心の中で呟き、かつての自分と裕奈を重ねた。

もう彼女は過去の自分と違う。

スキャンダルにも動じず、力強く未来へと歩みを進めている。


その姿に、千鶴は心から感嘆した。


撮影を終えて千鶴の元に戻ってきた裕奈は、やや疲れた表情ながらも晴れやかな笑顔を見せた。

「お疲れ様。いい演技だったわ。」千鶴は自然に言葉をかける。


「ありがとう。でも、お母さんも見てくれてたんだね。」裕奈が微笑む。


千鶴はしばらく裕奈を見つめてから、そっと言葉を紡いだ。

「昔の私にはできなかったことを、あなたはやっているのね。……裕奈、本当に強くなったわ。」


裕奈は少し驚いたように千鶴を見つめたが、やがて彼女の手を握りしめた。

「私、渉やお母さんがいたからここまで来れたんだよ。お母さんが厳しくしてくれたおかげで、どんなに辛くても逃げないでいられたの。」


千鶴の目に、わずかに涙が浮かぶ。


娘の成長を目の当たりにし、自分の過去がようやく救われたような気持ちになったのだ。

「ありがとう、裕奈。」


二人は握った手を離さないまま、長い沈黙の中で穏やかな時間を共有した。


その瞬間、千鶴は初めて、自分が娘に繋いだ夢のバトンが、正しい形で引き継がれたと確信した。

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